ビートるん、ビートるん、ラブラブ ピーポー
るかじま・いらみ
第1話 ゆっきーと桜子
ゆっきーこと、白藤雪ノ丞(しらふじ・ゆきのじょう)は、家に帰ってすぐ準備に取りかかった。
学校の制服から動きやすいTジャ(Tシャツとジャージ)に着替えて、自宅の庭に設置された古いコンテナハウスへと向かう。
祖父が残してくれたこの素敵空間には、世界中のカブトムシとクワガタが、なんと成虫およそ80頭、幼虫にいたっては3000頭ほどひしめいているのだ!
今日はキングオブインセクト、ヘラクレスオオカブトムシの幼虫の棲む『マット』を交換する予定である。
『マット』とは、栄養を含んだ発酵土のことをさす。
各種存在するヘラクレスオオカブトのなかで最も有名で人気の高い『ヘラクレス・ヘラクレス』、通称ヘラヘラの幼虫は今のところ二十頭いる。
パイプ棚に置かれた20リットルの衣装ケースを、次から次へと床に降ろして並べていく。
ケースのなかには、なみなみと土が入っている。
この土が『マット』である。
このケースひとつにはそれぞれ一頭ずつ、ヘラヘラの幼虫がいる。
新しいマットが入った大袋、加水用のペットボトルを並べ、マットをぶちまけるための大容量60リットルの『トロ船』(左官屋さんが使うような合成樹脂製の容器)を隅っこから引っ張り出す。
スコップ、軍手、料理用の計量器、その他諸々道具を整える。
準備が終わったタイミングで、「ぴんぽ~~ん」とチャイムが鳴った。
ゆっきーがコンテナハウスの入り口のドアを開けると、どんぐりみたいな目をした黒髪ボブの女子が立っていた。
「やあ、早かったね。桜子」
「そりゃもう! 楽しみにしてたんだからっ」
ご近所さんにして、同級生にして、幼なじみ。
カブクワ大好き女子、御花見桜子(おはなみ・さくらこ)だった。
「ふー、すずしい」
桜子は自分用に置いておいたスリッパに履き替え、鞄を無造作に床へ放った。
「今日は暑いよね。まだ五月なのに」
コンテナハウスの中はエアコン完備、常に二十三度で管理されている。
夏のイメージの強いカブトムシやクワガタだが、意外と暑さには弱い。
温度管理は絶対だ。
「ちょうど、準備が終わったところだよ」
「ありがと。じゃあ、さっそくやりましょ」
今日は桜子と一緒にマット交換をする約束だった。
彼女はかねてよりヘラヘラの幼虫を見たいと、ゆっきーに頼んでいた。
マット交換は、幼虫を見る絶好の機会である。
しかしマット交換はけっこうな力仕事な上、地味な作業だ。しかも二十頭分となれば、なかなか時間がかかる
「それじゃあ、ちょっと大変だけど手伝ってくれる?」
桜子は「もちろん!」と右手を天へ突き上げた。
時間が惜しいのでさっそく始めることにした。
トロ船に新しいマットを袋から出して水を加え、スコップで攪拌する。
マットを手で握って少し塊ができるくらいになったら、また袋へ戻す。
桜子は土で汚れてもいいよう、ゆっきーと同じTジャに着替えていた。上は無地の白Tシャツ、下は学校でも使う紅色のジャージ。
「お待たせしました。おじょうさま、おまちかねのブツです」
そう慇懃に言うと、ゆっきーはうやうやしく衣装ケースの蓋を開けた。
えいっとコンテナボックスへひっくり返すと、ドサッと重い音を立てて黒いマットがすべり落ちる。
大きな直方体の形を保ったままの黒い土の塊は、まるで巨大なガトーショコラ。
「どこ? どこにいるの?」
「ここ、ほら」
ガトーショコラをやさしく崩すと、中から見事に育ったヘラクレスの幼虫が出てきた。
茶色い頭に黒いアゴ、六本の細く短い足、そして丸々と太った白い胴体。
「ふわわわわっ!」
桜子が変な声を上げた。
『それ』は、さながら某アニメに登場する王蟲のようだった。
もしくはぶっといバナナ、またはバームクーヘン。
国産カブトムシの幼虫よりもはるかに大きく、太く、長い。大人の手すらはみ出すほどの大きさである。
見るからにずっしりとした重量感だ。神々しいほどに生命力が満ちあふれている。
「さ、触ってみてもいい?」
「うん。軍手つけてね」
桜子はフンスフンス鼻息荒く、幼虫を両手ですくい上げた。
興奮しているせいかほっぺたが赤くなっている。
