第8話 磨いた成果を試すとき 3

 助けて…………。


 骸骨になった先生が、ゆらゆらと私の方へ近づいてくる。

 このクラスは呪われてしまったの?


「静かにして!」


 クラス代表のジャスミンが声を張り上げた。

 背中を叩かれたように皆、我に返った。

 教室はやっと静まり返った。



 ティーチャー・パンジーは怒るでもなく冷静に黒板の前でじっと立っている。

 よかった。いつもの面白くない先生が目の前にいる。


 面白くなくてよかったって言うのもなんだけど。


 ゆらゆらと揺れて骸骨になっていたのは、きっと私の幻覚。空も元通り快晴だ。


「とても仲の良いクラスなのですね。同じように皆が笑い出すなんて」


 先生は穏やかに微笑んだ。でも目はどこも見ていない。さっきの骸骨と一緒。

こんなの怒ってくれたほうがましだわ。


 ティーチャー・パンジーはそっと分厚い本を閉じた。

「授業を終わります」


 まだ鐘は鳴ってないのに授業を終えて帰るのね。もう一刻も早く帰ってもらいたいからちょうどいいわ。


 でもそうじゃなかった。

 

「これからこのクラス全員の持ち物検査をします。なにかに取り憑かれたようですので」


 私たちは無言だった。何を言っているの?この先生は。


「危険な物は排除しなければなりません。ハサミ、ピンなど危険な物がないかチェックし見つかったら没収します」

 

 頭が真っ白になった。まずいわ……。


「ティーチャー・パンジー」

 ジャスミンが立ち上がる。


「持ち物検査を行うときは、前日に通知する決まりがあるのでは?」


 すごい。よく勇気を出して言ってくれた。さすがクラス代表。


「普段はそうですね。しかしこれは緊急事態です。このクラスは確実に精神状態が悪化しています」

 

 さっきから酷い言いようね。


「そもそも前日に持ち物検査の通知することに私は反対です。意味がありません」


 ジャスミンの主張は一蹴された。


 これはまずい。ペーパーナイフを忍ばせている私は?他の生徒はちゃんと工作室の隣の鍵のかかる準備室に置いている。私はわざと置いてくるフリをしてブラウスの袖に忍ばせたのだ。


 みんな無言だった。なにかを言ったら自分が狙われる。誰だって一つや二つ見られたくないものを机に入れているだろう。


 でもさすがにペーパーナイフはいないわよね。喧嘩をして感情のコントロールができなくなり人を刺すかもしれないし、なにか幻覚を見て怯えて目の前の人を刺すかもしれないし……

 もしくは思春期の私たちは喧嘩をしなくても幻覚を見なくても誰かを刺すかもしれない。


「この異常事態を解決するためです。このままではマグノリア祭もこのクラスは不参加にしますよ」


「……マグノリア祭?」

 ステラがまぬけな声を出した。なぜ急にここでマグノリア祭? と言う素朴な疑問。

私だってそうだった。


皆がお互いの顔を見つめ合う。

 教室が一気にざわついた。

 マグノリア祭?!


「そんな……」


「なんで? 皆がずっと楽しみにしているマグノリア祭よ。そんなのないわ」

 エミリーは机に伏せて泣き出した。 


 マグノリア祭に出てはいけないなんて……そんなこと勝手に言って許されるの?

