第4話 猫と女王【前編】
―――――――10年前
「リーア!リーア!!」
「お母さん。どうしたの?血相変えて。」
「あの馬鹿娘はどこだ!!時間だというのに!また訓練をサボって!!大体お前がちゃんとしつけないからあんな跳ねっ返りになるんだ!!」
「…………はぁ。まったく。お母さんはいつもいつもそう。ミーナが可哀想よ?仕方ないじゃない。あの子もちゃーんと頑張ってる。本当は私が代わってあげたいけど、この身体じゃ剣を振る事も叶わない。でも何でもかんでもミーナに押し付けてはいけないわ。まだ10歳よ?」
「チッ。才能だ!あの馬鹿娘の!!」
「まったく。お母さんたら……。ミーナなら私の庭園にいるわよ。」
「連れ戻せ!必ず今日は舞を見せないと!!……………それからリーア。」
「はい。なんですか?お母さん。」
「一個伝えておく。報告が入った。ヴィンドの反乱軍がゲスミューの砦を占拠したそうだ。まもなくあの国は歪んだ親子喧嘩に国中が巻き込まれるだろう。ステュアート王が失脚すれば間違いなく娘のレメナードは南下するだろうさ。カランの丘が越えられたら、次はお前か、ミーナが国を守らねばならない。私が死んだらこの剣はヴィンガースフィアに預けるんだ。然るべき時が来たら、ミーナへ渡せ。」
「そう……。また戦争……。でもお母さんが死ぬなんて考えた事もないわよ。天下無双の唯我独尊。エレオノーラは不死身よ?」
「はっ!!調子の良い事を!お前も馬鹿娘だったな。」
「まあでも。分かったわ。お母さんの“ラ・シード”はミーナに。」
「ふん!分かったなら良い!ミーナを庭に連れて来い!」
「はいはい。既にヨラが連れていってると思うけど?」
「チッ。はやくそれを言え!馬鹿娘!!」
宮殿の庭にはリーアの言った通り、ヘスムス王国宮廷魔術師のヨラ・ヴィンガースフィアと駄々をこねたあどけない少女、ミーナ・デルフィニウムが女王の稽古を待っていた。「エレオノーラ。ミーナは剣の稽古に飽き飽きしているわよ。連れて来るのは構わないけど毎回毎回。ほんと大変ね、じゃじゃ馬娘の子守りは。」
「ヴィンガースフィア、ご苦労。」
「おばあちゃん!!ヤダよ!!剣の稽古なんて!どうせ今日も素振りでしょ?!ミーナは早くやりたいもん!おばあちゃんの演舞!!」
「だったら時間にはちゃんと来い!!約束するなら今日から教えてやる!!華剣の舞を。やる気はあるのか!?」
「え!?ほんと!?」ミーナは目を輝かせた。「もちろんやる!!」
「ならまずは見ていろ。」
エレオノーラは距離を取る。そしてゆっくりと息を整え、柄に薔薇の紋様があしらわれた彼女の代名詞“ラ・シード”を構えた。女剣士として若かりし時より名声を挙げ、長い月日と共に洗練された佇まいは見るものを圧倒する。間合いに入らせない気迫と執念。
エレオノーラ・アルヴァ・デ・デルフィニウム。
ヘスムス王国の女王にして豪剣、豪傑。立ち振る舞いはとても貴族とは思えない。60代にもなって未だ現役の戦士。誰隔てなく陽気に振る舞い、夜は酒場で民とお酒を酌み交わしてはベロベロになって宮殿に朝帰りもしょっちゅう。その割に自身の威厳と名誉を大事にする。はっきり言えばめんどくさい。だが民は彼女を愛し、彼女も決して民を裏切らない。民の為の女王。
その剣技はエレオノーラの為に存在していた。
だが彼女は歳を召した。娘であるヴィエイリーアは生まれつき身体が弱かった。剣を振れば3日は熱を出して寝込んだ。正直あまり長くはないだろうと言われているが、未だ持ち前の気の強さで頑張っている。夫のエンリルはどちらかと言えば気弱な政治家だ。剣を継ぐ事は適わなかった。だが、孫であるミーナは違った。血は争えない。抜群のバネ、天性のバランス力、空間認識能力、記憶力、発想、全てがエレオノーラのものを継いでいた。
ヨラ・ヴィンガースフィアは目を見開き、エレオノーラの動きを目で追った。
―――楽しかったわ。ノーラ。
あぁ、もう。終わる。
マローフスカで貴方が死にかけた私を拾ってから45年。たった2人でエルフの砦から“ラ・シード”を奪い、ヘスムス義勇軍を率いてラーズ宮殿を占拠し、悪しき王政を打倒した。数々の武勲を挙げながら。それは刺激的で毎日が楽しかった。まさにあなたは相棒。
そしてリーアに、ミーナ。貴方が欲した平穏と日々は間違いなく貴方が手に入れたものだ。
エレオノーラ、気丈に振舞っていても立っているのもやっとなのでしょう。その肺を侵食した腫瘍は隠せるものじゃない。
私は魔術師。シンエルフ。そうそう歳は取らない。だけど人間は脆い。本当に、脆いわ。先に逝ってしまおうだなんてエダ・マクアリスタ先生にも並ぶ悪女だわ。リーアも先は短いだろう。ならばミーナはひとりぼっちだ。エレオノーラが愛した家族、そして世界は私が守らなければならない。それがあなたの最期の願い。
エレオノーラは剣を振った。前後左右に。呼吸一つ乱さずに。華の剣舞。その一本の型にはエレオノーラの全てが詰まっていた。
ミーナは目を輝かせ見入る。リーアは宮殿のテラスで微笑んだ。ヨラ・ヴィンガースフィアの頬には一筋の冷たい感触がゆっくり伝うのを感じた。
――――――――――――
〝なぜだ!どうしてこの国が!?〟
〝魔術師!?アスラ真教なの!?〟
〝国王陛下…………。〟
〝終わりだ。もう終わりだ。〟
〝戦争が始まる。〟
〝いや、まだだ。まだ王女様がいる!〟
ヘスムス王国国王、エンリル・デルフィニウムの死より3日後、王都ラーズの宮殿には沢山のヘスムス国民が押し寄せていた。アスラ真教過激派“方界論”を支持する魔術師によって宮殿は襲撃に逢い、王女ミーナを残して宮殿にいた全ての者が殺されてしまった。幸い、兵舎には手を出されておらず南方地域最強と謳われてきた兵士達は皆無事だった。
民は王の死を嘆く者、宮廷魔術師ヨラ・ヴィンガースフィアの陰謀を囁く者、アスラ真教への報復に動くべきだと怒る者、戦争への道を歩んでしまう事へ反対の意を唱える者。反応は様々だった。代々ヘスムス王国は混沌とした情勢の中でも中立を保ってきた国だ。だが、国の王が暗殺され黙っていられる訳もない。
ヘスムス兵長、ペリナル・マルセルは頭を抱えていた。
悩ましい。憤しい。当たり前の感情だ。自分ももう、腸が煮えくり返るくらい怒りに支配されそうだ。ただ今は民の混乱を抑えるべくどう言葉を選べばいいのか。宮廷魔術師のヨラ・ヴィンガースフィアは魔術師協会へ一旦戻り、事件の全貌を明らかにすると出ていった。当の娘であるミーナ王女もまた、今ここにはいない。エンリル様が亡くなった翌日にたった1人で港へ行くと言い出した。
〝私が必ずこの国に必要となる力を民に示しますわ。だからペリナル、私は心を病んで部屋から出られなくなってしまったと。そういう事にして。〟
という事だ。一体どうなっている。だが民には伝えねばならない。国の留守を預かる身だ。ここは必要最小限に且つ慎重に民への言葉は選ばねばならない。
ペリナルは王宮の庭に置かれた棺と大量の献花を眼下に2階のテラスから葬儀の様子を眺めた。民衆はペリナルが現れると一様に彼を見上げ、言葉を待った。
すーっと深く息を吸い込む。さぁ、やらねば。
「ヘスムス王国の民よ!!!知っての通り王は暗殺を受け亡きものとなってしまった。追悼である!黙祷を捧げよ!…………。くっ!……。そして、虐殺を目の当たりにした王女様もまた心を病み今は自室より出れないでいる!……誠に遺憾なり。我はこの国に忠誠を誓う兵士なれど、今は私、このペリナル・マルセルが一旦国を預かる!!皆よ!まずは信じて己の使命を全うせよ!必ず私が全てを暴く!国を焼かせはしない!!その時は必ず来る!信じて待とう!!今は偉大なるエンリル王が天空へ飛び立つ時だ!皆よ!エンリル王との別れを惜しみ、哀悼を!」
