春の夜の夢のごとし

QU0Nたむ

宇宙の夢


 春休み、深夜2時。


 布団を跳ね飛ばす衣擦れ音が、深夜の静寂を濁した。

 荒い呼吸と乾く喉が、自分の身体の事なのにいやに不快だった。



 台所に水を飲みに行く。そっと家族を起こさないように慎重に。


 私は、さっきまで見ていた夢を思い返していた。

 昔からよく見る悪夢だった。


 その夢では、私は宇宙にいる。

 眼の前には大きな青い星がある。

 宇宙だからか、身体はうまく動かせない。


 透き通るような青い星に感動する。身動きの取れない宇宙空間で、だんだんとソレに引き寄せられる。

 そう、これは高いところから落ちるタイプの悪夢だった。


 宇宙空間の無音が私の悲鳴を飲み込んで、抵抗虚しく重力の鎖が私を絡め取る。


 最後にはブレーキが効かない落下のイメージと、大気圏突入の摩擦熱で燃え尽きるイメージ。

 二種類の死の恐怖から、私はいつも飛び起きることになる。


 いつのまにか、この悪夢のせいで私は眠りが浅い体質になっていた。


 水を飲み、お布団に帰ってきてもすっかりと目が冴えてしまって寝れる気がしない。


 こんなとき、私はスマホを触る。

 同じように寝れない人なんて、リアルの周りには少なくとも世の中にはたくさんいるらしい。


 そんな人たちと、くだらない雑談をしたりして。

 そのうち寝れたり寝れなかったりする。



 そして、ある日の声をかけた人。

 その人の名前の頭文字から、仮にTさんと呼ぶ。


 まぁまぁ、まともそうな人だ。

 でも、こんな時間まで起きている。

 きっとこの人も寝れない理由があるのだと思った。

 考えてみたら気になって聞いてみることにした。


 まず私からは、あの悪夢のことを話した。


 すると悪夢だと言っているのに「いい夢だ」と、その人は返事をしてきた。

 ずいぶんと趣味の悪い人だ。


 理由を聞いて呆れた。


「この星に未練があるから、きっと引き寄せられるんだ」


「重力のせいじゃないの?」


「君は夢の世界の住人だ、だから重力は関係ない」


「嘘だぁ、そんなに未練を持つ程のいい人生してないと思うけど」


 こうして、夜ふかしばかりなせいで昼間は気の抜けた毎日を送っているし。


 それでも、とTさんは続けた。


「それでも、何処か別の星に行きたいほど、自分の人生を嫌ってないんだよ」


「そうなのかなぁ……」


「きっとそうだよ、だからその夢はそんなに悪くない。

 むしろ、この星に君の用事が残ってる事を確認出来てるんだ」


 そして、Tさんの寝れない理由は「寝てる時間がもったいないから」との理由だった。

 実に模範的な社会的生活不適合者である。


___________



 春休みが終わって学校が始まった。


 新学期、桜の季節……なんて、あっという間。


 目新しいことも、季節の移ろいとともに減っていく。

 

