サルベージ

鯛谷木

本編

 誰もいない谷間の湖、静かなはずのその場所に今夜は割り入る姿があった。

キィ……パシャ。キィ、パシャ。

ボートを緩やかに漕ぐのはどうやら鼠色の外套を纏う青年のようだ。風になびくサラサラとした髪はわずかな星明かりを吸い込んで、白くちらちらと輝いていた。

「歌を忘れたー……なんだっけな。なんとかはー……川に捨てるんだっけ?まぁいいか」

彼はほとんど鼻歌のような歌を口ずさみながらひと漕ぎ、ふた漕ぎと湖の真ん中へと進んでいく。右側は切りそろえられた前髪で隠され、そのうえ細く弧を描いた目元から感情は読み取れない。しかし、少し外れた音程の童謡は場違いで、やけに上機嫌な印象を与えた。

 やがて漕ぐのに飽きてきたらしきその男、蛍誓(ケイセイ)はゆったりとボートに寝そべる。

「いい天気だなぁ」

そう、本当にいい天気だ。月のない夜は蠢く影の気配がわかりやすい。少し辿ればすぐ根元にたどりつける。

 なぜそんなものを探しているのか。忘れ去られたモノやコトを拾い上げ、形を持った「おまじない」に加工して人に売り捌く……それが彼の生業だからだ。ニコニコ変わらない笑みと丁寧語のセールストークはぶっちゃけ怪しさ満点のシロモノだが、原価がほとんどかからないおかげか稼ぎは悪くなかった。

 爽やかな風に眠気を誘われながら漂ううちに、背中に走る感覚が濃くなってくる。

「うーん、そろそろかな……」

よいしょ、という掛け声とともに勢いよく起き上がる。

「さぁ、鬼が出るか蛇が出るか」

そっと湖に指を浸し、そのまま手首まで。まるで撒き餌を沈めたかのように、じわじわと何かが集まってくる。空気がぬるく重くなり、あたりに腐臭が立ち込める。肺に染めていく甘い匂いに息が詰まって思わず咳き込む。目を閉じ呼吸を整えて、気持ちを見失わないように強く祈る。ぼくのところにおいで、悪いようにはしないから……。

 気配が失せたころ、そっと引き上げた手には誰かのイニシャルが彫られた小さな指輪が握られていた。


 さっそく手に入った戦利品を、腰のポーチに大事にしまい込む。

「こんなもの、なんの足しにもならないんだけどな。なにやってんだろ」

背伸びをして、水面を見つめる。小舟が作る波に合わせて自分の影もゆらゆら震える。

「柄にもないこと考えちゃったや。疲れたし、そろそろ休みどきなのかも」

いつの間にか岸に着いていたボートを、突然ふわりと霧が包む。ざあっと風が走り去り、次の瞬間にはもう男は消え失せていた。

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サルベージ 鯛谷木 @tain0tanin0ki

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