18.ティアマト
人食い竜──まがい物のドラゴンは討伐された。その、リーベ周辺の脅威となり得た“怪物”が討伐されたしばらく後。
人食い竜は騎士団が死体を処理することになり……現在は布で覆われて周辺を騎士が警備していた。
港湾都市はいつもと変わらない賑わいを取り戻し、以前と同じように街全体に商人の声が飛び交う。
多くの店が営業を再開しており、それは宿も例外では無い。
「疲れたのじゃ」
開口一番──宿屋の部屋に帰ってきた少女は言う。それを隣でいつものように聞く冒険者……ジーク。
いつもならば、少女の言葉に何か返すのがこの男だが、今回に限って言えば、確かにドラゴン少女の言うとおり、ということなのだろう。
実際……バハムートに“何か”をされた為なのか、ジークの体には疲れが一気に押し寄せている。例えるならば、寝床に横たわるだけで消え入るように眠ってしまいそうなほどに。
「……聞きたいことが山ほどあるんだが」
「妾の“疲れた”という言葉が聞こえなかったのか? 今日はもう眠りたいのじゃ」
その少女の声色は、どうやらそれが冗談では無く、本当に疲れている様子を物語っていた。かくいうジークも休息を取りたい。時間帯も、そろそろ日が傾き出す頃だ。
「……ちょっと早いが……今日はもう休むか」
「うむ。早い寝付きが健康の秘訣じゃ」
「お前はまた、年寄りみたいなことを」
年寄り。まぁ……今までの状況を鑑みるに、バハムートは長い時を生きてはいる。それはジークにも察せられることなのだが……。
「……」
ドラゴン少女がジト目になって冒険者を睨む。荷物を片付ける男に、少女は詰め寄っていく。
「おぬし。のう。今何と言うた?」
「……空耳じゃないか?」
「ほう? この後に及んで妾の耳が悪いとでも?」
遠い耳。これまた出てきた年寄り要素。唐突な少女の言葉に、思わずジークはにやける。
「……ふ」
「お、おぬし! 笑っとるのか!? この美しく華麗でびゅーてぃふぉーな妾を年寄りと!」
腰に手を当て……背伸びをしてジークへ寄るバハムート。人差し指でその胸をつついて、これでもかというぐらい問い詰めている。
バハムートは……ある意味で不思議な存在だ、と冒険者は思考した。ヒトの歴史に載っていないことを知っている素振りをしながら、現在のように背伸びをして子供のような振る舞いもする。
ジークは、冒険者となってからずっと、独りで人生を生きてきた。彼はそれに、不満を抱いていたわけではない。依頼さえこなせば毎日を生きることはできるし、共に在る者は居なかったが、友人程度ならば居る。
しかし……そんな男も、思ってしまったのだ。もはや、今のこの状態は……手放しがたいものであると。
実際、バハムートが来てからの日々は……誰の目から見ても刺激的で、代わりのきかないものであった。
だが──幸せという者は、永遠に続くとは限らない。
「……うん?」
彼らの部屋のドアがノックされた。だが、ジークが誰かと約束をしているわけでもないし、そもそもここに宿泊していることは他人には伝えていない。
……であるならば。扉の前に居るのは、一体“誰”なのか?
