第17話 『めんどくさい話』



 ある街に盗賊の少女がいた。


「発掘屋と呼んでよね、失礼しちゃうわ」


 盗賊と呼ばれると、彼女はひどく怒り出す。食事中に「と」の字でも口にしようものならば、即座に食器が食べかけの料理ごと飛んでくる。女を軽く扱う男も大嫌いだった。酔って絡み付いてきた野郎の股間を蹴り上げたことは数え切れないくらいだ。

 そんな娘の前に、一人の少年が現れた。正確に言えば少年は娘が出入りする斡旋所を兼ねた酒場に顔を出したに過ぎないのだが、彼女は少年を一目見て「ふうん」と感心した。

 軽装の、動きを妨げない衣服。

 左腕につけた手甲は、ニカワで固めた革と銅版を組み合わせている。革の長靴はすね当てが巻き付けられ、足首の保護もあったが防具はそれで全部だった。胸当ても肩当てもなく、細身の少年は随分と頼りなさそうに見える――腰に差した小剣も、鞘から柄に至るまで真っ黒で飾り気もなく貧相な雰囲気を一層強くしていた。カウンターで酒を飲んでいた長身の剣士は、ほほうと唸る。彼には少年がどれほどの実力を有しているのか理解できたのだろう、盗賊とは違った視点で少年の立ち居振る舞いに関心を示した。しかし斧を壁にかけた巨漢は、酒に酔っていたのか場違いな餓鬼はとっとと帰れと声を荒げる。他の客たちは、罵倒された少年が巨漢に喧嘩を挑むかと思い少年を見る。盗賊の娘もまた例外ではない。

 が。


「そりゃどうも」


 あっさりと少年は言い、きびすを返すとそのまま酒場を出て行ってしまった。表情を全く変えず出て行ったので「何だよ、あの腰抜け」と巨漢は吐き捨てるように言うが、長身の剣士は即座に巨漢を殴って昏倒させ、娘は慌てて店を飛び出して少年を追いかけた。

 果たして少年は旅支度を整えている最中だった。

 必要最低限の荷物しか持たず、乗合馬車の切符を買うべく御者と交渉している最中の少年は実に旅慣れた様子であり、御者もまたそれに気付いたのか世間話など色々交えつつ感心していた。


「ちょっと待ちなさいよ!」


 馬車に乗り込もうとしていた少年を半ば引きずるように呼び止めて叫ぶ娘。御者は受け取っていた金を少年に返し、まあ頑張れよと声をかけて去る。


「きみ、諦め早すぎるのよ! バカにされたら腹を立てるとか、問答無用で殴るとか、逆に罵倒するとか、おべっかつかうとか、そういうのがあるでしょっ」


 なんであっさり帰ったりするのよと続け、娘は少年の手を掴んで酒場へとどんどん進んでいく。


「ボクはね、きみみたいに人生流れに任せて根無し草みたいにテキトーやってる人間がいっっっっちばんっ、腹が立つの。腰に差してる剣が飾りじゃなかったら男らしく振舞ってみなさいよ!」


 反論の余地もなくずるずるとひきずって、酒場の扉を強引に開ける。そこでは巨漢が既に昏倒していたので少年はもはや何かをする必要などなく、左右をそれとなく見て溜息を吐く。


「……馬車で次の街に行きたいんだけど」

「あー、もう! ボクはきみみたいな軟弱者って大っっっっっ嫌い!」

「ありがとう」


 にっこりと少年は微笑んだ。


「おれも君が大嫌いだ」


 ぐさり。

 笑顔で放った少年の台詞に、盗賊の娘は理由もなくショックを受けた。顔を引きつらせ顔面蒼白になり、何故かは知らないけど膝を折って床に座り込んでしまう。頬が強張り視界が歪んで、娘は初めて自分が泣いていることを理解した。自覚してしまうともう駄目で、娘は両手で顔を覆い嗚咽を漏らす。周りの視線は少年を非難するものと、嫉妬の感情が入り交じっている。


「女性を泣かせてはいけないのだよ、うん」


 長身の剣士がしみじみと頷き、少年の肩を叩く。


「とりあえず泣かした者として責任を取らなくてはいけない」

「うっ」

「考えてもみたまえ。ちょいと勝気だけど困っている人を放ってはおけない義理と人情で人生送ってきた一人称『ボク』の女の子が、君に『大嫌い』と言われて泣き出すというのは――アレだ、ドッグレースで大穴を当てるようなものだよ。まっとうに生きていれば君のような少年がこのような場面に出くわす機会は……軽く見積もっても数千年に一度という確率だ」


