13 女の子同士で

雲ひとつない日だった。


 夏葉は前日の変貌をそのまま残して、女の子になっていた。見た目だけでなく、内面も、完全に。三つ編みを垂らして上品に歩くその様をみて、クラス中はざわざわとしていた。


 そして昼休み、夏葉は静かに動き出した。武田が不在の間、彼のペンケースの中に、ちいさなメモ帳の切れ端をはさんだのだ。


『武田へ

 あれからしばらく、話さなくなっちゃったね。

 でも、このまま疎遠になるのも嫌だから、ちゃんとお話したいな。

 放課後、校舎裏で待ってます

 元:本村翔太 現:夏葉』


 柔らかな、丸みを帯びた文字でそう記してあった。字を書くのが得意でなかった夏葉は、インターネットで綺麗な文字を書く方法を調べ、試行錯誤しながらこの手紙を記したのだ。

 陽菜乃もこの動きを察知していたので、先回りしてバレないよう、こそこそと隠れてその様子を覗き見ることにした。正直、盗み聞きに罪悪感がないと言えばウソになるが、それ以上に夏葉の動向が気になって、足が止まらないのだ。



「……本村、待たせたな」

 武田が、スカートのポケットに手を突っ込みながらそこにやってきた。それに反応して、校舎の壁に寄りかかっていた夏葉は顔を上げ、眼鏡のレンズから覗くダークブラウンの瞳をみせる。三つ編みを指に巻き付け、はにかむように笑った。


「夏葉って呼んでほしいな。わたしの新しい名前だよ」

「……夏葉。随分変わったな」

「……そうかもね」

「こうやって話すのは久しぶりだな」

 武田は、視線をやや落としながら、淡々と会話を続ける。


「うん。ちょっと疎遠になっちゃったね。もしかしてわたしのこと、嫌いになっちゃった?」

「そんなことは……ふん、元から嫌いだった気がするが」


 武田のひねくれた性格は、彼の本心を包み隠すための防壁。夏葉もそのことをよく理解して、彼の天邪鬼な発言を受け流していたのだが、今日は少しだけ、いつもと違う反応をしてみた。