我ながら天晴れである。いや、ペテン師か。普段は温和で真面目な性格をしていると少なからず自負しているが、こんな激情に揺らぐ演説をペラペラと。自分でもびっくりしている。演技の才能があったなんて。
ヴィンガースフィアもミーナ王女も何をそんなに焦っているのか。はっきり言えば、民はそんなに悲しんでいる気がしない。先々代のエレオノーラ様や、僅か3年で病に付したヴィエイリーア様が亡くなった時程の悲しみは訪れない。彼女達にあった民の為の政治はエンリル王より失われてしまったんだ。支配されているのは先の不安と言いようのない恐怖。事実、皆それを口にする。怒りこそすれ、王に身を捧げた兵士の私でも悲しみの感情は沸いてこない。
戦争が嫌か。徴税が嫌か。国が焼かれるのが嫌か。そんなもの、今までが平和過ぎただけだ。ラウアー河以南、南方地域はいつまでも平和であると誰が保証した?大陸のあちこちで今や今やと戦争への賽は投げられ続けている。
ラーズに押し寄せた民衆が次々宮廷へ花を投げ入れた。ペリナル兵士長は剣を抜き、左手を腰へ、右手の剣は顔の前に掲げ、尚も民へ語りかけた。
「ありがとう!!皆よ!我々ヘスムス兵士団はこれより訪れるかもしれない逆境へ!皆の為に戦う事を誓おう!!また皆も、我々と共に!!」
演説の後に聞こえてきたのは、兵士団、及び一部の現政権反対派によるまばらな声援と拍手だった。ミーナの言葉なら、これは大喝采になったのだろう。ミーナの持つ全ての事象がエレオノーラ様と同じに見えて仕方ない。この場にいて欲しかった。女王として。
……………魔術師の襲撃。王の暗殺。居なくなった王女。
やはり何かがおかしい。世界はどこに向かっているのか。薄暗くどんよりとした曇天の空に差し込む陽を探しても一向に見当たる様子はなく、ペリナル兵士長は淡々と進行していく王の葬儀を黙って眺めた。
――――――――――――――――――
ヘスムスの港はいつものように人でごった返していた。赤レンガの家々が立ち並び、岸に近づくにつれて箱のような漁協組合の倉庫が所狭しと配置される。どこまでも続くエメラルドブルーに彩られたレッドリア海峡の海を眺めるのは、ヘスムスに住まう民に与えられた特権であろうか。世界広しと言えど、ここまで沢山の船や船乗り、商人の行き交う港は無いだろう。
祖母のエレオノーラは、誰にも臆する必要はないと海賊団によって建国された自由の国ラッソーや、獣人族の住まうロロ島の海賊船までも渡航を許していた。自由貿易は商いの根源であると。故にこの国が誇る大陸最大の港はノーラ港と呼ばれた。誰もがお祖母様を愛していた。この国を根底から作り上げたのはお祖母様だ。いつも思っていた。いつかヘスムスの王位に付く事があるならば、エレオノーラお祖母様のような、強く、明るく、優しく、厳しい。そして芯を曲げる事のない女王になりたいと。その意志を、皆が愛したヘスムスを私が守らなければならない。
ミーナは人でごちゃごちゃした岸壁に沿いながら俯いて歩く。フードを深く被り、数ある桟橋を1つづつ確認した。海賊船は幾つか停泊していたが、そのどれもが小型のロングシップで船員は全て人間だ。漁港組合の管理者達が積荷を厳重に確認している。最近は積荷に紛れ、アカマカという中毒性の薬物を違法に売買している輩が増えているらしい。なんでも10g当たり100ガルの取引きとなるとか。人が入れば入るほどこのような問題や、犯罪は増えていくばかり。ミーナは「ふぅ。」とため息をついた。
……ロロ島の月光族。船は最後の桟橋に停泊しているあの白い大きな船だろうか。旗は白地に黒い丸が1つ描かれ船尾に掲げられている。
ロロ島は全獣人族の故郷。彼らはアルヴの神々である自然の女神ライラと動物の女神フライラの加護を受けた者たちだ。その名の通り、人間の身体つきだが毛皮を纏い顔は動物そのもの。爪や牙を持ちしっぽまである。ある者はその様相を“呪い”だと言うが実際に会えば彼らは気さくで、陽気で、我々と何も変わらず真剣に生きている事が分かる。
大昔の話。かつて大陸に居住地を求めて侵攻してきた獣人族達は戦いに敗れ、捕らえられた。“強く逞しい最強の奴隷”として大陸中にちりじりになっていった。だが最南端の湿地と岩山に覆われたベイスランズという国で鉱山労働をさせられていた奴隷達は蜂起、反乱を起こし、北へ向かった。次々と各地の同胞を解放しながら辿り着いた場所がケルレトの森である。誰も寄り付かなかったその森に奴隷達の王国を作り上げたのだ。
歴史上ケルレトの彼らと友好的な関係を築きあげてきたのはエルフだ。ロロ島の獣人族達は沿岸地域の人間の国々との商港航路を開拓していった。故に彼らは“島の獣人族”と“森の獣人族”に区別されているのだ。
その仲を取り持ちたいという“月光族”とは何者なのか、彼らの目的を見極めなければならない。彼らと友好的に協定を交わす為にここに来たのだ。生半可な気持ちではいられない。これは私の戦争だ。
「白い船。なるほど……大きいわね。帆は三本。まさか……。これはスクーナー、いや、トールシップですわね。」獣人族がここまでの造船技術を持っていたなんて。ノーラ港でもなかなかお目にかかれる物ではない。恐らく世界最速レベルの船だ。ミーナはその船に掛けられたロープの梯子に手と足を掛けゆっくり登った。
マストの見張り番だろうか、気がついた船員が大声を張り上げた。
「へい!黄色のマリボは見たんだ!かしら!誰か来る!」
ミーナは甲板に上がりフードを外した。かなりの数の獣人族がミーナを待っていた。見渡せば彼らは皆、猫の顔。身長は私より低い。140cmくらいか。リーダーであろう黒い毛波の虎模様をした猫人間が前に出た。
「おはよう。ベンガルだ。我々はロロ島の民、月光族だ。ベンガルは貴方が誰かを知りたい。答えによってはベンガルは貴方を攻撃しなければならない。」
「そう。私はヘスムス王の娘、ミーナ・デルフィニウムですわ。会えて光栄よ。ベンガルさん。」ミーナはスラッとした長尺のスカートをたくし上げいつもの外交的な挨拶をした。
「そうかあなたが。久しぶりに聞いた丁寧な挨拶にベンガルはとても嬉しい。ペルシャが待ってた。ベンガルも待ってた。話そう。」
「ペルシャ?」
「ペルシャだ。我々は月光族。ペルシャは月光族のお姫様だ。ベンガルはペルシャをケルレトの森に連れていくと約束した。話そう。こっちだ。」
「わかりましたわ。ヘスムスを代表してペルシャさんにお会いしましょう。」
船長室に集まったのは一団の幹部であろう面々。やはり全員、猫だ。その中には港で何度か目にした顔もあった。彼は確か……。
「ああ!王女よ!またお目にかかれてミヌエトは光栄だ。またその美しさに磨きがかかったのではないか?父君は元気であろうか!?」そうそう、ミヌエトだ。ヘスムスというよりも大陸の様々な鉱石を買いに来ている茶色い猫の商人。耳が鋭く尖っている。ミーナは差し出された手を握る。彼らは自身の名を自ら名乗るのが特徴なのだろう。だが今父の名前を出されると……。
「ふふ。ありがとう。覚えていてくれて嬉しいわ。お父様も…………えぇ。きっと……覚、えてくれ……てるわ。あ、あれ?」父の最期の姿が思い出される。ミーナの目に涙。
……あぁ。やってしまった。外交的な挨拶を繰り返す度に父の名を出しては思い出してしまう。
…………ほんと、これではダメね。お祖母様に叱られてしまうわ。〝ミーナ、外交は鉄の仮面をつける事から始まる。感情は捨てなさい〟。と何度言われただろうか。
