第2話 現在・西暦2524年

 ――西暦2524年。


 日本国の首都である日高見ひたかみ府の府立美術館に、茨木高良いばらきたからは足を運んでいた。


 駱駝色のコートのポケットに両手をそれぞれ入れ、眼前の絵画をぼんやりと眺めている。複製画だ。元々の作者はレオナルド・ダ・ヴィンチとアンドレア・デル・ヴェロッキオで、タイトルは、受胎告知と表記されている。そこに描かれているのは、度々神話に出てくる『天使』及び『女性』だ。どちらも現実世界には存在しない。


 この世界には、乳房が膨らんでいる陰茎をもたない人間は、誰一人としていない。時折身体的障害で外性器を持たない者や、薬害で乳房が肥大化する者はいると、茨木もまた耳にした事はあるが、それはあくまでも例外だ。


 ただ茨木は、時折不思議に感じる。この国には、漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字が存在しているが、その中の特に漢字において、『女』と入る語は多い。たとえば『嫁』や『婚』が挙げられる。これらは一説によれば、古の世においては、人間にも動物のように『雌』という立場の存在が仮定されていたため、生み出されたと言われている。しかし進化して知性を得た人間には、その概念は当てはまらない。よって女性は存在しないというのが、義務教育の教科書で習う、誰でも知る事柄だ。動物はSEXをするが、人間がしないのと同じ事だ。人間の中で性行為をする者なんて、ごく一部の異常者だけである。


「結婚、か」


 茨木はもうじき、結婚する。通例で結婚すると片側の戸籍に入る。入った側の男性は、それこそ『嫁』と呼称される。結婚はこの日高見府で暮らす人間の、法的な義務である。相手の選択には自由があるが、三十歳の誕生日までに婚姻を結ばない場合、日高見府の役所が強制的に相手をあてがう。その相手と気が合うとは限らないため、茨木は『愛』があるわけではなかったが、気の合う友人と話し合い、結婚する事に決めた。


 結婚後は子供を作るのもまた、日高見府で暮らす人間の義務である。

 子供は『子宮』と呼ばれる神殿で祈りを捧げ、生体情報を提供すると、『コウノトリ』が生み出して運ばれてくる。それを受け取り育てる事もまた、日高見府で暮らす者の義務だ。こうして人類の営みは続き、子孫は繁栄していく。


「気が重いな」


 天使はコウノトリの暗喩だという説を思い浮かべながら、緩慢に瞬きをする。

 結婚に関しても子育てに関しても、内心で茨木は乗り気ではない。

 そもそも家族関係を構築するという自信が欠落している。それもあり、せめて心を許せる相手をと考えて、今回は水城遊眞みずしろあすまと結婚する事に決めた。


 出会いは高校時代で、もう十五年来の付き合いだ。一時期大学では進路が別れて会わない時期もあったが、仕事の関係で再開してからは、気の置けない仲になった。水城は高度能力科指定医である。特に華族が持つ高度能力と呼ばれる、物体に作用を与える超常能力に関連して人体に起きる影響や疾患に対処する専門の医師である。


 一方の茨木は高度能力関連事件の加害者に対応する社会復帰調整官だ。華族以外の高度能力使用の制限が非常に厳しいこの日高見府においても、時折予想外の事件はある。その中で極刑を免れた一部の加害者、特に華族による特別指定市民の社会復帰を手助けする仕事をしている。その犯行内容はやはり高度能力を用いたものが多いため、時に被害者の聴取や加害者の精神鑑定などで水城に会う内に、時に食事に行くようになり、友人から親友関係へと変化し、結婚する事に決まった。先方もまた茨木と同様の考えであり、あちらにも愛はない。それがまた気楽な関係である。


 その時、通信端末が振動した。取り出して画面を見れば、水城からの連絡だった。メッセージアプリの文面を確認すれば、待ち合わせをしている居酒屋に早く着きすぎたという内容だった。


「行くか。他の人間よりは、水城はマシだしね。贅沢は言えないよね」


 ポツリと零してから、茨木は美術館を後にした。



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