第2話 転生


 俺はいつだって怒っていた。そう調整されたのだから、それは仕方のないことだった。

 異能力者の力は感情に紐づいている。能力が人それぞれであるように、紐づく感情もまた人それぞれだった。

 俺の場合は怒れば怒るほど大きな力を使えた。

 だから俺はそう調整された。より大きな力が使えるようにと、怒りやすく、怒りを抑えられないようにと調整された。

 だから俺は、いつだって怒っていた。

 悪が許せなかった。ズルをした者が得をして、正しい者が損をするシステムが許せなかった。正しいものが傷つき、我慢を強いられることが許せなかった。涙を流す子供たちが救われないことが許せなかった。

 それらを許容する世界が許せなかった。そんな世界を変えられない自分に、怒りが溢れた。

 だから俺はリヴァイアサンを生み出した。

 正義を求めたわけでも、悪を糾弾したかったわけでもない。

 ただ……正しくある者たちを不幸から救いたかった。悪によってもたらされる悲劇から人々を救い出したかった。

 そのために立ち上がり、戦った。

 しかし、もうリヴァイアサンに戦い続ける力はない。リヴァイアサンの力の根源は異能力者たちの武力とマザーAIイスラフィールの知力にあった。

 だがイスラフィールの知力はマザーAI三基を同期した知力にはかなわないし、異能力者の武力もそのほとんどが無力化された。

 だから今、俺たちの目の前にある問題は、どう負けるかというものだった。

 それを考えるために俺はイスラフィールの部屋に向かっていた。そして部屋に入ろうとしたとき、部屋の中からネネが出てきた。

 彼女は十年前、異能力者狩りから助けて以来ずっと共に過ごしてきた仲間だ。俺にとっては誰よりも心を許せる妹のような存在だった。

「ごめんなさい」

 彼女はそう言うと、真っ直ぐに俺を見つめた。その表情にはいつものおどおどとした様子は微塵もなく、強い意思がこめられていた。

 そんな彼女の姿に胸が熱く……いや……違う。焼けるような痛みがあった。

 自分の胸のあたりを見る。そこにはナイフが突き立てられていた。

「後は、任せて…き…とう…く…や、る。だ……から……ま……」

 ネネの声がうまく聞き取れない。

 俺はここで死ぬのだろう。研究所で生まれたときにつけられた固体識別番号はE‐52。研究所が閉鎖された十二歳のときに与えられた名前は叶優羽。俺の二十七年間の生涯はここで幕を閉じる。

 でも……それでいいのだろう。ネネとイスラフィールはとても仲が良かった。誰よりも信頼する二人の選択の結果がこれであるのなら、それは間違いなく最良の選択だったはずだ。