「済まない!ミヌエトは悪い子だ。何か気に病む事を言ってしまったに違いない。」
「いいえ、違うわ。ぐすっ…………。父は、ウッ……。もういないの。えぇそう。死んでしまったの。今日にもその知らせはこっちに届くはずよ。大丈夫。貴方達は不利にならないわ。」
「そんな!!エンリルが!?なぜ!?」ミヌエトの長い耳と共に尻尾もまた逆だっていた。
「えぇ。ミヌエト、ごめんなさい。理由はいずれ分かるわ。」
「謝らなくて良いのだ。ミヌエトは王女様が元気でいてくれれば良いのです。おっと、皆の紹介をしなければならない。」ミヌエトは急いで話題を逸らした。
「王女……。ご冥福をお祈りする。航海士のラガマフィンだ。」細身で端正な顔立ちの、赤色の整った毛並みが特徴の猫が挨拶した。
続けて顔や身体が傷だらけの黒く深い体毛をした猫も名乗った。彼は目が細く、顔にシワもある。
「副官の老マンチカと申す。ミヌエトが不快にさせたなら済まなかった。まさか、エンリル様が亡くなったとは。王女自ら単身でここに来たのには理由があろう。ゆっくり話を聞こう。そしてこちらにいるのが……。」老マンチカは椅子に腰掛けずっと俯いて聞いていた雌猫をチラリと見た。彼女は慌てて顔を上げる。少しオドオドした様子だ。緊張しているのか。
「すみません。私は月光族当代サイベリアンの娘、ペルシャです。ミーナさん。来てくれてありがとう。王女様がわざわざ出向いてくれるなんて。」真っ白い猫のペルシャもまた手を差し出しミーナも握手に応じた。白毛の中にピンクも混ざり合い、クリっとしたまん丸い目でなんとも愛らしい。
「コホン。さっそくだが。」団長ベンガルが話を切り出す。
「王が亡くなって重大な時に王女様自らここにいるのはどういう事か。ベンガルと重大な取引をしたいという事で間違いないな?ベンガルも貴方にお願いがあって来ている。」
……さっそくね。
状況判断も見事。彼、ベンガルは他の団員とは違って頭が回るよう。さて、何から話そうか。否、最初は強気に出る。涙を浮かべている余裕なんて今の私にはない。ヘスムスの行く末は今ここで決まるのだから。
ミーナは涙を拭い、力強い彼らの目を真っ直ぐに見つめた。エレオノーラお祖母様、力をお貸しください。
「漁港組合のドリー・ムアンから話は聞きました。ケルレトの森へ行きたいのよね。まずは私の条件からよ。」
「ほう。ベンガルは聞こう。」
「ロロ島の獣人。月光族。私は貴方達に国の兵団組織としてこれから来る国の危機に、防衛の任に付いて欲しいと思ってますわ。」
「何と!人間の国に入れと!!それは……。いや、ベンガルは聞こう。」
「ありがとう。見返りは、自由貿易として商船の来航を許可。積荷は自由にしていいわ。そしてヘスムス王国への永住権、貴重なミスリル銀とレッドリアホエールの油の優先的な売買。さらに、ケルレトの森への通商路の開拓。」
「なるほど。ベンガルは理解した。ペルシャは理解したか?」ペルシャもまた驚いた表情を見せていた。
「分かりました。ミーナさん。それだけの報酬を……。どうやら貴方は全てを分かっているのですね。」
「えぇ。そう。だからここにいるのです。フォンドとの同盟を蹴ってここへ来ましたわ。さぁ、ペルシャさん!貴方方の依頼とは何ですの?」
「私達は………………。」ペルシャがまた俯く。手が震えていた。彼女もまた、きっと並々ならぬ事情の上、全てを背負ってここにいるのだ。私と同じ、同じなのよ。
「私達はケルレトの森へ行かなければなりません。どうか私を、どうかケルレトの森へ連れて行ってもらえませんか?」
「行きたい理由は何?」
「……少し長くなります。」
「いいわ。話して。」
「まずは我々獣人族が信仰する神々について触れなければなりません。ミーナさん、ライラ様とフライラ様はご存知でしたか?」
「何となくは知っているわ。姉妹の神々で獣人族を生み出した。自然の女神ライラと動物の女神フライラ。ロロ島のチチェンという巨石建造物に祀られていると。その森にあるユングの大木は女神の力が宿り、獣人族に祝福を与える。」
「その通りでございます。しかし、そのユングの神木が長い月日と共に枯れてしまったのです。先日まで長らく続いてきたラマン王朝ラビリ族はかつてロロ島全域に蔓延した“赤い悪魔”と呼ばれる疫病から島を救う為、ユングの表皮を削ってしまいました。樹脂を飲む事で治ると誰かが言い出した話を鵜呑みにして。疫病は島の半数を殺してしまったのですが収まりました。それからです。枯れ始めたのは。およそ800年でしょうか。ラビリ族はユングを生き返らせるには、血を捧げなければ!と信仰の矛先を生贄に向け始めました。最初は鹿や熊の血を木に注いでいました。しかし……。」
「獣人族の殺害になっていったというのね。」ありがちな話だ。同族同士が殺し合う。人間は土地、彼らは信仰だ。
「そうです。ラマン王朝はラビリ族以外の者の血を求めたんです。争いに発展しました。我々月光族も例外ではなく、月光族の聖地モンスにまで攻め入ったんです。しかしながら我々月光族は特殊な力を持っていました。それは”ライラの加護”。月の光によって私達は姿を変える事が出来たんです。より強く。ラビリ族は我々の先祖により負けました。」
「そのラマン王朝は討ち果たしたの?月光族によって。」
「違います。我々はモンスを離れてはならないのです。」
「なぜ?」
「月光族とは、モンスに隠された古代の力を守る一族だからです。それは古代聖遺物“ダーインスレイヴ”という槍。」
「!?古代聖遺物ですって?」
「はい。それを知ったラビリ族は力を欲し、幾度となく月光族を攻めたんです。我々は平和を望む一族なんです。ロロ島は血が流れ過ぎました。同族同士での争いを嫌い、一族の半数と他の部族達はラマン王朝に決別し大陸へ住処を求めた。それからはミーナさんが知る通りです。」
「貴方達は古代聖遺物を守る一族…………。いや、さっきペルシャさんは先日まで続いていた、と言ったわよね。ラマン王朝は、と。今はモンスを離れている。つまりそれは……。」ミーナは眉間に皺を寄せて話の内容を整理しながら考えるが、情報が多すぎてごちゃごちゃになる。ペルシャさんの話は分かりやすいが要領を得ない。老マンチカがすかさず続ける。
「老マンチカから話そう。ペルシャの話は長い。あくびが出る。ダーインスレイヴは先日モンスへやってきた旅の者、持つべき者の手に渡った。そして彼等の協力の下、ラビリを討ち果たした。ユングに祈りを捧げた。老マンチカと皆の前にフライラ様が現れた。そんな事は初めてだ。」
「ありがとう。マンチカ。」ペルシャが老マンチカの腕を撫でる。心なしかベンガルが不機嫌そうに「ブルゥ」と小さく唸った。
「旅の者?」
「老マンチカは思う。彼等は紛れもない5人の勇者達だ。ステラという魔術師、キキというドワーフ、ファンスという人間の剣士、ダークエルフはミリアムと言って薬草師だ。そして、アサという戦士。アサこそが我ら月光族のダーインスレイヴに“選ばれた”。」
「老マンチカは聞いた。フライラ様は言った。」
〝月の民よ。ライラは森。全てを正す時。島はユングと共に滅びる運命。あぁ血脈の子よ。北へ。月の民よ、森へ。花の乙女が導く〟
「森だ!ベンガル達は啓示を受けた!だから来た!森の民と手を取り合うときだ!ペルシャは平和を望んだ。族長のサイベリアンは我々に船を与えた。そして来た。ラガマフィンとミヌエトは情報を集めていた。この国ならば助けを得られると思った。ベンガルはこの国を守る為に来たんじゃない!花の乙女が王女、貴方だとしてもだ!」ウゥ!と唸りながらベンガルの語気が強まる。
