そのうち起こる公爵家托卵物語に、記憶喪失を添えて

冷涼富貴

所詮、貴族同士の結婚などに愛はない

 ──貴族の男なんて、ただの種馬である。


 これは、前世で妻に浮気され悲観して自殺したのち、なぜかカクヨーロッパみたいな異世界の公爵家子息に転生した俺がたどり着いた、この世界の真理だ。

 なんせ、貴族の婚姻など所詮はお家存続のためのもの。あと継ぎさえできれば、たいていのことは水に流されるのだから。


「……で、今日のミュリエル王女殿下の行動は?」


「はい。直轄領の視察と銘打って、いつもの通りゲイロード侯爵子息と逢瀬を重ねているようです」


「……そうか」


 諦観にとらわれたままで、執務室の椅子の上から執事であるオーウェンに王女殿下の動向を確認してから、俺は仕事を継続する。もうため息すら売り切れた。


 お察しのとおり、ミュリエル王女殿下とは、ここエデンブルグ王国の第三王女であり、この俺、アズウェル・エーゲンドルクの婚約者である。


「……『公爵家存続のためには、王女を娶らねばならない』、などという決まりがなければ、アズウェル様も苦しまずに済むのでしょうが……」


「まあそれは仕方ないだろう。定期的に王家の血を受け入れないと、公爵家に流れる王家の血は代々薄くなる一方だ」


「ですが……王女殿下の行いは、あまりにも……」


「そのあたりでやめておけ。誰がどこで何を聞いているかわからぬからな」


 俺を気遣って王女への不満を漏らすオーウェンを軽く制すると、彼は無言で腰を曲げた。


「……オーウェンの気遣いは、ありがたく受け取っておく」


 そう言うのが、今の俺の精いっぱい。

 オーウェンの思いやりはもちろんうれしくないわけがないのだが、こればかりはどうにもならない。公爵家の中でも序列の低いエーゲンドルク家に王女が嫁いできてくれるというだけで、こちら側としてはありがたく思わなければならないからだ。

 転生して十八年も生きてくれば、大体この世界の事情は呑み込める。


 むろん、ミュリエル王女からしてみれば、落ち目の公爵家に嫁がなくてはならないことが面白くないというのは明らか。だからこそ愛のない婚約者のことなどおもんばからず、イケメンで有名なジェベル・ゲイロード侯爵子息と逢引をしてるのだろう。

 こちら側としては、あいつらを挽き肉にしてやりたいくらい頭に来てるけどな。二人そろって挽き肉にしてやれば合い挽きだわこれ。ノーブルハンバーグの完成。


 ……まあそれはともかく。


 思えば、前世の俺は悲惨だった。

 妻を寝取られ、しかも子供までが托卵された娘で。DNA鑑定なるものが可能性0%を告げてきた時の絶望感と言ったらそれはもうね。


 まあそのせいで勢い余って自殺したわけだが、転生した今となっては、なんであんな女のために自殺したんだろう、などと冷静になっている。

 もう二度と浮気されても自殺などしないと心に決めた。


 だから、現世で婚約者に浮気されても、まだ平静を保っていられる。


 ただ、正直に言うと。

 俺としては、激しくなくていいけど、せめて穏やかな愛くらいは望みたいんだけどな。

 それすらも高望みなのかね。



 ―・―・―・―・―・―・―



 そんな俺の二度目の人生をもてあそぶような事件は、四月初め、その日の夜に起きた。


「アズウェル様、大事件でございます」


 俺の邪魔をしないことには定評のあるオーウェンが、こんな時間にわざわざ俺の書斎までやってきたことで、ことの重大さがうかがい知れるというものだ。


「入室を許す。どうした、なにがあった」


「はっ。今、王家からの使者が来訪されまして、『ミュリエル王女殿下が乗っていた馬車が事故に遭い、王女殿下が意識不明である』との報を……」


 扉を開け、折り曲げた腰を戻す前にオーウェンがそう知らせてきた。


「……なんだと? 今日の話か?」


「さようです」


「なぜ、今頃になって連絡が?」


「それが……ゲイロード侯爵子息と一緒の馬車に乗っていた時に事故に遭われたらしく……」


「ああ……」


 いちおう公式で婚約者がいる王女が、婚約者以外の適齢期の男と一緒の馬車に乗っていたと知られただけでも醜聞である。大っぴらにならないように緘口令かんこうれいが敷かれたのだろう。

