第12章

 終わってしまうほろ苦さとまた始まる忙しくも楽しい日々への期待にまみれて、冬休みもあと二日。

私と菫と藍の三人でピアニストのコンサートに行くことになった。

ドキドキしながら風に吹かれてほんの少し崩れた前髪を熱心に櫛でとく。

でも集合場所にはいたのは藍だけ。いつも集合の十分前には必ず着いている真面目な菫の姿がない。

心配して菫に電話をかけようとした時、二件の新着メッセージが届いていることに気がついた。

「ごめん、インフルエンザで行けなくなっちゃったよ泣」

「今日はふたりで私の分まで楽しんで来てね笑」

"笑"の文字を見てはっとする。

ずっとそばに居た菫は私の計画に気づいていたのだろうか。それともただ私の恋心に気づいたつもりなのだろうか。

「菫インフルだってさー。」

「まじかー。まぁしょうがないな。」

「そうだね、。」

「菫の分まで俺らでしっかり聴いてこようぜ。」

驚きすらも私にはなかなか見せてくれないあなたは音楽にはいつも正直だ。

「じゃあ、行こっか。」

初めてのふたりきりのデートだった。

切られたばかりのチケットの半券を大切に財布にしまってホールに入る。座席はもちろん隣同士。辺りは好奇心でいっぱいの雰囲気で、ピアノの音なんて聴こえるのかと心配になるほどに騒がしかった。

その瞬間、聴いたこともないような靱やかな一音に騒がしさは遮られた。私たちとはまた格段に違う音色に何回にも渡って掬われる。

私の隣に空いた空席を見る度に不安とほんの少しの期待を抱く。 満足する様子のあなたを横目で眺めているうちに私まで笑顔になっていた。

そこには何故か、この時間が永遠に続いてほしいと願ってしまう私がいた。

もしも同じ年に生まれていなかったら。

もしも同じ街に住んでいなかったら。

もしもピアノを習っていなかったら。

数え切れないもしもの中であなたと出会い、多くの共通点は今日も私たちを彩る。

私はずっとこうして奇跡を受け取っていたんだ。

けれど、

もしもライバルではなかったら。

もしも自分を守ろうとしなかったら。

もしもお互いが深入りしなかったら。

それならもっと普通にあなたを好きになれていたのだろうか。

私たちの間に音楽なんて縛りがなければ良かった。そんな後悔を抱えても毎日はとめどなく流れ、あっという間に過ぎていく。

恋をするつもりなんてなかったのに。

恋をさせようとしていたのは私の方だったのに。

私はあなたを見つけてしまった。優しさに触れて、笑顔が眩しくて、抜け出せなくなってしまった。

廊下ですれ違うだけで意識していた相手がすぐ隣にいるだなんて、今までの私には想像もつかなかっただろう。

私は完全に、あなたに本当の恋をしているみたい。

そうだ、恋はいつも突然で思いがけない。いつから好きになったのかすら分からない。

恋ってそんなものなんだろうか。

でもね、確実に終わりは近づいている。

離れたくないしいつでも話せる近い距離にいたい。

怖くなった私はそんな不安を胸の隅に寄せながら、仲の良い友達という地位を利用してあなたの手にそっと触れる。

「え、急にどうしたの?」

黙って俯く私を見たあなたは

「珈那らしくないじゃん笑」

と茶化してくれた。これもあなたなりの優しさなのだろう。

「藍はいつもこの手でピアノを弾いているんだよね。」

この手がいつかあのピアニストみたいに誰かをピアノへと導くのだろうか。

「そうだよ?笑当たり前じゃん笑」

私が大好きなあなたの手、でも私を苦しめたあなたの手。

離したくなかった、離れていってほしくなかった。まだ触れていたかった、まだそばで見ていたかった。

あの手が奏でる音楽を今でも思い出す。

行かないで、まだあなたを好きだから。

そんな欲を見せることなんてできるはずもなく、気持ちを伝えられないままその日は別れた。

「あーあ。」

スマホのメモアプリを開いて保存してあったURLをクリックする。画面はレストランのホームページへと切り替わった。昨日の夜からマークしていたのだ。

「晩ご飯ぐらいは一緒に、と思っていたのに。」

"三名様の予約がキャンセルされました。"

菫の分まで食べてやろうと思っていたのに、私のお腹は凹もうとしない。

「せめて、」

あなたの優しい眼差しを思い出す。

「まだ好きでいさせてね。」

あなたが歩いていった方向を見つめる。私にはもうあなたの影すら見えない。

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