第8話 教会



 孤児院があるという教会は、冒険者ギルドの前の大きな道を町の中心へと向かった先にあった。

 すぐにそれが教会だとわかった。それは前世で見た教会に似た、荘厳な建築物だった。

 不思議な感覚だ。俺の村には教会はなかったし、この世界の神様のことは全然知らない。それなのにこの場所が神聖で、特別な場所であることは肌で感じることができた。

 それだけではない。何故か懐かしさも感じた。優羽としての心の奥が疼く。しかし前世の俺も教会に行ったことは一度もなかったはずだ。それなのにどうしてだろう。

「大丈夫ですか?」

 俺が神妙な表情をしていたからだろうか、四十代後半くらい歳の褐色の肌をした牧師の女性に話しかけられた。

「大丈夫です。初めて教会を見たので……何というか、圧倒されていました」

「教会を、初めてですか?」

「はい。俺が住んでいた村にはなかったので」

「そうですか。教会は特別な場所です。神がこの大地を去った後、今も見守っていてくださるのがこの教会なのです」

 牧師さんはそう言うと、少し誇らしげに教会を見上げた。

 そういえば、俺の両親はこの世界の神様のことをあまり話してはくれなかった。おかげで俺は神様の名前すら知らない。しかしだからといって特に隠している様子はなかったし、嫌っているようでもなかった。俺が興味を示さなかったから話さなかっただけなのだろう。

 それでも今、教会を前にして、この世界の神様のことが気になった。

「この世界の神様って、何て名前なんですか?」

「もしかして教会だけではなく、神のことも何も知らないのですか?」

 驚愕! といった顔で牧師さんは俺を見つめてくる。

「はい。お恥ずかしながら」

「それでは神に仕える私めがお教えしましょう。まず神に名前はありません。神は唯一、神だけです。よって名前は必要ありません」

 知らないのも当然だ。まさか名前がないとは思わなかった。

「はるか昔、この世界には海が隔てた多くの大陸があったとされています。多くの大陸に、多くの国。人々は様々な言葉を話し、悪と正義ではなく、それぞれの異なった正義を信じる敵と味方に別れて、争いを繰り返していました。その争いに傷ついていたのは人類だけではありません。この世界そのものが傷ついていました。そこに神が現れたのです。神は争いを続ける人類を等しく罰しました。そして世界をも傷つける人類の卑しき力を奪い、大陸と言葉を一つにしました。しかし神は人類から悪を奪いはしませんでした。神は人を信じていました。悪という選択肢があってもなお、正しい選択を選べると信じてくれたのです。そして神は人類によって傷つけられたこの世界を救うために、自らを世界の糧とするべく、大地の中へと姿を消したとされています。その際、神は人類に願いを託しました。それは正しく生きることと、自分のなりたいものになることです。神はそれを人類に命じたのではなく、願ったのです」

 自分の大切なものを語るとき、人は皆幸せそうに語るものだ。この牧師さんは心から神を信じ、教会を大切に思っているのだろう。

「神は人を信じて、この世界を人類に託しました。しかしそのすべてを私たち人類に委ねたわけではありません。本当に困ったとき、傷ついたときのために神はこの大地の上に残してくれたものがあります。それこそがこの教会なのです。教会は特別です。教会の中では人を傷つけることはできません。悪を考えることはできても、行うことはできないのです」

「え? それは物理的にですか?」

「もちろん、そうです。教会内では攻撃魔法は発動しません。殴りかかろうとしても体が動かなくなります」

「相手を傷つけるような言葉とかはどうなります?」

「その言葉に悪意がなく、真実であった場合などは言うことできます。しかしその言葉が相手を傷つけることが目的の悪意ある言葉なら発することはできません」

 意味がわからない! どういう仕組みなんだろう。この世界は不思議でいっぱいだ。

「神は人に正しくあることを強いはしません。それでも正しくあることを望んでいます。そして悪が栄えることを望んでいません。だから聖域として教会があるのです」

「この教会は神様が作ったんですか?」

「いいえ。人間の普通の大工さんたちですよ。礼拝堂、孤児院、裁判所を一つの建物の中に作って、神の紋章を掲げればそこが教会、聖域となるのです」

「紋章?」

「これがその紋章です」

 牧師さんは首から下げていた首飾りを見せてくれる。

 そこには不思議な形のペンダントトップが付いていた。十字架に少し似てはいるが、優羽の記憶の中にある十字架とは違った。縦の棒が横の棒より太めになっていて、横の棒の数が多い。縦の棒が長くて太い、米印やアステリスクといった感じの紋章だ。

