花のお茶会
エスタは部屋で一人、蹲って内省していた。
久しぶりの客人の前で、何という失態を犯してしまったのか。経営が上手く行っていないという恥の話をしたばかりか、個人的な問題に巻き込んで怪我をさせ、更には食事をお出しした目の前で己の空腹を訴えるなど。
どうにかして祖母が始めた大事な宿を立て直したい。賑やかだった頃に戻りたいと願っていたが、いっそもう潰してしまったほうが良いような気がしてきた。
「……そろそろお食事も終わったかしら」
どれほど無様を晒したとて、いまはまだお客様がいる。彼らが呆れ果てて「こんなところにはもう泊まりたくない」と出て行かない限りは、いまの自分に出来ることをするのみ。
顔を上げて、一つ深呼吸をしてから扉を開ける。私室の隣は母の部屋だ。そちらを一瞥してから、エスタは食堂へと出て行った。
「綺麗に召し上がってくださったみたい。良かった」
肉料理を作ったのは久々で、ちょっとした不安もあったが、上手く出来たようだ。スープも肉も綺麗に完食してくれており、テーブルの上には綺麗な皿だけが残されている。
順に皿を回収していると、背後で小さな足音がして振り向いた。其処にいたのは、花翼を甘く香らせたミアだった。
「ミアさん。如何なさいましたか?」
「あのね、お片付けが終わったらでいいから、お茶を二つ淹れてほしいの。ヴァンが花茶の材料も買ってきたって言っていたから、それをお願い」
「はい、畏まりました。少々お待ちくださいませ」
食器をキッチンに下げ、井戸から汲んで来た水で手早く洗う。中心市街は上水道が通っているが、職人街の外れのほうは、未だに共用の井戸を使っている。洗っているあいだに湧かしていたお湯を確かめ、買い出しをしてもらった荷物の中を探った。
「雪月花のお茶……お店で箱を見たことならあったけれど、これって工芸茶なのね。だったら硝子のポットでお出ししようかな」
工芸茶品種の一種、白い八重咲きの花が咲く雪月花という名の花茶は、砂糖や蜜を入れるまでもなく仄かな甘味がある、癖のないお茶だ。高級品とまではいかないが、ちょっとした贅沢をするときに飲むような、気安い間柄の来客に出すような、程よいお値段で売られている。当然エスタは飲んだこともなければ買ったこともない、店で目にして存在を知っているだけのものだ。
用意しかけた陶器のポットから硝子細工のポットに持ち替えて中をすすぎ、花茶の素材を入れる。それからお湯を注ぐとふわりと花が開き、キッチンに甘やかな香りが漂った。
トレーにポットとカップを二つ載せて食堂へ出ると、ミアは席で待っていた。
「お待たせ致しました」
「ありがとう。もう一つはそちらに置いてくれるかしら」
「はい」
ミアの正面を示され、エスタは素直に言われたところへカップを置いた。あとから連れの誰かが合流するのだろうと思って下がろうとしたエスタに、ミアの明るい声が掛かる。
「ねえ、エスタ。少し、わたしとお話してくださらない?」
「えっ……私、ですか?」
まさかの申し出に、エスタは目を丸くしてそのまま問い返した。
「ええ。旅をしていると、年の近い女の子と話す機会があまりないものだから」
「そういうことでしたら……」
どうぞ、というミアの言葉に甘えて、正面の席に腰を下ろす。
「お茶をお入れしますね」
「ありがとう。良かったらエスタも飲んでみて頂戴。ひとりのお茶は寂しいもの」
「は、はい。畏まりました。では、お言葉に甘えて失礼致します」
ミアのカップと目の前のカップ、それぞれに花茶を注ぐと、早速ミアが花茶を吹き冷まして一口啜った。紅潮する頬とやわらかに緩んだ顔、そして花茶の香りに紛れて漂う花翼の甘い香りが、彼女の喜びを表している。
エスタはフローラリアを絵本でしか見たことがなかったが、まさか本当に絵の通りだとは夢にも思わなかった。いまはどこか遠い森の奥にひっそりと隠れ住んでいる、旧い神代種族。それゆえに、人里で見かけることは滅多にない……というより、ほぼあり得ない種族だというのに。
