第21話 対決! お姉ちゃん!

 次の日の夕方、ゆっきーは桜子の家に続く道ばたに立っていた。

 ここで桜子のお姉さんが来るのを待っているのだ。

 お姉さんは今日、通常勤務らしく、午後五時半に仕事を終えて六時半過ぎには家に戻る予定とのこと。

 すでに昨日、メールで会う約束をとりつけてある。用件もすでに報せていた。


 桜子の家に続く道は、ほとんど山道になっている。

 舗装されておらず、片側は雑木林で、もう片側は削り取られた崖である。

 林から伸びる枝葉におおわれて、木漏れ日が地面にゆらめいている。

 ゆらめく光と影が、山道を流れる川のようで、ひそかな美景だと思う。


「あっちぃ~」


 夕方なのにまだ暑い。さすが真夏だ。


「アア、ホントニ、暑イ……」


 肩に止まったマジョルカがふらつきながら文句をたれた。

 だらしなくベロを出し、汗をたらたら垂らしている(こいつは人間界の鳥とちがって汗をかけるようだ)。


「マジョルカ、おまえ帰っていいぞ」


 この魔界の鳥は暑さに弱いくせに、なぜか今日、ゆっきーについてきた。


「イヤ、桜子ノ姉トイウモノ、ドンナ女カ見テミタイ」


「いいけど、ジャマするなよ」


 そのとき、ふうっと風が吹いたような気がした。

 あ、なんか涼し……い?

 ゆっきーは急に首筋が冷えて、体が勝手にぶるっと震えた。


「……?」


 遠くに人影が見えた。

 どうやら、こちらの山道のほうへ歩いてくるようだ。


「あれ、お姉さんかな」


「オオ、アレガソウカ」


 マジョルカはつばさの先にあるカギ爪で器用に丸を作って覗いていた。

 ゆっくりと人の姿が大きくなる。

 あらかじめ聞いておいた外見とそっくりだ。まちがいない。

 あのひとが桜子のお姉さんだ。


「おまえ、一緒に話聞くつもりなのか」


「ダメカ?」


「うーん、できれば遠慮してほしい」


 他人に別世界の生き物と親しくしているのを知られたくない。

 万一、世間に広まれば厄介だ。


「ナア、ユッキー」


「なんだよ」


「ナンカ、寒クナイカ?」


「ん?」


 言われてみれば、さっきまでの暑さがウソのように消えている。

 うなじに手を当ててみると、いつの間にか汗はひいていた。


「あれ、どうなってんだ」


「ナンダカ、イヤナ予感ガスル。私ハ、木ノ上デ聞クコトニシヨウ」


 マジョルカは肩から飛び立ち、すぐ近くの林へ消えた。

 ひとりで立って待っていると、人の姿は近づいてよりはっきりとしてきた。

 ごくっと生唾を飲み込む。

 いつも冷静に振る舞うことを心がけているゆっきーだが、なぜだか落ち着かない気持ちになってきた。

 もう足音が聞こえる距離である。

 砂を踏む、ざっ、ざっ、という音がする。


 そして――。

 目の前に、ひとりの女性が立ち止まった。

 すらっとした長身の女性だった。

 クールビズの半袖カッターシャツに、ぴちっとしたパンツルック。

 まっ黒な髪をストレートに下ろして背中に流している。

 ゆっきーは自分からあいさつをした。


「こんにちは、御花見さん。ぼくは桜子さんのクラスメートの白藤雪ノ丞といいます。今日はお呼び立てしてすみません」


 女性は表情を変えず、抑揚のない声で答えた。


「こんにちは。桜子の姉です。妹がお世話になってるみたいね」


 その冷たい声質に、ゆっきーはゾクッとした。

 メールのやり取りでは全然ふつうだったのに、実際に会って話してみるとだいぶ印象がちがう。無機質で恐い感じだ。

 不意に。

 姉はあらぬ方向を向いた。

 ななめ上を見上げて、ぎゅっと目をすがめる。


「きみ、さっき鳥とお話してた?」


「えっ」


「派手な鳥と一緒にいたでしょ。あっちに飛んでったけど」


 姉は横手にある雑木林を、探るようにじっと見つめている。


 うそ、見られてた?


