花の羅刹

再図参夏

序ノ花 羅刹の娘

 春は過ぎ去り、初夏の陽光が肌を焼く。

 その日差しから逃れるように、木陰で身を潜める男が一人。

 男が足元に視線を落とすと、レンゲショウマの花が申し訳なさそうにこうべを垂れていた。

 この花は夏に差し掛かってくると、群を成して木陰に咲くものだが「生まれてきてごめんなさい」とでも言うように、花弁を下に向けて開くのだ。

 そんな有様を見て、自分もそんな風に頭を下げて生きていくことになるかもしれないと、男は心に深く影を落とした。

 ときは盟示めいじ七五〇年、七月。

 ところは大和大陸が東北の地、暮梨村くれなしむら

 豊かな森林に囲まれた村外れの川岸。穏やかな水のせせらぎと共に、優しく鳥がぴちゅんぴちゅんと囀っている。

 昼寝でもしたくなるような陽気だが、男にとってそれどころではない。眼前に広がる異様な光景に、男は身をこわばらせていた。

 ──なんだアレは。何をしてるんだ。

 男の視線の先、およそ三〇歩離れたところに川を横たわる大岩がある。その上で、打刀を差した女が二人、何やら言い争いをしていた。

 一人は年若い少女だ。首筋に掛かる透き通るような白髪と、死装束のような純白の着物。目を奪われるほどの端正な相貌に鋭い真紅の双眸をおさめている。一目で気の強そうな性根をうかがわせた。

彩李いろりよ。私をいくつだと思ってる?」

 少女が忌々しげに聞くと、彩李と呼ばれた女は顎を撫で付けて微笑んだ。

「ザクロ様は一四歳。今年で十五の成人を迎えられますね」

 応えた声音は嗄れていて、腰もひどく曲がっている。くたびれた藍鉄色あいてついろの羽織を纏うその姿は、まさしく老婆そのものだ。特段目を引くのは顎に刻まれた古い刀傷。その傷が老年のシワと相まって、黒ずんだ魚の骨のように見えてくる。

「だからこそ、成人を迎える前に、この彩李めをどうか安心させてくださいませ」

「うぜぇ! 首の一つや二つ、何度も落としてきたんだ。今更だろうが!」

「ならば、無駄口を叩かず、さっさとお見せください。これは〝羅刹らせつ〟である我々にとって大事な役目にございます」

 老婆が諭すように言うと、少女はこの世のすべてが忌々しいとばかりにため息を吐く。

「あーあーッ、心地良く昼寝してたってのによう! 灰神はいじんなんぞ連れてきやがって!」

 少女が灰神と呼んだその存在に、木陰から覗き見る男は息を呑む。

「「ダッコ……シテヨ……」」

 後ろ手に縛られ、力無く項垂れる二十代と思しき男性が一人。肌は生気の欠片も感じさせないほどに青白く、着物には点々と吹き付けるような赤黒いシミが散っていた。

「「ダッコ、シテ、ダッコ、シテ、ホシカッタダケ、ナノニ」」

 うわ言のように呟く奇妙な怨嗟は、男と女が同時に発声しているような薄気味が悪い低声。加えて、顔面の皮膚を突き破って色とりどりの花が群生しており、そこから甘い花の香りを放っていた。

 そんな恐ろしく気味の悪い異形を前に、少女と老婆は平然と口論を繰り広げ続けている。

「羅刹が死すれば、例外なくこの世に害をもたらす灰神と成り果てる。我ら同族である羅刹が責任を持って首を落とさなければなりません。さもないと──」

「ババアが野犬みてぇに睨むんじゃねえ! 愚痴の一つも受け流せないか!」

「往生際が悪いッ、さっさと花を摘みなさい! ほれ、せっかく弱らせていたのに!」

 老婆が嘆くと同時だった。

 周囲の木々が一人でに倒れ始めたのは。

 ──なッ。

 隠れていた男は腰を抜かす。木々がけたたましく音を立てはじめたと思った瞬間、半身を隠していた広葉樹が突如として両断され、ささくれ一つない見事な年輪を晒した。まるで巨大な刃物が凄まじい速度で過ぎ去った。そんな有様だった。

