誤解の味は甘酸っぱい

やなぎ怜

(1)

 初夏。卒業シーズンを控えて、どこか浮き足立つ学園内。貴族階級の生徒が大勢たいせいを占めるこの学園では、卒業後に結婚が控えている者は多い。


 あと一年を残したメイヴィスとて例外はなく、ひとつ歳上の婚約者・オーウェンと夫婦になるまでに残された時間は残りわずかだった。


 オーウェンの家の厚意で、結婚後もメイヴィスが学園を辞める予定はなかったものの、オーウェンの卒業を前にしてどこか浮足立ってしまうのは、メイヴィスも他の生徒と同様だった。


 しかしメイヴィスには、その他大勢の生徒と決定的に違う点があった。


「――さんはどれくらい進みましたの?」

「それが……上手く髪の毛の部分が染色できなくて……」

「――様の髪の色を再現するのは難しいですわよね……」


 カフェテリアのテラス席に座り、きゃらきゃらと会話に花を咲かせている女子生徒たち。その手元にはふわふわとした生地で作られた、手のひら大の人形――“ぬい”があった。


 ――“ぬい”。それは、現王妃が異世界から持ち込んだ文化だと言う。王妃が手ずから針を入れて作り上げた“ぬい”は、現国王の心を射止めたと言われており、“ぬい”は思いを橋渡しするラッキーグッズとして、今や広く巷間に受け入れられていた。


 国王夫妻の馴れ初めということで、当初は上流階級の社交界内での流行だったのだが、そのブームの勢いやすさまじく、またたく間に多少懐に余裕のある庶民にまで波及したわけであった。


 無論、その流行りぶりはこの学園においても例外はなく、卒業シーズンを間近に、友達や恋い慕う相手に思いを伝える手段として“ぬい”作りが大ブームを巻き起こしているのだった。


 特に熱心なのは女子生徒である。しかしメイヴィスはイマイチその流行に乗れずにいた。貴族令嬢の手習いとして、刺繍などの手芸ごとはひと通り習得したものの、お世辞にも技巧的に優れているとは言い難い腕前だったこともある。


 だから、これまでメイヴィスは“ぬい”とは距離を置いていた。これまで、ひとつとして作り上げたこともない。


 しかしそんなメイヴィスの手の中には、一体の“ぬい”があった。中庭のひと気のないベンチに身を隠すようにして座るメイヴィスは、手のひらに収まるそれ――“ぬい”に視線を落とし、ため息をつく。


 メイヴィスの手の中にある“ぬい”は――明らかにとある女性を模していた。


 公爵令嬢セラフィーナ。王子アーチボルドの妃に内定している、メイヴィスからすれば遥か彼方の雲上人。プラチナブロンドに薄い青の瞳、抜けるような白い肌と凛とした賢そうな目。特徴的なのは毎朝の支度が大変そうな、見事な巻き髪である。


 ……そんなセラフィーナの特徴すべてを上手く落とし込んだ“ぬい”が、メイヴィスの手の中にあった。着用しているのは、真っ白なドレス。それはメイヴィスの目には、異世界人の現王妃が身につけたことで流行している、白いウェディングドレスに見えた。


 メイヴィスは再度ため息をついた。


 公爵令嬢セラフィーナを模した“ぬい”は、メイヴィスが作ったものではない。もらったものでもない。……拾ったものなのだ。この、持ち主が問題だった。


 持ち主がセラフィーナ当人であれば問題もないし、またその夫となることが決まっている王子アーチボルドでも問題はない。女子生徒でもまあ、大多数の人間はそこに恋心があるとは思わないだろう。品行方正、清廉潔白を形にしたようなセラフィーナは、女子生徒たちからも慕われているからだ。


 でも、この“ぬい”の本来の持ち主が、先に挙げただれでもないことをメイヴィスは知っている。


 セラフィーナの“ぬい”の持ち主は――オーウェン・ユニアックなのだ。そう、メイヴィスの婚約者であるオーウェン、そのひとだった。


 オーウェンは“ぬい”から距離を置いているメイヴィスと違い、男性ながら“ぬい”作りの妙手などと言われて名高い。そんなオーウェンの家――ユニアック家の勝手知ったるタウンハウスを訪れた際に、彼の私室に落ちていたのがセラフィーナを模しているとしか思えない“ぬい”だったのだ。


 拾ったとは表現したものの、メイヴィス自身、「盗んだ」と言うほうが適切だという自覚はあった。


 セラフィーナにしか見えない“ぬい”を見つけたメイヴィスは、激しく動揺してそのまま帰ってしまったのだ。セラフィーナの“ぬい”を持って。


 もちろんすぐに返そうと思ったものの、なんと告げて返せばいいのやら決心がつかず、ずるずるとその日を先延ばしにしてしまって、今に至る。


 オーウェンからは、今のところなにも言われていない。メイヴィスも、このセラフィーナの“ぬい”について、オーウェンにはなにも言っていない。それがまた、メイヴィスを悶々とさせた。


 あの日、メイヴィスがタウンハウスを訪れたことをオーウェンが知らないはずがない。そしてセラフィーナの“ぬい”がなくなっていることに、オーウェンが気づかないのは不自然だ。……けれど、オーウェンはなにも言ってこない。


 メイヴィスは、幼馴染でもあるオーウェンとは良好な関係だと思っていた。狂おしいほどの情熱はないと思っているが、ロッキングチェアに腰かけて暖炉の火にあたるような、そういう穏やかな情愛があると思っていた。


 でも、もしかしたらその本心は――。


「メイヴィス・ランドル嬢」


 不意に硬い声で名を呼ばれて、メイヴィスはあわててセラフィーナの“ぬい”を隠すように手をやってから、顔を上げた。


「――話したいことがある」


 すぐ目の前に立っていたのは、王子アーチボルドだった。


 メイヴィスは、ベンチに座ったまま腰を抜かしそうになった。

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