「裁判所も中にあるんですね」

 優羽の世界でも教会と孤児院は近しい関係にあった。だから違和感はない。しかし裁判所が教会の中にあるのには違和感があった。

「はい。教会の中で聖水に手を付けて嘘をつくと、聖水が黒く濁るのです」

「なるほど。教会の中では罪人の嘘は見破られてしまうということですね」

 それは素晴らしいシステムだ。

「はい。確かにそのように使われがちですが、本来の目的は違います。教会に裁判所があるのは罪を暴き立てるためではなく、疑いを晴らすためだとされています。冤罪が起きないようにするためにあるのです。ですので、教会内で行われる裁判は判決を下すことだけです。取調べなどは教会では行われません」

「でも、教会でやれば嘘がわかるのなら、取調べとかも教会でやったほうが楽じゃないですか?」

「そうですね。そのほうが楽でしょう。しかしこの世界は神から人類に託されたのです。神に全てを任せて、楽をしてはいけません」

「確かに。そうですね」

「もう一つ、教会には重要な役割があります。それが誓いの儀式です。誓いを立てるのは国の王や町の長が新しく代わるときです。その者は自身の利益のためではなく、国や町のために正しく生きることを教会で誓います。その誓いを破ってから教会を訪れると、その者のまわりに黒い靄があらわれます。ちなみに私たち牧師、教会職員も神に使え、正しく生きることを教会で誓っています」

「じゃあ、牧師さんはもう悪いことはできないんですか?」

「教会の外でならできますよ。でも教会に戻ったらばれちゃうだけです」

 そう言って、牧師さんはいたずらっぽく笑顔を浮かべた。

「なるほど……」

 この教会のシステムは凄いものだ。

 このシステムは世界を正しく在らせるために最小限の干渉でありながら、とても大きな影響を与えている。

 国のトップが自分の利益のためではなく、国のため国民のために行動し、罪人は正しく罰せられる。

 それは優羽が望んだ世界に近い。前世の俺は暴力に頼ってでもそれを実現しようと試み、リヴァイアサンを作った。

 きっとこの世界の神様もどうしたら世界が良くなるのか一生懸命考えたに違いない。

「あ、そうだ。そういえば俺、冒険者ギルドで依頼を受けてここに来たんです」

 牧師さんと話し込んでいて、すっかり忘れていたがここに来た本来の目的を思い出した。

「依頼ですか?」

「はい。子供たちに魔法とかを教えるってやつです」

「それで、その馬鳥たちは?」

 牧師さんは荷物を背負っているズズたちの方を見ながら言う。

「あ、確かに宿を取ってからの方が良さそうですね。出直してきます」

「まだ、宿を取っていないのですか?」

「はい」

「でしたら、今日は教会に泊まると良いでしょう。客室もありますし、子供たちと仲良くなったら孤児院の方にも空き部屋がありますよ」

「いいんですか?」

「はい。馬屋もあるので、その子たちを連れて行きましょう」

 そう言って牧師さんが歩き出したので、俺も馬鳥の手綱を引きながら牧師さんの後についていく。

「私の名前はアレイナ・バレネチェアです。よろしくお願いします」

「俺はアゼル・イグナスです。こちらこそよろしくお願いします」

「それでアゼルさんの冒険者ランクは?」

「今日、冒険者になったばかりなので、Gです。でも安心してください。魔法と剣術、体術には自身があるので、子供たちにはちゃんと教えられると思います」

「私も牧師になる以前は魔術師ギルドと冒険者ギルドに入っていた魔術師で、子供たちに魔法は教えているので、剣術や体術を教えてもらえると助かります」

「わかりました。でも俺も魔法の方がどちらかというと得意です。冒険者をやっていた母より魔法の扱いだけならうまいですよ」

 母さんはいつだって俺の魔法を褒めてくれた。俺が新しい魔法を使うたびに、母さんは自分の息子は天才だと大はしゃぎして抱きしめてくれた。

 魔法に大切なのはイメージだ。そういう意味では念動力に似ている。優羽としての記憶に目覚めた今の俺になら以前よりずっとうまく魔法を扱えるはずだ。もしそれを母さんに見せられたなら、きっとお祭り騒ぎで踊り出しただろう……

