堕ちたる空の王子

 王族側の纏う雰囲気が何処か落胆に染まっているのを感じつつ、ミアは怖ず怖ずと口を開いた。


「……これは、空に住む星の国の王子様と、地上に住む野の花の恋を描いた詩だわ。この国に伝わるお伽噺にも何となく似ている気がするの。そして……エレオスさまとエスタのことにも」


 そうミアが小さく零すと、王妃は沈痛な面持ちで目を伏せ、国王と王子たちは目を瞠った。

 エレオスが下町の宿屋の娘に本気で恋をしていることに、王族の中では王妃だけが気付いていた。兄は全員単なる戯れだと決めつけて、国王は子供の火遊びだと本気にしていなかった。王族たるもの継承権が下位であろうとも相応しい振る舞いをせよと厳しく躾けてきた。

 国王は、エレオスにもいずれ身分にあった貴族の娘を妻にあてがうつもりでいて、そのことをエスタはエレオスの態度から察していたため、淡い恋心を表に出すことはしなかった。尤も、エスタの幼馴染で友人であるマリアリッサだけは、二人の思いに気付いていたようだが。


「歌の最後は王子様が怒った神様に地上へ落とされて、命を落とすところで終わっているの。この国の神話では、最後は結ばれることになっているみたいだけど……」

「……そんな石版の文字が消えてエレミアの国章に変わったってんなら、この碑文は予言みたいなもんだったのかも知れねえな。抑も、なんで初代の頃から石版になっていたんだとかは謎だが……」

「静謐の洞は、魔石戦争の頃からあったものですよね。なら、いずれ来る国の危機を歌に刻んでいてもおかしくないかと」

「そんなことが……」


 国王が、僅かに震える声で呟く。王妃は顔を覆い、幽かに啜り泣く声を漏らした。

 お伽噺に準えた、国の悲劇を予見する石版。もっと早く解読出来ていればと、今更悔やんでも遅い。

 ――――否。石版の訳文という形では残されていなかったが、エレミアには石版の内容と殆ど同じものが存在している。初代国王は、神話という形で石版の歌を残し、後世へと伝えていた。神話に彼の名が添えられていなかったのは、仮にも吟遊詩人でありながら石版の真実を歪めてしまったからだ。

 それでも彼は、願いを込めて歌い継いでいた。身分の違う者同士でも、心から歌を奏でるなら、魂で結ばれることは出来るのだと。


「ですがいま、エレオス様は踏み留まっておられます」


 重々しい空気の中に、クィンの声がひとしずくの水滴のように落とされた。


「碑文に従い彼を地上に落とすか、それとも地上の花への道を開くかは、王家の皆様次第かと存じます」

「勿論、天上に縛り付けるのもアリだな。平民と王族じゃあ感覚が違って当然だし、王家のやり方に外野の俺たちが口出しする権利はねえからな」

「そうだな。過ちを繰り返さぬためにも、我々は息子と向き合う必要があるだろう」


 そう静かに言うと、王は改めて一行を見回した。王妃も涙を拭い、凛とした姿勢で皆を見下ろす。


「そなたらには感謝しても仕切れぬ。ゆえに確と褒美を取らせたい。何なりと申してみよ」


 王の言葉に、三人はそれぞれ順に顔を見合わせた。

 国王から頂けるもので、共通してほしいものが一つ、思い当たる。


「ご厚情、感謝申し上げます。では、西大陸への渡航許可証を頂きたく存じます」


 クィンが静かな声音で言うと、王も王妃も目を見開いた。冒険者なら魔石や金貨を所望すると思っていたのに、手続きさえ踏めばだいたいの冒険者が発行してもらえる許可証だとは。


「つーか抑も俺ら、そのために城まで来たんだもんな」

「そういえばそうだったわ。王子様が大変だったから、忘れてしまっていたわね」


 見たところ欲がなさそうなクィンやミアならまだしも、見るからにシーフ然としたヴァンまでもが小銭の一つすら要求しないことに、王も王子たちも意外だという顔を隠せずにいた。


「王様、如何でしょう……? わたしたちでは力不足かしら……」


 なかなか答えが返ってこないことに不安を抱いたミアが、怖々訊ねる。と、国王は豪快に笑って頷き、威厳を取り戻した声で悠然と「承知した」と答えた。


「そなたらが力不足であれば、現在街にいるどの冒険者も力不足であろう。西大陸は此処より更に強力な魔獣や魔物が跋扈していると聞く。存分に気をつけるのだぞ」

「ええ、ええ……! ありがとう、王様、王妃様」


 ミアが輝くような笑顔になった瞬間、花翼が輝きを増し、謁見の間が甘やかな花の香りで満たされた。

 国王と王妃は感嘆の息を漏らして、王子二人は感心を目に映してミアを見つめる。護衛騎士は一瞬だけ魔術の類かと過ぎった様子で身構えたが、すぐにフローラリアの特性を思い出し、緊張を解いた。