――――なるほど。それもそうだ。当たり前だ。彼等の話が本当であればロロ島は先日内戦を終え長きに渡る悪政から解放された筈だ。悲願を果たし月光族が島の実験を握ったばかり。ベンガルが怒るのも分かる。聖域の守り人である事が彼等の仲違いを生み出したのならその問題は今解決したのだ。今こそ手を取り合うべき。この国の兵隊となれ!と言い受け入れられるはずも無い。
長い歴史の狭間に翻弄される。時間とはなんと無慈悲なものか。800年以上も彼等は戦い、守り、苦しんで手に入れた自由だ。
そしてまた、ステラ・ココットだ。………………お父様の言っていた魔術師。アスラの血脈の子。彼らが手にしているのは古代聖遺物。やはり……。ドラゴンに対向しうる5つの武器伝説。近いのかその時は。もはや国同士で争いあっている場合ではない。
「レッドソーからは行けなかったのよね。大陸の情勢は今不安定にありますわ。」
「あぁ王女様!ミヌエトは耳にしてしまった。それについては更なる問題があるのです。ラガマフィン!!」商人のミヌエトが航海士の名を呼ぶと、彼は大陸の地図をテーブルに広げた。
「王女。ラガマフィンから説明する。」
「分かりましたわ。」
「レッドソーの港は全て封鎖されていた。近づけば攻撃される。数日前、宿屋で噂を聞いた。北のレスデン帝国はガリアの連合と共に大軍勢を率いてエルフのアン・イグへ侵攻を始めるよう。ヴェゼット公国とシルヴィア王国はアンブリデンを落とす包囲網を作る為に南のレッドソーへ宣戦布告をした。ヴェゼットが勝てばケルレトは地理的に邪魔だ。焼き払われるだろう。そしてレッドソー征服の後に待ち受けるのは南方、順にアンマーチ、ヘスムスだ。ケルレトの森の民を、同胞を守らねばならないんだ。王女。海を行けないなら陸路しかない。」
「………………そう。なるほど。ついに始まるのね。南方で戦争を始めるのはヴェゼットだと思っていたわ。不思議じゃない。」
もう、アスラ真教は動き始めた。そこはヨラに任せているから詳しい情報は待つしかない。ケルレトの森はレッドソーの東一帯、そしてヴェゼットとアンブリデンの1部地域に広がっている。ヴェゼットがレッドソーを侵略すればケルレトの森はもはや邪魔でしかない。大軍勢での粛清は見てとれた。
ミーナは地図を眺めた。正直陸路も難しい。獣人族には通行証もないからだ。海を閉じているなら多数ある検問所は武装されているはず。だが、……1箇所だけ穴を付けるかもしれない。安全ではないが。
……この提案を出す前に決めなければ。
「ペルシャさん、貴方が月光族の代表ですのよね?」
「えぇ、まぁ、サイベリアン。父からはこのキャラバンの選択権はペルシャに与えられますので、そうなります。」
「そうね。分かりましたわ。ヘスムス王国は獣人族への永住権と共に、居住の為の土地を用意致します。ヘスムスは、大陸に居る全ての獣人族の受け皿となりますわ。」
目を閉じる。ミーナはスゥと息を吸い込む。
――さぁ、始めましょうか。
ミーナはバン!とテーブルを叩いた。
「ヘスムス王国はロロ島、そしてケルレトの森の獣人族双方との同盟を結ぶ!未だ正式な戴冠はまだなれど、私はヘスムス王国、”豪傑”のエレオノーラの孫であり、先代ヴィエイリーアとエンリルの娘、ヘスムス女王ミーナ・デルフィニウム!ロロ島獣人族よ!今この時!この時代!新たな時を作るのは我々だ!!城に篭って滅びを待つか!まだ見ぬ運命に抗って生きるのか!ヘスムス王国は後者を選ぶ!ヴェゼットとの戦乱が南方を巻き込んでいくのなら、信じた道を進む先に争いがあるのら!私は、“何者をも拒まず、何者をも侵略しない”国の理念の元に剣を取る!そして厄災を打ち払いますわ!!条件を飲むのなら、獣人族の森へ参りましょう!!ベンガルさんでもなく、あなたの意志よ!ペルシャ!!」
その演説はまさに豪傑だった。昨日までの弱く脆いただの王女はもういない。一国を率いる覚悟と意志のみで語るその姿はまさにエレオノーラ。
老マンチカは知っていた。エレオノーラは人間と獣人族とエルフとドワーフを繋ぐ為に動いていた事を。だがそれはただの妄想であると誰も耳を貸すものはいなかった。エンリルが王になりラーズ王室は実利主義へと走った。徴税し、軍備を整え漁港組合の地位を上げ、隣国のフォンドやアンマーチへの輸出を強めた。囁かれていた南フォンドの都市サンディーニュとの同盟は北のルンドをついに攻める為のものだとし、戦争への火蓋が落とされると思われた。エレオノーラの意思は無くなりつつあった。
だが、エンリルは死に、娘であるミーナが今まさに答えを示したのだ。
「ハッハッハッハッハッ!」老マンチカが突然笑い出す。「ミーナ女王!老マンチカはエレオノーラが好きだった。あの婆さんは突然港に現れては宿屋で酒を呑み酔いつぶれながら、種族の違い、信仰の違い、そんなものはクソくらえ、と老マンチカに豪快に語った。国の女王陛下がだ。今のあなたはまさにそれだ!運命など知るか!自分に従え!とまた老マンチカに語っている。フライラ様が言う通りユングとロロが滅びる運命なら、……ベンガル、ペルシャ。この国に賭けてみないか?」
「ウゥ……。ベンガルは納得した。ヘスムス国、いや、ベンガルは貴方に賭ける。」
「ありがとう、ミーナさん。私達は共に。いいですね?」ペルシャは仲間をぐるりと見渡した。皆がそれぞれに想いはあれど力強く頷いた。
――――――――――――
最新の造船技術がふんだんに組み込まれた船はやはり世界でも最高の速度だった。速い。とてつもなく、速い。3本のマストで支えられた木綿と大麻の巨大な縦帆は張るだけでも船員が何人もかけて作業しなければならない。これだけの船だ。船員は実に30名にも及ぶ。航海士のラガマフィンや舵を切るベンガルが激を飛ばしながら風を読み“ハーフセイル!”“フルセイル!”と叫んでは皆が動いていた。
流石だ。海賊船ならではというべきか。鍛えられている。いったいどこで作られたのか。ロロ島の獣人族は昔から他の種族よりも海を渡る技術に長けていた。それも納得できる。風を読む、星を見る、海流を読む。自然の加護がそうさせているのか。人間の感情を読む能力には劣るのかもしれないが、自然と共に生きる力を強く感じるのだ。
ミーナは甲板で彼らがあくせく働いている様子を眺めていると、ミヌエトが横に並んだ。
「ミヌエトは信じ難い光景を目にした。ヘスムスの女王と獣人族の姫が手を取りあったのだ。こんな事は歴史上初めてだ。」
「ミヌエト。」
「はい!女王陛下。」
「ミーナでいいわよ。それよりもこの船は素晴らしいわね。いったいどこで作られたのかしら?」
「ミヌエトは嬉しい。ミーナ。この船は島のハーンという地域で作られた。月光族に味方しているリス族の技術だ。彼等はラマン王朝を打倒した我々へこの船を贈った。ハーンの技術者は秘密裏にラッソー国と情報を共有している。元はラッソーの立ち上げに一役買った伝説のミャク海賊団はリス族なのだ。」
「海賊同盟国ラッソーですわね。リス族はリスの姿をしているの?」
「ハッハッハッハ!ミーナ。リス族はリスもいるがサルやネズミも犬もいる。特定の種が固まっているのは我々月光族くらいだ。ロロ島で1番多いのも猫だ。」
「無知で済まないわね。でも、これから色々教えてくださいます?いつかロロ島にも行きたいわね。」
「ミヌエトは嬉しい。是非このミヌエトに案内させてくれ。さあ、もうちょっとですぞ。アンマーチの領海へ入ったのではないか?」
