初めてのキャンプ

 ミアはクィンの手を借りて立ち上がるとそっと息を吐き、スカートの裾を払った。目を閉じてはいたものの、話し声は全て聞こえていた。ヴァンを頭が誘惑したのも、恐らくは暴言と思しき言葉を自分に吐いていたのも、ミアは全て聞いていた。意味はわからなかったけれど、良くない言葉だということは幼いミアにだってわかる。

 けれどミアは、なにも聞かなかったことにした。全て忘れることにした。代わりにクィンが怒ってくれたから。彼はミアに、傷ついてほしくないと思っているから。

 だから代わりに、別のことを口にする。


「ごめんなさい、クィン。いつもあなたに任せてしまって」

「いえ、これが私の仕事ですから。今回は、ヴァンも手伝ってくださいましたので。お陰で手早く片付けることが出来ました」

「そうだわ。ありがとう、ヴァン」


 ミアはぽんと手を合わせるとヴァンに向き直り、高い位置にある顔を見上げてから優雅にスカートを摘まんでお辞儀をした。


「わたし、お外ではクィンの傍から離れないよう言われているからじっとしていたのだけれど、ヴァンにはお邪魔じゃなかったかしら」

「いや、全然。寧ろ見えるとこでじっとしててくれて助かったぜ。怖かったろうに、偉かったな」

「まあ……なんてお優しいの。ほんとうにありがとう」


 ヴァンが褒めると、ミアは花翼をふわりと香らせて破顔した。

 純粋で、素直で、そして幼い。今し方の出来事を経てもなお、この世に悪意というものが存在していることすら知らないかのように。


「クィンも、いつもありがとう」

「恐縮です、ミア様。さあ、参りましょう。日が暮れる前に、キャンプ広場に着いてしまいたいですから」

「ええ、そうね」


 死屍累々の血の花道の真ん中ということは一時忘れることにして、ヴァンは平和なお花畑のお姫様とその従者という奇妙な二人組についていく形で歩き出した。


 北大森林にはギルディア側の北部入口と王都側の南部入口、二箇所の入口がある。ミアたちが目指す広場は北第一広場と呼ばれる北側の最初の休憩地点だ。この街道は馬車も頻繁に利用するため、街道沿いで休むことが出来ない。かといって泉や薬草を求めて森の奥に入り込んでしまえば、旅慣れない冒険者ほど街道に戻ることが難しくなる。

 実際の事故を繰り返して出来たのが、南北二つずつの小休憩所と、中央の大広場である。何度も往復している人間は南北第二広場か中央広場での休息のみで通り抜けることが出来るため、第一広場は主に初心者向けとして解放されている。

 広場までの横道に看板が立っていたり、周囲にはギルドが魔物避けの薬草を植えていたり、整備された泉があったりと、至れり尽くせりだ。


「見えて来たぜ。あれが駆け出し冒険者御用達の、北第一広場だ」


 街道から横道に逸れて暫く。森の入口でも見たような木製の看板と、開けた場所が見えてきた。看板には、世界交易文字で北第一広場と書かれており、簡易的な水場とテントを張る空間が並んでいる。

 辺りはすっかり陽が落ちてしまったが、広場周辺には手頃な石に擦りつけることで小さな火花を出す焔石という魔石で作った人工燈火まで設置されており、何処までも護られていると感じる。


「此処まで来ると過保護な気もするが、第一広場だけだからな。練習だ練習」


 そう言いながらヴァンが石で囲まれた泉に近付き、水を掬って一口含んだ。小さく大丈夫そうだな、と呟いてから二人を手招き、場所を空ける。


「先達が、我々の拙い旅立ちを見守ってくださるというのなら、ありがたく使わせて頂きましょう。野宿であることに変わりはないのですから」

「そうね。他ほど魔物の心配をしなくていいとはいっても、森の中ですものね」


 クィンが水筒に水を汲んでいる様子を、ミアが不思議そうに傍で見つめている。

 初めてギルディアについたときも、街の入口付近で住民が挨拶をしてくれた。

 旅慣れていないと一目で見抜き、冒険者セットが売っている道具屋とギルドに案内してくれたのもその人だった。

 妖精郷から持ち出してきたのはいくつかの魔石と薬草、それから魔花の一種であるリュシオライトで編んだ水筒くらいで、実際旅をするような装備ではなかった。


「変わった水筒だな」


 クィンの水筒を見てヴァンが興味深そうに訊ねた。ヴァンが持っているのは魔物の革を鞣して作った、一般的な冒険者用の水筒だ。クィンのそれは薄紫色をした袋状の植物に見える。


「リュシオライトの花に、リンカの弦を編み込んだものを被せた水筒です。我々魔法生物は魔素を取り込み糧としますが、これは水の魔素に花の魔素を自動で混ぜ込んでくれるのです」

「どっちも妖精郷の魔花ってことは、なるほど。嬢ちゃんのための水筒か」


 フローラリアは水や花、風の魔素を取り込むことで命を繋いでいる。

 人間が獣肉だけを食べては健康で生きていけないように、魔法生物も自身の属性にあった魔素をバランス良く取り込まないと、体調を崩すことがある。風の魔素は真空状態にでもならない限り問題なく取り込めるが、水と花の魔素は意識しなければ糧に出来ない。其処で魔法植物――一般に魔花と呼ばれる種の花を用いて水を飲むだけで花の魔素も取り込めるようにしたのである。

 リュシオライトは蛍袋に似た形の薄紫の花を咲かせる丈夫な魔花で、リンカの弦は加工してハープの弦などにも使用される細くしなやかな蔓草だ。

 娘を心配した妖精王が密かに夜なべして編んだというのだから、過保護なことこの上ない。


「何つーか、愛されてんなァ、嬢ちゃん」


 広場の一角に簡易テントを張りながら、ヴァンが呟く。焚き火用の枝を集めているクィンの見真似で小さな枝を拾い集めていたミアは、ふと手を止めて、擽ったそうに微笑んだ。


「ええ。みんな、ほんとうにわたしを大切にしてくれていたわ。クィンもお父様も、妖精ではないわたしを、家族のように愛してくれて……」


 喩えその理由が、いつか来る旅立ちのときに備えるためであったとしても。集めた枝を焚き火の中に放り込み、パチパチと火の粉を上げる橙の炎を見つめて言う。


「だからわたしは、みんなの大きな愛に報いるためにも、この旅を成功させなければならないの」


 炎が照らすミアの横顔に落ちる影を初めて見たヴァンは、ミアへの認識を改めた。

 悪意もなにも知らない、平和なおつむのお嬢さんだとばかり思っていたが、周りが過保護なだけで本人はとうに世界の闇を見る覚悟を決めている。自身が傷つくことも了承しているが、そのことで周りが自分以上に傷つくことを知っている。

 彼女の旅の理由を、ヴァンはまだ正確には知らない。里帰りのようなものだという話は聞いたが、それだけだ。

 まさか本当に、離れて暮らす身内に土産を持っていくだけではあるまい。


「……そうかい。ま、がんばんな」

「ありがとう」


 枝が小さく爆ぜ、火の粉が夜に舞う。

 頭上を見れば白い月が見え、小さな砂糖菓子のような星が輝いていた。

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