第5話 王女の暗殺
「……確かなのか? 『ミノタウロス』が迷宮の入り口に出現したというのは」
その日、王都に衝撃が走った。
王都最古の迷宮『還らずの迷宮』の最深層域、通称【
魔物が出現した瞬間、迷宮入口の警備に当たっていた上級衛兵が全員死亡。その現場に居合わせた中層域の探索から帰って来たばかりの『才姫』リンネブルグ王女も命を落とす寸前だったという。
「は。唯一の目撃者……つまり、生存者であるリンネブルグ様の証言から、何者かが作動させた召喚魔術とみて間違いないかと。魔術の発動は現場の不審な遺体が身につけていた『魔術師の指輪』によるものと見られます。しかも極めて高純度の、市販品ではありえない規格外の魔石が使われております」
王立騎士団の参謀長ダルケンはそう言って、赤紫色の宝石の破片を取り出しテーブルに置いた。
参ダルケンからの報告を受けた王子レインは、歯噛みをした。
「……召喚魔術は非常に高度な技術だ。高位の魔術師によって刻まれた精密な魔法陣と高純度の魔石が必要となる。さらに脅威度特A【災害級】に分類される『ミノタウロス』を封じられるレベルの魔石となると、とてもそこいらの資産家が準備できる金銭で売買できるものではない。それら、全てを用意できる者となると自ずから限られてくる」
「魔術師兵団団長の【魔聖】オーケンによると、魔石に残された魔法紋から出どころは『魔導皇国デリダス』ではないかと。彼の国の魔導具製造施設で製造された魔道具の波長によく似ており、この純度の魔石を用いれば『ミノタウロス』を指輪サイズの結界に閉じ込めることも十分可能だとのことです」
続くダルケンの報告に王子は顔を曇らせた。
「……妹、リンネブルグへの
「おそらくは」
今までも嫌がらせはあった。
だが、今回の件は違う。
今回、あからさまなまでに証拠が残されていた。
まるで、誰がやったのかを主張するかのように。
あるいは、力を誇示するように。
故に手引きした犯人を特定するのは簡単だった。
名乗り出ているも同然なのだから。
明らかな挑発。
やれるものなら、やってみろ、と言わんばかりの。
「もはや、隠そうともしなくなったか」
明らかに不当な干渉であり、どう考えても非はあちら側にある。だが、それを理由に表立って事実を問いただせば、国土の広さも資源の豊富さも比べ物にならない相手と戦争待ったなしの状態になるのは明らかだった。
クレイス王国は現在、地理的に三つの大国に取り囲まれている。
────西の『神聖教国ミスラ』。
────東の『魔導皇国デリダス』。
────南の『商業自治区サレンツァ』。
中でも東に位置する『魔導皇国デリダス』はここ数年、急激に発達した魔導具製造技術を背景に、武力を拡大。
同時に他国へと侵攻して領土を拡げ、近年事あるごとにクレイス王国にも理不尽な圧力をかけて来ている国家でもあった。
その要求はいつも同じ。
だがとても呑めない条件だった。
「……我が国に対して武力を貸し出してやる代わり迷宮の権利をよこせ、だと? そんなことは土台無理な話であるのは承知の上だろうに」
クレイス王国は豊富な迷宮資源とその周りに集まる人的資源だけを頼りにしている小国だ三人。その根幹である『還らずの迷宮』を奪われたらそもそもの国家の運営が立ち行かなくなる。
当然、クレイス王は提案を突っぱねた。
結果、『魔導皇国』の皇帝デリダス三世は申し出の拒絶に対し、脅しで答えた。
こんなことはここ数十年なかった。
今までは周辺国との力も拮抗し、それぞれがそれぞれの役割を演じ、足りないものはお互いに交易や交渉で補い合い、数百年の長きに亘って平穏を保った。
だが長らく均衡を保ってきた良き関係は『魔導皇国』の隆盛で脆くも崩れ去った。
魔導皇国が周辺の無数の小国の迷宮を侵略戦争で取り込んだのを契機に、周辺二国国も足並みを揃え、地理的に立場の弱くなる我が国に理不尽な要求を突きつけてくるようになった。
「……奴らはどうしても欲しいらしい。『還らずの迷宮』が」
おそらく三国の間で侵略を終えた後の取り分交渉も終えている事だろう。
王国から見れば全方位を包囲されて、隣接する国すべてが敵になりつつあるという、最悪の構図。
「父上の考えもわからないではないのだが」
厳格で融通の効かない父は彼らの理不尽な要求をずっと撥ねつけている。
重要なものから瑣末なものまで、道義に反すると思えるものは全てだ。
一国の王とすれば当然の態度だろう。
それ自体の理屈はわかるし、正しいと思う。
だがそれ故に起きている摩擦もある。
道理を通すが故に周辺国との関係が刻一刻と悪化しているのだ。
今回の事件の発端は圧力に屈しない父、現クレイス王への脅し。
相手はもはや、それを隠しだてするつもりはないのだろう。
そして、おそらく他の周辺国も何が行われているのかを理解している。
それが意味することは……。
「この目的は単に我が国への脅し、というより────我が国の民が怒りを抑えられなくなるのを待っているかのようです」
「ああ。こちらから
妹は今、王国法に則り王位継承権を問う試練の最中だ。
場面によっては無防備となる、急所を突かれた形だった。
『ミノタウロス』召喚時に、同時に王女へ行動阻害の結界が仕掛けられるという念の入れようだ。
明らかに抹殺する意図があった。
もし妹、リンネブルグ第一王女が暗殺されたとなれば国を挙げての犯人探しをせざるを得ない。
それが暗殺未遂に終わったとしても同じこと。
手段を選ばずクレイス王国を潰しに来ている。
