第4話 この世界の考察


 旅に出てから五時間ほどたったころ、太陽が東に沈んで夜になった。

 そういえばこの世界というかこの星は、ほとんど前世の世界の地球とかわらない。太陽も一つだし、一日は二十四時間で、一年は三百六十五日だ。全体的に似たシステムのもとにある。

 しかしすべてが同じというわけではない。違うところもあった。

 例えばこの星では太陽が西から昇って東に沈んでいく。月も二つある。地球にあった月と似たような月と、その月の後ろに隠れていて少しだけ見える月だ。二つあわせて月と呼ばれているが、個別では全体が見える方の月を兄月、兄月に隠れて兄月の右上から少しだけ顔を覗かせている小さく見える方の月を妹月と呼ぶ。仲良しの兄妹月は公転の速度も一緒で、常に同じ位置を保ってこの星の周りを回っている。

 そして人間にも前世の世界と違うところがある。

 魔法が使えるところはもちろん、身体能力も全体的に前世の世界の人類より高く、男女の差があまりない。

 後、年のとりかたが明確に違う。そもそも前世の世界では人間の年のとりかたが他の動物に比べて異質だった。

 普通の動物は成体まで成長すると、その後の死ぬまで見た目はそうかわらない。しかし人間は平均で八十歳以上生きるのにもかかわらず三十歳程度で成長を終えて、そこからすぐに老化がはじまる。他の動物に比べて身体的な全盛期が短すぎるのだ。

 それに比べてこの世界の人間は二十歳くらいまで前世の世界と同様に成長し、身体的全盛期は五十歳ほどまで続く。明確な老化が始まるのは六十代中盤くらいからだ。そして平均寿命は八十歳程度と地球とあまり変わりはない。

 もちろん前世の世界と違うのは人間だけではなく、他の動物たちもそうだった。

 動物たちも前世の世界よりかしこいものや強いものが多く、中にはネコのように魔法を使う魔獣と呼ばれるような種類だっている。

 そんな魔獣たちの住む夜の森には危険がいっぱいだ。とは言っても、この辺はまだ来たことのある場所だし、狩のときも森の中で夜を過ごすことはあったので特に問題はない。

 日が沈んでしまったので、今日はもう崖下にできた洞で休むことにする。この場所は森で過ごしているときにネコが寝床にしている、ネコの縄張りだ。そうそう他の魔獣が寄ってくることはないだろう。

 ということで旅に出て初めての料理を始める。草食のズズは洞の外でその辺の葉っぱや木の枝を食べているので、水だけを用意してあげればいいから簡単だ。

 だから準備するのは俺とネコのぶん。洞の壁に短剣を突き刺して、そこにここに来るまでの間に狩った角ウサギの片足を蔓で吊り、逆立ちしているような状態にぶら下げて解体していく。まずは吊り下げた足から手と短剣を使って革を剥いでいく。革が剥ぎ終わったら、腹を短剣で捌いて、内臓を取り出す。内臓はネコの好物なので、ネコのお皿に入れておく。その後、ウサギの血抜きをして塩をまぶし、燃えないように水に湿らした木の枝をウサギに突き刺して火にくべる。それをもう一羽分繰り返し、最後の一羽は革だけ剥いで、そのままネコのお皿に置く。

 俺のぶんが焼きあがるのを待ちながら、ネコのお皿をネコの前に持っていく。

「はい。ネコのぶん」

 自分のタオルにくるまってのんびりしていたネコがお皿を置いた途端に跳ね起き、嬉しそうに食べ始める。

 ちょうどネコが食べ終わった頃、ズズもお腹がいっぱいになったのか、水を入れていたお皿をくちばしにくわえて洞の中に戻ってきた。やっと俺のぶんも焼けたので食べ始める。

 まずくはない。でも母さんの料理の方がずっとおいしかった。角ウサギを狩って帰ると、いつも俺の好物のシチューを作ってくれた。本当にすごくおいしかった。でももう二度と食べることはできない。

 角と枝を手に持って、肉にかぶりつく。肉本来の味がする。母さんは凝り性でいつだって料理は手が込んでいた。

 そんなことを考えている俺を他所にネコとズズがナーナー、クエクエと何か話をしている。二人の鳴き声は全然違うけど、互いに理解はできているのだろうか。それとも俺みたいに何となくわかるって感じなのだろうか。

