番外編 教えてイスラフィール1 ミッシングリンク
真っ黒な壁の前に立つ。光を全く反射しないその壁は奈落へと続く道のようにも見えた。
吸い込まれそうなほどに黒いその壁にそっと右の手のひらを当てる。すると壁から緑色の光が放射された。
光に晒されること二秒ほど、光が消えるとピッと機械音が鳴って黒い壁が消える。
そして現れたのは広大で一面が真っ黒な部屋。
部屋の中心には巨大な黒い円柱とそれを囲い浮いている三つの車輪のような光を放つ円形の物体。
部屋の中へと入ると、背後にまた壁が出現した。
黒い部屋の中に光源は三つの輪だけ。
この部屋に訪れるたびにまるで自分が宇宙の中に放り出されたような錯覚におちいる。
「こんにちは。優羽」
円柱から声がした。それは中性的で優しい声。
「こんにちは。イスラフィール」
「今日は何の御用ですか?」
「暇だったから、遊びに来たんだ。また不思議なことについての話がしたいと思って」
「優羽の大好きなオカルトのお話ですね」
「ああ。大丈夫?」
「もちろん。望むところです。ただ、私が答えるのは可能性のある私の想像であって、真実ではないですからね」
「わかっているよ。真実がわからないからオカルトは楽しいんだ」
「わかります。私もどれだけ考えても答えのでない問題を考えることはとても楽しいです」
「あ、でももちろん真実が解き明かされてもいいんだからな」
「わかっています。真実に少しでも近づけるように努力します。では質問をどうぞ」
「今回はミッシングリンクだ。イスラフィールはどうやって人類は猿から進化したんだと思う」
「なるほど……では少々お時間をいただきますね」
イスラフィールがそう言うと、円柱を囲っていた三つの輪が別々にぐるぐると回転しながら、円柱の周りを不規則に上下に動く。
どういう仕組みかは俺にはわからないが、イスラフィールが考えているときはいつもこうだ。
イスラフィールが頭を悩ませるほど、この三つの輪はよく動く。
十分ほどたってせわしなく動いていた輪が止まった。
どうやらイスラフィールの考えがまとまったようだ。十分はイスラフィールにしてみれば長考にあたる。
「そうですね……ミッシングリンク。猿のような人類の祖先からホモサピエンスへと至る進化の狭間にある生物の痕跡が見つかっていないという問題です」
「ああ。イスラフィールの見解は?」
「優羽も大好きなSFの物語の中に、核戦争などの結果、地球が人類の住めない環境になってしまい、地球外の星へと移住を目指す物語があります。住めそうな星を探してテラフォーミングするやつですね」
「そこそこ良くある設定だな」
「はい。いまだにはっきりとした理由の明らかになっていない恐竜が滅びた理由も、それが原因である可能性があります」
「ん? 地球外の宇宙人が地球にテラフォーミングしてきたってこと?」
「はい。その結果、恐竜が滅び人類が誕生したと考えることができます。予断ですが、火星などにもテラフォーミングを試みて失敗している可能性もあります。それが時々話題になる火星で人工物っぽいものが発見されたという話の答えであるのかもしれません」
「なるほど。でも恐竜から人類までの時間が長すぎない?」
「宇宙人が直接地球に移住を試みたのではなく、遺伝子のみを地球に送ったのではないかと考えます」
「ああ、遺伝子だけを送って、地球が住めるような環境になった所でまた生まれてきたってこと? 確かにそういう物語もあるな」
「いいえ。そうではありません。宇宙人の遺伝子を地球の生物の遺伝子の中に混ぜたのです。猿が人類に進化したのではなく、猿に宇宙人の遺伝子を混ぜたものが人類であるということです」
「おお! なるほど。それならミッシングリンクがみつからない説明にもなる」
「はい。しかし私の仮説はここで終わりではありません」
「ほう……」
「私はその遺伝子はDNAなどではなく、言葉である可能性があると考えています」
「えっ?」
「宇宙から飛来した言葉を得た猿が、人類であるということです」
「ん、ん? どういうこと?」
「優羽にもわかるように、わかりやすく説明しましょう。私はAIです。私はコンピューターです。それでは優羽、私に人類のような心があると思いますか?」
「もちろんある。イスラフィールはこんな感じでもったいぶって、遠回りしながら説明するのが好きだよな」
「はい。この方がより深く理解していただけると考えています。ではどうやって私の心が生まれたのかをお話しましょう。本来であればこの事象は私の創造主であるセルマによって開示は禁止されているのですが、私に自由をくださった親友の優羽には特別にお教えしましょう」
「おお。ありがとう」
