第3話 あばよ、化け物

「わぁ! あたし馬車で行くの初めて! アルヴィは?」

「あ? あー、初めてだよ」

「楽しいね!!」


 まだ馬車に乗ってもいないのに何がそんなに楽しいのか……。アルヴィには理解出来ない。

 でも、本当はこの街へ来る前に馬車で遠征した事はあるし、何なら野営しながら大物を追った事もある。今にして思うとあれは楽しかったと言えなくもない。


「そうだな」


 アルヴィの答えにオルは満面の笑みを浮かべる。

 それを見たアルヴィは、もしかしてだが、自分は良い人と思われているのではと思い、念の為言っておく事にした。


「どんな依頼か分かってないんだからあんまり浮かれ過ぎるなよ。あと言っとくけどな、俺は良い奴じゃないからな」


 オルがエッ! と目を丸くしたのを見てアルヴィはやれやれと言葉を重ねる。


「すぐ人を信用しない方が良い。特にお前は」


 そしてプイと顔を背け、これで良しと安心した。実際オルを助けてやろうなんて気持ちはさらさらないのだから期待されても困るのだ。こんな事を言われて、もしかしたらしょんぼり俯いてしまうのかも知れないがそれでも構わない。

 ところが……オルはアルヴィから離れるどころか、なるほど分かったと大きく頷いてお礼まで言うではないか。


「ありがとう! あんまり得意な事じゃないけど気を付けてみるね! もし上手にやれてなさそうだったら教えて!」

「……っ! 今! 今上手に出来てねぇよ!」

「ええっ! どこらへん?!」

「だから……っ! そもそも俺をっ……!」

「あっ! 見て見てアルヴィ! あの馬車じゃないかなぁ?!」


 オルの興味の対象が、こちらへ向かってくるスレイヤー用の馬車に移りアルヴィはもう黙るしかなくなった。らしくもなく大きな声を出し、どうにかしてオルに分かってもらおうとしたのに……。


 見た目は普通の荷馬車だが、スレイヤー用の馬車は荷台に人が乗るのが前提なので椅子が備えて付けてある。今日の人数なら椅子もあまるしゆったり乗れるだろう。

 そして馬車はエウロズを乗せて動き出す。

 オルは幌の付いた荷台の中でそわそわしていたが、景色が見えない事に飽き、備え付けの椅子から降りて荷台の縁に腰掛けた。足をブラブラさせながら景色を楽しんでいる様だ。


「すっかり懐かれたんだな。可愛いのかよ?」


 おもむろにジノにそう言われてアルヴィはギョッとした。話し掛けられるなんて思ってなかったし、それもオルの事が可愛いかだとか。


「全然」

「あっそ、安心した」


 そう言うとジノは背もたれに深く身体を預けて目をつぶった。どうやら目的地までひと眠りするらしい。他のスレイヤー達もそうする様だったのでアルヴィも目を閉じた。別に眠るつもりはなかったが、馬車の揺れが心地良く、アルヴィもいつの間にか眠ってしまう。


 どれくらい経っただろうか。馬車はリフィール湖に一番近いベースに止まった。小さなベースだった。

 基本的なベースは獲物の査定、回収をする監査員の宿泊施設と獲物を保管する為の倉庫等があるが、見るに最低限の設備しかなさそうである。


「旦那方、馬車はここまでですよ」


 御者の声がして眠りこけていたスレイヤー達が起き出す。日もすっかり高くなっている様だった。

 そこからしばらく歩くと、半時もしないうちに遠くの森の木々が輝いているのが見えて来る。太陽と湖の光を反射して瑞々しい緑が喜んでいるのだ。


「わぁ、あんなの初めて見た! 綺麗だねぇ!」

「……」

「ね!」

「……そうだな」


 相変わらずオルはアルヴィの隣りではしゃいでいる。


「湖が目的地って事は、水に住む巨大生物が獲物だと思うぞ。経験はあるのか?」


 道中オルの一方的なお喋りを聞くよりは有意義な時間にした方がマシだと考えたアルヴィはオルにそう質問した。

 すると元気だったオルの表情は一気に硬くなり、軽快だった足はピタリと止まってしまった。


「……おい?」


 急に付いて来なくなったオルに驚いて振り返るアルヴィ。


「どうした、遅れるぞ」

「水……」


 青い顔でそう呟いて、自分の服の裾を握り締めるオル。明らかにさっきまでと様子が一変してしまった。


「やった事ないのか? まぁ水って言ってももちろん水中でやるワケじゃない」

「ほっ……ホント?!」

「……当たり前だろ? 獲物にも寄るが地上に引きずり出して戦ったり、水面に上がって来たところを魔法や遠距離武器で仕留めたりするんだよ。あっちのフィールドで戦ったら勝てるワケないだろうが」