薄らと陸が見えてくる。「頭〜!黄色のマリボは見た!陸だ!黄色のマリボは陸を見た!」とマリボがマストから叫んだ。
「河口は見えるか!」と舵を握りながらベンガルも叫ぶ。
「河口は……黄色のマリボは取舵10の方角にティアー河だ!役目を果たしたマリボは明日から赤色のマリボか!?かしら!」
「うるさい!マリボは黄色だ!」
「ヒャッハー!!マリボは黄色だ!お前ら聞いたか!マリボは黄色だ!ミャー!!」
意味は分からなかったが船員皆が“ヒャッハー!”と腕をぐるぐるさせながら喜んでいた。嬉しい気持ちは尻尾が上がるようだ。なんとも愛らしい。結論、猫は可愛い。よし。
―――作戦開始ですわね。
海賊船に積んでいたヘスムス王国の紋章を掲げたボートを海に降ろした。ここからは手動で進む。ミーナとペルシャ、護衛として搭乗したのはベンガル、ベンガルの選出で戦士のソマリ。ボートを漕ぐのは力自慢のノル、ジャン、ラパーマ。彼等は猫というよりも虎やライオンのような見た目だ。ワイルドで頼りがいがある。
ベンガルは船を老マンチカに託し、近場の砂浜や森に潜伏するよう指示した。
ミーナの作戦ではアンマーチをティアー河から登り、ヘスムス王国の使者としてアンマーチの王都ドレーチの宮殿に入る事だ。父と良好な関係にあったフルップ王なら助けになってくれるはず。父の死は今頃伝わっているかもしれない。上手くドレーチ宮殿に入れなくても、危険だが検問所で捕まれば良い。護送されてしまえば解決する。紋章がある分無下にはしない筈だ。現ヘスムス女王なのだから。それから北へ走れば直ぐに森にぶつかる。
出たとこ勝負だ。お祖母様もよく言っていた。“なんとかなる。ならないならすればいい”と。
一行は緩やかな波を漕いで海岸へ向かった。この辺りには小さな村はいくつかあるが港はない。潜入するにはティアー河、地域によってはテア河と呼ばれる河口から行くのが最善手だ。幸い衛兵は配備されていなかった。
アンマーチは王都ドレーチこそ煌びやかだが国全体で見ればあまり裕福ではなく目立った産業もない。基本的にはヘスムス王国と各国を繋いでいる街道の往来が賑わう。フルップ王は頭が切れるタイプではない。基本的には優秀な執政官と宮廷魔術師に政治は任せていた。リア海に面した港の開発が進んでいるようだが、どこまで本腰を入れているのか分からない。
ペルシャの身体が小さく震えていた。ペルシャの様子は誰もが気がついていたが、ようやくベンガルが口にする。
「ペルシャ。」ベンガルは手をペルシャの手の上に乗せた。
「ごめんなさい。不安で押しつぶされそう。ごめんなさい。私に出来るのか。」
「ペルシャは大丈夫だ。ベンガルがいる。ソマリも。ミーナも。何も心配する必要はない。ステラにも言われただろう。力では何も変える事は出来ない。我々には言葉がある。」
「えぇ。彼等は話を聞いてくれるのか。ロロ島で殺し合いをしてきた私達を嫌い大陸へ渡ったのに彼等は奴隷として強制労働させられた民。その仲裁なんて大役……。」ペルシャはまた俯いて泣き出しそうだ。
「ダメならダメだ。果たせるかどうかじゃない。果たそうとするか、しないかだ。ベンガルはペルシャの味方だ。ベンガルは守る。ペルシャも、未来もだ。」ベンガルがペルシャを抱きしめた。彼はきっと、ペルシャの事が好きなんだろう。他のメンバーは小さく微笑んでいた。
ティアー河の下流に逆らってボートを漕ぐ。ようやくアンマーチに入る事ができた。暫くは広く緩やかな川岸に沿い進んでいくしかない。
時折、川沿いの村を見つけると、村人が驚いた様子で我々を凝視する。恐らくヘスムスの紋章を掲げた小船に猫人間が6名も乗っている。驚かない筈がない。ベンガルはフードを深く被るように皆に言った。
辺りも暗く、木々に囲まれて月明かりも照らさない。夜も深くなってきた。一度川岸で夜を明かす事とした。暗闇では彼らの目は光っていた。昼間の愛らしい様相からは想像出来ないほど眼光は鋭く、正直怖い。
ノルとジャンは狩りも得意だ、と川の浅瀬に入り爪をゆっくり尖らせた。じっと気配を消し、川の中で動くものに向けてバシャ!っと一瞬で魚を突いていた。見事。彼等は大量の魚を焚き火で焼き、ペルシャとミーナに振舞った。ペルシャが褒めると必ず喜ぶ。皆、ペルシャの事が好きなんだろう。
獣人族は怖い。と人間は誰もが言う。奴隷とし、迫害し、罪を着せる。何故なのかと。多分、それは“知らない”のだ。彼らを知らないからそうなってしまうのではないか。言葉を話し、同じ時代を生きている。ただ話せばいいだけなのに。彼等はこんなにも気さくで、一生懸命で、精一杯で、優しく、かっこいい。どんな種族よりも有能さが際立っている。人間である私とも気兼ねなく接してくれる。彼等と居たら、宮殿にいるよりもずっと楽しい気持ちになる。
“知らない”から怖い。違う。“知ろう”としないから怖いだけだ。彼等をヘスムスが受け入れる。辛く困難な道だろう。民は最初は受け入れない。だが私はやる。誰もしなかった事をやる。覚悟は出来ている。お祖母様の意志は私が継いでいく。
夜が明けると、一行はまたもボートを漕ぎ先へ進んだ。
……それから3日後。
「おい、ミーナ。あれを見ろ。」
ウトウト眠っていると、ベンガルが肩を揺らしミーナを急いで起こした。
「なんですの?」
「橋だ。兵士がいる。」川幅は20mくらいか。石畳で出来たアーチ状の橋が見えた。両端に兵士がそれぞれ2、3名づつ。この橋は見た事がある。
「ようやく街道に着いたのね。さて、問題の検問所よ。何があってもいいようにして。最悪船は捨てて。必ずドレーチ宮殿までたどり着くのよ。」皆は深くフードを被った。
検問所の兵士が見知らぬ船の行方を止めた。
「おい!そこの船!止まれ!」
「あら、わたくし達はヘスムス国から来ましたの。王都へ行きたいのですけど通して下さらないかしら?」
「何で街道を来ない!船で来るなど意味が分からない!第一方角が異なる!そして貴様らは何だ!顔を見せろ!」
「残念ですわね。兵士さん。きちんと仕事をしていらっしゃる。私の姿に見覚えのある方はいないかしら。私はヘスムス王国王女、ミーナ・ヴァル・エレオノーラ・デルフィニウムですわ。」
「な、なんだと!?ヘスムスは今国王が亡くなり先日葬儀が終わったばかりのはず!王女も部屋から出て来れないと!!いいから船を岸に止めろ!」兵士は少し離れたテントに走り、隊長らしき1人だけオレンジの隊服を着た兵士を連れて船に近づいてきた。
ベンガルはボートを浅瀬に寄せ、川岸に上がるよう全員に指示した。
「私はここの街道を預かるサマーだ。確かに。ヘスムス王国の紋章だな。彼らは?」
「わたくしの従者ですわ。ちょっと変わった者達で、シャイなのよ。」
「申し訳ないが顔を見せてくれ。」
「はぁ、仕方ありませんわね。フードを見せて。」
ベンガルとペルシャ、ソマリが顔を見せた。
「何だと!?獣人!!貴様ら何しにここへ来た!兵士よ!!こいつらを拘束せよ!!」
――まぁ、確かに。こうなりますわね。
「おいミーナ。どうする。」ベンガルが囁く。
「大人しく拘束されましょう。」ミーナの目には彼等の所有する荷馬車が視界の隅にチラッと見えた。
「チッ。ほんとに大丈夫か?」
「私が王女である事を証明しますわよ。任せて。」
ミーナ達は拘束され、テントに連れて行かれた。
「残念ですわ。ヘスムス王国の要人を紐で縛るなんて。無礼通り越して反逆ですわよ。こんなこと。」
「じゃあまずはあんたがミーナ王女である事を確認しなければな。」