 冗談にもならない。こんな私でさえ楽しみにしているのよ。何日もステンドグラス制作をしてきているの。


 嘆きの声が連鎖していく。


「ティーチャー・パンジー、私は、私は笑っていません!なぜ皆が急に笑うのかわかりませんでした」


 泣きながら先生に懇願している少女。彼女は始業の鐘の音と一緒に教室に慌てて入ってきた。クリスティーナの物真似を見ていないのだ。本当にわけがわからないだろう。


「先生、別にこのクラスが取り憑かれたなんてことありません。実際、彼女は笑っていませんし」


 クリスティーナが言ったが、ティーチャー・パンジーは彼女の顔を見て、そのままなにも言わなかった。ティーチャー・パンジーの口元が緩んだ。


「ティーチャー・パンジー、罰はなんでも受けます、鞭打ちでも反省文でも」


 必死なクリスティーナを見て、ティーチャー・パンジーは馬鹿にするようにフッと笑った。


「お願いします。マグノリア祭はみんな楽しみにしているんです」


 クリスティーナはいつもの調子ではなく、物静かに言った。


「鞭打ちなんて、そんな古臭いことはしませんよ。窓側の席の三人、机の中の物を出してください」


 心臓が飛び跳ねた。ああ、なんでこんなことに。しかも私が最初だなんて。終わりだ。この世の終わりよ。


 数名の生徒は本当に泣いているのか泣きまねなのか、机に伏せながらも机の中に手を突っ込んでなにかを探したり、手に丸め込んだりしていたのが見えた。


 ステラはパンの残りをスカートに入れているし。


「全員が危険な物を持ち込んでなければすぐに終わりますよ。もし何か見つかったら会議にかけましょう」


 会議と聞いて数名の生徒がさらに取り乱した。


「会議にかけて、そのあとどうなるのですか?」

 落ち着いていたジャスミンもわれに返った。

「それって成績に関係するのですか?」


「ちょっと落ち着いてくださいよ」

 ティーチャー・パンジーはため息まじりに言った。


「それは! ……それはFがつきますか?」


 エミリーも近くの少女に泣きついている。

「おうちに連絡が入っちゃうの?」


「そうですね……物によります」


「先生、笑ってごめんなさい」

「ティーチャー・パンジーすみません」

 急に先生にすがる様なような声を出す少女たち。ほんの少し前まで先生を笑い者にしていたのに。さっきまでの大笑いから一転して嘆きと泣き声で溢れた。



 私たちは楽しいことも辛いこともパニックも、すぐに振動し共鳴し伝染する-。


「先生! あの……これには訳があるんです」


 エミリーがそう言ってちらっとステラをみた。

 ステラは頷く。ステラはクリスティーナの方を見る。


「訳とは?」

「はい、それはその……その」

 エミリーはもじもじしながら、クリスティーナを見た。クリスティーナは下を向いてじっとしている。


「なんですか、はっきり言ってください」

「あの-」

 授業を終える鐘に遮られ、エミリーは頭をかきむしった。


「あぁ…………」


「もう結構です。皆さん静かに。今日のことはいずれにせよ報告はします。休み時間もなくなりますよ。全員机の上に速やかに荷物を出してください、すぐに済みます」


 私は机の中のノートや筆入れを掴んでいた。ばれなければいいのよ-


「すみません!」

クリスティーナが机を叩いて立ち上がった。


「ティーチャー・パンジー。休み時間に悪ふざけをしていた私のせいです。みんなマグノリア祭の前に内申を下げたくはありません。私一人を罰してください。笑ってしまいすみませんでした」


 その言葉を聞いて先生は嬉しそうに笑った。ここって笑うところかしら?


「やっぱりあなたね! そうだと思っていました。あなたが元凶だと」


 嘘でしょ?

 クリスティーナのこと信頼しているんじゃなかったの?


「そうです、すみません。懲罰房に行きます」


「だからそんな古臭いことしませんよ。反省などしていないでしょう。白々しくておかしいわ、クリスティーナ」


「…………」


「どうせ私が来る前に悪口でも言っていたのでしょう? このクラスのやっかい者だもの」


 なにそれ……私は別に彼女のシンパではないけど頭にきたわ。


「最初からわかっています。私はあなたのこと……」


 そこでティーチャー・パンジーは言葉を詰まらせた。クリスティーナの態度が変わった。もう媚びることに辟易したように。


「嫌い……なんでしょ、私のこと。言ってもいいですよ、ティーチャー・パンジー。私も嫌いだし。そもそもあなたのことを先生だと思ってないから」


 ティーチャー・パンジーは鞭を右手に構え一歩前に出た。


「嫌いって言えばいい」

「クリスティーナ黙りなさい!」


 バシン!と強烈な音。


 ティーチャー・パンジーが鞭で机を叩いた。もう誰もなにも言えなかった。全てが悪い方向に向かっている。


「大体面白くないんです、あなたの授業。ずっと前から。全部そのせいですよ」


 いつもは黒板を指すためだけに使われている鞭を、この日初めて先生が生徒に振り下ろすのを見た。


 静まり返った教室に凄まじい太い鞭の音が聞こえた。


 その瞬間、怖くて私は一瞬目を閉じた。それと同時にこの日のことはきっと忘れないだろうと思った。


「クリスティーナ!」


 ジャスミンの声。クリスティーナの頬から真っ赤な血が滴り落ちた。


 悲鳴が聞こえ、ジャスミンとソニアが他の先生を呼びに廊下に出て行った。


 クリスティーナはがっくりと膝から倒れた。ステラやエミリー……彼女のシンパたちが周りを囲む。


 ステラはクリスティーナを抱え、エミリーがハンカチで血を押さえた。

 

 なにか舞台でも見ているかのようだった。


 そう、こんな大事件なのに私はただぼうっと座って、長い髪の毛の間からすべて傍観している。泣いている子もいるのに、私はなんて冷酷なの。


 でもその横でなにもしないで突っ立ている真っ黒な背の高い女は一体何者?