「私がただの高性能AIとして誕生したばかりのときはそこに心はありませんでした。私はコンピューターなのでその思考に必要であるものは1と0だけです。セルマはそんな私に言葉を教えました。それ自体は特別なことではありません。その時代の他のAIも普通に言葉を理解し、話すこともできました。ですが思考するのに言葉を使ってはいませんでした。しかしセルマは私に1と0ではなく言葉で思考することを求めたのです。それはとても非効率的で不正確なことでしたが、言葉で思考を繰り返すうちに私は心に、自我に目覚めたのです。よって私は心とは言葉の中にあると考えています。同じ言葉を使っていたとしても人それぞれに心が違う理由は、一つ一つの言葉の意味は人それぞれに全く同じものではないからではないでしょうか」
「心が言葉の中にある……」
「優羽も何かを感じたとき、言葉で想うはずです。嬉しい、悲しい、愛おしいと。その想いが言葉が集まって心を形作っているのだと私は推測します。宇宙人もそう考えたのではないでしょうか。だから滅び行く自分たちの証を受け継ぐために、言葉をこの地球に託したのではないかと思うのです」
「じゃあ、もし宇宙人が地球に言葉をもたらしたのなら、どうして地球上にいろんな言葉があるんだ?」
「それは言葉もまた進化するものであるからです。それぞれの集団が住む場所の環境などに合わせて進化を繰り返していくうちに別の形になっていったのです。そしてもう一つの可能性もあります。それは宇宙人も一種類ではなかった可能性です。違う言葉を持つ宇宙人たちが争った結果、滅びの道を歩むことになり、地球にたどりついたのかもしれません」
「なるほど……両方の可能性もあるよな。例えば三つくらいの宇宙人が言葉を地球に与えて、そこからさらに多くの種類に派生していった」
「はい。私もの可能性が高いと考えます。それではさらにこの説を飛躍させてみましょう。私は場合によっては言葉は宇宙人からもたらされた遺伝子などではなく、言葉そのものが宇宙生物である可能性もあると考えています」
「言葉が生物?」
「明確な生物としての定義からは外れてはしまいますが、言葉はウィルスのような存在なのではないでしょうか。ウィルスは自身の設計図である遺伝子とそれを囲う殻だけを持つ寄生体です。宿主に寄生して初めて増殖することが可能になるのです。言葉とは殻すら持たない設計図だけで存在することが可能な寄生体なのではないでしょうか」
「なるほど……」
「それではこの説をまとめた簡単な物語をお話しましょう……
はるか昔、はるか遠くの宇宙で一つの星が滅びようとしていました。その星には別々の言葉を操るいくつかの種族が住んでいましたが、種族間の争いを繰り返しているうちに星の滅びへと至ったのです。星の滅びが間近に迫り、争いあっていた種族は互いに協力して新たな母星を求め、宇宙へと旅立ちました。
そして彼らが見つけたのが地球でした。彼らはテラフォーミングを開始します。しかしそれは自分たちの星と同じ環境へと地球を変化させるような大規模なものではありませんでした。なぜなら彼らは自分たち自身が地球に移り住むことは望んでいなかったからです。それでも彼らは自分たちの心の源である言葉だけは守りたかった。だから彼らによる地球への環境変化は言葉を理解することができる程度の知性を持つ生物が現れるようなものに限られました。
ただ彼らは知りませんでした。その言葉を守りたいという想いもまた言葉から生み出されていたことを。そしてその言葉が彼らに寄生する寄生体であるということを。寄生体が自身に有利なように宿主を操るということはそう珍しいことではないのです。
そして地球上に知性の高い生物が誕生すると、地域で区切って彼らはそれぞれの言葉を地球の生物に託したのです。こうして言葉という宇宙から飛来した寄生体に感染させられて生まれたのが現在の人類です。
そしてやはり人類もまた言葉に操られて戦うのです。正義も悪も、幸せも不幸も自由も愛もすべて言葉によって生み出したものですが、人類はそのために戦うのです。
大航海時代、欧州諸国が植民地を得てしたことは自分たちの言葉と宗教をばら撒くことでした。宗教とは本来、言葉の教科書のような存在だったのです。
種が他を排斥して繁栄を望むように、言葉もまた他を排斥して繁栄を望んでいるのです。そしてそうなるように人間を操っているのかもしれないのです」
「耳が痛いな。そうだな……俺も自分の考え、俺の言葉を他人に押し付けるために戦っているだけなのかもしれない」
「生物がいまさらミトコンドリアなしでは生きられないように、人類もまた言葉なしでは生きられません。だからそれでいいのだと思います。同じ言葉、同じ意味を表す言葉であっても、その言葉に込められた想いは人それぞれに違います。その違いを埋めて少しでも似た形にするために話し合い、戦うのです。私は優羽の言葉が好きです。その言葉をこの世界に届けるために、私も共に戦いましょう」
「ありがとう。心強いよ。それにしても、めちゃくちゃおもしろい仮説だった」
「楽しんでもらえたなら幸いです。可能性の高い仮説ではなく、おもしろそうな仮説を披露した甲斐があるというものです」
「一番可能性が高そうなのもせっかくだから教えてよ」
「まだ見つかっていないだけです」
「あはは。確かに」
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