 つまり大多数の人間には一生縁のない展開ではないか。

 少年の反応を無視して長身の剣士がうんうんとひとり納得する。


「そういうわけで、ここはひとつ流れに身を委ねてはどうだね」

「おれは人捜しの途中だから」


 言葉を詰まらせる少年。剣士はふむと顎に手を当て「しかしながら」と続ける。


「あれを見たまえ」

「酒を飲んでるね」


 指された先では、盗賊の娘が泣きながら酒を飲んでいた。瓶熟成の、おいそれとは手の出ない高価な葡萄酒を何本も何本も開けてはラッパ飲みしている。その飲みっぷりたるや清々しいもので、とても未成年とは思えないほどだった。


「高そうな酒を、それはもう浴びるように呑んでいる。酒飲みが見たら卒倒しかねない贅沢な飲み方だ」

「ああ。ところで、あの、娘の手に握られている財布に見覚えはないかい?」

「――!」


 少年は絶句するが、彼の路銀は既に酒に化け盗賊娘の胃袋に消えていたという。




「きみ、それで名前は?」

「えーと……ヨ」

「ヨ?」

「……ジョゼと呼んでくれればいいよ」

 シュゼッタに今の姿を見られてはいけない。

 そんな事を考えつつヨセフ・ハイマンは滂沱の涙を流しつつ皿を洗う。




◇◇◇




 エリザベスは自分の名前が嫌いだった。

 盗賊(彼女は発掘屋と主張する)にしては優雅すぎる名前だし、学のない人間が自分の名前を略すると碧国の耳なが王女と似た名前になってしまうのが嫌だった。だから彼女は自分のことをリズと呼ばせていたし、彼女のフルネームを正しく知っている者もいなかった。


「いや、知りたいとも思わないし」


 ジョゼと名乗る少年は、そんなリズに対して極めて無関心だった。

 顔をあわせればリズは

「服のセンスが悪い」

「椅子の上で足を組むな」

「半熟卵を潰して食うな」

「半人前の分際でまっとうな仕事を受け取るな」


 などなどまくしたて、膝を蹴り財布をスリ盗っては酒を浴びるように飲む。

 まるで親の仇でも相手にしているように、口を開けば飛び出す罵詈雑言。しかしジョゼが無視すれば半泣きで殴りかかり、周囲の同業者達が「お前が相手しろよ」とジョゼを諌めるのだ。


「ボクはきみなんて大嫌いなんだからねっ」


 事あるごとにリズは叫ぶ。


「大嫌いなの、きみみたいなオトコが流れ者やってて今まで生きていることなんでボクは絶っっっ対に認めないんだから!」


 とか


「なにさ、きみの腰に差しているヘナチョコな剣は! そんなちっちゃい剣で旅を続けようなんてきみの根性、ボクは大っ嫌いなのよ!」


 などと。

 リズはどうして自分がジョゼに突っかかっていくのか理解していないし、ジョゼはリズの姿が視界から消えたら5秒でその存在を忘却することにしている。もちろん同業者達は「よう、リズとは仲良くやっているのか?」などと冷やかし半分で挨拶をしてくるので忘却する暇は皆無に等しく、結局のところ彼の生活には否が応でもリズの存在が関わっているのだ。それを否定することは出来ない。

 そういう奴もいる。

 ジョゼはリズのことをそう認識している。それが彼女の不興を一層買うことになっていることには気付かずに。そうやって彼は街に一ヶ月も足止めを喰らっているのだ。




 霧立ち込める朝。街の門が開くにはしばしの余裕がある頃。

 ジョゼは下宿代わりに使っている酒場の空き部屋を出て、街外れに近い公園に来た。公園とはいっても泉や噴水があるわけではなく、旅の詩人や巡回牧師が芝居を一席開けるように草を刈り土を固めた広場のようなものである。このような時間帯に訪れるものは同業者以外にはいないし、その同業者でさえ滅多には来ない。

 だからこそ、この時間帯を選んだのだが。

 ジョゼは入念に柔軟体操を行い、腰に差した黒い小剣を鞘ごと引き抜いて目の前に放る。剣は宙で止まり、鞘と柄が外れそれぞれ姿を変える。十数える内にそれらは三つの剣となり、鋭い刃はすべてジョゼに向けられる。