 いつもの悪夢による寝不足。

 机に突っ伏す私に声がかかる。


「お前いつも眠そうだな?夜ふかししてんの?」


「前の席の………………」


 そういえば、なんて名前だっけ。


「いや、喉元まできてる。分かってる気がするんだけどパッと出てこないというか……」


「カネムラ。お前、もう2ヶ月過ぎてるのに……名前覚えてくれてないのか」


 彼は少し落ち込んでしまった。

 私の名前は覚えてくれてるのに、少し罪悪感を感じる。


「ごめん、話したことないし。先生の視線を遮る盾くらいにしか思ってなかったから」


「謝るつもりある?」


 彼はサトウくんと言う名前らしい。

 どこにでもいるような名前だから、覚える難易度高めだなと思った。


___________


 そんな心配は杞憂だった。

 流石に毎日話しかけてくれば覚える。


 最初に話しかけてくれた事で、緊張することもなくなったのか私達は自然と話すようになった。


「課題、またやってないのか」


「信じてる、サトウの事」


「キメ顔で言ってもダメだぞ」


「けち」


 苦い顔をしながらも、ちゃんと彼はやってきた課題を見せてくれる。


「また、夢見が悪かったのか」


「そ、いつものやつ」


「あれか、宇宙のやつ」


 嘆息しながら困ったような顔をする。べつにサトウの問題ではないのに、自分のことのように悩んでくれる。


「なにか原因はないのか、見始めたきっかけとか」


 私はシャーペンを忙しなく動かして、授業間の休憩のうちに写し終わろうとしている。


「んー?きっかけはテレビでスペースシャトルの墜落事故の再現VTRを見たとかじゃないかな」


 そんな昔の思い出しにくいことより、眼の前の課題だ。

 テキストとサトウの回答に視線が行ったり来たりする。


「どうすればいいんだろうな」


「なんか地球に未練がなくなれば、引き寄せられないんじゃない?って言われたような」


「なんだそりゃ」


 手と目に集中して口はテキトーに動かしていた。

 私は何を言ったかはよく考えていなかったけど、少なくとも課題は移し終えた。


「よし、おしまい!あとは盾を任せた」


「あ、おい!」


 突っ伏して寝る態勢にはいった私をとがめる。しかし、口だけの注意でサトウは放っておいてくれる。


 忠実な盾役だ。


___________


 暑くなったり、寒くなったり。

 そして、また暖かくなったり。


 一巡する季節の中で、何度か席替えもあった。

 でも、不思議とサトウが前で私が後ろの席順は変わらなかった。


 春の終わり、葉桜の季節。

 寝るのにちょうどいい気温で、ホームルーム終わりにそのまま寝てたらしい。

 夕暮れが、オレンジと影で教室を満たしていた。

 こんな時間なのに、私の盾はまだ前の席に座っていた。


「お、帰るか?今日はまた長かったな」


 たぶん、課題を終わらせていたのだ。

 自分の机に向かって、シャーペンを動かしていたのを中断して振り返ってきている。


 私とサトウ、二人きりだ。

 

 せっかくだから。席順の事をサトウに話す。

 すると、喉にお餅がつまったような顔になった。


「ねぇ、なんでだと思う?」


「そ、それはだな……」


 何か知ってるみたい。


「誰かの意思のようななモノを感じるの」


 観念したように天を仰ぐサトウ。


「……あぁ、オレがお願いして席替えの時に手回ししてる」


「どうして?サトウになんのメリットが……」


「オレがカネムラの盾になる為には、前にいなきゃだろ」


……盾願望?特殊なフェチなのかな?

