第5話 『ひとくい』



 人喰いの鬼がいた。

 人を食うのは鬼ばかりではなかったが、その鬼は特に人を好んで喰らった。無力な子供を、元気の良い若者を、子を身の内に宿した母親を、鬼はよく喰らった。


「なぜ人ばかり喰らう」


 深い森の奥。

 あるとき、死にかけの若者がそう問いかけた。

 鬼は若者の右手をぼりぼりとかじりつつ、しかしその問いに対して非常に強い関心を示し、こう答えた。


『トカゲどもには鱗や甲羅があるだろう、あれを剥がすのは面倒なんだ』


 次に若者の左膝を叩き折り、それを飲み込んで鬼は続ける。


『牛や鹿は硬い蹄や角があるわな、蹴られたり突かれるとただ事じゃ済まねえ』


 引き裂いた右肩より噴き出す鮮血を、まるで果汁のようにすする鬼。若者は数度痙攣したあと動かなくなり、鬼は手首の軟骨をコリコリと噛み砕いた。


『その点、人間は素晴らしい』


 数は申し分ない。

 相手を選べば甲羅を剥がす手間もなく、反撃で手傷を負うこともない。時折森に迷い込む愚かな人間をひょいと捕まえて、そのまま貪ればいいのだ。大木をへし折り岩を砕く屈強な鬼の手にかかれば、人の身体など野イチゴと大差ないのかもしれない。


『獲り過ぎさえしなければ、幾らでも増えてくれるのだから』

「なるほど」


 食い散らかした若者が、人として重要な器官を幾つも失った状態で上体を起こす。


『……化けて出るには早すぎやしないかね』

「死霊ではないさ」


 若者の声が変質する。

 野太い男の声が、少しかすれた女の声に変わる。それと共に若者の亡骸は煙を噴き出し、マジパン細工の人形に化けた。

 いや、戻ったと言うべきか。


「ありあわせの材料で作ったのだが、良く出来ていただろう」


 頭上の木が揺れ、妖精の女が降ってくる。

 妖精を鬼は生まれて初めて見た。人と良く似た容姿だが、その身体に満ちる精気は尋常ではなく、鬼は自然と咽を鳴らした。面倒な甲冑を身につけているのでもなく、身を守る最低限の武器さえ帯びていない。

 細い首と手足は、人間よりも脆そうだ。


『人形よりも、オレぁあんたを喰いたいね』

「やなこった」


 妖精の女はきっぱり断る。

 自信に満ちた表情で、妖精の女は指を鳴らした。途端に鬼の腹が風船のように膨れ、手足の先が岩と化す。歩くこともできず前のめりに倒れる鬼だが、膨らんだ腹が支えて鬼は呻き声を上げ胃中のものを吐く。

 それは人肉ではなく。

 マジパンでもなく。

 おびただしい量の砂だった。砂は鬼の口より留まることなく噴き出して、鬼の身体を埋めていく。手足の石化はどんどん進み、鬼の顔は恐怖に歪む。


『なんだよ、これ』

「魔法」静かに妖精の女は返す。「甲羅も蹄も持たないけどね、魔法ってのも案外便利なのよ――砂を沢山くれてやるから、飽きるまで喰らうといい」

『オレはもう反省している、あんたには決して手を出さない! だから』


 助けてくれ!という言葉を鬼が発するより早く。


「やーなこった」


 妖精の女は微笑み、右手を横に振るう。それだけの動作で森の中に突風が起こり、人食い鬼の首はごとりと落ちた。





 数日後のことである。

 旅人ヨセフ・ハイマンはがっくりと膝をついていた。賞金首として大々的に掲示されていた『人食い鬼』の手配書がいつの間にか外されていたのである。


「なんでー、なんでだよ。おれが荷運びしてる間に、どーしてあっさり倒されるんだよ!」

「運が悪かったと思うことだね」


 ヨセフの肩をぽんぽんと叩き、妖精シュゼッタはうむうむと頷く。


「ほら、芋掘りのアルバイト募集があるじゃない。とっとと行ってきたら?」

「……たまには一緒に行こうぜ、シュゼッタ」

「やなこった」


 溜息をつき、シュゼッタは呆れつつも笑った。






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