事態は一刻の猶予もない程に切迫している。
そんな印象を王子に抱かせた。
「ダルケン。今回の件だけではないと思え。まだ何かの脅威が国内に仕掛けられている可能性がある。調査を急げ」
「御意のままに」
「それと──リーンを助けた、という男のことだが」
問題はもう一つある。
襲撃を生き延びたリンネブルグ王女が語ったのは、あの深淵の魔物『ミノタウロス』をたった一人で屠った男に命を救われた、という話だった。
だが、それはとても信じがたい話だった。
王子自ら王女から状況を聴取したのだが、どうも要領を得なかった。
その男はミノタウロスの繰り出す数十回の重撃をいとも容易く払いのけたという。
衛兵に配備された量産品のブロードソード一本で。
しかも、それは
────有り得ない。
それが最初に妹、リンネブルグから報告を受けた時の王子の印象だった。
少なくとも、王子自身の知識と常識からは信じられないことだった。
話を聞き続けるともっと信じがたいことに、男は最後には折れた柄だけのブロードソードで魔鉄製の攻城斧を弾き返し、その斧で『ミノタウロス』の首を刈ったというが。
そんなことは、どう考えても有り得ない話だった。
仮に、そんな男がいると信じてみる。
だがそれはつまり、かつて深層でミノタウロスと対峙した六聖──彼ら六人のパーティよりも優れた戦闘能力を持つ人物が存在するということに他ならない。
Sランク冒険者のみで構成されたパーティ『六聖』。
かつて『還らずの迷宮』の深層探索の為に現国王、父が率いた六名に他ならないのだが、彼らが深層で『ミノタウロス』と遭遇した際、その伝説的なパーティの
全身が鋼よりも固い筋肉で覆われ眼球すら矢でも剣でも傷つかない。
辛うじて【魔聖】オーケンの魔法と王の所持していた迷宮遺物『黒い剣』が効いたから良かったようなものの、全員が全ての力を出し尽くし、ようやく一体を仕留め、目の前の財宝を全て諦めて逃げ帰ったという。
深淵の魔物、『ミノタウロス』はそれ程の脅威なのだ。
それを、たった一人で倒してのけたなど────?
まるで御伽話の英雄でも、物語の中から抜け出してきたかのようだった。
とても、信じられる話ではない。
「妹は少し混乱していたのだろう。今は落ち着かせた方がいい。それから改めて話を聞くべきだろう」
王子は聴取を終えるとそう考えた。
自らの命を危険にさらされたのだ。
王国始まって以来の才能と言われた自分よりもずっと早く、たった14歳で【銀級】ランクまで上り詰めた才媛であっても、混乱はするだろう。
妹にとっては初めてのことの筈だ。無理もない。
或いは、それは本当にミノタウロスだったのか、という疑問も湧く。
だが、その疑問はすでに解消されている。
【六聖】の一人、【剣聖】のシグが魔物の死体を確認し、ミノタウロスで間違いないと断言しているからだ。
集めた情報を突き合わせても辻褄が合わなかった。
妹の言う、
そう考える以外に。
「……男の行方は分かったか? 兵が現場にいるのを目撃したのだろう」
「それが。見たことは見たらしいのですが」
「見たことは見たが、何だ」
「現場に駆けつけた者の証言では『目の前から幻のように掻き消えた』と。それ以降、足取りは追えていません」
「何だそれは? どういうことだ? 『隠密兵団』の精鋭がみすみす見失ったと? 一体何の為の────」
王子は何の為の精鋭なのだ、と言おうとして彼らが非常に優秀な部下たちであることを思い出し、一旦口を閉じた。
「仰りたいことは分かります。ですが確かに男の姿を見たというのです。それが音もなく消えた、と」
「────つまり、ミノタウロスを単独で軽々と倒し、我が国の精鋭部隊でさえ追うことのできない手練れの者、ということか」
「……そうなります」
「一体何者なのだ、そいつは」
つまり、あの【六聖】以上。
────そんな人物が王都に潜伏している?
周辺国との軋轢はいよいよ高まってきている。
この街では既に何かが起こり始めている。
「もういい。捜査を急げ。一時も無駄にするな」
「は」
初老の男は王子に簡単に礼をすると、足早に立ち去っていった。
「……もう、近いのかもしれないな」
近いうちに戦争が起きる。
或いは既に始まっている、と言えるかもしれない。
相手は今までに大胆な方法をとってきた。
もうバレようが構わない、とでも言うような乱暴な手法。
王にも状況を進言する必要がある。
あの勘の良い父のことだ。
とっくに気がついていて、既に手はずを整えているのかもしれないが──
それでも、例の男のことだけは気になる。
その男が敵でなければこれほど心強いものはない。
仮にも妹の命の恩人なのだ。
そうであってほしいと願う。
だが、現状は正体不明の存在でしかない。
なぜ名も告げず、逃げるように立ち去ったのかも謎のまま。
その一点を以ってしてもとても楽観はできかねる。
「甘い期待は持つべきではない、が」
この現状、甘い期待にも縋りたくなる。
だが妹の語る話が全て本当であれば、などと。
自分の様な立場の者がそんな甘い妄想に縋っていられはしない。
妹の話はまるで、危機に陥った時には何処かから英雄が駆けつけ、全てを解決してくれる、そんなよくある御伽噺のようだった。
「……少し、落ち着いて考えるか」
また一つ、頭の中を駆け巡る要素が増えた。
王子は乱れた思考を整理しようと執務室の椅子に腰掛け、深いため息をついた。
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