フィクションアクター

智bet

第1問

自分という存在、見えている世界、果ては頭の中にある記憶までもが実はたった5分前に作られたものなのではないか?ということを述べた世界五分前仮説というものがある。


たとえ5分前に作られたのではなくその時間が本物だったとしても、実は自分が26年間見ているこの景色は全て夢や虚構、ホログラフィックの類であり、本当の世界では全ての生物は既に肉体から解放されており俺はどこかの保管室にある培養液だか生理食塩水だかに満たされたガラス瓶の中で脳だけがぷかぷか浮かびながら微弱な電波を流されることにより人生を追体験する映像を見せられているだけ、という可能性だって否定することはできない。


自分の生まれる前、生きているこの世界、平行世界の存在、死後の世界。


そんな曖昧で答えようのない、考えたところで無駄なことに時間を割くのは思春期を終えた頃には卒業したと思っていたのに近頃めっきり増えてしまった。


遠慮がちな態度でただでさえ前傾がちな首を更に下げたアネハヅルのスタッフから説明を受ける俺の目の前には、この後ある対談用に用意された質のいい臙脂色のソファー、花束、映画広告。


…その周りに置かれたスタンドライト、パーテーション、の奥に潜む遮光ブラックカーテン。


…後で映像を編集し背景を差し込む用のグリーンバック、天井には明度に光色まで調整可能な照明がずらりと並ぶ。


遠くから見ればゴツゴツとした無骨な機械やシワひとつない床と壁の空間の中ではソファーや花の方がふさわしくないように映るだろう。


それでもこの『作品』が完成する時に視聴者が目に映すのは、俺が今立っているこの広く真っ暗な空間に小さく用意された明るくて華やかな空間のみでその外側にあるものなど想像もしないのだ。


自分が目にするもの一つとっても実はかなりコントロールされているこの世界において、果たして自分の、俺の人生は、存在は、本当に俺のものだと言えるのだろうか?


…ましてや他人になりきることで飯を食っている、俳優である自分が。



「それではっ、そろそろ本番行きぃ~ます!配置お願いしまぁす!!」



「「「「「よろしくお願いします!」」」」」


テレビ局のスタッフ陣が熱のある叫びを上げる。


どうやら舞台は整ったようだ。


きっと、生きている実感を持てるのはいつだって、こういう仕込んで『見せる』側の連中の特権なのだろう。



##########



いつだか見た記憶。


戦場カメラマンが写したリアルな内戦中の惨状を収録した写真集に出てくる、ゾウやオルカといった大型獣人の身体でさえ1発でクズ肉にに変えてしまいそうな真黒い兵器。


それによく似た大きさをしたカメラのレンズがあらゆる方向から目標に向けて照準を合わせている。


そして突き出されたガンマイクもまた、標的を正確に捉えていた。


3・2・1のカウントダウンと同時に朝の情報番組で圧倒的な支持を誇るシバイヌ女子アナウンサーの顔が台本、これからの段取りを念入りにチェックする仕事人の顔からテレビ用の柔らかい笑顔へと切り替わっていく。


…彼女の仕事が始まる。


「はい!皆様お待ちかね、あの伝説から5年!興行収入なんと800億円を超えたハイドランジア監督の大ヒットアクション映画、『 CLEAN ORDER 骨の牙城』続編、『蜃気楼の密林』が上映開始まであと3日に迫りました~!この作品はクリーニング屋を営む冴えない主人公、ハンスが満月の夜に裏の顔である凄腕のエージェントへと変貌し、たった一晩の内に困難な依頼を何一つ証拠を残すことなく達成するという___」


「フリムさん、読み上げ終わりましたらハナさんが呼びますので準備お願いします。」


「了解です。」



「___実は私、前作が公開されてから3回も見に行っちゃったほど大ファンで、もぉあと3日が待ちきれません!」



ややオーバー気味にリアクションする女性アナウンサー、ハナ氏の興奮したこの表情の裏では、この収録の放送日にテレビ画面で30秒ほど流れる前作のPVとそれに合わせて流れる台本読み上げの緩急がかなり細かく計算されているはずだ。


当日放映される映像では彼女の顔が小さくワイプで隅に映されるだけで、あの汗ごと固く握られた拳もブンブンと揺れる尻尾も視聴者の目には入らないのだろうがそれでも彼女は全身で伝えようとする努力を惜しまない。


天真爛漫さと大食いキャラでお茶の間を賑わせ、情報番組のみならずバラエティにも多数出演し、関係者にもファンにも惜しみなくその朗らかな笑顔を振りまき、スポーツ選手なんかとスキャンダルを起こすなどということもない彼女への世間の好感度は非常に高い。