「簡単ですわ。父、エンリル・ヴァル・デルフィニウムは先日アスラ真教の魔術師に暗殺され亡くなりました。フルップ王とは軍備の面で秘密裏に軍事協定を結ぶ話が進んでいた。戦争の火種が燻っているレッドソーの次は間違いなくアンマーチなので、やはりフルップ王は“いつものように”悲しみよりも怒り心頭といった所かしら?息子のマールップはまだわたくしの肖像画の前で頬を赤らめてるのかしらね。未だに時々お手紙を下さいますわよ?君の瞳がどうとかって。父にもグレゴールにも軽くあしらわれていますのに。
私は父の死に悲しむよう偽装し、翌日には彼等と合流していました。船の上だったから、まぁ、どのような伝わり方をしているか存じ上げませんの。もっと知りたい事は?まだありますの?」
「いや、ちょ……、ちょっと待て。分かった、分かったから。マールップ様がひた隠しにしている事まで!やはり、貴方はミーナ王女か。お前たち、紐を解け。」
兵士は拘束帯を解いた。
「ドレーチ宮殿と言ったか。まったく。なんでこんな所で。こちらの迷惑も考えてほしいものですな。」
「えぇ、厳密にはケルレトの森へ行こうとしてますわ。」
「なんだと!?いや、しかし……。まったく……。分かった。私も宮殿へ戻る必要がある。一緒に同行願おう。しかし君らの処遇を決めるのはフルップ様か、軍師殿になるだろう。荷馬車には制限がある。全員は無理だ。4人までなら。」
「分かりましたわ。サマー。チップは弾みますわよ。」
「やれやれ。200ガルは頂きたいものだ。」
「ベンガルはペルシャ、ソマリを連れていく。お前たち、ここまで運んでくれてありがとう。ベンガルは感謝している。」ベンガルはノル、ジャン、ラパーマと抱き合って別れを告げた。
―――――――――――――――
アンマーチ王国の王都としてドレーチは代々栄え、繁栄してきた。大陸でも最も歴史のある都市だ。しかし近年は現在の王家であるアレイスター家が実権を握ってからというもの、地方を蔑ろにした政治が凋落の一途を辿ると共にその名声までもが下降線を描いていた。圧制を敷き、貴族階級を贔屓にし、元老院に政策を委ね、王家は蜜をすする。没落していく国の典型である。
大陸で最も力の無い国はどこであろうか、との問いにアンマーチと答えるのは当たり前の話だ。それでも力のある宮廷魔術師を招聘し、戦争の影に対策を練ろうと躍起になっているのはその国力を見定めているからだろう。フルップ・アレイスター王は馬鹿ではない。しかし、詰めが甘い。その上見栄っ張りだ。父、エンリル王はそう評していた。
馬車に揺られ森を抜けると、ドレーチを囲む10mはあろう巨大な外壁が目に入った。いつ見てもアレには不快感を覚える。あの壁の中は恐らく何があっても安全で、そして華やかだ。壁の外の人々はその日暮らしで貧しい生活を強いられているというのに。街の上からドラゴンに襲われれば間違いなく壁によって逃げ場を失い貴族達は大混乱に陥るはずだ。
「……ドレーチ。いつ見てもあの外壁は嫌な気分にさせますわね。サマー隊長、あなたはこの国が故郷ですの?」
「王女。俺は王に使える兵士だ。故郷などとうに忘れたさ。まぁ、ヴェゼットだけは争いたくないとだけ言っておこうか。」
「……そうですわね。」
「さぁ、お前ら。王都までの道中は預かったがその後はどうするんだ?」
「ウルゥ。ベンガルも気になっていた。ここまでは上手く行き過ぎなんじゃないか?検問所が難関だったはずだ。なぜ宮殿に行かないといけないのか。ベンガルに説明してほしい。」
ベンガルは破天荒なミーナの行動に少し苛立っていた。ペルシャ、ソマリは初めて目にする景色を、荷馬車から身を乗り出して眺めている。
「ベンガル、そうね。……申し訳ございませんわ。検問なんて何の問題でもありませんわ。貴方達なら戦って馬車も奪えましたけど、本当の狙いはドレーチ宮殿にいらっしゃる、とある人にお会いしたいのよ。彼女なら力になってくれますわ。だから、そう、サマー隊長の力が必要でしたの。」
「まったく。利用していたのか。嫌な気分になるのは俺の方だよ。いったい誰に会いたいんだ?彼女、というと。まさかとは思うが“軍神”様じゃないだろうな。」
「ふふ。そのまさかですわ。」ミーナは不敵に微笑み、1枚の硬貨を指で弾きサマーに向かって放り投げた。
「うわっ!っちょ!と。なんだいこれは。」サマーは慌てて掴み取る。それはガレー硬貨だった。
「!?ガレーだと?こんな大金!おいまさか!!」サマーはその意味を一瞬で理解した。「買収……。会わせろってのかよ、まったく。」
「ガルゥ!ベンガルに分かるよう説明しろと言っている!!」ベンガルは尚も怒り口調でミーナに問う。
「アンマーチの“軍神”にして宮廷魔術師。最強の女魔術師会“ベラドンナ”所属のシンエルフ。”魔剣士”とも言われるわ。オラリア・アン・セグイ。彼女はケルレトの森の“牙狼”と戦いたいはずよ。我々だけで牙狼をなんとかするのは不可能。」
「なぜベンガル達では太刀打ちできないのですか?」ペルシャが心配そうに見つめてくる。
「牙狼はかつて森に侵攻したヴェゼット軍600名の兵をたった一人で壊滅させているの。」
「何て!?そりゃ勝てないっすよ!キャプテンでも無理だ!もちろんソマリにも!」ずっと無口だったソマリがようやく口を開いた。
「ベンガルも牙狼の噂だけは聞いた事がある。勝てるかどうかは別だが。ミーナ、上手くやれるんだな?」
「サマーに協力してもらいますわ。王ではなく、軍神と会うためには?反逆者?囚人?ヘスムス王国の使者?いったいどういう肩書きをして行けばよろしくて?」
「…………ったく!鉄の乙女、ミーナ・デルフィニウムが聞いて呆れる。なんでこんな事に付き合わされてるんだ。軍神に会いたいならアレしかない。“決闘したい”ただそれだけだ。」
―――――――――――――――
4人を乗せた馬車はドレーチの中央通りを宮殿に向けて早足で通る。さすが王都。貴族階級の街だ。通りの両端にはびっしりと露店がひしめき合い、沢山の人出で賑わう。人々の身なりは清楚可憐で高貴な身分である事が伝わる。壁の外と中の違いにはいい加減辟易する。ヘスムス王国の王都ラーズは田舎の段々畑や果樹園の中にひっそりと佇む装いなだけにやはりこの街の様相には落ち着かない。
ミーナ、ベンガル、ペルシャ、ソマリの4人はフードを深く被り荷馬車の窓から見える景色を視界の隅から横目で眺めた。アンマーチにおいて、獣人族が国に入ってるなんて事が知れたらと思うと。この街全てが敵となるのだろう。今はそれよりも上手く宮殿に入る事の方が大事。ケルレトの森に行くにはオラリアの協力が不可欠だ。
4人の腕に繋いだロープは自力で解けるよう細工をしておいた。何があっても良いように羽織りの下には武器を携えている。囚人のフリをして潜入し、オラリアに決闘を申し込む。
――出たとこ勝負。さぁ、やりますわよ。
馬車から腕を繋がれたまま降ろされ、サマーの先導で一行は監獄に連れていかれた。監獄の大部屋の鍵をガシャンと閉められる。
「サマー、約束通り軍神に会わせてもらえますのよね。」
「王女、心配するな。夜に連れ出してやる。暫くここにいろ。看守にも獣人族だって悟られるなよ。」サマーはベンガル、ソマリに問いかけた。「おめえら、牙と爪は研いでおけよ?あの人は加減を知らねぇ。死んでも文句は受け付けねぇぞ?」
「ガルゥ!ベンガルに言ってるのか?ベンガルも加減を知らないのでな。」薄暗い監獄の中で、彼らの目が鈍く輝いた。
監獄の中で待つ事数時間。ようやくサマーが戻ってきた。
「おい。おめえら。行くぞ。裏口から外へ出る。オラリアがお待ちかねだ。ただ……。」