「──姉様」
冒険者の肌が震える。冷たい声。冷え切った声色。先ほどまでの雰囲気は一気に崩れ──部屋には緊張した空気が走る。
──ティアマト。バハムートが言うところの、“ドラゴン・シスター”。その竜が今──目前に迫っている。
「な、なんじゃ? 来るなら来ると先ほど言えば良かったであろうに」
バハムートは扉を開け、ティアマトへと話しかける。だが……“二匹目の竜”の視線の先にあったのは……少女では無い。
「……人間。用があります。付いてきなさい」
そのまま言って……ティアマトは部屋の前から姿を消す。そして、顔を見合わせるバハムートとジーク。
「……ったく。行くしかねぇってか?」
そのまま、冒険者も部屋を出る。その別れ際──ドラゴン少女に、
「……気をつけるのじゃぞ」
という言葉をかけられながら。
・
・
・
時は夜。既に日は沈みきり、辺りは暗い。リーベ周辺は、都市の明かりが漏れてまだ明るいが、古代村の方まで行くと暗闇の中だ。
当然ながら、こんな危険な時間帯に外を出歩く者は少ない。居るとしても、よっぽど急な用事がある場合だけだ。
それは、この二人──ティアマトとジークも同様であった。
「さて、この辺りで良いでしょうか」
暗がりの中、冒険者の前を歩いていた“竜”が立ち止まる。港湾都市リーベからそう離れてはいないが、都市の外にある……開けた荒れ地。
そして女性の人間の見た目をした“ティアマト”という名のドラゴンは──剣を“生み出した”。
生み出した、というのは言葉通りの意味で……ティアマトがジークへ手を向けると、それに呼応するかのように、何も無かったはずの空間に剣が現れたのだ。
大きさとしては、ジークの持つ普通の細身の剣よりも太い“大剣”と言ったところ。背丈ほどの高さは無いが、それでも女性が持つにしてはいささかギャップがある。
「抜きなさい」
ティアマトの一言。その変わらない冷たい声色に……ジークは少し怯む。だが、彼とて何も知らずにノコノコと付いてきたわけでは無い。
初対面の際の態度。そして……人食い竜だけでなく、“人間”へも向けられた侮蔑の視線。“ドラゴン・シスター”が何かを企んでいるのは、冒険者の目にも明らかだった。
「……戦って、どうする?」
ジークは……素朴な疑問を投げかける。だが、ティアマトは顔色一つ変えずに答えを返した。
「どうもしませんわ。ただ殺すだけです。姉様の近くに人間が居るのは……些か不愉快なものでして」
「んだよそりゃ──っ!」
──瞬間。ティアマトが斬りかかる。剣に込められた殺気は本物だ。彼女は本当に──ジークを亡き者にしようとしていた。
咄嗟の判断で剣を抜くジーク。初撃は防いだものの、その衝撃によって弾き飛ばされる。
「……くっ」
男の剣を握る手には、いつものような力が入らない。疲れから……ではない。目の前に立ちはだかる存在が……ドラゴン少女の“姉妹”であるという事実。
それを果たして──斬って、良いのか?
「──」
ティアマトは止まらない。体格に似合わない剣を振り回し、ジークの力を確実に削っていく。防戦一方。苦戦必死。
そんな、一切刃を向けてこないジークを見て……竜はため息を吐く。
「……こんなものですのね。姉様が見定めた“ヒト”は」
鍔迫り合い。金属と金属がかち合う音。最中──竜の持つ剣の刀身が赤色に染まり──。
「──ッ」
ジークの剣は、ティアマトに弾かれて宙を舞った。男は地に刺さったそれを再び握ろうとするが……できなかった。
男が感じるのは、首元の冷たい感触。明確な──“死”の予感。
「終わりですわ。やはりあなたは、“ふさわしくない”」
「……どういう……意味だ」
刃の触れる喉から、なんとか声を絞り出すジーク。ティアマトは冷めた瞳でそれを見ながら答えを返す。
「あなたは、姉様の隣に立つに値しない。──弱く、惨めな人間」
「……っ」
ジークは……何も言い返せない。冒険者がバハムートに助けられることは多々あった。では……彼は、少女を助ける力を、持っているのだろうか?
「消えなさい。竜に対する敬意も足りない──愚かな“蛇”よ」
剣を納め、リーベの方向へと消えていくティアマト。その姿は、暗闇に紛れて一瞬で見えなくなる。荒れ地に残るのは、ただ独りの男。独りきりの冒険者。
陽が昇るまでの長い時間……ジークはその場から、動けなかった。
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