怪物

流花

空が綺麗なのはなんでだと思う?空気中の粒子に太陽の光が当たって乱反射しているなんて多分関係ない。きっとそんな問題では無いはずだ。深い深い闇の中で僕らは息をしている。透明なガラスみたいな感情に光が差すことはもうないのだから、何にも期待せずに好きな事をやって生きて行ければいいと思っている。君が美しかったのは何故だろうか。特別美人というわけではないし好みの体型だった訳でもない。それでも一緒にいて楽しかったし居なくなってほんの少しだけ心に穴が空いたのは、。女の美しさは有限だ。知らない女の尻を前に僕はそんなことを考えていた。満たされない心なんてない方がマシなのか。今日はそんな気分になれないので帰って一人で酒でも飲もうと思う。そう思って服を着て、少ない荷物を持って部屋を後にした。




草の匂いとか夏の匂いとかそんなものはとっくに嫌いになっていた。無駄に長い休みなんてなくていい。学校に行っていた方がまだマシなものだ。朝起きたら雨戸は開けないでとりあえずスマホを開く。上から順番に返信して、返しにくいものはブロックしていく。今日は女と会う予定だったけど面倒になったのでやめておこう。今日は何をしようか。とりあえずシャワーを浴びる。服を脱いで、水を頭から勢いよく浴びる。目が覚めていくのがわかった。8月の朝は決まってこれをするようにしている。頭の中を駆け巡る黒いモヤのようなものを洗い流すためだ。僕は大人になった。綺麗な肌や、艶のある髪はもうない。僕の今の姿を君が見たらどう思う?きっと馬鹿にされるに決まっている。でも君はきっと僕のことなんかちっとも気にしていないのだろう。そう、気にしているのは僕だけ。分かっているのにどうしてもこの匂いが僕の記憶に作用して、錯覚させて、蜃気楼のように現れて傷つける。



君と出会った時のことを思い出した。中学2年の春、僕はひと目で君に心を奪われたのを覚えている。

「付き合ってしまおうか」と言ったら、むりだと言われてしまった。

「君は私のことを何も知らないでしょ。距離の詰め方を知らないの?」と、君は言った。それから毎日僕は君のいる2年1組の教室まで会いに行って、話をした。君はガラス玉が転がるような声をしていた。君の話は新鮮で、僕の世界を彩っていった。

「きみは、私のどこを気に入ったの?」と聞かれたことがある。

「顔だよ。一目惚れだったんだ。」と僕は答えた。

「一目惚れの正体は性欲なんだよ」少し上がった口角と優しい目をした君は表情を変えることなくそう言った。

「いいよそれで」と僕は言った。



何となく立ち寄ったコンビニで制服の女子高生とぶつかった。すみませんと軽く誤って顔を上げた僕は目を見張った。君に瓜二つの顔がそこにあったからだ。自分と同じ顔の人間は世界に3人いるというが、それは本当なのだとその瞬間僕は信じざるを得なかった。君はもうこの世にはいないし、僕と同い年なので決して同一人物だということはない。それから何とかして彼女と連絡先を交換した僕は彼女の名前が僕の失った最愛の人とは違うことを知った。僕は彼女をデートに誘った。都内の喫茶店で話をした。

「私は悲しいからだと思う。泣いているのよきっと」

空が青い理由を聞いたら、彼女はそう答えた。

「それは面白いね。空はどうして悲しんでいるんだい?」と僕は尋ねた。

「寂しいのよ、ひとりぼっちで。」そう言って彼女はホットコーヒーを一口飲んだ。ミルクは入れない派のようだった。それから僕たちは池袋の成人映画館に行って映画を観て、ホテルに行って体を重ねた。彼女の細すぎる腰や浮き出た背骨、柔らかい髪は本当に君によく似ていた。





「付き合ってしまおうか」帰り際に僕は言ってみた。

「むり」彼女は表情ひとつ変えずにそう言った。

「それじゃあまた」

そう言って振り返ることなく早足で去る彼女の背中を眺めていた。そのうち彼女が曲がり角を曲がってそれからずっと歩き続けても僕はその背中を眺めたままであった。



君の無限の儚さの裏に何があったのか僕は知らない。後に大学の友人が僕に行った言葉を今でも覚えている。「全ての出会いは必然。無駄な出会いは無い。」もちろん僕にとって、彼女とあの日会ったことは必然的な出来事であったのだろう。それが何を意味するか、僕は完全に理解していた。




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怪物 流花 @Rina_integral

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