 だから俺は最期のそのときに怒りを忘れ、笑顔を浮かべることができた……



 ……はずだった。

 しかし溢れるのはやはり怒りだった。胸の傷から溢れるのは鮮血ではなく、怒りそのものだった。

 うまくいかなかった。何一つうまくいかなかった。俺は頑張った。頑張ったんだ。正しいやり方で頑張った。

 愛する両親の教えてくれた道徳のとおりに。この国の法のとおりに、この村の決まりどおりに最善の選択をしたはずだ。

 それなのに、うまくいかなかった。こんな結末は許されない。許されていいわけがない。

 確かに恩を仇で返してはいけないと、法律で明記されてはいない。それでもそれは誰でも知っていることだ。恩には恩で報いるのが正しいことだと、誰だって知っているはずだ。

 だから許せない。

 怒りで胸が焼き尽きそうだ。

 そうだ。間違っていたのは奴らじゃない。俺だ。俺が間違えた。正しいやり方なんかにこだわるべきじゃなかった。

 大切な、この世界で一番大切な母さんの命がかかっていたんだ。

 簡単なことだった。邪魔なら踏み潰してやればよかった。ただ暴力によって蹂躙して、望んだ結果を手に入れればよかった。

 でも今更答えに辿りついても遅すぎる。母さんはもういない。死んでしまった。

「うあぁぁああーー!」

 叫ぶ。

 怒りが溢れる。溢れる力で大地が軋み抉れる。怒りに任せてその力を解放しようと辺りを見回す。

「えっ?」

 一瞬にして熱が冷めた。意味がわからない。理解が追いつかない。自分の胸を触る。傷もナイフもない。もう一度辺りを見回す。

 そこは見たこともない森の中だった。目の前には小さな木造の家がある。

 そもそも俺は死んだはずだ。それにどうしてあんなに怒っていたのだろう。

 意味がわからない。

 とりあえず目の前にある木造の家に入ってみる。

 不思議な感覚だ。なんの抵抗感もない。見知らぬ家なのに知っている気がする。

 真っ直ぐに一番奥の部屋へと向かう。そしてドアを開けると、涙が溢れた。

 思い出した。俺の人生を……アゼル・イグナスの人生を。

 父さんはグレイ・イグナス。母さんはララーナ・イグナス。二人は冒険者として旅をしていた。しかし母さんが俺を身ごもった後、両親は旅を止めて、この小さな村を守る村付きの冒険者になった。

 記憶の中に残る、家族三人での思い出は温かいものばかりだった。力自慢で温和な父さんからは剣術と公正であることを学んだ。学者肌で説教臭い母さんからは魔術と愛と優しさを学んだ。

 しかし俺が十歳のときだった。ルヴェリアとアンダールの戦争が始まった。

当時ルヴェリアの統治下にあったこの村にも徴兵が求められた。

 そして父さんが戦場に行くことになった。本来であれば父さんはこの村に雇われた冒険者であるため、徴兵される必要はなかった。しかし戦える者のいない村のためにと、父さんが志願した。父さんは実力者であったため、この村からの徴兵は父さんだけで許された。

 三ヵ月後、戦争は終わった。二国の間に休戦の協定が結ばれ、この村はアンダールの統治下に変わった。

 国のはしっこにある森の中の小さなこの村は、統治する国が変わっても特に大きな変化はなかった。

 唯一変化があったのが俺の家族だ。戦争が終わっても父さんは帰ってこなかった。そして今は敵国であるルヴェリアに協力した罪によって、俺たち家族は村八分のような扱いを受けることになった。

 村のために命をかけた父さんが罪人扱いされて、俺たち家族に罰が与えられた。

 こんな恩知らずな村からは出て行ってしまえばよかった。しかし母さんはこの村に残ることを選んだ。父さんが死んだという報告はなかった。だからここで父さんの帰りを待ち続けた。

 それから七年。結局父さんは帰ってこなかった。

 そしてこの小さな村に伝染病が発生した。魔術師でもあり錬金術師でもある母さんは、薬を調合して治療に当たった。

 この七年間も危険な魔獣を駆除し、村を守り続けてきた俺たちを無視していた連中を、母さんは無償で治療した。感染の恐れがあるので俺を部屋に閉じ込めて、母さんはたった一人で伝染病と戦った。

 そして村の状況が落ち着いた頃、母さんも伝染病に感染した。母さんが調合した薬はあった。しかし病という敵に打ち勝つには薬という武器だけでは足りない。その武器を手に戦い続けるだけの体力も必要だった。

 だが母さんにはもうその体力は残されていなかった。村で伝染病が発生してからの数週間、母さんは寝る間も惜しんで村人たちの治療にあたっていたので、それも当然だった。

 だから俺は村長に頼んだ。体力回復効果のあるポーションをわけてくれと。ポーションとは錬金術で精製できるものではなく、手に入りにくいものであることはわかっている。

 それでも母さんは村のために戦った。その過程で疲労し、感染してしまったのだから、わけてもらえるものと思っていた。

 しかし答えは違った。

 村長の孫も伝染病に感染していて、まだ完治していないため、今後必要になる可能性があるのでわたすことはできないと言われた。

 そして母さんは死んだ。

 そのとき湧き出した感情は母さんが死んだ悲しみより、村に対する怒りの方がずっと大きかった。怒りで狂いそうだった。怒りが溢れ、他のすべての感情を押し流した。

 それはとても慣れ親しんだ感情だった。そのとき俺は自分が叶優羽であったことを思い出した。怒りと共にその記憶が俺の中から溢れ出した。

 この記憶は俺、アゼル・イグナスのものではない。俺が今の俺になる以前の記憶。叶優羽であった頃の記憶。そう……前世の記憶なのだろう。

 不思議な感覚だった。はっきりと思い出せる。アゼルとしての一年前のことより、優羽として死んだ日のことのほうがはっきりと思い出すことができた。

 昨日のことを思い出す。すると優羽としての死と、母と交わした最後の言葉の記憶が湧き上がってくる。

 母は言っていた。「誰も恨んだりしないで。母さんは自分がしたいことやっただけ。病気になったのは誰かのせいじゃない」

 母さんの言うとおりだ。母さんは村人たちのせいで死んだわけじゃない。自分で好きなことをやって死んだだけだ。別に俺や自分のことを優先して、村を助けないという選択肢だってあった。しかし母さんはそうはしなかった。