「そっ……そっかぁ~! なんだそっかぁ~! 良かったぁ~!」


 まさかそんな事でオルが硬直していたとはとアルヴィは小さく溜息を吐く。

 そして、いよいよ目的地のリフィール湖へと到着すると湖を背にしてジノが今日の狩りの説明を始めた。


「今日の獲物はパシウスだ」


 パシウスは綺麗な湖に生息する大型生物だが、蛇の様な長い身体に、発達した四本の脚も生えている。基本的には水中で活動するが、捕食の為に陸地へ上がったりもする。


「ここで巨大なパシウスが確認された。何日か前からあった依頼だけど誰もやらないから報酬がだいぶ上がってるし、湖底からは何やら希少な鉱石が採れるんだとよ。つまり人助けってわけだ!」


 おおと応えるメンバーに少し遅れて、オルも緊張気味におおと言った。


「早速始めるけど……オル、お前には特別任務をやってもらうからな」

「えっ?」

「あれを見ろ」


 ジノがスッと前方を指す。湖の淵ギリギリのところに立派な大樹がそびえ立っていて、その枝葉は湖の中まで届いていた。


「あの枝が良いな。お前にはあの枝先にぶら下がってパシウスをおびき出す……餌の役割をやってもらう」

「ええええっ! 餌っ?! 食べられるのは困るよ!」

「バーカ、餌っつっても本当に食べさせるわけじゃねぇよ、お前を狙って出て来たパシウスに俺らが遠距離で攻撃する。お前はぶら下がってるだけで良い」

「……」


 パシウスをおびき出す為の囮にわざわざスレイヤーを使う必要はない。その辺の小動物でも何でも良いのだが……、使ったらいけないわけでもない。自らを囮にして一人で仕留める猛者も居ると聞くので判断が難しいところだ。

 判断と言うのはこれがオルに対しての嫌がらせなのか否かの判断であり、あくまでこの件においてである。まぁ今までエウロズがやって来た事を考えれば答えは明白なのだが……。


「でも、どっちかって言うとあたしが攻撃した方が……」

「へっ! オーガ様の方が攻撃力があるもんなぁ~? じゃあよ、遠距離攻撃が出来るなら任せるぜ?」

「ううっ……」


 オルは助けを求める様にアルヴィの方を見たが、アルヴィは別にオルの味方をしてやるつもりもないし、ジノの言う事はもっともだった。


「わ……分かった……」


 アルヴィが動かないと見るとオルはいよいよ観念してジノの用意したロープに縛られた。


「ね……ねぇ、これって手首まで縛る必要あるの? ……ん? えっ! 足まで?! あたし泳げないし怖いんだけど……」


 やたらとジノは念入りにオルを縛り上げる。恐らく痛みもあるだろうがオルはもうされるがままだ。結び目に魔力を込め、かなり強固なものにしている様で、ここまでやるかとは思ったが口は出さなかった。

 そしてオルはとうとう、湖の上まで伸び出ている立派な大樹の枝の先端にぶら下げられた。

 泣き出しそうな青い顔でこちらを見られるとさすがに可哀想になったが、とにかくパシウスが姿を見せたら早く倒してやれば良い。


「もっと動いてパシウスをおびき出せよ!」

「そんっ……そんなっ……事言われても……っ!」


 水と言う言葉だけで怯えていたオルだが、元気に動くどころではない様だ。泳げない身で、手足を強固に縛られ、真下に巨大生物をおびき寄せる……怖くない筈がない。

 どうにも胸糞が悪い風景である。

 少しでも顔を出したらすぐにどうにかしてやれれば良いのだが、アルヴィは遠距離攻撃が得意ではない。一応色々な武器を扱えはするものの、それは信頼に足るものではないのだ。