「何か問題がありまして?」
「お前らに300ガル賭けた。……すまん。出来る事は全てやったんだ。恨むんじゃねーぞ?今開ける。着いて来い。」
「はぁ〜!?まさか賭博ですの?獣人族と魔術師の決闘で!?そんな馬鹿な事をしていいとでも?」
「王女。あんた達は“軍神”オラリアに会いたいと言った。俺はガレーを貰った。そして出来る事をした。俺の番は終わりだ。後は自分達でなんとかしろ。」
「はぁー。」ミーナはため息と共に恐る恐るベンガルの顔を見た。案の定、怒りと嫌悪でブチ切れている。
「くそっ!見世物にされる等、ガルゥ!こんな屈辱があってたまるか!ソマリ、ペルシャ。どうする!?」
「ソマリは問題ない。むしろやってやる!ソマリの力をペルシャ様、キャプテンに見せる時だ。」戦士ソマリは戦いたくてウズウズしている。
「ベンガル。やるしかありません。見世物でも仕方ありません。私達はここでは異端者ですから。ミーナさんを信じると言ってここまで来ました。ケルレトの森まであと少しです。」やはりペルシャは震えながら、泣きそうに話した。ベンガルもまたため息を吐き「分かった。」とペルシャを抱きしめた。
サマーに連れていかれた場所は宮殿からすぐ近くの円形の闘技場。松明があちこちに灯され割と明るい。観客の歓声が聞こえてくる。決闘とはこういう事か。金持ちの娯楽としてこういったものがあると知ってはいたが、やはりヘスムス王国にはない趣だ。
司会が話す。「皆の者!今宵は無謀にも軍神へ挑みたいと希望した2人、いや、2匹の若者だ。サマー隊長の推薦である。ルールは簡単、2対1で軍神の鎧に傷を付けたら挑戦者の勝利!!挑戦者に賭けるのはサマー300ガル!おっ!リージョ200ガル!クライベル隊長400ガル!太っ腹だねぇ!他にはいないか?さぁ!さぁ!」
会場は盛り上がっている。中通路でベンガルとソマリはフードを外し準備万全だ。反対側の通路から闘技場にオラリアが現れたのか会場がワッと盛り上がった。
「ソマリ、行くぞ。」ベンガルはソマリの肩を叩く。「キャプテン、行きます。」
2人は闘技場の通路を力強く歩き闘技場へ向かった。
“軍神”オラリア・アン・セグイ。
彼女は鋼鉄の鎧を纏い闘技場の真ん中に立っていた。肌は浅黒く、女性にしては短い白髪が目立つ。エルフの剣士だ。そして魔術師。
ベンガルとソマリはオラリアの前に立った。会場がどよめく。初めて見る獣人族への驚嘆と憎悪、偏見の目に満ちた視線。このような目を向けられては人間嫌いになるのも頷ける。だが彼らは全く気にしなかった。慣れているのだろう。
オラリアが2人を見ると薄ら笑みを浮かべ、鋭い目付きに低く男っぽい声で口を開く。
「ふふ。ほぉ。なるほど、獣人族か。素晴らしいな。賭博には興味がない。我は強さのみを求める。ただそれだけだ。」
「ベンガルはあんたと話したいだけだがな。」
「弱い者となぜ話さなければならない。我と話がしたいのなら強さを示せ。弱き者よ。」
「グルゥ!!なるほど。ベンガルは理解した。今日は月明かりがある。ベンガルは弱くないぞ。」
「はっはっはっは!!そうか!!お前たちは月で強くなるのか!!ならば月光族か!!来い!!」オラリアは満面の笑みを見せ剣を構えた。「なに?」
ソマリはもうそこにはいなかった。オラリアの真後ろから爪を振り下ろした。「ゥルゥ!!」しかしその攻撃は振り向きざまに盾で弾かれる。
次はベンガルが向かっていく。ソマリの作った隙を剣で突く。だがこれも簡単に避ける。一瞬の攻防。観客は誰も何が起きたのか理解し得なかった。あまりの速さに静まり返る。
「速いな。だが、速いだけだ。」
「キャプテン!!」ソマリがまた跳躍する。飛びながらソマリの身体がキラキラと光の粒を纏い倍に膨れ上がる。「グルゥゥゥ!!」雄叫びをあげる。ソマリの身体は猛獣へと変化し爪を再びオラリアに振り下ろした。ガシィィン!と言う音と共にオラリアも再び盾で受け止めるが今度の一撃は重い。弾き返せなかった。
ソマリの姿に会場がどよめく。「きゃああ!」という悲鳴すら聞こえてきた。まさに敵意をむき出しにした“虎”。そしてベンガルもまた身体を変化させ飛び出す。
その姿はソマリとは打って変わって異なるものだった。みるみる内に身体が小さくなる。これは、白い……猫!?
「ニャアア!」白猫が可愛く叫ぶとその身体はビリビリと電気を纏いオラリアに向かっていく。「チッ。」オラリアはソマリの爪や牙の猛攻を受け止めながら横目でベンガルを確認するが間に合わない。ベンガルはオラリアの後ろを突いて体当たりした。
バチィィィィン!!!
物凄い衝撃音。土埃が舞う。
ミーナとペルシャは目を凝らす。土埃が晴れると、オラリアは鉄の盾でソマリを受け止め、魔法の盾でベンガルを受け止めていた。2人は一旦距離をとる。
「おいおいおい!そりゃねーぜ!!勝ったと思ったのに!」サマーが頭を抱える。
「貴様ら。私にカオスを使わせたな。白い猫、お前は魔術師か?それはなんだ。」オラリアが眉をひそめた。
「ベンガルに与えられた加護は特別だ。ベンガルは猫になると雷が付与された。間違いなくロロ島では1番強い。ベンガルが老マンチカを抑えて船長である所以。」
姿は可愛い白猫であるのに話し声はしゃがれたベンガルそのままだった事にミーナは少し笑いそうになった。電気を纏った猫だ。「ねぇ、ペルシャ。流石にあれって……。まだ猫科から狼になってくれた方が理解出来たわ。」
「そうですね。確かに。ベンガルは特別です。ロロ島ではライラ様だけではなく、月を司る神々の“ソルマニ様”の加護も受けた存在として語られています。」
「ソルマニ……。シンエルフにまつわる古代の“蒼い月”現象を起こした神様だったはず。」
「そう。月光族はソルマニ様より選ばれた民と言う者も。島では根強く言われ続けていますから。」
「なるほどですわ。」
「ニャアア!」ベンガルは再び電気を纏いオラリアに飛びかかった。そしてその身体から雷を放射する。
「チッ!魔術相手なら魔術を使うしかなくなるであろう。」オラリアは冷静だ。雷を軽々と魔術の盾で弾いた。「容易いな。まだ弱い。」
「ソーサ・エン・ジル・ヴァーガス。剣よ。羽となれ。“魔剣”」
オラリアが詠唱すると、彼女を取り囲むように巨大な魔法の剣が13本現れた。両手を広げると、その剣達は一斉にソマリの身体を囲い、6本の剣でその虎の動きを封じ込めた。「ガァルルゥ!!」
残りの7本の魔法剣はベンガルに剣先を向け襲いかかる。ベンガルは身軽な動きでかわしていく。電気を剣に浴びせるが、流石に魔法の剣の動きは止められなかった。「クソッ!追い詰められる!」頑張ってかわしていたが、自由自在に飛び出してくる魔法剣によってすぐに闘技場の端に追いやられ囲まれた。「誘導されたのか……。くそっ!ペルシャ済まない。ベンガルの負けだ。」
「ハッハッハッハ!!素晴らしい!稀に見る大当たりだ!サマー!貴様はいい仕事をした!我に剣を抜かせたのだ!!この獣人達に敬意を評する!!」
オラリアは観客に向かって叫んだ。「今迄、貴様らの1人でも我に剣を使わせた者はいるか?バカ共。弱い。だからこの国はバカにされるのだ!王もさることながらお前らも玉なし共だ!!この獣人達の勝ちとする。去れ!我はこの者達の話を聞こう。」
“野蛮な獣人族め”
“姿を見たか?ありゃ呪いだ”
“サマーにしてやられたぜ”
観客達は各々に今の激闘に嫌味を差しながらちりじりに帰っていった。
「ベンガル!ソマリ!」ペルシャは元の姿に戻った2人に駆け寄った。
