第48話 叶うことのない夢

「で? 結局全部ニアが仲裁したってこと?」


 あれからしばらくして、ミストカーナ事変は人々にとって「そんなこともあったね」程度の噂話へと変わっていっていた。

 学園はいつも通りの再開を遂げ、延期されていた期末テストがもうすぐ訪れることとなる。


「はい。何から何まで全部やってもらいました」

「しっかし、あんたってホントすごいわね。怪我人はおろか、死にかけた人まで治しちゃうなんてね」


 ニアさんや学園長、市長から、医療費や修繕費を請求しないのかねと何度も提案されたが、それをやるとサイオンさんとレベルカさんが困ったことになってしまう。

 それに、そもそもこれは誰かを助けようと思って行った行為で、お金を得ようと思ってやったことではない。

 私はそれらの提案を丁重にお断りしたのだった。


「私も必死だったんですよ」

「おまけに、あんな家までゲットしちゃうなんてね」

「え、ええ。なんというか、ちょっと悪い気もしますが……」


 本件の被害者に対する慰謝料は、レベルカさんの代わりにサイオンさんが支払うことになった。

 そのための資金を得るために、彼はミストカーナにある家を売却している。

 買取はニアさんが行ったのだが、彼女の公爵家の権限を使って、今回の事変解決の最高功労者として私にその家をプレゼントしてきたのだ。


 正直私で使い切れる大きさではないが、これはサイオンさんに対する間接的な罰則を内外に示す意味も込めていると言われ、素直に受け取ることにしたのである。


「広すぎて使い切れないですよぉ」

「でもレベルカまで一緒に住んでいるんでしょう? あれだけのことやって罰金だけで済んだんだから、ニアのやつ、相当あの手この手を使ってるわよ」

「……ニアさん。あの人、やっぱりいい人なんですね」

「騙されちゃダメよ。あの女狐は良いことをしてる風に見せて、その行いの中にほんの少しだけ嘘を混ぜてるの。たぶんどこかで自分が得をする行動を取っているはずだわ」


 今のところそんな一面は見えていないが……。


「それで一番の当事者の彼女はどこなの? あたしも話しておきたいんだけど」

「今はその……一番大切なことをしてます」

「大切?」


  *


 花の咲き誇る中庭にて、二人はベンチに腰掛けていた。

 お互い何を喋るでもなく、静かに景色を眺め続ける。


 この光景は見る人が見ればこれは異様なものと映るであろう。

 なぜなら、この二人は実力派のトップであり、いつも時間に追われてせかせかとしているからである。


 やがて、レベルカの方が意を決したように口を開いた。


「私から分離した魔適合物が言っていたことですが……その、どうかお忘れて下さい。あくまで一時の感情に過ぎません。これからも、あなた様のお傍に仕えさせて頂ければと思っております」


 無言のままのサイオンにレベルカは焦りを覚える。


「サ、サイオン様は恋愛など不要や感情と考えておられますよね。わ、私もそうだと思っています。ただ、一時的な迷いにハマってしまったといいますか……。も、もうこのようなことはないように致しますので、どうか今まで通りに居させてくださいな。お願い、いたします……」


 レベルカの考えるサイオンであれば、恋の盲目で目的を見失う者など早々に切り捨てる人材であろう。

 だからこそ、彼女は目を伏せることしかできなかった。


「……それは、困る」


 ある意味予想できた、そして最悪の回答に、レベルカは心臓が縮こまってしまう。


「っ! 待ってくださいサイオン様! わたしはっ……!」


 レベルカは席を立って土下座をしようとしたのだが、サイオンがその腕を掴む。

 掴んできたその手は――、

 レベルカが思っているのとはだいぶ違う状態であった。


「サイオン、様? ……どうして、震えておられるのですか」

「ふっ。うまくやれると思っていたが、存外、緊張してしまうものなのだな」

「緊張?」


 彼に限って緊張などありえない。

 いつも完璧な策を用意し、自信を持って事に接する。

 たとえ苦境に立たされていようとも、彼は常に冷静に判断できる人物だ。

 では今の一体どこに緊張する要素があったのだろうか。


「色々と考えてきた。どうすれば君のような平民が今以上の地位を得られるだろうか。どうすれば僕たち貴族は君たちと対等になれるだろうか。どうすれば君のように不幸な者を出さずに済むだろうか、と」

「そ、そのために今まで戦われて来られたのでしょう? 全ては社会を変えるために――」

「いや、どうやら違ったみたいだ」

「違った……?」


 サイオンは彼女をベンチへと座らせて、代わりに自分が地面で跪いて、彼女へと向かい合う。


「何だかんだと僕は言い訳をしていたんだな。平民を救う貴族。それが一番格好いい姿だと思ったんだ」

「わ、私は素晴らしい思想だと思っております!」

「ああ。だが、ミュリナさんが現れて、うまくいかないことばかりになって、僕は焦ってしまった。君の前でちゃんとカッコいい姿を見せられているだろうかと。けど、君にとってそんなことはどうでもよかったんだな」


 何の話をしているのかとレベルカは目を見張ってしまう。


「この本心に気付くまでに、ずいぶんと遠回りをしてしまった。でも、もう間違えたくない」


 サイオンが彼女の手を取る。


「サイオン様……一体、なにを……?」

「ミュリナさんへの告白作戦の練習で、何度も言わせてしまった。……今度は、ちゃんと僕から言わせてくれ」


 震えるその手を彼女に添える。



「レベルカ、僕と――結婚してくれ」



 思ってもみなかった言葉に思考が真っ白になる。


 自分は平民で、親に捨てられて、帰る家も今日の夕食すらもなくて。

 だから夢見ていた。

 そんな私を、白馬にまたがる王子様が救い出してくれて、最後の最後には結ばれるというのを。

 物語には良くある結末だ。


 でも現実はそんなに甘くない。

 レベルカにとってそれは、決して叶うことのない夢だと思ってきた。


 零れ落ちるその涙がこの現実を消し去ってしまわないかと焦りすら覚えてしまう。

 それでもなお、夢にまでみた光景が、今、目の前に。


「はい……っ。お慕いしております」


 二人はようやく、お互いを抱きしめることができるのであった。

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