冷めた死体を温めている。

ハルシ

冷めた死体を温めている。

「サキちゃん、サキちゃん。」


 悲鳴で溢れかえる道の真ん中、俺は返り血を浴びたまま、彼女の胸に耳を当てた。まだ温かい彼女の胸からは、弱々しい心音が聞こえてくる。

 しかし、もう間に合わないのであろうことは彼女の頭にあいた穴を見れば分かった。


 正直、ぼーっとしていた。3年間も同棲していた彼女が死んだというのに俺は涙も流さず、ただ彼女の死体を抱きしめている。一種の現実逃避なのだろうか、滲む視界に写る野草がやけに綺麗に見えた。道端にぽつりと咲いた彼岸花が、彼女の逝く先を表しているように思える。

 …いっそ俺も撃たれていれば。

 そんな事を考えてもどうにもならないと言う事は、俺が一番良くわかっている筈なのに。


「人が撃たれたぞ!誰か救急車を!」


 誰かがそう叫んだ。しかし、その叫びは俺の彼女に向けられたものでは無いらしく、人がこちらに向かってくることは無かった。

 それもそうか。狙われて、撃たれたのは彼女じゃなくて、もっと偉い人だ。彼女はただ、犯人の外した弾に当たっただけ。人々の注目は偉い人に向くに決まっている。


「ごめんねサキちゃん、人がいっぱいで、駅には行けそうにないや…」


 彼女の頭をティッシュで拭う。彼女の髪で傷口を隠すと、俺は彼女を背負って家への道を歩いた。

 すぐに応急処置でもすれば、後遺症が残っても彼女は生きられたかもしれない。しかし、そんなことを彼女は望むだろうか。もし俺のことを忘れてしまっていたら、俺のことを愛していた彼女は悲しむんじゃないだろうか。


「サキちゃん、まだ生きてるかな…?俺…最後のデートも完璧に出来ないのは嫌なんだ。君もそう思うでしょ?」


 今回のデートで、彼女にプロポーズする予定だった。コートのポケットには指輪の入った箱が入っており、余計に彼女の死んだ事実が生々しく感じられた。


「サキちゃん、俺ずっと打ち明けたかったことがあるんだけどさ。」


 彼女を背負い、遠回りをして駅に向かう。幸い、彼女は眠っているように見えるらしく怪しまれはしなかった。眠っている彼女を運んであげる優しい彼氏。人々の目にはそう映るだろう。

 実際は、死体とデートを続行するような異常者なのに。


「君の前では自分のこと僕って言ってたけど、本当は…俺なんだよ。ずっと、可愛いって言ってくれるから甘えてた。俺が僕でいられたのは君の前だけだったんだ。」


 電車を降り、駅から出て歩く。

 彼女は俺の首に手を回すことなんてできないから、俺が腰を曲げて歩かないと落ちてしまう。冷たい彼女の足が、徐々に硬くなっていくのを感じながら、俺は話し続けた。


「俺はずっと夢見てたんだよ、こうして2人きりでデートする事。今日は良い天気で良かったね、空が綺麗だ。」


 服についた彼女の血はもう乾いていた。少量で、なおかつ俺が黒い服を着ていたから目立つこともなかった。


「ねぇ、こんなのどうかな。結婚したら今まで通り俺は仕事をして、君は家事をするんだ。休日は俺も手伝うんだけど、毎日家事をする君には敵わなくて、全然うまくできないんだ。

 それでも君は笑ってくれて、水仕事でカサついた手にハンドクリームを塗って俺の手を握るんだよ。「いつもありがとう」ってね。」


 彼女が来たかった花畑。形だけでも一緒に見たことにしようと思って、彼女の目を開こうとしたが、すっかり硬くなってしまって開かなかった。

 しばらく花を見て、田舎の道を歩く。ごつごつとした石の感触を靴越しに感じる。


「俺ももちろんありがとうって返すんだけど……君に俺の気持ちはちゃんと伝わってるのかな。俺は君にすごく感謝してたんだ。それこそ、君が今こんな……ああ、楽しくなくなっちゃうね。今日は本当に空が綺麗だね、真っ青だ。」


 携帯で現在地を調べ、公衆電話を探す。

 考えてみれば、俺は彼女が撃たれた瞬間からとっくに心の整理がついていたのかもしれない。それだけ彼女は俺の心の深い所に生きていたのだろう。

 彼女に話しかけて、暗くなるたびやり直して。


「サキちゃん、俺は君にまた会える気がするんだよ。家に戻ったら「どこ行ってたの」って頬を膨らませる君がいる気がするんだ。」


 公衆電話に入り、番号を押す。


 しばらく歩くと、人の声がした。見てみると、高校生くらいの人が楽しげに話していた。部活帰りだろうか、少し汗をかいて、それでも楽しそうに友達と話している。

 俺はその近くのバス停のベンチに、彼女を座らせた。もう場所は伝えてある。彼女が雨ざらしになることは無いだろう。


 こんな時物語なら、背後から「またね」なんて声が聞こえてくれるのかも知れないが、そんな都合のいい別れはなかった。

 遠くから聞こえる救急車の音を聞きながら、俺は花畑を通って駅に向かう。

 心の整理なんて、ついていないのかもしれない。これはただの、現実逃避。


 家への道を歩くとまだ、人々が所々に集まっていた。きっとこの事件は後に報道されるのだ。彼女の事と共に過去の事として、処理される。街の人の記憶と同じように、俺の記憶にも事件のことがうっすらと刻まれるのだ。

 そしていつか風化して、何事もなかったかのように毎日を送るようになるんだろう。

 2日前の彼女が作った晩御飯のメニューも忘れた俺は、家のドアを開けた。


 水を飲むためコップを取ろうと食洗機を開けるとそこには、2人分のマグカップが並んでいた。




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冷めた死体を温めている。 ハルシ @harusi444

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