「来い」


 腰に差していたもう一つの得物を引き抜いてジョゼは言う。剣の形をしているものの刃はなく丸みを帯びた鉄の棒は小剣よりもやや短く、その代わり幅と厚みは倍以上あった。逆手に柄を握り、切っ先を肘に当てるように構えたジョゼの姿は剣士というよりも拳法家に近い。

 そんなジョゼの言葉を受け、三本の剣は音もなく動き三方よりジョゼを襲う。

 矢よりも速く死角より襲い来る刃をジョゼは避け、あるいは得物で弾く。弾かれた刃は地面を転がって踏み固められた地面や石をスポンジケーキのように切り裂き、再びジョゼを襲う。ジョゼが一呼吸する間に刃は十度、致命的な斬撃を喰らわせようとする。ジョゼは紙一重でそれを避け、逆に刃を打ち払う。不規則なリズムで襲ってくる刃の動きを予測することは不可能に近いが、霧により視界が悪い状況下でさえジョゼは全ての攻撃を回避した。

 並の剣士がこれを見れば自らの道を諦め、達人ならば唸るほどの動きである。道場剣術としてみれば邪道の極みだが、彼の剣術は野山を駆け無数の山鬼共を一時に相手にするものだった。

 やがて霧の向こうから、街の開門を告げる鐘が鳴る。宙を浮く剣は一つに戻り、ジョゼの目の前に落ちた。

 傷は無いが、全身に汗が噴出し筋肉は極限状態で張り詰めている。それなりに乱れた呼吸を少しずつ整えて、ふとジョゼは言葉を漏らした。


「身体、鈍っているな」

『御意』


 小剣が短く返す。


「はやいところシュゼッタを捜さないとな」

『御意』

「とりあえず路銀を稼がないといけないな」

『……』


 路銀など後回しで良いから、とっとと街を出てしまえばいいものを。

 かつて『咆哮するもの』と名付けられた小剣は嘆息するが、その主に聞こえることはなかった。




◇◇◇





 また、ある日のことである。


「本当に、おまえリズさんとは何の関係もないんだな?」


 ジョゼの胸倉を掴む若者は拳を震わせ、そう言ってきた。彼は旅人でも遺跡探索者でもなく、この街で生まれ育った若者だった。


「答えろ、ジョゼ!」


 それは突然の出来事だったので、誰も反応しなかった。

 胸倉掴まれた当のジョゼはというと誰かに手紙を書いていた最中で、鵞鳥の羽根を指でいじりつつ、さてどうしたものなのかと周囲に視線をそれとなく向けてみる。長身の剣士は肩をすくめ、巨漢はいい気味だと鼻を鳴らし、見習い魔法使いという女は何故か目を輝かせている。

 誰も何もしようとはしない。その辺がジョゼの人望のなさなのかどうかは定かではないが、とりあえず同業者の多くは「いい暇つぶしになりそうだから傍観者を決め込む」との姿勢を崩さない。彼らは若者が盗賊娘のリズにそこはかとなく想いを寄せていたのは以前より知っていたし、ひねくれたリズの気持ちもだいたいは理解している。わからないのはジョゼの頭の中身だったが、追求するとリズがひたすら可哀想になるような気がしていたので深入りを避けていた。

 そんな矢先の出来事である。

 誰が止めるというのだ。


「私の質問に答えるんだ、この餓鬼が!」


 若者はますます鼻息荒く、胸倉を掴んだままジョゼの身体を持ち上げる。籐篭屋の若旦那というよりは闘技場の剣奴が似合いそうな若者は、二の腕が破裂しそうなほど筋肉を膨張させ、血管が浮かぶ。


「おまえはリズさんの恋人ではないんだな!」


 ジョゼは答えない。

 答えようのない質問というのもあるだろうが、怒っているのでも驚いているのでもなく、まして笑っているわけでもないジョゼの態度は若者の神経を逆なですることこの上ない。若者はジョゼの沈黙を侮辱の意思と判断したのか、震える拳をジョゼの顔面に叩き込みそのまま身体ごと手近なテーブルに突き倒す。椅子や調度品の幾つかを巻き込んでテーブルに叩きつけられたジョゼ、体術に優れたジョゼを知っている同業者達は為す術もなく殴り倒されたことに驚き、そして床に転がったジョゼの首と手足があらぬ方向に捻じ曲がっていることに気付いた。

 酒場の女将が悲鳴を上げ、若者は酒場から飛び出すように逃げ出した。

 痙攣さえしないジョゼの身体。騒動や厄介事を飯の種にしているだけあって同業者達は動揺せず、しかし予想だにしない事態に息を呑む。即座に飛び出したのは長身の剣士と魔法使いの女で、二人は割り砕けたテーブルを除けてジョゼを介抱しようとし。

