[設定] プロトコルB

芳野まもる

世界をあるがままに創造(ないし設定)できるという点では、小説家は、神に似た役割と、場合によっては責任が付与される。だから、世界をどうしてそのように創造(ないし設定)したのかという問いに、答えられなければならない――というわけでは必ずしもないが――、それは世界を擁護しようとするときには、必要となるものである。


設定とは、哲学で定立と呼ばれるものと語義としては同じで、一群の肯定命題を立てることである。ふつうは、現実世界とは何かちがうことを断定的に述べたものである(私は、これをたんに「指定」と呼ぶ)。これに対して、こうであるべき理由を明示して、こうであると設定することを、私は規範的指定(あるいは、たんにプロトコル)と呼ぶ。理由を与えることは、肯定することである※1。


この手続きなしには、「最善の世界」をつくることはできない※2。プロトコルBは、利他主義と規範的な因果応報論に定位した世界を設定(定立)するための議論であり、元来それ以上でもそれ以下でもない。私がこれまで書いてきたことは、すべてこのテーマをめぐっていたのである※3。



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※1 設定を行わずに(即興で)書き始められた小説は、書きながらその世界は何であるか認識する方向に必ず向かう。これに対して、世界にはまったく不確かなものだけがあるとするのは、フランス現代思想によって影響づけられた、非常にいいかげんな物の見方であって――これを仏教的な物の見方と混同してはならない――、まったく支持できない考え方である。

※2 私は不完全な世界から設定を初めて、徐々にそれを最善の世界に近づけるという方法をとった。私は3つの世界を設定した。それは、その世界における神と法則という視点から定義されたものである。第一の世界では、「観察する神」が見いだされるであろう。神学では、隙間の神と呼ばれるものである。第二の世界では、裁く神が、第三の世界では、「機械仕掛けの神」と超越的法則が見いだされるであろう。

※3 「規範的な因果応報論」は、なる者のみが、に値する者であり、そして、善なる者が、現に幸福になることを、と規定する。(反対に、悪人は、不幸になるべきである。)正義が、弱きを助け、強きを挫くと言われるのは、厳密にはこのような意味においてである。正義とは(善と幸福の結合という)確立すべきものを確立すること、世界にあるべき秩序をもたらすことを言うのである。(したがって、たんに善を行うことや、悪をしないことを正義と言うべきではない。この意味では、正義は善と見分けがつかないことになろう。)善を行う人が不幸になるようなことは、不正義である。自己犠牲的行為がその人の不幸を帰結するような世界は、まったく完全ではない。そのような世界に、神とその正義は存在しない。その確立は、結局のところ、われわれの政治的課題なのである。

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