第5話 別れと旅立ち

 エルガさんと初めて出会った日から6年が過ぎて、ついにこの日が来てしまった。

 私の大好きな人が、人生最期の時を迎えようとしている。

 ベッドに横たわるエルガさんにはすでに覇気がなく、いつその鼓動を止めてもおかしくはない。


「ミュリナさん、私はもうすぐこの世を去ります。そうしたら、この家と畑はあなたにあげます。どうぞお好きなように使って下さい」

「エルガさん、そんなことを言わないで下さい。どうかもっと長生きしてくださいな」

「いえ、私は十分長く生きました。おまけに、こうして最期を看取ってくれる人にも恵まれたのです。幸せな人生でした。…………ときにミュリナさん、あなたは自分の将来を決めておられますか?」

「え……いえ、その――」


 そこから言葉が続かず、言い淀んでしまう。

 なりたいものがあるにはあるのだが、少々言い出しにくい。


「わざわざ言葉にする必要はありません。ミュリナさん、自分の人生を生きなさい。この家でひっそりと暮らすもよし。さっさと売り払って街へ出るもよし。あなたは若く可能性に満ちています。自分のなりたいものになりなさい。それがあなたの人生です」

「エルガさん……」


 この人は、最後の最期まで私のことを気遣ってくれている。

 真に尊敬されるべき御方だ。


「もし困ったことがあったら、ビーザルさんを頼ってください。彼にはちゃんとあなたのことを言ってあります」

「ありがとうございます」


 エルガさんが無理をしながら体を起こして、こちらを覗き込んでくる。


「大きくなりましたね、ミュリナさん。人生は踏み出さない一歩よりも踏み出す一歩の方が価値があります。私は自分の人生で、踏み出さなかった一歩を今になっても思い出すことがあります。どうか悔いのない人生を送って下さい」

「……はい、エルガさん」


  *


 その三日後、エルガさんは亡くなられた。

 私はただただ悲しくて、一晩中そのことを泣いた。

 アイゼンレイク家にいたころも悲しくて泣くことは何度もあったが、この涙はそのどれとも違う。

 自分にとって、かけがえのない何かが失われてしまうような悲しみであった。



 慎ましい葬儀が営まれ、それが終わったころビーザルさんが声をかけてくれる。


「ミュリナ、調子はどうだ?」

「ビーザルさん。……まだ、少し辛いです」

「惜しい方をなくされた。魔族に多大な貢献をなされた方だ」


 何となくだが、それは察していた。

 恐らくエルガさんは魔族の中でもだいぶ偉い方だったのであろう。

 訪ねてくる人は皆エルガさんに尊敬の眼差しを向けていた。


「しっかし、あのあどけない少女が、こんな別嬪べっぴんになるとはな」

「そ、そんなことないですって……」

「ふっ。……これからはどうするんだ?」

「しばらくはここに留まるつもりです。……ですが、もし気が向けば行ってみたいところがあります」

「行ってみたいところ?」

「人族領です。まだ見たことがないので」


 ビーザルさんが僅かに嫌悪感を露わにするも、すぐにそれを隠す。


「そうか。まあ、ミュリナであれば問題ないであろう」


 私には角がない。

 人族と魔族は外見的にほとんど同じであり、唯一見分けるポイントは角の有無にある。

 それがない私は人族と見做みなされることであろう。


「そう言えば、そろそろ魔王が選定される時期だな。もしかしたら、ミュリナが魔王かもな」

「ははっ、御冗談を」

「冗談ではないぞ。結局お前には三年で敵わなくなってしまったからな」

「……魔王って別に強さで選ばれているわけではないですよね」

「まあそうだな。歴代の魔王を見れば、戦いに長けている者、政治に長けている者、外交に長けている者と幅は広い。が、何にも長けていない者が魔王になった試しはない。その点お前は可能性がある」

「ふふ。褒め言葉と受け取っておきます。確か天啓? というのがあるんでしたっけ? 天啓ってどんなのなんですか?」

「俺もよくは知らんが、雷に打たれるような感覚と聞いた覚えがある。人族の勇者が異世界から転生してくるのに対し、魔王は神に選抜される。神の意志にくらいちゃんと従えよ」

「エルガさんの言いつけなら従うところなんですが……」

「ふっ、違いないな」


 ビーザルさんが立ち上がる。


「もし困ったことがあったら俺を頼るといい。力になろう」

「ありがとうございます」


  *


 それから一か月をここで過ごし、ようやく旅立ちの決心がついた。

 この家は、管理できないことを考えれば売ってしまう方がよいのだが、ここでの思い出がかけがえのないものに見えて、どうしても手放すことができなかった。


 出発に先立ち、鏡の前で身だしなみを整える。

 赤目に黒髪は自分でも結構気に入っている。

 他ならないアイゼンレイク家にこの特徴を持つ者はいないため、あの家と自分が関係ないのだと思い込むことができるからだ。

 体の方はだいぶ理想的に成長してくれた。

 やや低めの身長ではあるが、女性としてのでっぱりもちゃんとあるし、かと言って太っているわけでもなし。

 顔の方も、エルガさんに言われたらお世辞だろうと思ってしまうが、ビーザルさんが別嬪だと言うのだから、自分の容姿は良い方なのであろう。


 扉に鍵をかけて、誰もいない家に向かって呼びかける。


「いってきます……、エルガさん」


 そうして私はようやく一歩を踏み出すことができるのだった。

 目指すは人族領である。



 私がなりたいもの。

 それは人族と魔族の争いの中心たる勇者になることなのである。

 正確には、その仲間に。

 これだけはどうしてもエルガさんに話すことができなかった。



 アイゼンレイク家にいた幼かった頃、兄弟が劇場を見に行くのに付き添って、私も影から劇を見させてもらったことがある。

 内容は魔王と勇者の物語だ。

 魔族社会における劇であるため、当然魔王が主人公で、勇者が悪役として物語は進んでいくのだが、当時魔族のほとんどが嫌いだった私は、魔王にではなく、それへと必死に抵抗する勇者に感情移入してしまったものだ。