 硬直した。

 先刻まで間違いなくジョゼだったそれは、麦藁を乱暴に束ねた等身大の人形だった。


「……これは」

「まやかしの魔法」


 長身の剣士が漏らした言葉に、魔法使いの女は溜息と共に答えるのだった。





 一方、その頃。


「だから、なんでおれの後をついて来るんだよぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 ジョゼは全速で駆けていた。

 広葉樹で覆われた、ちょっとした丘。その木々の間を縫うようにして、両手両足を力の限り振り回して彼は走っていた。剣は腰に差し、風圧で顔が微妙に歪むくらいの勢いで丘を駆け下りている。

 その横では、実に似たような状況の盗賊娘リズが全く同じ動作で横並びに丘を駆け下りている。

 両者とも必死の形相だ。


「きみがっ! ボクに黙って! 街をっ! 出て行こうとっ! するからじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「おれの勝手だろうが!」


 全力で駆け下りる二人の直ぐ後ろで、樹齢百年を越えるであろう楢やクヌギがめりめりと倒れ、続けて大地を震わせるような怒号が響き渡る。それだけで枝が揺れ葉が無数落ちる。


「大体! おれは! 路銀を稼ぐためにだなああぁぁぁぁ!」

「だから! ボクは!」


 爆音。

 大木を吹き飛ばして現れたのは象の三倍はあろうかという巨大なトカゲだ。翼の無い竜にも見えるが、手足は陸上の獣らしく太く頑丈で、樹木を地面ごと吹き飛ばして二人に迫っている。

 その角にはリズ愛用のポーチが引っかかっており、額にはジョゼの短剣が刺さっている。


「街に戻ったら、いっぺん徹底的に説教するからなっ」


 丘を降りきった直後、森が開けて草原に転じた場所でジョゼはきびすを返した。予備動作無く転じたためリズは反応できずそのまま草原を突っ走ってしまう。


「ジョゼ!」

「頼むからそのまま走っててくれ」


 聞こえぬほど小さな声で呟くとジョゼは腰の小剣を引き抜き、迫る怪物に立ち向かった。




◇◇◇





 深夜。

 酒場の客全員が酔いつぶれた頃、盗賊娘のリズは足音を立てぬよう空き部屋の一つに向かった。

 そこは少年剣士ジョゼが下宿代わりに使っている部屋であり、酒場の一番奥だ。周囲を何度も見て起きている者が誰もいないことを確認するとリズは己の胸に手を当て深呼吸を繰り返し、やがて何かを決心したのか真ちゅう製のドアノブを強く握り扉を開くとその中に姿を消した。

 ややあって。

 酒場の客ほぼ全員がむくりと起き出し、集まってひそひそと話し始める。


「……やはり痺れを切らしたか」


 さもありなんと巨漢の重戦士が頷く。他の連中は、やれやれこれじゃあ勝負にならねえよとぼやきつつ新しい賭けを用意している。


「で、ジョゼが手を出すのか?」


 うーむ、と全員が唸る。


「ジョゼだもんなあ」


 長身の剣士は杯に酒を注ぎつつ首を傾げる。


「ジョゼですものねえ」


 魔法使いの女も、桜肉をかじりつつ溜息を吐いた。


「当たると評判の占い師を使った『ラブラブ黄金分割』作戦はどうなったんだっけ?」

「占い師がよりにもよって女妖魔でさ、ジョゼの精気吸おうとしたんで」


 すんばらりん、と手で首をかき切る動作を見せる剣士。


「そういえば紅国で最近評判の『シュークリーム告白』は試さなかったのか」

「ああ、あれは街娘に知られちゃって菓子屋が逃げ出しちゃったのよ」


 あたしも欲しかったけどねえと魔法使いは呟く。





 リズとしては、これが精一杯の譲歩だった。

 最初に会った時の直感、三ヶ月行動を共にして得た確証。

 悔しいけど認めざるを得ない。

 まず、ジョゼは強い。強いのだ。リズが誤って巨獣の巣に踏み込んだ時、ジョゼは彼女を逃がし一人これに立ち向かった。死霊が街の小さな子供達を森に連れ去った時、ジョゼはまるで我が事のように怒り、単身森の深奥まで飛び込んで死霊を切り伏せ子供達を救い出した。森でジョゼの勇姿を見た子供達は、彼がまるで紙芝居に出てくる英雄のようだったと興奮気味に話していたのをリズは覚えている。

