第3問



[ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…]


その言葉は許しを乞う謝罪でもあり、こちらに近づくなという意思表示でもあった。


俺は奴の荒い息遣いの合間に革靴の踵を子気味よく鳴らしながら近づいていく。


カツ。カツ。カツン。


『謝られたって困る。それに、そんな汚ねぇツラして謝るってのは相手に対して誠意に欠けると思わねぇのか?』


[ごめんなさい!ごめんなさいぃっつぎぃ!?]


『なぁ!?オイ!!』


既に軟骨が潰れてひしゃげた鼻を掴み、ぐじゅぐじゅと音を立てながら引きずり回してやるとそいつは我慢の効かない幼児のような奇声を上げながらのたうち回った。


放り投げるように手を離してやると血溜まりの中に顔面を落とし、身体を震わせて情けなく呻く。


俺が冷たく見下ろす先には両手を縛られ、血まみれで這いつくばりながら怯えるクーガーが1人。


激しい尋問の末に元のスマートな顔は2倍以上も膨れ、瞼は紫に腫れ上がって殆ど閉じられていた。


彼は僅かに開いた瞼から流れる涙と共にあらゆる歯茎の隙間から血を垂れ流し、すすり泣きながら細く媚びた目を浮かべて俺を見上げる。


その姿から肉食獣人の面影は既に感じられない。


もう一度鼻を掴んで口をこじ開け、折れかけの牙をかき分けるようにして口内に銃をねじ込んだ。


クーガーが肩を揺すってもがくも、俺には何を言ってるのかまるで分からない。


『どうした?何見てる。俺に惚れて咥えたくなったか?だがな、惚れたってんならお前が本当に見つめなきゃいけねえのはこの銃口じゃねえ、俺の“眼”だよ、眼。』


右の親指で撃鉄を起こしながら左手で奴の腫れ上がった右瞼を無理やりかっぴらき、食い入るように見つめる。


『銃なんて弾が出るだけの装置じゃねぇ。殺すのは、俺だ。お前が最後に見るのは俺の眼だ。死にたくねぇってんなら、俺の目を見て赦しを乞う目で全力で媚びてみろ。あの女の居場所さえ吐くんならそうだな…一発目は手の甲にしといてやる。あぁでも後ろ手に縛られてるんだったなハハハハ!……』


____目のくだりいるかな?これ。ていうか、台詞も冗長すぎんじゃねぇのかな…」



指で拵えた銃の形をほどいて白いタイルの床に向かってそらで唱えた台詞にツッコミを入れても返答が来ることはない。


繁華街も徐々に眠りだす深夜3時。


そこには血溜まりもなければ俺以外に誰もいない。


今年で23歳になる役者志望の俺____フリムはこんな時間にたった1人、コインランドリーのタイル床に向かって銃口を突きつけ剣呑な台詞を1人で吐いていた。



白を基調とした壁と、照明がいやに眩しく光るコインランドリーの中には自分ただ1人。


5日間溜め込んだ衣類を節約のためにまとめて洗う1機がごうんごうんと鳴きながら回るだけの無機質な空間で舞台の練習をするのが一日の終わりにする恒例行事となっている。


寝る間を惜しみ、バイトの古い劇場で前座として出演する短い残酷ショーのチンピラ役の練習をして、5時間後にはまた養成所へ行って役者になるためのトレーニングと舞台練習に熱を注ぐ。


カリキュラムを終えたらメンバーと練習してその後は居酒屋でバイト。


そしてまた、このコインランドリーに戻ってくる。


役者を志してから、ずっとこの繰り返し。



##########



12歳の頃に小学校で5、6限のコマを使って巡業の劇団が舞台をやってくれた。


ミュージカルであったということ以外のことはよく覚えていなかったけど低学年でも見れるようにということで内容はとても稚拙なものだったと思う。


隣で体育座りを崩して見ていたピューマの男子は「ちゃっちくない?」なんて笑っていたし高学年の子たちは皆白けた感じで見ていたけれど、主役であるクロツグミの女性が全身の黒い羽毛をはためかせて歌う姿はとても輝いて見えた。


僕も真っ黒だからだろうか。


田舎の体育館の粗末な照明でも、その羽の1枚1枚が艶めいて光るのが僕だけには分かった。


黒くっても、あんなに輝けるんだ。


役者になることを夢みるようになったのはその時からだった。


ただ、歳を重ねて視野が広がるほどまとわりつく現実も見えてくる。


役者はなりたくてなれるものではないという現実が、まさに今自分のたっている場所に現れていた。


部活だけでなく勉強も両立させて進学し、芸術学部に進んで養成所へ進んでも世間の誰も俺を見てはくれないし、俺もまたどこにも出ていなかった。


オーディションには落ちに落ち、学費を払うためのバイトのシフトだけが徐々に増えていく。


自分がどこに立っているのかも向かっているのかも分からないまま、毎日毎日同じルーティンを繰り返してもう何年経っただろうか。


金に余裕のあるような家の生まれじゃないから親の仕送りは期待できないし、するつもりもない。


奨学金も返済しなければいけないし、生活費だって自分で稼がなければいけないからブランド物の“汚れてもいい”服を着た皆のように課外時間で演劇鑑賞にも戯曲を観にもいけない。