 マジョルカが飛び立ったときはまだ距離があった。

 どうせ気づかないと高をくくっていた。

 まさかしっかり見られていたとは。


「あ、アレは、うちにいる鳥です。勝手に帰るんで心配ありません」


「そう」


 姉はゆっきーのほうへ顔を戻した。

 さほど興味はないのか、それ以上追求してこない。

 ゆっきーはこの女性の顔をあらためて見つめた。

 桜子も美人さんだと思うが、姉のほうもシャープな顔立ちでかなりきれいだ。

 しかし目つきは冷たく、口を真一文字に結んで、全体的に表情にとぼしい。

 顔の造形は似ているが、まとっている雰囲気がまるでちがう。


「それで、直接言いたいことがあるってことだけど」


 ゆっきーは姿勢をただして頭を下げた。


「クワガタの幼虫を飼うことをすすめたのはぼくです。お姉さんが虫嫌いなのを知っていてすすめました。不愉快な思いをさせて申しわけありません」


「うん、知ってる。あの子から聞いた。顔、上げてくれる? 話しにくいから」


 おそるおそる、ゆっきーは姉を見上げた。

 いつの間にか姉は一歩進んで近寄っている。


「あなたからもらったんだってね。こっちもいきなり捨てたりして悪かったわ」


「こちらこそ、ご迷惑をおかけしました。なんでも小バエが出たと聞きました」


「そうよ、ほんと最悪」


 うぐっ、さいあく。

 短いのに、ずんっと腹に沈む言葉だ。


「すみません、前もってアドバイスしておけばよかったです」


「あなたがあやまる必要はないんじゃない? あの子が原因なんだから」


「あの、桜子さんとはケンカになってしまったと聞いたのですが」


「ええ、そうなったわね」


「そのことなんですが」


 ゆっきーは声がふるえた。

 どうしてか、このひとを前にすると身がすくむ。

 腹の下に力を入れて声を出した。


「彼女と、仲直りしていだけませんか」


 姉の目元にわずかながら動きがあった。


「それ、あの子に言われてきたの」


「いえ、そういうわけでは」


「そうね。あんなに怒ってたのに、あの子が一日くらいで仲直りしたがるとは思えない。あなたが自分の意思でやってることね」


「はい」


 姉は小首をかしげて「ふうん」とつぶやいた。


「べつにお願いされなくても、そのうちまた元の仲にもどるわよ。姉妹なんだし」


「それならいいんですが」


 姉はまじまじとゆっきーを見つめた。


「でもまあ、せっかくあなたが言うんだから」


 少しだけ、姉の口元がほころんだように見えた。


「今夜にでも、あの子と話してみようかしら」


「はい、お願いします」


 ゆっきーはホッと胸をなで下ろした。

 話してみるものだ。とりあえず当初の目的は達した。


「ところで白藤くん」


「はい」


「あなたはあの子の友だちなのよね?」


「ええ、そうです」


「気が合うの?」


「ええ、趣味が同じですから」


 姉は「趣味……」とつぶやいて顔をしかめた。


「はい、えっと、つまり」


 ゆっきーの言葉を、姉は手で制した。


「虫でしょ。虫を飼うこと」


「そうです」


 姉の唇が、酸っぱいものでも食べたみたいにキュッと縮んだ。


「あなたは、む、虫をたくさん飼ってるのよね。悪いんだけど、あんな気持ち悪いもの、何がいいの?」


「飼ってるのはカブトムシとクワガタです。何がいいかと聞かれますと、一言で言えば『かっこいい』です」


「はあ? あんなの、ゴキブリと一緒じゃないの」


「え、ええっ」


「裏返ったとこなんか、まるっきりゴキブリとおんなじよ。足がカサカサ動いて、腹がヒクヒクして、うっぷ……気持ち悪い」


 姉はうつむいて口を手で押さえた。


「イモムシも気持ち悪い。足がいっぱいあるし、うねうね動くし、見た瞬間に鳥肌が立つわ。ああ、もうっ、話すだけで気持ち悪い」


「いや、あれは」


 カブクワの幼虫の足は、いっぱいあるわけではありません。

 足は成虫と同じ六本しかなくて、足がいっぱいあるのは蝶やガの幼虫なんです。

 その蝶やガの幼虫も実際はやっぱり六本しか足はなく、ほかの吸盤みたいな足は腹脚と言うんです。


 と、言おうとしたがやめた。

 虫嫌いの人にはカブトムシの幼虫もガの幼虫も同じに見えるのだろう。

 どれも等しく気持ち悪いのだ。説明したらどうにかなるようなものではない。

 ゆっきーは話題を変えるべく、コホンと小さくせき払いをした。


「あの、お姉さん」


「なに」


「実はもうひとつ、お願いがあるんです」


「……なんなのかしら」


「桜子さんに、また飼わせてあげてくれませんか」


「は?」


「飼わせてあげてほしいんです」


「……虫を?」


「はい」


「いいわけないでしょ」

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