 そうして、リズは気付いてしまった。

 たとえばパスタを食べる時に右の頬を膨らませる癖、ミント茶に蜂蜜を入れないと二口しか飲めないこと、バンジョーの調律と演奏が出来る特技、石蹴り遊びを知らなかった子供時代を過ごしたこと。どうでも良いはずの事を知りたくなって、いつの間にか視線はジョゼの動きを追っていた。女友達に相談すれば「ガキみたいに純な恋してるねェ」と冷やかされ、相手が誰なのかを知って「何よ、あんた達まだだったの?」と呆れ気味に驚かれるのだ。

 女友達は、それこそ同業者の人間も含めてリズにこう助言する。

 とにかく行動あるのみだ、と。

 もっとも、今まで色々行動した上で散々な目に遭っていたリズに残された方法など数えるほどもないわけで。結局のところ「そういう行為」に行き着く事自体、彼女が随分と切羽詰っていることの証明に他ならない。

 故に。


「……ボク、意地っ張りだから素直になれなくてさ」


 床にブーツが転がり、スカーフが落ちる。

 恥ずかしさに心臓が張り裂けそうで、声も震えている。自分がこんなにはしたない娘だったなんて信じられなかったが、それでも引き返すことは出来なかった。それが若者の特権であり、安っぽい言い方をすれば恋する者だけが持つ力なのだ。いったん動き始めたら、たとえ死霊と成っても想いを遂げるまでは止まることなど出来ない。


「でも聞いてよ、ボクがこんな気持ちになったのは初めてなんだよ。いっつもこんな風だなんて」


 思わないでよね。

 と言いかけて、ベッドの上の人物が微動だにしないことに気付くリズ。


(まさか、アレは人形?)


 ジョゼがその種の「まやかし」を使えることを聞いていたので、リズは息を呑み部屋を見渡した。それほど多くはないジョゼの旅荷物がそこにあるのを確認し、意を決すると一気に服を全て脱ぎ捨てる。

 アレが人形なら、それでも構わない。

 人形のフリしてベッドに潜り込みジョゼを待ってやろう。


(そうすれば、あの鈍感オトコだってボクの気持ちに気付くハズなんだから!)


 リズは若さ故の過ちに身を委ねるべく一糸まとわぬ姿のまま大股でベッドに向かって歩き、闘牛士の如く勇ましくも華麗な動きで毛布を剥ぎ取った。


 次の瞬間。

 

 闇夜を引き裂く電光を伴って振り下ろされた必殺のかかとがリズの脳天を直撃した。





 同時刻。

 街の門では夜間の番を担う老兵が一人の少年剣士と酒を酌み交わしていた。


「そうか、いよいよ街を出て行くのかね」

「ええ。旅の連れにも再会できましたし、目指すべき場所も見つけたので」


 老兵の差し出す酒を飲み、ヨセフ・ハイマンは感慨深げに街を見る。


「十二の冬に故郷を出て以来初めてです、一箇所にこれほど留まったのは」

「この街の居心地はどうだったかね」


 ヨセフは直ぐには答えず、ややあってから「わかりません」と呟いた。


「きっとしばらく経ってから……懐かしいって思うんですよね。こういうのって」


 苦笑しているような泣いているような、そんな表情だった。ヨセフはまだ十六の少年に過ぎず、世の中の全てなど到底理解していない。心で感じ取っても、言葉に出来ないこともある。老兵は静かに頷き、ヨセフの杯に酒を注ぐ。


「エリザベス嬢ちゃんが悲しむな、君が去ると」

「? 誰です、その優雅な名前の女性は」


 真顔で尋ねるヨセフ。顎がかっくんと外れた老兵はそのまま両手で顎を押さえ、こう言った。


「そういえば酒場には戻らないのかね」

「相棒がベッド占領しているもので」


 寝ているシュゼッタに迂闊に近寄るとひどい目に遭うんですよとヨセフは呟く。

 その直後、酒場の辺りから絶叫が聞こえ爆発音が街を震わせた。滝のように汗を流す老兵の口に酒を大量に流し込んで黙らせたヨセフは、ああ誰か部屋に入ったんだなあやれやれと肩をすくめるのだった。






 こうして少年剣士ヨセフ・ハイマンは旅に出る。

 後年彼が盗賊の娘エリザベスと結ばれたという話は、残念ながらどこにもない。多分。


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