 だがさすがに婚約者である俺に報告しないわけにはいかない、そんなところか。


 ミュリエル王女が意識不明と聞いても、俺は淡々としていた。

 だが、これで王女との婚約話も流れてしまうかと思うと、俺を悩ます問題が一つ消えるという安堵以上に、公爵家の今後に対する不安というものが大きくのしかかってくる。


 はっ。


 思わず自虐のため息が漏れた。薄情なのは俺も一緒か。

 ミュリエル王女の命の心配よりも、公爵家の存続のほうが大事なんだからな。婚約者である俺よりも、自分の思い人であるゲイロード侯爵子息のほうを大事にしている王女と、ゲスさっぷりではどっこいどっこいだ。


 が、まあそれもしかたない。生きていくためには。

 すっかりこちらの常識に染まってしまった自分を卑下するのはそのくらいにしておいて、思考を切り替えることとしよう。


 建前としては、いちおうまだ俺は王女の婚約者だ。

 その王女の命が危険だとすれば、ここで回復を祈っているだけ、というわけにもいかないだろう。


「──王宮へと向かう。至急準備を」


「御意」



 ―・―・―・―・―・―・―



「国王陛下にご挨拶申し上げます」


「アズウェルよ、かしこまらなくてよい、事情が事情だ」


 いちおう婚約者の父親である国王陛下に軽い挨拶を済ませ、今の状況を尋ねることとする。


「……ミュリエル王女殿下の容態はいかがなのですか?」


「予断を許さぬ状況らしい。強く頭を打っていてな、まだ意識が戻らぬ」


「馬車で事故に遭われたと聞きましたが……」


「……そうだ。道が先日の雨で崩れたらしくてな、走っている途中でいきなり馬車が転落したのだ」


「……そこで頭を打って意識不明、となられたわけですね……」


「ああ。だが、問題はそれ以外に……」


「……存じ上げております」


 陛下が言いにくそうにしているので、先手を打った。残念ながらそのあたりは公然の秘密となってしまっているのとしても、どうにもやりきれない。


「……すまぬ」


 陛下はそういうが、所詮言葉だけだ。だって同罪だもの、ミュリエル王女が浮気しているってことを知っていながら何も咎めたりしなかったんだから。


「で、王女殿下はどちらに?」


「……エルバジェ伯爵領内で事故が起きたので、今はそちらの医療所に運ばれておる」


 ああ、エルバジェ伯爵のところか。

 あそこは医療体制も充実してて、医者の数も多いのが救いといえば救いだ。


 なら俺がやれることは少ない……が、待てよ。


「ところで、一緒にいたは、どうされたのでしょうか?」


 大事な確認事項がもう一つあった。

 陛下も言葉を濁していたが、全部知ってるよとばかりに固有名詞を出しておこう。


 ジェベルは浮名を垂れ流すことが大の得意だ、何人の貴族令嬢が泣かされたことだろうか。隠し子くらい数十人単位でいてもおかしくないのに、本人は俺と同い年で婚約者すらいないという不思議な状態に置かれている。


 ま、単純にひとりに絞れない、ってだけなのかもしれない。そもそも俺にモテ男の心理などわかるわけもないので、考えるだけ無駄だが。


「……命は無事だ。命はな」


 しかし、もったいつけたような陛下の物言いに、思わず聞き返してしまう。反射が憎い。


「じゃあ、無事じゃなかったのは、どこなのですか?」


「ん、あ、ああ……その、だな……馬車内で、どうやらミュリエルがゲイロード子息の、その……大事な部分を……口で……」


「……ん?」


「で、でだ、奥までくわえ込んだ時に馬車が転落して衝撃を受けたものだから、ミュリエルが噛み切ってしまったらしくてな……」


「……うわぁ」


 思わず素で嘆いちゃった。まあそこは陛下も気にしてないようだしいいだろう。

 背筋が寒くなる出来事だ。ひょっとして噛み切っちゃったイチモツがのどをふさいじゃったから、酸素不足で意識不明になったんじゃないの、王女殿下。


 …………ん?


 ということは、ジェベルの野郎、もうアレを使ったアレコレが一生できなくなったってわけじゃないですか! 噛みちぎられ万歳!! 因果応報すばらしい。

 ノーブルハンバーグじゃなくてフランクフルトになったのが少し残念ではあるにせよ、ざまぁ。


 おまけにゲイロード家って、確か子息がジェベルひとりだけじゃなかったっけ。そのままお家断絶しないかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る