「わたしはずっと仲良しだと思ってたな。そんなこと言われたら悲しいかも」


 夏葉は、いつもとはまた一味違う、いじわるそうな笑みを浮かべる。その様子を見た武田は慌て気味に弁明をする。


「……冗談だよ。嫌いではない」

「ふふ、知ってた。だって私がグラウンドで倒れた時、介抱してくれたもんね」

「……人として当然だろ」


 武田はなんだかやりにくそうな、拗ねたような表情で口を結びながらぼそぼそとつぶやく。


「……それで、なんで呼び出したんだ。何か嫌なことでもあったか?」

「えぇ~心配してくれるの?わたしが男の時はそんなことしなかったじゃ~ん。なんでなんで?」

「う、うるさい」

「ふふっ、武田ちゃんってほんとは優しかったんだね」


 夏葉は両頬を手で包み、照れるように三つ編みを左右に揺らした。


「ば、ばか!ちゃん付けはやめろ!あと、質問に答えろ。なんで呼び出した?」

「手紙に書いたでしょ。武田と話せなくなるのが嫌だっただけ。私の事どう思ってるのか心配になって……話しかけづらくなっちゃったの。

 でも、ここに来てくれて、嫌いじゃないって言ってくれて安心した。」

「……じゃあ少し、話すか」


 ふたりはコンクリートの椅子に腰をおろした。二人の周りには、どこか湿った空気が纏わりついていた。


「そういえばさ、もうわたしサッカーやめたんだ」

「……そうか」


武田は、どこか苦い顔を浮かべ、自分のスカートの裾を掴む。


「だからこれからは、スポーツ仲間じゃなくて、もっと親密な関係を築きたいの」

「……親密って。」

「手とか、つないでみたり?」


 夏葉が冗談半分に武田の指をつまむと、武田は焦って、それを振り払う。


「ばっ、ばか」

「あれ、武田がたじろいでる。珍しー。

 私が女の子になってから、武田の態度が変わっちゃうのがかわいいよ」

「……変わってない」

「じゃあ、なんでわたしのおっぱい見てるの?」

「こ、これは!違うんだ……顔を合わせづらいだけで……」

「へぇ、顔合わせづらいんだ。なんでなんで?」


──なぜ、目が合わせられないのか。


 夏葉は顔を近づけ、湿った吐息を吐く。その瞬間、武田の顔は沸騰する。この時、彼女の心を隠す『天邪鬼』という防壁は崩れかかっていた。


 武田はほんとうは、繊細な性格だった。だから、本心が否定されるのが怖いのだ。その脆い心臓を守るために、『ひねくれた態度』という鎧を、いつのまにか身に着けていた。

 思ってもいないことを発言すれば、それがいくら非難されても彼の本心が傷つけられることはない。かわりに、鎧が傷ついてくれるから。


 でも、その鎧には弱点があった。それは、『寂しい』という感情だった。鎧を被って、誰も気付いてくれない彼の本心は孤独を募らせ、内側から自分自身を蝕んでいった。


 しかしそこに、武田の本心に気付いてくれる人がいた。それが夏葉だった。夏葉は、彼がひねくれた発言をしても、その奥に隠された本懐を汲んでくれた。そのおかげで、どこか彼は満たされていたのだ。

 そして今日、夏葉は変わった。それはまさに武田の理想の女の子で、そのどこか悪戯っぽい仕草は、武田の本心を完全に掴んで離さなかった。彼女が、お互いの痛みを知り尽くした『親友』という間柄だったからこそ。

 そして、彼の寂しい本心はその鎧を脱ぎ捨て、夏葉へと手を伸ばそうとしていた──


「……お前がかわいいから」

「にへへ。めずらしく素直だね」

「……お前がいちいちあざといから」

「……うれしい。わたし武田にかわいいって思ってもらうためにがんばったんだよ。

 サッカー選手になるって約束、守れなくなっちゃったから。だからもう、決めたの。とことん女の子になろう、って。」


「……約束、守れなくてごめんね。」


「……夏葉は悪くない」

「ん、ありがと。そうだ、約束破っちゃったから、罰として命令をひとつ聞くことになってたね。なんでも命令して。わたしは武田の味方だし、根が優しい武田の言うことなら、ほんとうになんでも聞くよ。」


 武田は、サッカー選手になれなかったほうが命令を一つ聞く、という口約束を思い出す。

 なんでも聞く。それはどこまで許されるのだろうか。……今の夏葉なら、本当に何を命令しても受け入れてしまうかもしれない。武田は夏葉の希望的な笑いを見て、そんな風に思ってしまった。

 それは夏葉の、誘導だった。夏葉の甘い香りに惑わされ、パズルの最後のピースがはまるように、武田は夏葉に、命令をする。それは陥落の合図だった。


「……つ、つきあって」


 夏葉はゆっくりと、微笑みながら頷く。


「理由を、教えてくれたら嬉しいな。」

「…………一緒に居たいから。それに、夏葉弱いのにそんなかわいい見た目だから……だから、寄ってくる男から守らなきゃいけないだろ」



 その瞬間、男友達だったふたりは、女の子どうしで恋愛関係を結んだ。


──まるでマーマレードのように濃密で甘い会話を盗み聞きしながら、陽菜乃は呼吸を殺していた。


 まさか、二人の関係がこんなに深いものだと思っていなかった。

 夏葉について、何もわかっていなかった。

 女の子になって、みんなの人間関係がこんなにも変わってしまうのが怖かった。


 陽菜乃は、武田と夏葉の関係を自分と叶歩の間に照らし合わせる。

 陽菜乃の体には、鳥肌が走っていた。


◆◆◆

(あとがき)

ここまで呼んでくれた方、ありがとうございます。


今回のお話で、第一章が終わりとなります。いかがだったでしょうか。

親友の関係を恋人に昇華させてしまった武田と夏葉。そのカップルを見て、陽菜乃と叶歩の関係はどうなるのか。


ふたりの関係はまだ始まったばかり。


これからも毎日投稿を続けていくので、気に入っていただけたら、♡や目次からの☆、コメントなど頂けると作者が喜びます。


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