第二章

14 記録

 ぜったいに、忘れたくないことがある。

 もし世界がそれを忘れてしまっても、ボクだけは覚えておきたいから。

 なかったことにしちゃいけないから。

 だから、記録することにした。


 叶歩は学習机に向かいながら、分厚いノートを開いた。


 叶歩はそれに『記録レコード』というタイトルをつけた。例の性転換現象が起きてから、世界は自分たちが男だった時のことを忘れてしまったのだ。だから、その記録がなくなってしまわぬよう、叶歩は大事に、自分が女になる前の、『悠馬』との思い出を記しているのだ。


***

小学校入学前。


 ラベンダー色のランドセルが欲しかった。ハート型の装飾がついているそれは、商品棚のなかで、いっそうキラキラと輝いていた。


 お姉ちゃんは言った。「きっと、男の子の中で仲間外れになるよ。馬鹿にされるよ。」


 ボクは言った。「おとこのこって、かわいいものをすきになっちゃだめなの?」


「ううん、全然ダメじゃない。でも、他の1年生はそのことを知らないの。だから、ハルの『好き』を守るためにも、かわいいものは、今は我慢してほしいの」


「いつまで我慢すればいいの」


「それは、ハルの『好き』を守ってくれる友達ができた時。誰か理解してくれる人がいないと……ハルはきっと、好きな物を嫌いになっちゃうから。」


 そんな友達、できるのかな。ボクは黒いランドセルを背負わされながら、そんなことを思った。

***

小学1年生の3月。


 ボクの筆箱が、水槽の中で、メダカと一緒に泳いでいた。


 ボクが口をぽかんとあけながら水槽をみていると、周りの子たちが、くすくすと笑っていた。

 それを見て、彼らがボクの筆箱を水槽に落としたことを察した。当時はみんな幼かったので、軽いいたずらのつもりだったのだろう。それにこういうことをされるのは、初めてではなかった。

 筆箱がびしょびしょになってしまうのは嫌だった。でも、なにか言い返せるほどの胆力はボクにはなかった。だから、ボクを取り囲む嘲笑をすべて無視して、水槽に手を突っ込もうとした。


「……じぶんでいれたのか」

 それが悠馬との、最初の会話だった。

 僕たちは同じクラスで、名前くらいは知っていた。でも、正反対に生きている。悠馬は日の当たる世界の人間で、ボクは影の世界の人間だった。だから話すことなんて、決してないと思っていた。


「ボクがいれたんじゃないよ。なんかはいってた」

「じゃあ、誰かがいたずらしたってことか。おれおこってくる」

 悠馬がそう言ってクラスの男子たちのほうへ走っていくと、男子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それをみてると、なんだかおかしくて笑っちゃった。



 その後、ボクが筆箱を洗っていると悠馬がひょっこりと覗いてきた。

「……ふでばこ、くさくなっちゃったな」

「ゆーまくん、なんでボクのこと、気になる?」

「……かわいそうだから?」

「だいじょぶだよ。こういうこと、よくあるから」

「じゃあもっとかわいそうだ」


 悠馬はそう言って、筆箱を洗うのを手伝ってくれた。悠馬は窓際の席だったので、彼の席に面した窓台を使って干させてくれた。

 おまけに、鉛筆まで貸してくれた。悠馬が作ったであろう齧り跡をなぞりながら、彼の性格を想像して口を緩ませた。


「ゆーまくん……これ、あげる」

 ボクはお礼に、折り紙をわたした。今思えばぎこちない、くしゃくしゃの出来だったけど、当時のボクなりに、ハサミを入れて形を整えたり、セロハンテープでくっつけたりして試行錯誤の限りを尽くしたものだった。

 ボクはお花が好きだった。でも、男の子がお花が好きって言うと、『おんなかよ』と馬鹿にされてしまうことを学校で学んだ。

 そのことをお姉ちゃんに話したら、「ハルはなんにも間違ってないよ」と言ってくれた。だから、ボクがお花を好きなのは、ほんとは馬鹿にされるようなことじゃないと知っている。


 なんでかわからないけど、悠馬はきっと、他の子たちと違ってボクのお花好きを理解してくれるような気がした。だから、自信をもって大好きなお花で感謝の気持ちを伝えることにした。


「これ、なんの花?」

「チューリップだよ」

「……ありがと」


 悠馬はそう言って微笑むと、折り紙のチューリップを、大事そうにお道具箱にしまった。やっぱり馬鹿にされなかった。はじめてだった。それがとってもうれしかった。

 ちなみに、花言葉の存在を知るのはもう少し先になるので、特別な意味とかはない。

***

2年生の初夏。


 あれから3か月くらい、悠馬と話す機会はなかった。

 それもそのはず。ボクとちがって、悠馬にはたくさん友達がいる。わざわざ、ボクに話しかける理由もいらないのだろう。

 彼はきっと、誰にでも分け隔てなく優しいし、そのおかげで人望もある。だから、わざわざボクみたいな人気のない人間と話すのも、時間の無駄なのだろう。そう思っていた。

 だからボクは、昼休みをひとりで過ごしていた。




 校庭の倉庫裏。側溝の端っこに、セイヨウタンポポが種子を実らせていた。ボクはそれが好きだった。茎をちぎって、息をふっと吹きかける。すると、タンポポの綿毛はふわりと飛散し、どこかへ飛んでいく。


 ボクの後ろで、笑い声が聞こえた。


「あいつ、女の子みたい」


 クラスメイトの男子二人組だった。ボクはそれを言われて少し悲しくなり、何も言い返せないまま、とぼとぼその場を去ろうとした。その時、鋭い怒鳴り声が聞こえた。


「花がすきで何がわるいんだ」


悠馬だった。彼は二人組をにらんで威圧する。すると、二人組は『あっち行こうぜ』と、どこかへ行ってしまった。


「……ハルもたいへんだな」

「なんでたすけてくれたの」

「おれも花がすきだから。だから、またおりがみ、つくって」

「おりがみ?」


 ボクはきょとんとしたまま手を引かれて教室に向かった。悠馬は道具箱を机の上に置くと、その中に入っていた50枚入りの折り紙のフィルムを剥がし、差し出した。

『……おれも作ろうとしたけど、あんまりうまくないから。だからつくって』

 悠馬の道具箱には、ボクが作ったくしゃくしゃのチューリップがまだ入っていた。

 うれしかった。ボクは人気がない人間だと思っていたし、誰かに認められたこともなかった。だから、人気者の悠馬にボクの作品を大事にしてもらえて、すごくうれしかった。

 

 ボクは金色の折り紙を取り出し、今度はタンポポを作ってあげた。やたら豪勢に光っているが、タンポポだ。


「はい、タンポポ。」

「……ありがと。大事にする」


 悠馬は嬉しそうに微笑んで、タンポポをお道具箱のコレクションにいれた。


 気付けば、その日からボクたちはずっと、昼休みを共にする仲になっていた。今まで話していなかったのがウソみたいに、磁石のようにくっついた。



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