ヘロスの内なるモノ
酒が回り始めると、彼も気分が高揚してきたようで、今までの内気な性格からは想像もできないような大胆な様子になった。私は、この交流のしやすくなった青年を気に入った。そして、酒の量が増すにつれて、ヘロスは面白いことを口走るようになった。
「僕はね~神が憎くってたまらないよ。だからさ、殺してやろうと思うのさ」
最初聞いたときは「おいおい、飲み過ぎだぞ」と私は流したのだが、そう口走った彼の目は酔った私から見ても分かるくらいの決意で研ぎ澄まされていた。
「と言ってもね、神と言っても象徴的なものに過ぎないさ」
「というと。」
「そうだね~今僕たちは帝国の下で暮らす一帝国市民だろ。そしてそんな帝国市民ってのは、階級分けすると、大体五階級に分けられる。何だか分かるかい?」
「農民、それから俺みたいな労働者だろ。それから貴族。他にいるか。」
「神官と農奴。神官と貴族の上流階級、それからその下の労働者・農民・農奴の下級市民で構成されているの。僕が言うこの「神」ってのは僕たち下級市民が無意識に崇拝するモノのことだよ。」
「おい、まさか。皇帝のことを言ってるのか。流石にそれは罰当たりにも程があるぜ」
ヘロスの指すであろう恐ろしい事実に、私の声は自然とささやくような小さいものとなっていた。しかし、私はヘロスを少し誤解していたようであった。
「ちょっと違うね。意識と仕組みだよ。僕が言っているのは、僕たちの持つ意識のことさ」
「意識と仕組みって何だよ」
「君は疑問を持ったことはあるかい。どうして汗水たらして働いたお金が、一日の食事分と酒代分あるかないかぐらいかって」
「それは…」
私は口ごもらざるお得なかった。私達労働者は、朝七時から夜の九時くらいまで働かされている。約一三時間働いて支払われる賃金は、その日その日で少しばらつきはあったが、だいたい一日分の食事と酒場で遊ぶ分くらいしか貰えていなかった。その新鮮な事実で酔いが少し冷めかかった頃に、ヘロスは言った。
「僕たちは誤解しているんだよ。僕たちは、労働の対価として賃金をもらっていると思っているだろ。でも、違うんだよ。僕たちを労働させるための対価なんだよ、あれは」
「どういうことだ。つまり何を言っているかさっぱり分からんぞ」
ヘロスは私の問に答えた。
「つまりだ、労働の対価っていうのは、働きと報酬が釣り合う事を言うんだよ。僕たちを働かせるための対価ってのは、僕たちが働き出すための資金ということなんだよ。この場合だと、労働の対価じゃないから釣り合わないだろ。資本家の言い値で僕たちは働かされているんだ。僕が言う神はそれだ。それが僕の言う意識さ」
「分かった。お前さんの意識とやらは理解できた、が、仕組みってのは何だよ」
私は問うた。この時の私は、おそらくヘロスを面白く思って試してみたかったのだろうと今思い返してみれば思う。それだけヘロスの大胆な言葉は興味を唆るものであった。
「仕組みね~どうして僕らは、今みたいな生活で満足出来ていると思う」
「え…」
そう問われた私は、私自身の回想を彼の質問と整合した結果、私が彼の言う意識に納得した結果と私の人生には乖離が生じることに気が付き、間抜けな返事しかできなかった。
「簡単だよ。意識しないからってだけだからだよ。認識しなければ気付けない。認識させないための仕組み、これを僕は一括りに仕組みって呼んでるんだ」
「その…認識させないようにするためのモノって、例えば何があるんだよ」
「例えば…仕事量の多さに対した賃金の少なさ、それに対した娯楽、その娯楽の属性とかかな。あと、商品とかもあるかな」
「仕事量と賃金は、意識がっていう話で聞いたが、つまり、俺達が忙しく働いているから、賃金に対する不満も生まれにくいってことか」
「良い線行ってるよ。厳密には、僕たちが労働で疲弊するだろ。そしたら、次の労働までに体力を回復する必要があるだろ。資本家たちも疲弊しきった労働力を使い潰したって、得られる利益が少ないことは分かってる。でも、だからといって回復しすぎると、労働に対する不満が生まれる。そこで生殺しにするんだよ。賃金を程よく低く設定することで、次の労働まで回復できる体力は次の労働で使い切るだろ。そうなると、連鎖のように続くだけさ」
「でもよ~それだと、俺達がここに入り理由は何だ。お前の理屈だと、俺達は疲れ切ってるわけだろ。酒のんだり女大たりする余裕もないはずだろ。でも、現に俺達には体力面でも賃金面でも余裕はあるだろ」
「君、貯金してないだろ」
「何だ急に」
私はヘロスの素っ頓狂な問いに戸惑った。
「いやま~君を別に糾弾してるわけじゃないよ。ただ、僕の予想では、君貯金してないだろ」
「ま~酒代とか特に女楼で飛ぶな。それがどうしたんだよ」
「それがもう一つの隠された仕組み。もちろん、労働だけで体力が無くなるなんて、そんな虫の良い話はないわけで。そんな僕たちのためにあるのが、この娯楽だよ。酒で主に金、女楼で体力と金が飛ぶだろ。そうなると、僕の理論の辻褄が合う。しかも、この娯楽施設ってのは、工場を仕切る資本家が金を回収する場なんだよ。証拠のこの酒場の名前、君の働く工場の名前と同じだろ。労働者の意識をそらすっていう意味で、娯楽の属性も快楽だったり脳を抑制スロ者ばっかりだろ。例えば娯楽街の施設とかって。僕の言う仕組みってのは、労働者に金を払い、金を回収する仕組み。労働者が労働をし続けるための仕組み。それから、労働の仕組みから意識をそらすための仕組みなんだよ。主にこの二つ、ま~まだまだあるけどね、こういうのをいわば殺していきたいんだよ」
彼の言うことは筋が通っている。なぜ今まで気づかなかったんだろうかと疑問に思った瞬間、だからどうだというのだと思ったのは言うまでもない。
「考えてみればそう、だ。でも、どうやってお前はそれを成し遂げる。お前だって取られる側の人間じゃないのか」
「革命だよ。革命を起こすしかない。それは、僕だけじゃ成し遂げれないだろうね。でも仲間がいれば大岩も動くだろ。あいにく、君みたいに分かり合える同士はいくらでもいるからね。説法でも説いてまわるさ。はは」
私はこのヘロスの軽く吐き出された言葉が、妙に重たいと感じた。その重みからは何とも言えない、凶々しくも魅力的な何かを、私は見逃せなかったのだ。このヘロス、いでたちといい所作といい、その全てが人を魅了するための、天から授けられた賜物だと私は思った。
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