もしかしたら彼女は自分などとは比べものにならないくらい、なにか事情を抱えているのでは。と、其処まで考えて、エスタは小さく首を振った。客の内情をあれこれ想像するなどはしたない。
花茶を口に含めば、まるで花園にいるかのような甘い香りがエスタを包み込んだ。自然と息が漏れ、肩の力が僅かに抜ける。
「私、花茶って初めて飲んだんですけど、こんなに美味しいものだったんですね」
「ええ、そうなの。妖精郷にいたときにはいつもクィンが淹れてくれたのだけれど、当たり前に毎日飲んでいたものが旅ではなかなか飲めないものだから、不思議な感じだわ」
「そうですよね……旅をしていると、お食事も寝るところも全然違って……大変ではありませんか?」
エスタの問いに、ミアは「へいきよ」と笑って答えた。
「わたしには、クィンもヴァンもいるもの。ひとりだったらきっと耐えられなかったでしょうけれど、一緒ならきっと何処へだって行けるわ」
「お二人のこと、信頼していらっしゃるんですね」
「ええ」
迷いなく言い切るミアの表情に、偽りの影はない。
いったい、どれほどの距離を三人で旅してきたのだろうとエスタが思っていると、ミアはさらりと、
「ヴァンと出会ったのは、ほんの数日前なのだけれど」
と言った。
目を瞠り驚くエスタに、ミアはヴァンがどんなにか親切で優しく、旅に慣れている凄腕冒険者であるかを語り聞かせた。その語り口はまるで憧れの英雄譚を語る少女のようで、エスタは微笑ましい気持ちで話に耳を傾けた。
「……あっ、ごめんなさい。わたしばかりお話ししてしまったわ」
「いえ、お気になさらないでください。旅の話は私も興味がありますから」
「ありがとう。……そうだわ。今度はエスタのお話を聞かせてくださらない? 街に来たばかりでまだ何処も見られていないから、お勧めが知りたいわ」
「お勧めですか? そうですね……それでしたら、此処からだと少し遠いのですが、記念広場がお勧めです」
エスタは記念広場に飾られている初代国王にして伝説とも言われている吟遊詩人の像や語り継がれている逸話、この国が星と詩の国と言われている所以などを話した。
この国の教会では詩の女神シャンテノーラと星の神エステルノーテを祀っており、子供向けの礼拝で星の神と詩の女神が愛の詩を通じて天上界で結ばれるまでの逸話を読み聞かせたりもしている。
「旧き花の女神フラウルーシェ様と、詩の女神シャンテノーラ様の愛と加護を受けたヒュメンの娘が始まりとされるティンダーリア王家……その女性にのみ引き継がれる詩魔法。それがこの国では奇跡の詩とも呼ばれ、大切にされているんです」
「わたしも女神様のことは、絵本で見て知っているわ。とても綺麗な神様なのよね」
「ええ。フラウルーシェ様は、フローラリア族にそのお姿の特徴が引き継がれているそうですから、きっとミアさんによく似ていると思います」
「まあ、うれしいわ」
両手で頬を包み恥じらうミアの姿を、エスタは穏やかな気持ちで見つめた。
話をしていて思ったが、ミアは二柱の女神が持つ特徴をそれぞれ持っているように見える。金色のやわらかな髪と花翼、空色の右目はフラウルーシェの、淡い若草色をした左目と甘く軽やかな声は言い伝えにあるシャンテノーラの特徴だ。
そして同様に、ティンダーリア王家の女性も、金髪に若草色の瞳と鈴のような声を持って生まれてくる上、封印の詩を産まれながらに理解しているという。
フローラリアであるミアが何故片方とはいえ明るい若草色の瞳を持っているのかは謎だが、エスタは好奇心を飲み込んで話を続けた。
「残念ながら詩魔法は数十年前に起きたティンダーリア崩壊の日に喪われたとされていますが、だからこそこの国は吟遊詩人を育成して詩の奇跡を復活させられないかと願っているんです」
「そうだったの……」
ミアはエレミアに到着した際に感じた、心を震わせる音の波に思いを馳せた。
街の賑わい、広場の音楽家、そこかしこに溢れる音楽たちは全て、エレミアの民の祷りだったのだ。
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