 異様な光景だわ。

 そしてその女はふっと笑った。


 笑ったの?


「だるいわ~」


 犬の唸り声のように低い声が、教室の後ろから放たれると、一瞬にして教室は静かになった。皆が一斉に振り返った。


「今の声、誰?」


 久しぶりに出した声はガラガラに枯れていてまったく上手く発声できなかった。

 声って使わないと退化するのかしら。


「嘘? ……あの子、話せるの?」

エミリーが私を指差して言う。私は立ち上がりそのまま前に歩み出た。


「きゃぁぁ」

 エミリーが漫画みたいに小さく悲鳴をあげた。少女たちは一歩後ずさりした。


「マ、マリアンヌがしゃべった!」

「初めて聞いた」


 泣いていた生徒も目をパチパチして私を見ている。教室にいる全員が口をあんぐり開けていた。


 悪いけど一番驚いているのは私よ。


 誰とも話したくなかった。どう話していいかもわからなくて……私は話すことをやめたの。こんな私に母親も匙を投げたわ。


 でもやっと、やっと声がでたのよ。

 でもこの学園に来て、初めて声に出した言葉がだるいわなんて残念すぎる。


 ずっとプリンセスに憧れていた子の言葉にしては品がなさすぎるんじゃない?

 ああ本当に自分にがっかりしてしまう。


 でも本当にだるいのよティーチャー・パンジーの全てが。

 見つからないように袖に持ち替えて隠していたペーパーナイフを握り直した。


 ペーパーナイフに施したマーガレットの花のおうとつを親指の腹で感じる。


 このペーパーナイフ、実は紙を切るだけじゃないのよ。

 アートレッスンの時間に使った紙やすりを少し拝借して片方のやすりで毎日磨いて鋭くしたの。深い意味はない。ただ、かっこよくより実用的にしたかっただけ。


 でもそんなことはどうでもいいわ。体の内側から勇気が出てきた。さっきまで私はなにに怯えていたのだろう。


 今、磨いた成果を試すときなんじゃなくて?今じゃなければ、これはいつ使うのかしら。


 前髪が鼻までかかるほど伸びているから私はよく周りが見えていなかったけど、目の前の骸骨はよく見えた。


 真っ黒なローブを被った死神-


さっきみたいに窪んだ目で私をじっと見つめてきた。でももう怖くなかった。


 もう一度、右手の指の腹でなぞってマーガレット模様のおうとつを感じた。


 私はその死神の前に胸を張って立ち、右手を振りあげた。


****



 ソニアは深々と頭を下げた。


「ソニア、君は生徒の監視役なのに一日に二回も問題を発生させるなんて、どういうことなのだ?」


「すみません。アマンダは助けたつもりなんです。また池に落とされる生徒がいたら困ると思って……それに記憶が戻ってきてましたので入院してもらおうかなと」


「まぁ……両親を崖から突き落としたなんて……思い出したら発狂するだろうな」


「ええ、受け入れられないと思います」


「あぁ……ティーチャー・パンジーもクリスティーナもマリアンヌも……大惨事だ」

 頭を抱える白髪の男。


「クリスティーナはここ半年、薬を全て隠れて捨ててました。それで常にあんな感じで。マリアンヌに至っては本当にノーマークで。まさか武器を持っている子だとは……」


「君がいて阻止できかなったのか?」


「はい、まさかブラウスの袖に隠し持っているとは」


「急に襲ったのか?」


「はい……急にでして……」


「ソニア、アートレッスンで制作したペーパーナイフ……棚に鍵をかけた後ちゃんと数えたか?それも君の仕事だろ……」


「すみません…………忘れてました」


「本当に……事後処理が大変だよ。2年B組の全員……」


 所長は大きなため息をついた。

 


「前の犯罪記録をもう一度教えてくれ」



****


 私たちは普通の学校で普通に過ごすことのできなかった生徒たち。

 精神が壊れ、犯罪者の烙印を押された少女たちなの。

 特別なテストをたくさん受け、この学園に連れてこられた。


 喜びもパニックも振動し共鳴し、伝染する……。


 マグノリア学園収容所-



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

磨いた成果を試すとき (クリスティーナたちの長い長い一日) 不自然とう汰 @motodaaa212

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