「気をつけて。油断すると噛まれるよ」
ゆっきーの注意は聞こえているだろうか。
桜子はぴょんこぴょんこ飛び跳ね、黒目をおっきくして感嘆の声を出した。
「でかっ、太っ! ああ、いいわあ。これよこれ! これが見たかったの!」
うーん……、変わった子だなぁ。
ゆっきーは目をしばたたかせた。
カブクワ好きは圧倒的に男子が多い。女子、特に桜子ほどの好き者はかなり珍しい。
そのとき――。
「ヘンタイ」
機械がしゃべるような、奇妙な声が聞こえた。
「ん、なに」
桜子がゆっきーをジロリと見た。
「え、いや、ぼくじゃない」
つつーっと首筋を冷や汗が流れた。
「ククク、ヘンタイチジョ」
「ゆっきー? 裏声で人をからかうなんて趣味悪いわよ」
「あ、いや、うん。そうだね。ごめん」
桜子は「言いたいことがあれば言えばいいのに」とかなんとかつぶやいて、不満げにあごを突き出した。
「あ、え、えーっと。それ、重さ、測ってみようか」
「重さ? この子の?」
ゆっきーは計量器に皿を乗せてメモリをゼロに設定し直した。
「さ、乗せてみて」
「う、うん」
うながされるまま、桜子がそっとヘラクレスの幼虫を乗せる。
彼女の視線が下を向いたのを確認して、ゆっきーはそっと後ろを振り返った。
瞬間、何かがスッと通り過ぎる。
カーテンから漏れる日差しを受けて、キラッと紫色の光が跳ね返った。
――あいつめぇ。
くだらんイタズラしやがって。
あとできつく言っておく必要があるな。
見えなくなったのを確認して、再び桜子のほうへ向き直った。
「……113グラム。これ、すごいんじゃない?」
「そうだね。まずまずだと思う」
カブトムシやクワガタの幼虫は脱皮を行い、一齢から二齢、二齢から三齢へと成長する。
このヘラクレスの幼虫は、三齢後期の幼虫。
重さといい、太さといい、順調な成長具合と言える。
「この子、オス? メス?」
「たぶんオス」
幼虫のときのオスメス判断は、2齢から3齢初期くらいが一番分かりやすい。
オスにはおしりの内側に、茶色い凹みのような『印』が現れる。
もはや3齢後期ではよく分からないのだが、実は前回のマット交換の際にすでに確認しており、入っていた衣装ケースにはオスと記載してある。
間違うこともたまにあるが、ここまで大きくなるのは十中八九オスと考えていい。
「オスかぁ、いいわねー。ヘラクレス・ヘラクレスのオス。惚れ惚れするのよねえ。あの上下にそそり立つ長い角、ああもうっ、かっこいい!」
桜子はニマニマした。
「そんなに好きなんだ」
「いけない?」
「ううん、そんなことない」
「ねえねえ、この子、成虫になったらどれくらいになるかしら」
「えーっと、そうだね、140ミリに届くかな」
この時点で100グラムあれば、羽化したときには130~140ミリほどの成虫が期待できる。
飼育レコードには遠く及ばないが、それでも圧巻の迫力だ。
桜子ではなくとも、今から羽化が楽しみである。
「ヘラクレスの成虫って、どこからどこまで測るの」
「胸角(きょうかく)から、おしりまで」
「きょうかく?」
「上下の角のうち、上のほう。ほら、あの槍みたいに長い角」
「ああ、あれね。前から不思議に思ってたんだけど、あの角、いつ生えるのかしら」
「サナギになるとき。にょきにょきって生えてくる」
「うそ、すごい。見てみたい。動画とかある?」
「ぼくは持ってないけど、動画サイトで見たことある。今度検索してみるよ」
ゆっきーは衣装ケースに新しいマットを詰め直し、桜子に幼虫を入れてもらった。
カブトムシの幼虫は、成長に合わせて数回マット交換を行う。
これが最後のマット交換。
今度会うときは、サナギか成虫である。
幼虫はもぞもぞと自ら土の中へもぐっていった。
桜子は名残惜しそうに軽く土をかぶせた。
「立派な成虫になってね。その角であたしのハートをぶすって貫いてね」
「言い方がこわい」
「うふふ」
一頭マット交換するのにこのテンション。
時間も思いのほか、かかってしまった。
こんな調子であと十九頭、続くのだろうかとゆっきーは心配になった。
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