「ほら、見てください。上手でしょう?」

 手のひらの上に炎で小さな鳥を作る。炎の鳥は翼を羽ばたかせ、くちばしを広げる。

 うむ。我ながらなかなかの出来だ。

「えっ!?」

 アレイナさんは驚いた顔で後ずさる。

「なんですか? それは?」

「すごいでしょ? 火の魔法で鳥を作ってみました」

「いやいやいや……呪文は? それに、そんな魔法は見たこともありません」

「ただの火の魔法ですよ。あれ? 火の魔法って珍しかったりするんですか?」

「そうではありません。私もファイヤーやファイヤーボール、他にも使えます。しかしそんな魔法は見たことがありません。そもそも呪文を唱えていないじゃないですか」

「呪文?」

 言われて、思い出す。そういえば野盗は魔法を使う前に、魔法の名前のようなものを叫んでいた。あれは相手を威圧すための作戦かと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。

「呪文って、そのファイヤーボールとかそういうのですか?」

「はい。そうです」

 魔法は母さんから習った。物心付いた頃にはもう習い始めていた。しかし呪文なんて聞いたことがない。もちろん母さんも呪文なんて唱えていなかった。

「俺に魔法を教えてくれた母は、呪文なんて唱えていませんでした。それにそもそも魔法を使う魔獣だって、呪文なんて唱えていないじゃないですか」

「確かにそういった説を唱える魔術師はいました。ちなみにあなたに魔法を教えてくれたというお母さんのお名前は?」

「ララーナ・イグナスです」

「ララーナ! 旧姓はアルヴィオンですか?」

 アレイナさんが前のめりで聞いてくる。

「いや、知らないです」

「それでも無発声の魔術師であるなら間違いないでしょう。アルヴィオン家の異端児、ララーナ・アルヴィオン」

「母を知っているんですか?」

「はい。ララーナはとても有名な魔術師です。私も若い頃は彼女に憧れて冒険者になりました。アルヴィオン家は魔術大国ガナスで多くの有能な魔術師を輩出している大家です。彼女は魔術師ギルドに所属する魔術師でしたが、ベテランの魔術師たちと対立して冒険者になりました。その後Aランクまで上り詰めましたが、いつのまにか表舞台から姿を消していました」

 母さんが冒険者をしていたことは知っていたが、Aランクだったことや、実家のことは全然知らなかった。

「さっきの魔法はどうやっているんですか?」

「火の魔法を操って、鳥の形にしただけです」

「なるほど。彼女の説では呪文はイメージを助けるための存在で本来必要なく、そもそも魔法には属性があるだけで名前や種類などはないということでした」

「母は村でもずっと魔法の研究をしていました」

 母さんは魔法が大好きだった。いつだって魔法の話をしていた。母さんは従来の魔法知識のないまっさらな俺を使って魔法の実験をしていたのかもしれない。

 優羽もまた実験体だったが、それとは全然違った。

 俺は母さんに愛されていたし、俺も母さんを愛していた。母さんが喜んでくれるのがうれしくて魔法の練習をたくさんした。それでも父さんがいなくなった後、剣の練習がしたいと言えば母さんが付き合ってくれた。剣術の腕が上がれば、それだって母さんは同じように喜んでくれた。

「お母さんは今も村に?」

「いえ、先日伝染病で死にました」

「……それは、残念です。今はもう落ち着きましたが、この町でも伝染病で多くの人たちが亡くなりました。そのせいで孤児も増えました」

「そうなんですか?」

「はい。薬が手に入りづらい状況が続き……大変でした」

 アレイナさんは少し言いよどんだ。もしかしたら彼女も知り合いを亡くしたのかもしれない。

 しかしそんな少し暗くなった雰囲気を打開するように手をパチンと叩くと笑顔で言葉を続けた。

「そうですね。やはり子供たちには魔法以外を教えてあげてください。なんでしたら遊んでくれるだけでも、子供たちは喜ぶでしょう」

「それはどうしてですか?」

「無発声魔法は危険なのです。そもそも魔法は神が私たちに与えてくれた力だと言われています。この魔法の力は本来、水を生み出し、炎を操ってこの世界をより健やかに生きるために与えられたのです。争うための力ではないのです。呪文を唱えないことによる利点は、相手に気付かれないことなどとそのほとんどが戦闘時のものです。もちろん子供たちにも戦う力は必要です。それでも過剰な力を与えたくはないのです」

「わかりました。俺は護身術とかの体術も得意なので、そのへんを教えてみます」

 体術は剣術よりずっと得意だ。剣術は父さんから習っただけだが、体術は前世でも習っている。前世では研究所から開放された後、軍隊のようなところに所属していた。そこでたくさん体術の訓練をした。今の俺にならこの世界で父さんから習った体術より、ずっと洗練した技を教えられるだろう。

「それはいいですね」

 そんなふうに話を続けながら、馬屋にズズたちを入れて、孤児院へと向かった。


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