 私は心のなかですっとぼけてみたけど、答えは分かってた。

 耳まで赤くなっているサトウはあさっての方向に視線をそらしている。


 私はこの話題を続けた。


「いくじなしのサトウくんに、質問を変えます」


 尋問官のように机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に持ってきて、顔の前で手を組む。

 本当は私も顔が赤くなっているのを隠すためだ。


「君はなぜ、私の盾になりたいの?」


「……カネムラに、惚れているからです。」


「……素直でよろしい」


 お互いに視線を向けながらも、思考が空回りしてるのを感じる。


 そう、サトウはどうやら私の事が好きらしい。


 私は盾として、課題の写し先としてとしか見てなかったけど。

 席替えのたびに前の席にくる彼の、献身的な片想いに気付いてからは意識しちゃってダメだった。

 私も彼が嫌じゃないなって思っちゃったのである。


 サトウは覚悟を決めたらしい。表情を真剣なものに変えていた。


「付き合いたい、オレじゃダメか」


「……ダメじゃないです」


そうして、サトウと私は恋人同士になった。


___________


 悪夢は気付けば、見なくなっていた。

 あの宇宙に放り出されることは、もうないのだ。


 隣で手を握っててくれる人がいるから。私は地に足つけて生きていける。


 彼と夏休みの予定を立てた。

 きっと楽しくなると、私はわくわくしていた。


___________


 夏休み三日目、明後日は花火大会に行く予定。

 浴衣とか持って無いけど、お洒落はしようと思ってる。

 手持ちの服とにらめっこしてるときに。


 スマホが鳴った。


『息子のスマホから、打っています。

 息子は事故に合い緊急搬送されてます。

 追って連絡しますが、息子と予定を組まれてる方は息子は来れないと思ってください。』


 クラス全体のグループトークにサトウの名前で、それだけ送られてきた。


 悪い冗談だと思った。

 私はそこから眠れない夜を過ごした。


 2日も完全に寝ないと流石に無理がくるらしい。

 意識がフラフラする。


 花火大会に行こうと、組んでいた予定は無くなった。

 二人とも楽しみにしていて、サトウもドタキャンするはずが無い予定。


 既読も相変わらずつかないし、連絡もこない。

 連絡がこないから、何処に搬送されてるか病院もわからない。


 眠れない寝たくない。けれど気絶するように眠ってしまった。



 そして、私は宇宙に。

 あの悪夢にいた。


 眼の前の大きな青い星、地球。

 こんな時なのに、青と雲の白や陸地の緑のコントラストが美しく。感情が揺れ動く。

 夢の中なのに、涙が出てくる。

 あの青い星にはもう彼はいないのかもしれない。


泣きじゃくる私が宇宙空間に浮かんでいる。


 音が無い、空気が無いから泣いてもどこにも伝わらない。



『この星に未練があるから、きっと引き寄せられるんだ』


 もう随分前の顔も知らない人の言葉が、急に思い起こされた。


 ほんとだ、引き寄せられていない。

 私は広い宇宙に一人だ。


 この夢で、初めて自由を得られた。

 地球ばかり目についていたけれど、遠くの星にも視線を向けてみる。


 輝く星たちは空気のフィルターの無いここでは、やけにクリアに映る。

 それぞれが、宝石のような光を真っ黒なキャンパスに放っている。


 星たちを見回しているうちに、体の向きが変わって巨大な月と目があった。


 知識では知ってたけど、光ってるわけじゃない。


 ただ砂や石のようなモノが転がるだけ。

 地上から見上げるよりも、ずいぶん大人しく見えた、


 なんとなく降り立ってみる。


 何も無い月の平野を歩いて。

 星の海を眺めて、地球をぼんやりと眺める。


 夢の中だとしても、美しいパノラマに飲まれる。


 ……ここに、彼がいてくれたら。

 欠片でも考えてしまった事に、胸の奥が締め付けられる。


 その時だった。ぐんと、身体が浮いていく。

 地球に引っ張られる。


 心配して、不安になってたけど。

 私は彼がどうなったか確認してない。


 怖いから。

 積極的に、とにかく会ってみるなんて考えてなかった。


 月の地面は遥か遠く、地球が近づいてくる。

 私は浮遊しながら、落ちる先を見つめる。

 目をそらさない。


 私には、まだ確かにこの星に用事があるんだ。


 いつも、ここで落下の恐怖や身体が燃え落ちるんじゃないかと不安を抱く。


 でも、なんだか今日はどちらもない。

 まるで私の前に盾があるような、受け止めてくれる人がいるような気がする。


 真っ赤に燃える流星になって、私はこの星に帰ってきた。


___________


 ぱっちりと目が覚める。

 私の悪夢がいい夢に変わった。


「学校にいこう」


 誰かしら先生に会えれば、サトウの事が分かるかもしれない。


 そして、私はサトウが事故でどうなったのか。怯えながらも知るために動き出した。


___________


 そして、病院にたどり着いた。

 踏み出した私はトントン拍子でここまでこれた。


 果たして、学校には担任の先生が補習の生徒に授業をしていた。

 その先生がサトウのお母さんから病院を聞いてくれたのだ。

 いつも授業を寝ていたけど、今後少し真面目に受けようと思った。


 スライド式の病室のドアをコンコンとノックする。

 そして、バンとドアを開けると。




「あ、悪いカナムラ!スマホ壊れちまった!」


 頭に包帯こそ巻いているが、元気そうな彼がそこにいた。


 そう、そうなのだ。

 担任も普通に補習の授業やってたから、そこで気付くとこだったけれど。


 命に別状はなかったのだ。


 なんで、連絡がなかったのか。

 それは彼のお母さんが、あの心臓に悪いメッセージを送ったあと。破損した彼のスマホが再起不能になっていたからである。

 病室に入る前にお母様に会って、その話を聞いて崩れ落ちたのは記憶に新しい。


「ばか!心配したんだから!」


「ほんとごめん!花火大会も、行けなくてごめん!」


「このっ!」


 引っ叩いてやろうとして、頭の包帯を見て。

 振り上げた手の勢いを失くす。


 ぽすりと落ちるように彼の肩を叩く。


「ほんと……死んじゃったかと……」


 涙が止まらない。ただ本当によかった。


「ごめん、ごめんな……」


 いつもの困った顔で彼は、私を撫でてくる。


「本当に申し訳ない。なんでも言う事聞いてやるから、頼むから泣き止んでくれ」


「なんでも……?」


「おう!なんでもだ」


「じゃあ、旅行に行きたい」


 考えるような顔をして、何処に行きたいのか予想してる。


「夢の国のアトラクション?京都?はたまた北海道?」


「もっと遠く」


「海外か!?……ヨーロッパ?いや、台湾とか??」

 

 うーんと悩む彼に私は首を振る。


 そして、を指さした。


「宇宙旅行、月に行こっ」


……彼は固まってしまう。


「……何年かかるかな。でも、なんでもって言っちゃったからな」


「がんばって連れてってね、必ずだよ」


 そして、今度は彼と二人で月の上で地球を眺めるんだ。

 私はそれを思い描いて、微笑んだ。

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