封印

玲たち親子の関係は、僕には親子のようには見えなかった。かといって、友達にも見えない。


今日も、学級便りには玲の書いた文章が載せられていた。


でも僕は知っていた。

玲の書いたものは、玲の文章じゃない。

玲のママが、ああでもない、こうでもないといつも玲に【アドバイス】と言う名の修正を加えて書かせている。


玲のママが納得のいく状態になった時に、玲の文章は初めて完成する。


玲はそれをお便りに載せられて、いつも嬉しそうにしていた。


お便りを持ち帰れば、玲のママは喜んで玲を誉めて持ち上げてくれる。

玲も褒められて嬉しい。

Win-Winだ。いいことじゃないか。


だけど僕はどうにも不可解だった。

それは、玲が認められたのではなく、玲のママが認められ、玲のママが褒められているのと一緒だと思ったからだ。



玲が書きたかった事は、本当にこれなのか?



玲は頭が良い。母親に修正されなくたって、きちんと文章が書けた。

玲の伝えたい言葉が、玲の伝えたい気持ちが、全てアドバイスという名の下に消しゴムで消されていくその光景を、僕はいつもその隣で、もどかしい思いで眺めていた。



四六時中母親に監視され、口出しされていたのは僕も玲も一緒だ。


でも僕には玲が、監視を通り越して、操り人形のように母親に「支配」されているように思えた。




いや、それは僕も同じだったのかもしれない。ただ、自分はそうじゃないと思いたかっただけなのかもしれない。



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4年の途中で、僕の家族は引っ越しをすることになった。


といっても、家の近所だったし、当時の僕には、引っ越しがどれだけ大変かなんて知る由もない。何もしない父を傍目に、母は1人で荷造りに勤しんでいた。


そんな忙しい引っ越しの前日に、僕は学校の中で大怪我をした。



床が血まみれになった。


なぜだか痛いとは感じなかった

ただ、傷に触れた自分の左手に、大量の血がついたのを見て、身体中の力が抜けていくのを感じた。




気づいた時には、タクシーの中にいた。用務員さんと、母が両脇にいた。



縫合手術の必要な怪我だった。

麻酔をされたのかどうか定かではないが、痛みはなく、意識はしっかりとしていて、ただただ針で引っ張られる感覚だけを、長い長い間黙って感じていた。



どういう訳か、僕はこの手術のあとから、引っ越しまでの記憶が抜け落ちている。


転勤族だったわけでもない。

引越しの下見や、4年生の時のどうでも良い記憶はたくさんあるのにだ。

引っ越しという一大イベントなどそんなに簡単に抜け落ちる記憶とも思えないのだが、当時の写真を見ても、痛々しい自分の姿を見て、ああ、この時に怪我をしていたんだと思うだけで、何も思い出すことができない。


母に聞いた話では、この怪我の後引っ越しが済むまで、僕は玲の家にお世話になっていたらしい。

それまで家庭という名の籠に閉じ込められていた僕にとって、この時が、人生で初めての【お泊まり会】である。



「まさか引越しの前日に怪我するなんてね、ほんと、びっくりしたわよ。でも、玲のお母さんが葵を預かってくれるって言ってくれて。本当に助かったのよ。感謝してもしきれないわ。」



そう言って母はいつも玲の母への感謝を口にする。




あぁ、死ぬほど忙しい日に、僕は怪我をんだな。



…それ以上何も思うことはなかった。

思ってしまわないように気持ちに蓋をした。




この日を境に、僕は玲の家によく泊まりに行くあずけられることになった。



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