青隠しと筆
水鳴諒
―― 第一章 ――
第1話 祝言
今日は、祝言だ。白無垢姿の
隣にいる紋付き姿の青年が、これから彼女の主人となる
一方の雫は、この国の女性らしい風貌だ。少々背は低いが、長い黒髪を後ろでふんわりとまとめていて、ぱっちりとした目の色も、それを縁取る睫毛の色も黒色だ。色白で、柔らかな線を描く体格の、どちらかといえば小柄で細い二十二歳の女性である。ちなみに青眞は二十六歳だと、雫はそれも本日聞かされた。
ちらりと青眞の横顔を窺う。彼は退屈そうに、酒盃を呷っている。
飄々とした空気を醸し出している彼と、ごくごく平凡な雫は、祖父同士の約束により、雫が生まれてすぐ許婚になったのだという。
日ノ本では、女性の婚姻を家長の男子が決定するのは、特に珍しいことではない。
だからそういうものかと受け入れて、雫もまた、本日は祝言に臨んだ。
明日からは、青眞の家で暮らす事が決まっている。
――まだ、青眞さんのお仕事さえ知らないのだけれど。
漠然とそう考えながら、雫も甘い酒を一口、口に含んだ。
――上手くやれるだろうか?
そう考える内に、恙なく祝言は終わりを告げた。
祝言の日は、生家へと戻り、荷物の最終確認をしてから、単身雫は、高藤家へと向かった。持ち物がそれほど無いのは、嫁入り道具とともに、既に先方に送ってもらったからだ。日ノ本は、正式名称は日本帝国という。最近そう呼び名が変わったのだが、皆昔のまま、日ノ本と呼んでいる。ただ帝国軍が設立されたのは存在感があり、雫の叔父である
「ここかぁ」
引き戸の前に立った雫は、まじまじとそれを見上げる。瓦屋根の和風邸宅だ。横を見れば、庭と軒先が見える。だが……庭は荒れ放題で、池には藻のような緑しか見えない。
「私が弄ってもいいのかしら?」
雫は花が好きだ。結婚したら、家庭菜園を作ったり、ガーデニングという、最近異国から流入してきた庭いじりをして、採れたハーブで匂い袋を作りたいとずっと考えていた。最近流行しているのである。紫色のラベンダーという花を乾燥させて、小さな巾着に入れる事が。
帯紐の位置を整えてから、雫は扉を開けた。
「こんにちは! 雫です。参りました。宜しくお願い致しまーす!」
元気よく声をかける。明るい声になるよう心がけたら、自然とほほも持ち上がった。
しかし返事が返ってこない。
雫は、思わず目を据わらせた。
「あのー? 青眞さん? おられませんかー?」
仕方が無いのでもう一度繰り返すと、一拍遅れて返答があった。
「はーい。どうぞー」
間延びした声音だった。靴を脱いで、雫は上がり框を踏む。靴は最近異国から入ってきた品だ。足袋は昔のままである。軍人さん達の間では、靴下という品が流行しているらしいとも、雫は耳にした事がある。
荷物を携え、雫は声がした部屋の方へと向かう。すると台所があった。意外にもそこは異国風で、テーブルと椅子がある。だがそちらには、青眞の姿は無い。中に入って周囲を見ると、隣の和室に、ふわふわの髪の毛が見えた。
「青眞さん?」
荷物を床に置き、雫はそちらへと向かう。そして、うっ、と、心の中で呻いた。
書物や和紙を束ねたもの、巻物、半紙、様々な紙や本が散乱している。
現在も青眞は筆に墨をつけ、なにやら雫には読めない文字を、掛け軸のようなものに記している。
「今、仕事に集中しているから、声をかけないでもらっていいですか?」
「えっ、あ、はい」
頷きつつ、雫は畳の部屋を見渡した。雑多に散らかっているから――だけではない。そこには、無数のあやかしが、うようよと浮かんでいたからだ。緑色のマリモそっくりで、一部に二つの白い目がついたあやかしの数が、一番多い。確か、
――あやかしは、ほとんどの人には視えない。
だが生まれつき、雫や雫の叔父のように、視える者もいる。雫の祖父もまた、視える者だった。なお両親は一切視えない。弟の
けれど……これだけうようよしている中にいるのだから、きっと青眞は視えないのだろう。
雫がそう考えた時だった。
ピンっと、青眞の筆の先が上を向いた。
「できた」
そう言うと青眞が筆を置き、雫へやっと顔を向けた。天井を見ていた雫は、慌てて視線を戻す。
「へぇ、視えるんだ?」
「え?」
「あやかし」
「えっ、青眞さんも視えるの?」
「青眞でいいよ。うん、勿論」
「それなのに、こんなにいるのを放っておいてるの?」
「害はないからね」
「な、なるほど」
そういうものかと、雫は適当に相槌を打つ。あやかしに対しては、様々な価値観があるので、例えば軍のあやかし対策部隊にも賛否両論がある。邪悪な存在だから屠った方がいいと歓迎する者もいれば、八百万の神の一種だから手を出してはならないと唱える者もいる。現状、あやかし対策部隊は、叔父によると、危険なあやかしは討伐をしたり封印をしたりしているが、無害なものはそのままにしているとは聞く。だから、青眞の対応は、必ずしも間違いではない。
「ところで雫さん」
「私のことも雫で結構です」
「そ? じゃあ、雫。俺、腹減ったんだけど、なにか作ってくれない?」
日ノ本では、料理は女性の仕事と決まっている。
初仕事だと、雫は頷きながら、笑顔になった。実家で家事手伝いをしていた頃は、多くを母が行っていたため、暇で暇でたまらなかったのだ。修行としては雫も手伝ったが、肝心なことは母がやる事が多かった。雫が任せてもらえるのは決まった時だけだった。
早速台所に向かい、雫は食料棚を見る。新鮮そうなネギがあった。
その下の桶には、豆腐がある。まず一品、お味噌汁が作れそうだ。
「ご飯はありますか?」
「ない」
「じゃあ土鍋ですぐに炊きますね」
雫はそう告げながら、次々と鍋や食器の位置を把握していく。柱に背を預けて腕を組み、その様子を青眞が眺めている。雫は帯紐で着物をたすき掛けにし、いざ! と、気合いを入れて、包丁を手にした。
なお片隅には桃色の小鬼が座っているし、天井には首が長く伸びた女の幽霊が居て、鍋を興味深そうに覗き混んでいるが、雫は気にしないことにする。
こうして三十分ほどで、それなりに完璧という、矛盾した表現が適切な、家庭料理としては満足できるできの、和食が綺麗に完成した。
テーブルに並べて、雫は最後にほかほかの白米をよそって、青眞の前に置く。
「どうぞ」
「いただきます」
へらりと笑ってから、手を合わせた後、青眞が箸を取る。
まずは一口、お味噌汁を飲んでから、青眞が微笑した。
「うん。美味しい。正直、料理が下手なお嫁さんだったら、即刻離縁しようと決めていたんだよ」
「酷いですね、それ。この帝都じゃ、離縁されたりしたら、次の貰い手が全然無いのに」
「俺、そういうの気にしないから」
冗談なのか本気なのか、そう言って笑ってから、本格的に食べ始めた青眞は、すぐに昼食を完食した。
こうして、二人の生活は始まった。
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