 あの劇の内容は今でも鮮明に覚えている。

 幾晩も、勇者様が私を救い出しに来てくれないだろうか、あるいはアイゼンレイク家の嫌いな人たちを成敗してくれないだろうかと妄想を描いたものだ。


 魔族に対する悪感情はエルガさんやビーザルさんのおかげでだいぶ低下したものの、勇者になりたいという夢は今でも消えていない。

 エルガさんからも『自分のなりたいものを目指せ』と言われた手前、勇者になるための努力をしてみても良いのではと思っている。


 勇者は異世界から転生してくる者であるため、私はなることができないのだが、人族は必ず随伴の仲間を五人選抜し、勇者一行として魔王への対抗戦力に仕上げるのだ。

 私が目指しているのはその勇者一行なのである。


「よしっ。そうと決まればまずは勇者学園の入学試験だよね」


 幸いなことに、勇者一行は勇者学園で良好な成績を修めた者の中から選ばれる。

 魔王も勇者も百年に一度しか現れないため、勇者一行になれるのも当然百年に一度。

 自分が盛りの時期にそれがやって来てくれたことは喜ぶべきであろう。


 人族領へ着くまではおおよそ一か月ほどかかるであろうが、一般常識はエルガさんから教わっているので大丈夫なはずだ。


  *


 大丈夫なはずだったのだが……。

 買い物すらまともにしたことのない私にとって、一人で旅をするというのにはいろいろと問題が付きまとった。


「ほい、星肉二十個、全部で5デルだ」

「あっ、は、はいっ」


 えっと、たしか10デル硬化はこれだったはず。


「ほいよ。……嬢ちゃん、おせっかいかもしれねぇが、財布をそんな丸出しにしとくのはあんまよくねぇぜ? スリに盗られんぞ?」

「うわぁっ! そ、そうなのですね。ご、ご忠告、感謝します」

「おう」


 思いもよらない問いかけに変な声が出てしまった。

 俯きながら逃げるようにその場を去ろうとする。


「おい! 待ちな!」

「ひゃい!?」


 振り返ると、肉屋のおじちゃんが手を差し出していた。


「釣りを忘れてんぞ」

「あ、ごごご、ごめんなさい。ありがとうございます」


 そんなやり取りをしながら顔を赤くしてしまう。


「あぅぅぅ」


 絶対に素人旅人だと思われたに違いない。

 いや実際そうなのだが。

 諸々の手続きやお金のやり取り一つとっても、私の所作は素人丸出しだ。


 次こそはうまくやるぞっ、と意気込んで宿へと向かう。


「え、えっと、部屋をお願いしたいのですが」

「嬢ちゃん、一人かい?」

「は、はい」


 フードを深く被って角無しであることをバレないようにする。


「15デルだ。部屋はそこの奥だぜ」

「はい。ありがとうございます」


 お礼を述べて部屋に向かったのだが……、なんとそこは六人用の相部屋であった。

 すでに先客であるいかつい男が三人。

 私が部屋に入るや、獲物でもやってきたといわん態度でこちらをねめつけてきた。

 それだけでもう泣きそうな気持ちになっていたのだが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。


 ベッドに腰掛けて、できる限り男たちの方は見ないようにする。

 すると、最悪なことに向こうから話しかけてきた。


「お嬢ちゃん、一人かい?」

「ひぇ! あ、え、えっと……っ!」

「おいおいずいぶんといい体してそうじゃねぇか! 相部屋取るってことはそう言うことだよな?!」

「お嬢ちゃん、寂しいんなら俺らがあやしてやるぜ」

「そうそう! 俺ら優しくしてやるからさ!」

「代わりに俺らのをナニをあやしてもらうことになるがな」

「「「だっはっはっはっは!!」」」


 三人がドッと笑い出して、心臓がキュッと縮まってしまう。


「あぅぅぅ」


 我慢しようと思っていたけど、とてもじゃないがこんなの耐えられない。

 スッと立ち上がって受付に戻っていく。


「あ、あの、すみません」

「ん? なんだ?」

「で、できれば個室をお願いしたいのですが」

「あんだよ個室希望かよ。なら先に言ってくれ。もう15デルだ」

「……え?」

「追加料金だ、個室の。個室と相部屋が同じ金額なわけねぇだろ!」

「あっ、す、すみません」


 慌ててお金を取り出そうとしたのだが、財布から硬貨を取り落してしまった。

 モタモタしている態度に、受付のおじさんと後ろに並んでいた客が苛立ちを顕わにする。


 大急ぎでお金を支払って、また俯く。


「二階の奥の部屋だ。家具壊したりすんなよ」

「は、はい、わかりました……」


 すれ違いざまに並んでいた他の客からは舌打ちされた。

 逃げるように部屋へと入って、ベッドに座ったところでようやく息を吐き出してしまう。


「はぁぁぁ……。疲れた……」


 やっぱり、一人で生きていくって大変だなぁ。


 他者との会話で精神をすり減らしていたため、できれば早く寝たい。

 でも、エルガさんからの教えで一つだけやっておくべきことがある。


「【アラートロック】」


 万が一に備え、部屋に備わっている鍵に加え、魔法によるドアの施錠も行っておいた。

 借りに誰かがピッキングをして物理施錠を解除できても、魔法施錠を解除しない限り扉は開かない。

 加えてピッキングをしてきた段階でアラートにより私は気付くことができる。


 それだけやった私は気絶するように眠ってしまうのだった。

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