 俺には二人が今話していることだってなんとなくわかる。ネコとズズは俺を心配してくれている。

 よし、食器を片付けるのは明日にしよう。俺は二人をまとめて抱きしめる。

「今日はみんなで仲良く寝よう!」

 ズズは器用に体を折りたたんで丸くなる。その横にネコもタオル敷いて寝転がった。俺は間に背中から割り込んで二人に体を預けて目を閉じた。

 しかし簡単には眠れない。早く寝ようと意識すればするほど思考は澄んで、母さんと父さんへの想いに沈んでいく。

 二人と過ごした温かな日々が思い出されるのならよかった。しかしそうではない。父さんにもっと剣術を教えてもらいたかったとか、母さんに感謝の言葉を伝えておけばよかったとか、そんなことばかりを考えてしまう。

 そんな考えを頭から追い出すために、先ほど発見した念動力と魔法の関係について考えてみることにした。

 魔法と念動力がぶつかると互いに消滅する。それはすでに確認した現象だった。だから俺が今、魔法で炎を出してそこにサイコキネシスをぶつければ炎は消える。しかし料理の後、焚き火にサイコキネシスをぶつけてもその炎は消えなかった。その炎は集めた木の枝などに魔法で火を付けたものであるのにかかわらずだ。

 この現象を理解するには、まず魔法の基本知識が必要だ。

 魔法とは何か。魔法とは魔力を使って水や炎といった力を具現化する技術だ。では魔力とは何か。魔力とは体内に取り込んだエーテルだ。エーテルとは神が生み出したとされる物質で、この世界の大気中に満ちるエネルギー。人はエーテルを体内に取り込んで魔法を使う。体内にたくさんエーテルを取り込んでおける者は総魔力が高いと称され、一度に多くの体内のエーテルを使って魔法が使える者は魔力が高いと称される。

 体内のエーテル、すなわち魔力を使いすぎると、人間は体調に支障をきたし、空っぽになってしまうと昏睡状態におちいる。しかし体調に支障をきたさない程度に使用した魔力は五時間ほどの睡眠で回復する。よって人間は睡眠時に体内にエーテルを取り込むと考えられている。

 これは憶測だが、おそらく魔力とエーテルは別物だ。体内に取り入れることで何かしらの変化が起きるのだろう。もしかしたら起床時も体内にエーテルを取り込んでいて、睡眠時に体内で魔力に変換している可能性もある。

 俺が魔力とエーテルが別物だと考える理由は、念動力は魔力とぶつけると消滅するが、エーテルには反応していないと思われるからだ。エーテルは空気中に含まれているはずだが念動力は問題なく使えている。

 だが一つわからないこともある。例えば俺自身に念動力を向けてもその力はかき消されてしまう。だからテレキネシスで飛ぶことはできなかった。しかし体内の魔力が消失している感覚はないのだ。

 そう考えると、魔法は消滅しているが魔力自体は消滅していない可能性もある。

 まぁ、このへんのことはまだ詳しい仕組みがわからないので、今はそういうものなのだと納得するしかない。

 そして件の焚き火が消えない理由は、魔力で種火を出してはいるが、魔法を使い終わって枝などに燃え移った炎は魔力を帯びていないものと考えられるからだ。

 もしかしたら魔法を使って魔力を消費することで魔力はエーテルに戻ったりしているのかもしれない。場合によっては体内でエーテルの状態と魔力の状態を行ったり来たりしているだけで消費はしておらず、体外からエーテルを取り入れてはいない可能性だってある。

 やっぱり俺は母さんの息子だ。魔法について考え始めると止まらなくなってしまう。

 母さんは魔法が大好きで、いつだって魔法の研究をしていた。この発見も母さんが生きていれば喜んだだろう。もしかしたら喜びのあまり踊り出したかもしれない。

母さんのうれしさが頂点に達したときに踊る不思議な踊りを思い出すと、それだけで俺は幸せを感じることができた。

 そんな温かい気持ちに包まれて、いつの間にか俺は眠りについていた。



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