舞台を鑑賞した後に落ち着いた店でアフタヌーンティーを飲み、クッキーを齧りながら作品に隠された脚本家の持つイデオロギーとか、演出に出てくる存在がなんのメタファーであるかの話なんてできない。


スタジオやレンタルルームを借りてする役作りのための自主練も、トレーナーをつけて表現の幅を広げるための稽古ごとも、俺には何もない。


じゃあ、そんな苦境にも負けじと必死にすがりついている俺と、余裕のありそうな彼らはどっちが大成するのか?舞台の肥やしになることを本当にしているのはバイト漬けの俺と親に金を出してもらっているあいつらと、どっちだ?


分かってる。多分、それは俺じゃないのだ。


役者は見られるためのもので、選ばれるものだ。


そして、選ばれるのは俺じゃない。


感動の涙を呼び、スポットライトの光を最も浴びて、惜しみない拍手を受けるのは生まれ持った恩恵を余すことなく吸収し、発揮できるあいつらの方なのだ。


誰かが悪いわけじゃない。ただ残酷なほど、俺の持っている手札は少なくて彼らの立つスタートラインは俺の立っている所よりも遥か遠く先にあると言うだけの話だ。


だからといって夢を手放す理由になんてならない。


俺は、これのおかげで生きてこられたんだから。


日陰で目立たず生きてきた黒の毛皮を持つ俺だからこそ、白いライトの下で身体を晒したい。


あの日、先生が付けてくれた俺の名前に恥じることのないように。


これまでも、これからもまだ何者でもない俺だからこそ、何者にもなれる空間でそれでも俺が俺であると認められたいのだ。


黒子ではない。舞台と、自分の人生の主人公として。


今はまだ、誰一人観客のいない深夜のコインランドリーだけが俺に用意された演劇と向き合える唯一の場所。


皿洗いとグリストラップの清掃で汚れ、荒れた手を再度銃の形にしてもう一度最初から台詞を唱え始める。


台詞数個を言ったあとに悲鳴もなく死ぬだけのチンピラ役だろうと、チャンスが来るその日まで愚直にやっていくしかないんだ。


『精々、死後の世界か生まれ変わりのどちらかがあることを祈るんだな。』


台詞を終えると同時に嫉妬も、憎しみも、悔しさも焦りも腹の中のドス黒いもの全てを指先に込めて、ばぁん!と叫ぶ。


まぁ、舞台上で実際に引き金を引くのは俺じゃないベビーフェイスで、俺はこの瞬間喉を撃ち抜かれて血溜まりの中に沈むのだけど。


「熱いねェ、青年。」


急に現れた声。


控えめにぱちぱちと音のなる方を振り向くといつの間にコインランドリー内に入ってきていたのか、いやに生地の薄いネグリジェに身を包んだ若いウサギの男が1人パイプ椅子に座っていた。


男だと分かっているのに、なぜかセクシーな衣装が堂に入っている。


全身が真っ黒な自分とは正反対に純白の毛皮に覆われたそのウサギは細い足を組みかえながらチャオ、と手を振り


「続けてよ、君のこと見てたいから。」


そう、言った。




###########


「映画界に突如現れたアクションスター!ミステリアス俳優、フリムさんへの〇‪✕‬‪‪クエスチョン!いよいよ折り返し地点になりました。ここまでいかがでしょうか?」


「いやぁ、なにぶんテレビに出るのはほとんど経験がありませんので…ハンスを演じるうえでキツいアクションシーンやシリアスな掛け合いを演じるのは平気なんですけれどこれは別のプレッシャーがありますね…」


「やっぱりそこはハンスのようには…」


「ん~、上手くいかないですねぇ~。彼…ハンスもパッと見、感情を読みづらいキャラクターではありますが僕はただただ緊張しいなだけですので。」


「今日だけですごく、そうですね。ご自身とキャラクターの間にたくさんのギャップが…」


「多分なんですけど…これ僕はやっぱり出ない方がハンスや作品にとっては…」


なるべく情けない声を出しながら〇の書かれている棒を掲げようとすると、慌てた様子でハナ氏がそれを制する。


少しポップに振る舞い過ぎだろうか?