「ウルゥ!ペルシャ、手も足も出なかった。だがどうやら上手くいったみたいだな。これで良かったのだろう?ミーナ。ベンガルを見世物にして。クソッ!!」ベンガルはミーナを憎しみの目で睨みつけた。
ミーナは分かっていた。彼らがいかに力のある戦士だとしても“ベラドンナ”の女魔術師には勝てる筈がない。それでもオラリアに魔剣を使わせるくらいには追い詰めた事実。現にミーナは小さい頃からずっと一緒に過ごしてきたヨラ・ヴィンガースフィアの本気など見た事がない。
賭博闘技場なんて想像すらしなかったけれど、彼らを結果的に見世物にしてしまった事は紛れもない事実。自らの策で傷付けた。亜人種が1番嫌う事をした。言い訳のしょうがない。
「ベンガル、ソマリ、それにペルシャも。申し訳ない事をしたわ。ごめんなさい。貴方達の嫌がる事をさせてしまった。嫌われるのは当然よね。だから、本当にごめんなさい。」ミーナは深く頭を下げた。
「チッ!ガルゥ!ミーナ。頭を上げろ。ペルシャ。」ベンガルはペルシャの頭に手を乗せた。「ペルシャはミーナに賭けた。そうだろ?」
「はい。我々月光族を導く者だと私はミーナさんを信じています。だからベンガル、ソマリ……。」ペルシャはまた涙目になる。
「ウルゥ!ならば信じねばならん。癪だがベンガルはミーナを信じる。オラリアはミーナとペルシャがなんとかしろ。ケルレトの森まではあと少しだ。」
ベンガル、ソマリが繋いだチャンスだ。ケルレトの森はベンガルの言う通りあと少し。身体を張った2人に報いなければならない。
「そうね。ありがとう、ベンガル。」ミーナはオラリアに向き直った。「オラリア・アン・セグイ。」
「女。貴様は誰だ。」
「私はヘスムス王国、次期女王。ミーナ・ヴァル・エレオノーラ・デルフィニウムですわ。貴方の話はヨラから聞いていたわ。」
「ほう。先日エンリル王が暗殺されたと聞いたが噂の王女は貴様か。獣を引き連れて何をしにきた。ヴィンガースフィアの差し金か。忌々しい女狐の。」
「ヨラは関係ありません。わたくし達はケルレトの森へ行くつもりですわ。」
「ふっ。“行くだけ”なら誰でも出来るだろう。我に何のようだ。まさか護衛をしろ、とでも?我はアンマーチの軍神だぞ。」
―――第2ラウンド。さぁ、始めましょうか。
「……牙狼、ですわね。」
「何だと。」オラリアの顔に見えたのは怒り。
「オラリア。あなたは最強の剣士です。ならば牙狼に勝つ事だって出来ますわよね。」ミーナは含んだ笑みでオラリアを挑発した。
「ああ、そうでしたわ。貴方は以前、牙狼に戦いを挑み勝ちも負けもなく引き分けたのでしたか。残念ですけど、やっぱり貴方じゃ役不足ね。“軍神”より強い“白鳥”ヨラ・ヴィンガースフィアを待つべきでしたわ。ああ、かのアンマーチの軍神にも勝てない者がいるなんて。あぁ、残念ね。」
「アーク・エン・ソーデ!!!」オラリアの手に光の剣が現れ一瞬でミーナの喉元に剣先を向けた。彼女の顔が怒りで歪む。
「貴様。誰にものを言っている。ヘスムス王家は貴様が消えれば潰えるのか?弱き者よ。我が牙狼よりも?女狐よりも弱い?確かに勝てはしていない。だが我は強い。喉元に剣をあてがわれて、それでも寝言は放てるか?」オラリアはミーナの首に当てた剣先を少し押し込んだ。ミーナの首から血がツー、と滴る。ミーナは尚も挑発的な微笑を崩さなかった。
「ふふふ。恐怖で支配するなんて。それこそ弱き者ではなくて?力はただの力でしかありませんわ。あなたの力は誇示する為にあるんですの?今度こそ牙狼を打ち倒してから申し上げるべきですわね。」
「…………。」オラリアが黙る。
光の剣は離散し消えていった。「まあいい。貴様らがケルレトの森で何をしたいのか等どうでも良い。我は牙狼を倒しに行く。明日の朝ここへ来い。連れて行ってやる。ミーナ・デルフィニウム。」
「はい。」
「これは貴様の運命か?」
「いえ。違いますわ。わたくしの“意志”。」
「……そうか。」
そう言うと、オラリアはサーチの渦を作り出し去っていった。
「ミーナさん!凄いです!!あんなに強い方に1歩も引かずに!!」ペルシャは目を輝かせて抱きつく。だがミーナの身体はふるふると震えていた。「ペルシャ〜!!怖かったよ〜!!」
「全く。なんて王女様だ。ベンガルはますます嫌いだ。」
「キャプテン!その割には嬉しそうですね!!」
「黙れ!!」ベンガルはその黒い体毛からでもはっきりと分かる程赤くなった。
松明と月明かりに照らされた闘技場にはまだ何者でもない4人の笑い声が小さく響いた。
――――――――――――
ここは極寒の最北地、北大陸。
かつては古代エルフ族が住処とした地。真陽暦以前の白陽暦の、そのさらに前の時代には北大陸にも森林が生い茂り、青々とした大地が広がっていたという。時代と共に世界の気温が下がり、北大陸の先の大地を氷が埋めつくし、雪は古代エルフ族の居住地を奪っていったという。古代エルフ族がアルヴル大陸に住処を移し(人間の大地に攻め入った)、永遠とも言える人間族との対立を生み出した原因の地。
氷の大地の下には数多の超古代文明が眠っているとルンド大学の歴史研究者達の興味を引き続けている。さらに1300年前の“渦の厄災”で現れたドラゴン達が永久凍土に封印されていると今でもこの地に住まう原住民族、“ヴィークエルフ”達には伝承として伝わっているらしい。
北大陸の沿岸部、雪山の山間域にひっそりと佇む“名も無き巨人”信仰の聖地。ウルスラ神殿。
守護者としての任についていた“暁光の魔女”はいつものように魔法のホウキに跨り、極寒の宵闇に飛び出した。
高く、高く。もっと。速く。
下を覗き込むと自分の城、ウルスラ神殿がちっぽけに映った。今日の空はいつもより空気が重苦しい。雲を突き抜けた先には巨大な月。だが、その光はいつもと違っていた。
月が赤い。
こんな事もたまにはあるが、占いや呪いを生業とする魔女としては不吉を予感させるものだ。
「明日は良くない事が起こりそう。」
“暁光の魔女”ベルガモット・サンダーソニアは宵闇に浮かぶおぼろ雲が風の流れに逆らいながら不自然に南に動いている事に気がついた。
「雲。え?なに?アレ。…………えっ!わっ!ちょっと!」
ホウキから身を乗り出した為身体のバランスを崩し落ちそうになったがなんとか魔法のホウキにしがみついて難を逃れた。
「危な!!こんなの落ちたら即死でしょ!て、え?」
雲が、1箇所に集まってる!?
「微小のカオスが……。やっぱり。」
雲が1箇所に集まりながら南に向かってる。集まるというよりも、雲が何かに吸収されて圧縮しているようだ。カオスも感じている。という事はこれは間違いなく魔術師のやった事だ。いや、現にやっている、だ。
見たこともない光景にベルガモットは困惑する。
「誰かいるの!?いや、てゆーかこれやばくない?大陸に向かってるじゃん!雲の大移動…………まさか無差別攻撃!?」
どうする。ウルスラ神殿を離れていいのか。何者かに陽動されているのでは?魔術師が離れてしまっては神殿に張っている結界が解けてしまう。その間に襲撃を受ければ中にいる学者や学生、参拝者達に危害がでる。だがまぁ、ウルスラ神殿を襲撃する者なんて有史以来誰も居ない。
「ま、いっか。神殿と大陸どっち大事?大陸でしょ。私の直感はヤバいって言ってるのよ。」
最強の女魔術師会“ベラドンナ”所属のベルガモット・サンダーソニアは近づき過ぎず、サーチされない距離を保ちながらその雲の遙か上空からゆっくりと追いかけた。
――――――to be continue
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