第67話 すれ違う想い
「ニア様、ミストカーナへの出立の準備が整いました」
「ありがとうございます。それでは参りましょうか」
ニア・サートンバゼルはここレイスエリアにてするべきことが全て終わったとばかりに息を吐き出す。
「はい。ただ、ミュリナ様の姿が見当たりませんでして」
「ミュリナさんが……? 何か書き置きや言伝はございませんの?」
「いえ、そういったものは……」
彼女にしては珍しいなと思ってしまう。
ミュリナさんは大抵どこかへ行く場合一言断ってから行く人だ。
何かよほどの事態があったのか……?
「ニア様、お父君様がいらっしゃったそうです」
「お父様が?」
ややもすると、部屋へとニアの父親が入って来る。
「ニア、聞いたぞ、暗殺者の一人を捕らえたそうだな」
「はい。命を狙ってきたものを放置するなど、サートンバゼル家にあるまじき行為ですので」
「そうか、よくやったな。ところで、もうミストカーナへ発つのか?」
「ええ。お父様、こちらではいろいろとご迷惑をおかけしました」
「そんなことはない。親子じゃないか」
親子……ね。
そんなこと、本気では思っていないくせに。
今回の暗殺事件だって、実行役こそ捕らえられたが、あれはおそらく何者かから依頼を受けている。
その首謀者はまだ発見されていない。
「と、ところで、魔族内通の件だが……」
「ああ、そちらでしたら問題ございませんよ。すでに大元を叩いておきましたので」
「…………ニア、その……、何度も聞くようだが、お前は……真実、魔族とのつながりはないんだな?」
父親が両肩を持って真剣に問いかけてくる。
「何度も申しているではありませんか。そのようなことはございませんことよ。第一、仮にそれが真実だった場合、お父様はどうされるのですか? 貴族たるもの、不祥事は自身の政治力で解決しろと教えたのはお父様でしょう? わたくしはわたくしの力で何とか致しますので」
「それは、そう、だが……」
「サートンバゼル家に政敵など数多くおります。跳ね除け方はお父様に教えて頂いた通りに進めておりますわ。公爵家として恥じない成果を出せるようにしておりますの」
「……ニア、その……今更ではあるのだが、そこまで頑張らなくてもいいんだぞ。もし本当に困ったことがあったら私を頼るんだ」
耳を疑う言い様に、ニアは眉を寄せてしまう。
「お父様、一体何をおっしゃっているの? 理解できないのですが。頼る? 独力ですべて解決してみせろとおっしゃったのはお父様ですよ?」
いつも一番を目指せと教えて来た父が、本当に今更何を言っているのであろうか。
この程度のこと、自分の力で何とかできないと一番になんてなれるわけがない。
ニアにだって、ちゃんと戦略があるのだ。
実力のない自分でも、唯一人生を逆転できる方法が。
これにすべてを賭けてきた。
これさえ守ることができれば、正直あとのことはどうなったってなんとかなる。
「お父様、わたくしに公爵としての務めを――トップを目指さなくとも良いおっしゃるの? そのような心構えではすぐに出し抜かれますよ」
「……。もういいんだ。ニア」
「なにがいいんですの?」
「本当は……。私は、お前が何をやっているのか知っているんだ」
「知っている? 一体なんの話ですの?」
父親は紙を一枚取り出して、静かに机へと置く。
それはニアが魔族との内通を示す売買契約書であった。
ちゃんとニアの直筆サインまで入っている。
「……お父様。これをどちらで?」
「ニア、正直に話すんだ。もうこんなことはやめるんだ」
「はんっ。親でありながら、子をゆするおつもりですの?」
「違う! 私は、この証拠をそのまま握り潰すつもりでいる。だがニア、こんなことはもうやめるんだ。たしかに私は幼き頃より、常に一番になれとお前に教え込んできた。だがもういいんだ」
「いい? 一体何がよろしいですの。理解できません」