まぁ、この姿を放映する判断はおそらくされないだろうし構わないだろう。


「いえいえそんなことないですよ!?…といったところでフリムさんの年相応に可愛らしいギャップが見えてきたところで究極クエスチョン、第3問です!」


『友達はいますか?』


「友達…………」


フリップに書かれた端的なクエスチョンを前に2秒ほどフリーズして、ゆっくりとハナ氏の顔に目線を上げてそのまま合わせる。


そのまま数秒見つめ合ったあとハナ氏はフリップを覗き込み(愕然!)と言った表情を大仰に浮かべた。


「ちょっと…スタッフさんこれ…書き方に悪意がありませんか!?」


「あー、きつい、きつい質問来ましたね…」


「多分、あのー、ですね!やっぱり謎に包まれた俳優ということでご自身や関係者含めてフリムさんという存在は秘密のヴェールに包まれてきましたので、実は仲のいい俳優さんとか、その辺を教えて欲しい!という質問だと思うんです!」


「逆にめちゃくちゃフォローされるというのも心が痛いですねぇ、あはは。」


「この場合はそうですね、お世話になった方とか、関係の深い方などを教えていただければ!」


「なるほど、それなら。」


「それなら!ということで第3問!フリムさんお答えください!」


じわじわ、じわじわと〇と‪‪‪‬‪‪‪‪‪‪‪‪✕‬どちらもチラつかせながら___


「今回はハナさんに甘えて、〇とさせていただきます。」


「あ~!よかった~!」


「ただ、現場で一緒になった俳優さんとかスタントの人とかではなくて、もう少し昔の付き合いで、なんならこれは僕が勝手にそう思ってるだけかもしれないんです。」


「あ、役者の方とか、共演者の方ではなく?」


「そうですね。前作の撮影中も、監督の意向でどんなエージェントが来るか分からない、狙われているかもしれない、という気持ちを自然なものに近づけるためにターゲット役だけでなくほとんどの共演者の方々とは離れたところに配置されたりしたんですね。なので、俳優の僕っていうのが他の共演者とそれほど密接に関わってはいないんです。」


「な・る・ほど~そこからもう徹底されていたんですね!」


「お弁当もブラックカーテンで仕切られたロケバスの中で一人で食べてましたよ。」


「………」


もう一度ハナ氏と目を合わせ、一拍置いてからご愁傷様ですと言いたげな深いお辞儀。


「…それでは、気になる昔の付き合いの方というのは一体どのような方なのか、教えて頂けますでしょうか?」


「…23歳の頃でしたね。当時僕も養成所に通っていたんですけど、やっぱりお金かかるじゃないですか。実家も飛び出して来たから誰も頼れないし朝からずっとレッスンして、夜はもうずっとバイトしてもう…誰とも遊んだりしないし余裕もないし…」


「苦学生みたいな生活を送られてたんですね…。」


「そうですね。周りの子、というか役者やりますって人は結構実家が裕福な人とか多くて。そういう子達はやっぱ観劇とかして勉強したり自分らで場所借りてレッスンしたりするんです。でも僕は時間も場所もないから深夜にバイト終わったあとコインランドリー行って、60分。深夜だからほとんど誰も来ないし大声出したりできるのがそこだけで。」


「朝から深夜まで休みなくずっと動き回ってたってことですよね!?寝る時間とかどうしてたんですか!?」


「いつの間にかコインランドリーの床にヨダレ垂らして倒れてたこともありましたね。やっべ!って起きて乾燥したてのタオルで拭いたりして。」


「え~!!ちょっと…映画よりもよっぽど壮絶な人生なんじゃないですか?」


「あははは。で、ある日なんですけど演技の練習してたらいつの間にかウサギの男性が後ろで座ってて僕の練習見てたんです。全然気づかなくて恥ずかしかったんですけど、タバコ吸いながら『続けて』って促されて。」


「あっ、じゃあもうその人が実はスカウトだったとか___」


「いや全然そんなことはないです。」


「あ、違いましたか…すいません。」


「いっつも見てくれてたんですけど名前も結局知らないし、本当に見てるだけなんです。僕が演技してる間にも彼の分の洗濯とか終わったら普通に取り込んだりしてましたし。なんにも言わないんですけど毎日見てくれてました。それが家帰っても1人だった僕の生活の中ですごく励みになってたんですよね。」


「それこそ映画やドラマみたいな、え、なんかすごく素敵な関係じゃないですか。ちなみにそのウサギの方は今!?」


「実は僕も会いたいと思って帰国後こっそりコインランドリーに行ったらもう潰れて跡地になってて。その人結局行方知れずのままなんです。でも絶対、あの人のおかげで僕は役者になれたんだと思ってます。いつか会えたら、感謝を伝えたいですね。」


「はー……。思い出してみるとなんだか、このインタビュー全体が1本の作品になるような気がしてきますね。」


「もし僕の人生を映画にするとしたら、あの男性は絶対に外せない、それくらい大きな存在なんです。」


「ちょっと私、だいぶおなかいっぱい胸いっぱいになってきちゃいました…!それではこれから後半戦に移りたいと思います!」


「CMを、どうぞ!」


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