 母さんは村の人を助けたいと自分から願い出た。

 そうやって自分から願い出ておきながら、助けてやったんだからと、後から何かを要求するのは悪人のすることだ。

 だから俺のこの怒りは、村の人たちに向けられるべきものじゃない。

 もし向ける相手が必要であるのなら、それは自分自身であるべきだ。母さんに言われるがまま、感染を恐れて何も手伝わなかった自分にこそ怒るべきだった。

 しかしもうどうしようもない。悔いたところで結果は変えられない。

 目の前のベッドに横たわっている母さんを見る。その表情は病に抗っていた昨日より、ずっと安らかだった。

 そんな母さんの顔を見ていると、怒り以上に温かな想いが溢れてきた。俺には、アゼル・イグナスには無償の愛をくれた両親がいた。

 それは大きな喜びだった。よく物語などでこんな言葉がある。「失って傷つくことになるのなら、初めからいらなかった」みたいなやつだ。

 あれは大きな間違いだ。俺にはわかる。優羽として家族に愛された経験のない俺にはわかる。

 今俺を満たす悲しみの理由は、俺が不幸だったからではない。俺が悲しんでいる理由は、母さんと過ごした日々が幸せだったからだ。この痛みは溢れる愛と幸せを味わった者が支払うことになる贅沢税みたいなものだ。

 父さんと過ごした十年。母さんと過ごした十七年。それは愛に満ち足りた日々だった。思い出すだけで温かな気持ちが沸きあがる。

 その日々がいらなかったわけがない。喪失の悲しみを対価に支払ったとしても、その日々には有り余る価値があった。

 それに俺は何一つ失ってなんかいない。その日々は思い出の中に在る。俺の中で息づいて、今の俺を形作ってくれている。

 だから……俺はもう大丈夫だ。怒りはない。

 冷たくなった母さんを抱きかかえて、外に出る。先程の怒りの暴走によって抉れた大地の上に母さんを横たえる。

 そして土をかけて埋めてから、墓標を立てた。墓標は母さんが使っていた鍛錬用の木の剣だ。

 母さんは最期に言っていた。俺に旅をしてほしいと。この世界を自分の目で見て、そして生き方を決めて欲しいと。

 そうしようと思う。俺は十七年間ずっとこの村で生きてきた。この村を覆う森から外に出たことがない。

 この世界は優羽として生きた世界とは違う。

 魔獣と呼ばれる危険な獣が多く跋扈する、剣と魔法のファンタジー世界だ。父さんと母さんもこの世界で旅をして、出会った。きっと俺もその旅の終わりにその意味をみつけられるだろう。

 墓標を見つめる。

「母さん、俺……旅に出るよ」

 そう宣言したとき、背後に気配を感じた。しかし俺は振り返らない。するとそれは俺の足に頭をぐいぐいと押し当ててまとわりついてくる。

 俺はその頭に優しく手を触れて撫でる。

 こいつの名前はネコ。発音はネを強く発音する感じだ。本来は危険な魔獣だが、こいつは大丈夫。ネコも俺の家族の一員だ。スノーリンクスという本来雪山に生息する、風や氷の魔法を扱い白銀の毛を纏うヤマネコ系の魔獣。俺が二歳くらいのとき、父さんが死んだ成体のスノーリンクスの傍らで、赤ちゃんだったネコを見つけた。それ以来、ネコは我が家で家族のように暮らしてきた。しかし三年ほど前からは体長も2メートル近くになったので、家と森を行き来しながら生活している。

 俺は地面にひざをつくと、ネコの頭に自分の頭を押し付けて言った。

「母さん……死んじゃったんだ」

 涙が溢れてくる。ネコはナーと泣き声を上げてから、慰めるように涙を舐めてくれる。しかしネコの舌はざらざらで少し痛い。

「俺は旅に出るけど、ネコはどうする?」

 ネコはウナーっと鳴くと、のしかかってきた。

 十年以上を共に過ごしてきた家族に言葉はいらない。腕を甘噛みしてくるその表情からは、一緒に行くに決まっているだろという意思を感じた。

「じゃあ、一緒に旅の準備をしよう」



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