片道通行料

「疾風のヴァン……!」

「なんでアイツがこんな辺境に……」


 バンディットたちがざわつき、一気に緊張が高まる。

 周囲を警戒しているクィンに代わりミアが声のした後方を振り向くと、ゆったりとした動作で歩いてくるヴァンがいた。


「ご機嫌よう、ヴァン。街ではありがとう」

「おう。だがまあ、思った通りの有様だなァ」


 武器を構えているバンディットと、いつでも武器を抜ける体勢で警戒するクィンに対し、後方の二人は散歩中に知人と出会ったかのようである。


「ねえヴァン、あなたも王都にご用があるの?」

「まあな」


 緊迫した空気に似つかわしくない、街の広場で天気の話でもするかのような声音で問うミアに、ヴァンはからりと笑って頷いた。


「ギルディアはもう初心者向けの依頼しかねえし、頃合いだと思ってな」


 穏やかな表情で答えてから、ヴァンはついとバンディットへ視線を移した。

 その一瞬目が合った下っ端らしき男が数人「うひっ」と情けない声を上げて片脚を引いたが、さすがに魔物の出る森を根城にしている荒くれの一員なだけあって武器を取り落とすまでには至らなかった。


「さて、と。この辺りに疾風のヴァンとかいうシーフが率いてるバンディット集団がいるって噂だが、おかしいなァ? ヴァンはソロの冒険者だったはずだぜ」

「ぐっ……!」


 かしらの男が、喉を詰まらせたような声を漏らす。

 ビリビリと肌を切り裂く気迫がヴァンから放たれているのを感じ、バンディットは足を半歩引いて息を飲んだ。が、数多の冒険者を返り討ちにして来ただけあり、ただ気圧されるばかりではないようで。ギリッと奥歯を噛みしめてヴァンを睨むと、頭の男は声を上げた。


「テメェら怯むこたねぇ! 向こうにゃ、おつむに花ァ咲いた女がいやがるんだ! いくらあのヴァンだって、あんなアホ女守りながら戦えるもんかよ!」


 頭の叱責でバンディットたちがハッとなり、武器を構え直した。

 久々に高値がつきそうな獲物を前にしていきり立つ男たちが鼓舞の声を上げる中、ヴァンは傍らに静かな怒りの気配を感じていた。気配の主は、ミアではない。彼女は依然周囲を困ったように眺めているだけで、戦おうとする様子すらない。


「ミア様。少々お時間を頂きます。目を閉じていてください」

「わかったわ」


 クィンがミアの正面に立ち塞がり、レイピアに似た細身の剣を構える。と同時に、ミアはその場にしゃがみ込み、隠れんぼの鬼さながらの格好で目を閉じた。

 周囲の警戒も敵の対処も全てクィンに任せきりとなる、無防備な格好だ。


「テメェらやっちまえ! ヴァンと優男は殺して構わねえ!」

「うおぉおお!!」


 四方八方から飛びかかるバンディットの群れを、まず無数の赤い針が迎え撃った。クィンが剣を構えていないほうの手を薙ぎ払ったと思えば、縫い針よりも二回りほど細い針が飛び出し、バンディットの体に突き刺さったのだ。か細いだけあり針の痛み自体は殆ど感じないくらいであったが、それが何であったのかはすぐにわかった。


「ぐ、がっ……!?」


 針の刺さった箇所から根が張るように、皮膚の下を細いなにかが這い伸びていく。それを見て一瞬怯んだものの、戦意を喪失するに至らない他の男たちが襲いかかってくる。


「おいおい、なんだありゃ?」

「見ていればわかります」

「そうかい。だったらまずは掃除が先だな、っと!」


 周りで悲鳴や呻き声が上がっていても、変わらず目を塞いでいるミアを庇うようにして、ヴァンはクィンを気にしながらバンディットたちの拙い攻撃を捌いては遠くに蹴り飛ばしていく。ある者は木に背中を強かに打ち付けて気絶し、ある者は馬車道を大いに逸れて吹き飛び、またある者は投げ飛ばされた際に受け身を取れずに、自らのナイフで喉を突いて脱落していった。

