46 姉への告白②
美咲さんは、玄関の鍵を九十度回して、重い扉を開く。じらじらと揺らぐ陽はもう、落ちかかっていた。ゆったりとした風が吹いて、蚊取り線香の匂いが鼻孔を突き抜ける。ジリジリと鳴く蝉に囲まれながら、美咲さんは玄関横にある、アルミのシャッターを開く。
そのシャッターの中にあるのは、ガレージだった。ほとんど返ってくることのないらしい叶歩の父親が設置したものなのだろう。
薄暗くて、少しだけ黴臭いガレージの中には、うっすらと埃の被った白い軽自動車があった。ナンバープレートの横には、初心者マークがぺたんと貼ってある。
「……免許、取り立てだけど我慢してね」
美咲さんはそう言って自動車の鍵をちゃらんと鳴らした。
陽菜乃はついていくがままに、車の後部座席に乗り込む。
叶歩は、助手席に腰掛けた。
「……お姉ちゃん。この車、どこに向かってるの?」
「わかんない!ただ、人乗せて走りたくなったんだよ」
美咲は、すこしだけぎこちない運転で、夏の夜の街を走っていく。
赤信号で、ハンドルに手を掛けながら、美咲さんは言った。
「……叶歩の話、まだ全部は信じられない。でもね、叶歩の目見て、強い意志があるってことだけはわかったよ。……それで、敢えてもう一度聞くけど、叶歩の命がこの夏一杯だ、っていうのは本当の話?」
美咲は少しだけしゃがれた声で語りかける。
叶歩はゆっくり頷いて「お姉ちゃん、ごめんね」と言うことしかできなかった。
「……うん。わかった。私ももう、深堀りはしない。叶歩とできるだけ、一緒にいることにするよ」
美咲は一文だけ添えて、アクセルを踏んだ。後部座席から彼女の表情は見えなかったが、目元を拭っている仕草だけは覗けた。
つぎの赤信号に鉢合わせるころには、美咲さんは、さっきまでの深刻な空気が嘘だったかのように、ふだんの明るい態度に戻った。車内にはどこか湿っぽい空気が流れていたけど、彼女は平静を装うかのように二人の仲や学校でのできごとについて聞いてきた。
そのまま、車は隣町まで走り続けた。
「……もう遅いし、ごはんにしよっか」
美咲さんがそう言うと、自動車はハンバーグ屋の駐車場に停車した。
ぽつぽつと埋まった店内の座席は多くの家族連れで、陽気に賑わっている。
陽菜乃はもともと叶歩家に宿泊する旨を伝えてあるので、両親経由で食費等は渡してあるのだ。
美咲さんが叶歩の隣に座ったのを見て、陽菜乃は叶歩の正面に腰掛ける。叶歩はメニュー表とにらめっこしながら、お腹を鳴らして注文した。
注文してしばらくの間は三人で世間話をしていた。叶歩はさっきまでの暗い空気を忘れたようにけろりとしていて、テーブルにぐぅと覆いかぶさる。
注文してしばらく経つと、叶歩の頼んだダブルチーズハンバーグが届く。
「……おっきいね」
文字通りとても巨大で、見るだけでお腹いっぱいになってしまいそうなものだった。
叶歩は食いしん坊だなぁ、とちょっかいをいれると、叶歩は苦笑いして「えへへ」と後頭部を掻いた。
焦げ茶になるまで鉄板に焼き付いた肉の、香ばしくてスパイシーな香りが漂う。
陽菜乃は自分のハンバーグには手を付けずに、叶歩がせっせとごはんを口に運ぶのを、黙って見守っていた。叶歩のちいさな口がもぞもぞと動くたびに、ふたりの思い出が蘇るような、そんな気がする。初めて話したときのこと、一緒に過ごした小学生の頃のこと、叶歩が発端となって陽菜乃が女の子に変えられてしまったこと。
陽菜乃がそんな目で見てるとも知らず、叶歩は一生懸命にハンバーグにがっつく。その姿があまりにせっせとしていたものだから、陽菜乃は心の中で、微笑ましいなぁと思っていた。
こちらの様子に気付いた叶歩が、「……ふたりとも、食べないの?」と顔を上げた。
陽菜乃がハッとして斜向かいを見ると、美咲さんもまた、自分のハンバーグには手を付けずに、叶歩を見守っていた。温かくて切ない瞳で、じっと見守っていた。
「そうだね。……たべよっか」美咲が微笑む。
「叶歩が喉を詰まらせないか、心配だったんだよ」と陽菜乃も一言呟いて、フォークを手に取る。
陽菜乃は静かな手つきで、ハンバーグを切り分け、口に放り込んだ。それはすこし冷めていて、どんな味だったのかすぐ忘れてしまったけど、この時間のことは一生忘れられないような、なんだかそんな気がした。
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