 男が隠れていた樹木だけでなく、少女と老婆の背後の木々も次から次へと綺麗に両断されてゆく。

 そんな暴力的な超常現象が巻き起こる中、少女はまるで恐れていないかのように、うんざりした顔を浮かべていた。

「ちッ、厄介な能力はなだ」

 大きく舌を打ち、少女は帯に差した打刀を鞘ごと抜き取った。すると、舞踊を舞うように鞘を大きく薙いで正面に掲げ、刀の柄をゆっくりと引いて抜刀した。

おん堕母羅尼だぼらに修羅秘理定業しゅらひりていぎょうおん抱児羅尼だごらに修羅秘儀胎蔵しゅらひぎたいぞう──」

 少女の口からつらつらと呪言が紡がれてゆく。抜いた刀身を陽光に照らしながら、ゆっくりとした所作で白刃を大上段に掲げはじめた。

座石碑切来ざこくひぎりき宇羅忌娑婆訶うらいみそわか法花司切木ほうかしぎりき天羅日娑婆訶あまらびそわか──」

 少女が一通り唱え終わると、後ろに控えた老婆が満足げに首肯した。

「では、一思いに」

 その合図を聞くと、少女は裂帛の気合をもって異形の首に白刃を振り下ろす。

「ラァッ!」

 鋭く風を切る音と共に、赤黒く濁った鮮血が散る。

 ごろりと、花に彩られた生首が地面に落ちた。

「「ダッコ……ガ……スキデ……」」

 落ちた首は掠れた声音で呟くと、枯れた鈴蘭のように黄ばんだ眼を開き、悲痛な色を灯して沈黙した。

 そこかしこに巻き起こっていた倒木の嵐もピタリと止んで、森林は元の静寂に包まれた様相へと戻ってゆく。

 それを見届けるや否や、老婆が喜悦の声を上げて生首に飛びついた。

「オホウッウホホッ、まことに綺麗な断面でございます。この彩李めが死した際は、ザクロ様に首を落としてもらいましょうかね」

 首の断面をねっとりと眺めながら肩を揺らして笑う老婆に、少女はうんざり睥睨する。

「勘弁しろ。気が滅入る仕事を押し付けるな」

「いやぁ安心しましたぞ。母君、香梨紅子こうなしべにこ様の娘に相応しい太刀筋でございました」

 どうやらこの上ない賛辞らしく、老婆は誇らしいとばかりに少女の頭を撫で付ける。少女はその腕を煩わしそうに払って、ため息と共にぽつりと漏らした。

「なあ、ババァ。楽しいか? こんなイカれた村にいて、楽しいことあったか?」

 聞かれると、老婆は少し考えるように顎に触れ、次には腕に抱えた生首に視線を落とした。

「楽しい楽しくないではありませんよ。花を持って生まれた者の宿命です」

「つまらん答えだ」

「つまらないなどと言われましても……あっ」

 突如として訝しげに口を曲げたと思えば、老婆が思い至るように手を打った。

「楽しいことと言えば、村の者らが騒いでおりました。なんでも化け物が現れたと」

 その言葉に、覗き見ていた男は身体をビクリと跳ねさせ、両断された切り株よりも低く身を屈めて、二人の言動に警戒する。

 きっと自分のことだ。緊張の糸が再び張り詰め、心臓の拍動が内側から鼓膜を叩き始めた。

「化け物? 灰神じゃなくてか?」

「どうやら違うようで」

 二人の会話に注意を向けながら男は悩みに悩む。勇気を出して名乗り出るか、気が付かれていない今の内に逃げ出すか。ここが唯一、自分の現状を打破する好機かもしれない。

 しかし、少女と老婆は帯刀している。今しがた異形の者の首を落としたのを見たばかりだ。ただでさえ追われる身の上だ。更なる厄災を招きかねない。

 木陰で男が逡巡をめぐらす最中、老婆が呆れたように肩を竦める。

「まあ、ただの早とちりでしょう。聞くと、人の言葉を喋る大きな鼠が現れたとか」

 喋る大きな鼠。そう老婆が口にした途端、少女は自身の白髪を掻き上げて双眸を爛々と輝かせた。

「おもしろそうだッ」

 明るい声音を上げると。

 少女はおもむろに右手の皮膚を白刃で切り裂いた。

 ──なんで自分を!?

 突然の少女の奇行に、伏した男は思わず半身を起こして瞠目する。

 少女は着物を汚すのも構わずに、だらだらと紅が伝い落ちる腕を掲げ、慈しむように呟いた。

「開け、鮮花あざばな。生まれろ、羽虫ども」


 カチカチカチカチ 


 人の骨をかち合わせたような乾いた異音が断続的に鳴り響き、少女の喉が波打った。

 すると、掲げた傷口から生命が頭を出す。それはスズメバチの姿をしていた。

 血に濡れた赤黒い三匹の羽虫が、肉と皮膚を突き破って我先にと少女の腕から這い出てくる。

「喋る大きな鼠がいるらしい、手分けして探すぞ」

 少女に告げられると、羽虫は身を一つ震わせて羽根を広げ、一目散に飛翔して辺りに散る。

 その光景に男が絶句していると、一匹の羽虫の軌道が、

「まずいッ」

 男の潜む場所と重なった。獰猛な羽音を立てて、男目掛けて飛んでくる。

 咄嗟に身を起こし、男は素早く駆け出した。川を背にして森林の奥へ奥へと逃走する。

 最早、それは本能だった。スズメバチに追いかけられるならば、逃げる以外の選択肢がない。

「秘するも花、おもしろきも花だ。喋る鼠……友達になれたら、おもしろき花だ」

 少女が溢した声に、男は気がつくことはなかった。

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