実際、このすぐ後に呼ばれる俺は彼女と初対面という体で対談をするものの、俺が楽屋でメイクを終えて邪魔にならない時間を見計らいわざわざ挨拶に来てくれたのだった。


たとえその細かい配慮が水物商売である芸能界で生き残るために全て計算されたものだったとしても、その振る舞いを公私で突き通す姿勢からは彼女のプロ意識を強く感じる。


___ただ、本番直前で僅かに見せたボールペンで下顎を掻きながら口元を引き締めて台本を1点に見つめる、ピリピリとした彼女の『本物』の表情の方が、個人的には好ましく思った。



「それでは登場して頂きましょう!公開直前スペシャルインタビュー!今回ゲストできてくださったのはこの方です!」


目を閉じて息を吸い、少し吐いて、また溜めて、全て吐き切る。


役へ入る時のルーティンである一瞬の瞑想と調息が自分の顔つきを仕事用に変えて身体の中に残留していたものまで一掃した。


落ち着いた足取りで彼女の元まで歩を進めていく。



「いやぁ、はは、よろしくお願いします。」


「はぁ~、わぁ、すごい!本物のハンス!」


愛嬌よりもやや興奮の勝った面持ちでハナ氏が手を叩きながら僕を迎え入れた。


さすがに今は分かりやすくリアクションを取っているが、彼女は楽屋へ挨拶に来た時も俺のハンスという役に似せることを意識したメイク後の顔を見て若干鼻と尾を膨らましていたので、作品のファンでいてくれていることはおそらく本当らしい。


「えー、どうもテレビをご覧の皆様、3日後公開の『CLEAN ORDER蜃気楼の密林』で前作に引き続き主演を務めますハンス・マクガヴァン役のフリムです。」


「はい!気になる本日のスペシャルゲストは主演俳優フリムさんでしたー!」


事前に打ち合わせた『初対面』の対談が始まる。


俺もプロとしての仕事開始だ。



………………


『CLEAN ORDER』


サスペンス・アクション映画の巨匠であり、かつて自らもアクション西部劇などで映画俳優経験があるヴガッディ・ハイドランジア監督の最新シリーズ。


獣人ハンス・マクガヴァンの表の顔はクリーニング屋を営む、肉食獣人にしては少々地味な仕事を選んだ冴えないパンサー。


金融街ウォール・ストリートの隅に小さな店を構えていて、立地的に出した制服やスーツがすぐ受け取れること、仕事がかなり速いこと、あとは本人の老いや栄養不足による白毛が1本たりとも見えないその黒い毛並みがなんとなく清潔感を与えることから店の評判は上々。


2時間後に大事な商談を抱えているにも関わらず泥を撥ねられてしまった鈍臭い会社員に融通を効かせてすぐにシミ抜きをしてやり、その後アンタのおかげでケチが付かなかったと料金ついでにビール1本分の感謝をされるような、いたって普通の男。


しかし、その正体は『ツリーハウス』と呼ばれる社会の均衡を保つために夜な夜な裏で暗躍する秘密監視組織のエージェント。


不定期に表れる閉店前の客を装った組織の人間から受けとったスーツの胸ポケットを探り、取り出した依頼オーダーを見た彼はどんな所にも紛れ込める光学迷彩機能を搭載した黒いボディスーツを身に纏い、ターゲットのいるオフィスへと侵入。


監視の目を潜り、時には潰しながらターゲットに音もなく近づいていきそして、実は20億円規模のインサイダー取引に関わっていた、今朝方シミ抜きをしてやったキャリア組の会社員の眉間へ向けて躊躇なく引き金を引く。


冒頭で人情的なエピソードを繰り広げた彼の今際の顔ではなく徐々に赤い染みの広がっていくシミ抜きされたシャツを見て「残念だ」と無感情に呟いて去っていく彼の姿は、冒頭のたった10分で観客に衝撃を与えた。


更に話題を呼んだのは黒のパンサーであるという条件があったとはいえ当時まったくの無名であった俳優が監督直々の指名でオーディションを通過し、アクション、演技の両方でハンスというキャラクターに相応しい怪演をやってのけたこと、そしてその無名の俳優は公開後も一切メディアに姿を現すことなく噂が噂を呼んで存在感を大きくしていき、今回2作目の公開目前でようやく会見に姿を現し、今現在メディアに引っ張りだことなっている。



………………


『秘密エージェントとして明かせる!?明かせない!?ミステリアス俳優、フリムさんに聞きたい5つのマル秘クエスチョン!』


自分の簡単な解説と挨拶を終えてアナウンサーが表裏に○‪✕‬の書かれた棒をこちらに渡してコーナーが始まる。


タイトルは派手だが、ただの質問コーナーである。


「初主演作品である『骨の牙城』が世界的に大ヒットしたこともあって一躍スターとなったフリムさんですが、未だ多くの謎に包まれた人物ということで、それがまた主人公ハンスのミステリアスさを強調してるんですよね。」