 クィンも謎の細針を使ったのは最初だけで、数が減ったあとは細剣で戦っている。いくら馬車道といっても、大人数で乱戦を行えるほど広いわけではない。どうしても道の前後から襲いかかるほかなく、道の脇から飛び出せば木々が居所とタイミングを音で知らせてしまう。

 多勢に無勢などという言葉は、彼らには通用しなかったのだとバンディットたちが思い知るのに、然程も時間を要しなかった。


「畜生……ッ! 畜生畜生畜生! ヴァン! テメェも盗賊じゃなかったのかよ! そこの女を売っ払えば俺もテメェもひと月は軽く遊んで暮らせるだろうが! なぁ、考え直せよ!」


 部下を悉く蹴散らされた頭が、武器を構えながら無様に吼える。

 ナイフや頬についた血を粗雑に振り払いながら、ヴァンは傍らで周囲の草木さえも凍てつかせそうな空気を放っているクィンを見た。

 クィンは戦闘が始まってから、ミアの小さな足でも三歩以内で辿り着ける範囲しか動いていない。彼の足下は土が外向きで半円形に削れており、ミアには土埃一つさえかかっていない。バンディットの相手をしながら、しかしヴァンは自分も警戒されていることに気付いていた。

 これを見て大した使い手でもないあの男の口車に乗ってミアを勾引かす方向に舵を切るのは、余程の馬鹿か大馬鹿くらいのものだ。


「……本当にそう思ってんなら、テメェに盗賊の才能はねぇよ」


 ヴァンの呆れた溜息とほぼ同時に、クィンは初めて強く地を蹴った。一瞬で眼前に迫った水色の瞳が、暗い光を帯びて頭の視界を埋め尽くす。


「がッ!?……ァ……!」


 頭の男は、武器を構えていた。クィンが向かってくるかも知れない可能性も考えていた。

 だがクィンは、頭の予測を遙かに上回る速度で以て迫り、そして、一切の躊躇なく細剣を急所に突き刺したのだ。

 焼け付くような鋭い熱を胸部に感じたのと、ずるりと異物が引き抜かれていくのを感じたのは、殆ど同時だった。なにが起きたのか理解するより早く体が傾いでいく。

 斜めに歪む視界で、格下どころか手にした武器も単なるお飾りだとさえ思っていた優男が、頭を道脇に蹴り避けてから、軽やかに元の位置へ飛び退ったのが見えた。

 地に倒れた頭の目に、毒々しい赤い花が咲いているのが見える。最初は仲間たちの血が地面に流れ出ているのかと思った。だがそれが、比喩ではなく本当に赤い花だと理解したとき、頭の意識は闇に飲まれて堕ちていった。

 亡骸から、赤い花が咲き誇る。それが元々人だったことを隠すように。


「なるほどな。“アンネリーゼの花束”か」


 落ち着いて辺りを見れば、まるで花道のように、馬車道の左右に赤い花がいくつも咲いている。バンディットに投げた針は、アンネリーゼの花束と呼ばれる寄生植物の種を仕込んだものだったのだ。

 人間の傷口から種が入り込むと、瞬く間に根を張り、血液を吸い上げて血色の花を咲かせる植物。エルフの森や妖精郷に自生する、自然に生きる彼らの数少ない人避け対策植物だ。名の由来は親の言いつけを守らず道草を食い、道に迷った挙げ句に森で朽ち果てて一輪の花と化した少女の名だというのだから、成り立ちから既に恐ろしい花である。

 それと知らなければ何処にでもありそうな五枚花弁の小さな赤い花でしかない上、花や葉などにこれといって毒も無いため、傷と種に気をつけていれば無害なのだが。


「ええ。対人間にはこれが一番効きますから」


 ぞっとしねえな、というヴァンの呟きを無視して、クィンはミアの正面に跪いた。


「ミア様、お待たせ致しました。片付けが済みましたので、先へ進みましょう」

「ほんとう……?」


 怖々顔を上げたミアの視界には、道の端を彩る赤い花と、荒事が起きる前より少し荒れた地面が映っていた。ヴァンも何だかんだ幼いミアの目に凄惨な死体を映すのを躊躇ったようで、戦いながらも茂みの奥へ蹴り飛ばしていたため目の毒になるものは何処にもない。

 ただ、人の血を吸って成長するアンネリーゼの花束を『凄惨な死体』に分類するかどうかはともかく。

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