 もしも心の傷が目に見えるものだったなら、きっと赤く痛々しい傷口を花の香りがふわりと包んだ刹那、とけるように消える様が見えていたことだろう。遙か昔には、フローラリアの核から育てた花が不老不死の妙薬になると信じられていたのも納得がいく。彼女らの喜びは周囲も癒し、やわらかな香りで心を包み込む。


「では、下がって良いぞ。許可証は明日には用意出来るゆえ、改めて参るが良い」

「はい。ありがとうございます」


 最後に丁寧なお辞儀をすると、ミアたちは謁見の間を去った。一行が廊下に出て、両開きの扉がゆっくり閉じると、先ほどまで謁見の間に漂っていた香りが幻のようにとけて消えた。


「……父上、母上。恥ずかしながら私は、フローラリアを誤解しておりました」


 ふと、ずっと黙っていた王子のうち一人、第三王子のエレオノールが口を開いた。


「エルフのように過去の出来事に囚われ、人に怯えて隠れ住んでいる臆病な妖精だとばかり……偏った目線で描かれた書物を鵜呑みにしていた己が恥ずかしいです」

「僕も、フローラリア族はもっと臆病で卑屈な生き物だとばかり……ミンストレルの歌にも殆ど触れてこなくて知る機会がなかったとはいえ、何故こんな思い込みをしていたのか」


 エレオノールに引き続き、第四王子のエレクトゥスが顔を伏せて呟いた。

 人が作った書の中には人に都合良く描かれたものが決して少なくない。エレミアの王立図書館にも、良く言えば人の世に寄り添った、悪く言えば人に都合の良い書物はいくらでもある。


「……そうだな。儂もまだまだ、知らぬことは多い。フローラリアに至っては、抑も資料が殆ど残されておらぬ。過去にヒュメンが彼女らに犯した所業は決して許されることではなく、それを未だに傷としていようとも、我等にそれをとやかく言う権利はないのだ」

「父上……ヒュメンは過去、フローラリア族にいったいなにをしたのです?」

「私も伺いたいです。ミア様に助けて頂いたいま、知らぬままではいられません」


 エレクトゥスとエレオノールの問いに、国王は眉を寄せて一つ息を吐き、重々しく口を開いた。まるで胸の奥に蟠る鉛を吐き出すかのように、低く。


「一言で言うならば、乱獲だ。彼らを人族と見做さず、薬草かなにかの如く、無為に狩り尽くさんとした闇の歴史……それを殆ど語り継がず忘れ去り、目を背けたことを嘆いたのが、初代エレミア国王なのだ」

「そんな……そんなことが過去に葬られかけていたなんて……」


 エレオノールは、先の自身の言葉を後悔した。

 過去の出来事に囚われた、臆病な種族。歴史書に書かれていた文言ほぼそのままであったとはいえ、自らの唇で紡いだ自らの印象だ。しかし過去に起きたことを思えば怯えるどころか、千年先まで恨まれていても仕方がないほどだ。

 自国の歴史や内政、国の運用に関する学問は、これまで山と詰め込まれてきたが、異種族の歴史は然程学んでこなかった。どんな種族がいて、どういった性質で、主にどこに住んでいるかという、最低限の基礎知識だけで済ませていたのだが、それではいけないと改めて自戒する。


「では、私たちの国はフローラリアに対する過ちから生まれたのですね……」

「そんな僕たちが、いまになってまたフローラリア族に助けられるなんて……まるで忘れるなと言われているかのようです」


 エレミアは、ミンストレルの国だ。自国やヒュメン以外の真実も正しく知り、語り継がなければならない。

 国王は慈しみの表情で頷き、二人の王子を玉座に呼び寄せた。二人の王子が国王の傍に立つと、国王は大きな手のひらで王子たちをそれぞれ撫でた。幼いときには良くしてやった仕草だが、彼らが大きくなってからは褒めることすら滅多にしなくなっていた。王は国政に追われ、王子は跡を継ぐときが来た日のために英才教育をその身に叩き込む日々。

 王子たちは、驚きこそしたものの反発することなく、父の分厚く大きな手のひらを照れくさそうに受け入れた。そしてそんな親子を、王妃は愛おしげに見つめている。

 稚い花の少女に触発された彼らは、数年ぶりにただの親子となっていた。

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