「いえいえ、僕なんかはもうホント全然、つまらない普通の男ですから。」


「でも能あるタカは爪を隠すと言いますからね…そこもまた、秘密主義のエージェントらしいといいますか…。」


「いやいやいや…なんか言えば言うほど怪しくなっちゃうじゃないですか、僕!あはは。」


「ファンの間でも『実は本当にある特務組織が悪人や汚職の多い現代社会への警鐘を鳴らすための映画』だとか、『アクション映画と銘打っているが実は本当にそういう活動をしているノンフィクション映画なのでは?でないと公開から5年経っても主演のメディア出演がないのはおかしい』などと噂がもちきりですので、ハッキリさせるための第1問!」


フリップをぺろりと捲り、出てきた内容は



『主演、フリムさんは本当に特殊なエージェントではないのか?』



メディア露出の多いトップ俳優たちへ何百回と繰り返されたであろう質問コーナーではおよそ見られることのない間抜けな質問である。


ハンスのミステリアスさに磨きをかけるためという監督の意向のもと、その俳優や女優達とすら現場では距離を離されていたので誰から聞いても自分の情報は得られなかったのだろう。


この間抜けな質問テーマもそれを考えればいささか重みが増しそうではある。


まぁ、もちろんこれも事前に打ち合わせてあり‪✕‬を出したうえでメディアへ顔を出さなかった理由を説明するという主旨のもと解答するのだが。


「それではフリムさん…お答えください!」


1カメ、2カメ、3カメがそれぞれの角度から僕の顔に寄って来るのを見える。


ここがどういう編集点になるのかを意識した動き方だった。


勿体つけて、視聴者を焦らすように作るのだろう。


「え~~~~………………‪✕‬です。」


「えぇっ!?」


「ええっ!?じゃないですから。いやもうこれほんっとうによく言われて。実は僕も移動中に結構ネットとか見てて、うわぁこんな風に思われてるんだ…って今までず~っと思ってましたけど、もう全然違いますから!ははは。」


「…フリムさんって話してみるとすごいなんか軽いですね…いやぁ~~でも…いて欲しかったですけどね、1人くらい!エージェント!」


「仮にそうだったとしてこんな目立つことしてたら間違いなく僕が次のターゲットになっちゃいますからね。狙われちゃいますから、組織に。」


「それじゃあ、これまで表舞台どころかSNSなどにも一切姿を現さなかった理由とはなんなんでしょうか…?」


「これに関してはもう本当に、僕もびっくりしたんですけど監督が前作のクランクアップ後の打ち上げの時に僕の隣にやってきて『もう2作目もキミで撮るって決めたから。というかもう準備始めるから。そんで次はもっといろんな銃とか車とか使わすからとりあえず来週ハワイ行ってきてね。』って言って、そしたら本当にハワイの射撃場に連れてかれちゃって!もちろんナイショで。」


「えぇ〜!ハイドランジア監督から直々に!?すごい高待遇じゃないですか!でも初主演だし、俳優としてもほとんど初の仕事なんですよね?」


「そうですね、元々僕は舞台の方でチョイ役をたまにやっていたくらいで、オーディション受かったのだって夢みたいだったし。公開後も、当時いきなり付くことになったマネージャーから映画すごい売れてるよって聞いてたけど現実感なくて。仕事増えるかなぁ、これで売れるかなぁって思ってたんですけど、もうそんなレベルじゃなく。監督から定期的に連絡来て、次はいついつまでにヘリとかボートの免許取ってね、トレーナー呼んだからパルクールとクライミング勉強してね、とか。」


「…それって完全にエージェントになるための訓練ですよね?」


「あくまで、あくまで俳優のフリムとしてですが、やっぱり僕なんか新人ですし監督にはもう、すごい恩がありますから。チャンスを逃したくない一心でとにかくがむしゃらにやってましたね。今だって夢をずっと見続けてるんじゃないかって。とにかく勉強勉強で本っ当にメディア露出とか出る暇がなかった、というのが真実ですね。この2年間ほとんど海外にいましたし。」


「…聞いてみるとすごいを通り越して、もう、壮絶ですね!撮影よりも、というかエージェントよりも大変なことを成し遂げているんじゃないでしょうか!?」


「あはは、それもそうですねぇ。ついでに言うと、メディア出演に関してはもちろん依頼は殺到してたそうなんですけど、監督が『姿見せない方が面白いじゃん』って。」


「えー、ということでまさかの1問目からものすごく濃い回答が出てしまいましたが、答えは‪✕‬!フリムさんはエージェントではありませんでした!しかし!本物のエージェントのように念入りな準備をこの5年間されていました〜!」


「ご期待に添えなかったら申し訳ないです!」


「それでは第2問___」




………


………………

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