第16話 『鯖釣』



 鯖は小魚の王である。

 一年という時を耐えた鯖は獰猛な虎を一撃の元に屠り、十年を経た鯖は竜さえ退ける。

 半端な漁師が網を投じれば船底を貫いてこれを沈め、腕自慢の騎士が槍を水面に突き立てれば穂先をへし折って騎士の鼻穴に突き込む。

 鯖と真に亙りあえるのは、古強者の漁師が投げ込む釣り針のみ。

 磨きに磨かれた金鉄の釣り針を海中に投じるや、勇名をとどろかさんと猛者たる鯖たちは一斉に喰らいつくのだ。時には鯖同士の壮絶な決闘にまで起こる戦いだけに、海は血で紅く染まる。

 鯖は古強者の漁師がいかに素晴らしい存在であるかを理解しており、彼らと死闘する事こそが海の王者にとって相応しい最期だと考えている。だから釣り針にかかった鯖は、自らが持つ二十六の必殺技を封じてまで漁師、いや「釣師」との決戦に臨むのだ。

――フランツ・バルゼット著「セップ島動物誌」より






 ある日の話である。

 村長の家で働く元盗人の若者は、海辺に出かけて糸を投じた。錘も針もついていない糸は、するすると若者の手より伸びると音も立てず沈んでいく。

 若者は糸の一端を掴み、惚けたように突っ立っている。

 途中、くいくいと糸を引く手応えがあったが、若者はのんびりとしている。

 更に糸は強く引っ張られ、若者の手を離れて全て海中に没する。

 それでも若者は慌てず騒がず、そのまま海を眺めていた。

 と。

 しばらく経ってから、波をかき分けて一匹の鯖がやって来た。十余年を生き抜いたであろう屈強な鯖が、糸の端を己の首に固く巻きつけ、尾びれを使ってずんずん歩いて来たのだ。

 マグロと見間違えんほど立派な鯖は、糸のもう一方の端を若者に握らせると、若者を罵った。


『貴様、それでも釣り人の端くれか! 神聖なる戦いにおいて針も錘もつけずに我らを愚弄し、あまつさえ糸を放棄するとは! 恥を知れ!』

「こりゃどうも」

『いいか、我はこれより海中に戻る。貴様は釣り人として我と戦い、その過程で勝ってもいいし負けてもいい。逃げても構わんが、海に糸を垂らした者としての責任を果たせ!』

「へい」


 言われて若者は素直に糸を引っ張った。

 鯖の首に巻きつけられた糸がきゅっと締まり、そのまま鯖の頭がころんと落ちる。若者は鯖の頭に手を合わせ、慣れた手つきで大きな篭に鯖を放り込むと、そのまま村に帰っていった。




「えーっ、今日も鯖なの?」「たまには違うの食べたいよ」


 村長の孫姉弟は、テーブルをどんちゃか叩きながら不満そうに言った。


「申し訳ありません」


 済まなさそうに頭を下げる、若者。


「鯖釣るしか能がないもので」

「しょうがないわねえ」「次はぼくたちも一緒に行くよ」


 姉弟は文句を言いつつも、若者が作る鯖料理を腹いっぱい食べたとか。






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