「お前が二度も重傷を負っているのを見て、私は居ても立っても居られなかった。母さんが死んだのも、貴族の――私の謀略に巻き込まれてしまったからなんだ。そんなことをしなくとも、お前が健やかでさえいてくれれば、それでもういいんだ。頼む! 父さんはもう、お前が一番でなくても、いいんだ」
心からの声とばかりに父親がそんなことを訴えてきた。
「……っ」
その言葉に思わず歯を食いしばってしまう。
訴えて……きやがった。
今更、そんなことを。
「いまさら、そんなことをおっしゃるの?」
「今ならまだ間に合う」
「ふざけないで!!」
それは、今までのどんな厳しい教育や辛い訓練よりも我慢のならない内容だった。
「命を懸けてまでやることでは――」
「あなたが、わたくしをこんな風に育てたのですよ! 今更それを変えろとおっしゃるの!? わたくしの人生はもう変えられないところまで来ております! 公爵令嬢のニア・サートンバゼル。サートンバゼル家の一人娘で跡取りは確実。なのに、凡庸で、無能で、取り柄のない妬みの化身のようなもの! そのわたくしに、今更生き方を変えろとおっしゃるの?!」
「違うんだ、ニア、私は――」
「あらゆる手を尽くせとおっしゃったのはお父様でしょう! 政治はどれだけ汚い手を使っても目的を達成しろとおっしゃったのはお父様でしょう! 無能のお前は他者を利用することにすべてを賭けろとおっしゃったのは、あなたでしょう! それを今更、なかったことにできるとでもお思いですか!?」
「ニア、頼む、聞いてくれ。お前の人生は何も公爵にこだわらなくてもいいんだ。私にはそれが見えていなかった。ずっとお前に、公爵にこだわる私の理想を押し付けていただけなんだ。頼む……っ。もうそんなこだわりは捨てていいんだ」
あんまりの言い様にはらわたが煮えくり返る。
例え父であっても、これだけは許せない。
わたくしの人生は一回きりしかないんだ。
それを今更変えるなんて、そんなのありえない。
わたくしには、わたくしが組み上げた戦略がある。
それでわたくしは自分の人生をちゃんと生きるんだ。
「お父様、もう帰って下さい。わたくしにはやるべきことがございます。彼女を探さなければなりません」
わたくしにとっての切り札。
彼女さえいれば、わたくしの人生は全部逆転できる。
彼女は間違いなく勇者一行に内定する。
そうなれば、高い成果を上げてくることであろう。
その彼女の手綱を握れる立ち位置にさえ立てれば、すべてはうまくいくんだ。
幸いなことに、彼女との関係は非常に良好に進んでいる。
「待ってくれニア! ちゃんと父さんと話を――」
「もう取り返しのつかないところにまで来ていますわ!!」
黙って戦闘用の杖を父親に向かって掲げる。
「わたくし、もうお父様が想像している以上に悪に手を染めておりますの。能のないわたくしは何をするにもお金で解決してきました。ですが、金とて無限にあるわけではございません」
「だから、魔族との取引をしたのか」
「それ以上のこともやっております。わたくしはすべてを彼女に賭けておりますの。あなたが望んだ、立派な公爵になるためにっ!」
「そんな……ニア、待つんだ。それ以上はもう――」
「以上も以下もございませんわ。お父様、もう帰って下さい。お父様がこの期に及んでわたくしの進む道をお止めになるのでしたら、わたくしは勝手に一人で進ませていただきますわ。ご安心ください。ちゃんと立派な公爵家の跡取りとなってみせますので」
「ニア!」
「帰って!!!」
杖を突きつける。
「頼む、ニア」
「【アイシクルスピア】!!」
氷槍が父の頬を掠める。
「わたくしの人生は、あなたのせいでとっくに滅茶苦茶ですわ。それを今更、父親面しないで下さい」
震える声でそんなことを述べてしまった。
それに苦い顔を浮かべる父親は、そのままやむなく部屋を退室していくのだった。
「……本当に、今更ですわ。なんでもっと……っ、早く……っ、言って下さらなかったのっ」
その言葉と共に、思わず涙を流してしまうのだった。
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