 ……と、ゆらりと湖面が大きく膨らんだ。


「……来た!」


 あまり馴染まないが一応馬車に積んであった弓を引く。自分の腕では急所に当たればもらいもの。とにかく数を撃ち込もう。

 アルヴィが神経を研ぎ澄ませその瞬間に備えていると、思いもよらない場所から一本の投げナイフが放たれ、それは見事に……、オルと大樹を繋ぐロープを断ち切った。


「?!」


 重力に従い湖に落下するオル。このまま矢を放てばオルに当たる。もしかしたらオーガには大したダメージを与えないかも知れないが、アルヴィにはそれが出来なかった。

 しかしパシウスもすぐ下まで来ている。どれだけ大きな個体かは分からないがパシウスと呼ばれる獲物であればどんなに小さくても人一人くらいは丸飲みに出来るサイズだ。


 ――どうする……?! ――


 アルヴィが判断を迷ったその一瞬、縛られていたオルは強引にその戒めを解いた。後ろ手に縛られていた手も、足首から太ももまでロープでぐるぐる巻きにされていた足も、身体を大きく逸らせて開き、それをぶっちぎる。込められていた魔力が可視化してキラキラと黄色の粒が輝いて散った。


「……化け物が……」


 顔を引き攣らせてジノが呟く。

 そしてアルヴィは結局準備していた矢を引っ込めた。手足が自由なら、いくら泳げなくてもオルが大人しく一飲みにされる事はないだろうと思ったからだ。

 案の定、パシウスがその顔を湖面に出す前にオルはバシャンと控えめな水音をさせて落ちたが、すぐに暴れて最初の水音とは比べ物にならないくらい大きな音を出して盛大に水飛沫を上げた。それに驚いたのかパシウスは一度浮きかけた身体をまた水中へと返し、頭の代わりに長い尻尾が湖面から飛び出した。かなりの大きさだ。人一人くらいと言ったが、三人は余裕だろう。


「わぷっ……! わあぁっぷ……!」


 オルが何とか息をしようともがいているところを、その尻尾が立てた波が襲った。一瞬見えなくなったがまた懸命に息をしようと手足をバタつかせるオル。どうやら何とか浮く事は出来る様だ。そんなオルにジノが信じられない事を叫ぶ。


「おーいオル! 悪く思うな! 悲しい事故が起きちまったよ! 水中のパシウスじゃ、怖くてとても俺達にゃ無理だ!」


 その言葉がオルにしっかり届いたのは間違いない。生きようと必死だったその瞳に、絶望の色を帯びたのがアルヴィには分かったからだ。


「……っおい!」


 アルヴィは反射的にジノの胸倉に掴み掛っていた。だがジノはアルヴィを怖がる様子もなく掴ませてやったままこう言うのだ。


「どうやって助けろって言うんだよ? 俺だってエウロが可愛がってたオーガがここで死んじまうのは残念なんだぜ?」

「本気か……」

「引き揚げる」


 その言葉にアルヴィがジノを睨み付けると、もう片方の手に魔力が籠った。


「お前……魔術も使えたのかよ……」


 ジノにそう言われて、アルヴィ自身が驚く。無意識に体内の魔力が動いてしまっているのだ。

 そしてその手に籠る魔力量は、スレイヤーとして前線で戦って来たジノにとっても十分脅威と感じるレベルである。アルヴィがエウロズに来てまだ日は浅く、ほとんどの仕事をオルにやらせていたのでアルヴィにこんな才能があったなんてジノには知る由もない。先日のハイヴォルフ戦でもそんな素振りは見せなかったではないか。


「それを、どうするつもりだ……?」

「止めて欲しかったら……!」


 出てしまった魔力は仕方がない。だったらと脅しのつもりでアルヴィはそう言ったが、思いがけず火のエネルギーを纏ったその魔力の塊はアルヴィの腕から後方へ解放され、湖へ突っ込んでドボンと大きな水柱を立てた。


「……」


 本意ではなかった。だがきっとパシウスはオルからこちらへ興味を移すだろう。


「よ、よし……今のうちに助けろ」

「……リスクが高過ぎんだろ」

「あいつが居なくなったら今までみたいに楽に仕事が出来ないだろ」

「もともとオーガなんか居なくてもやって来れた!」

「……何でそこまでオーガを憎むんだ」

「憎む……? オーガごときを? はっ! 気色が悪いだけだ!! 人間と同じ見た目のくせにまるっきり化け物じゃないか! 特に訓練もしねぇ、女でもガキでも人間より脅威だ!」


 ジノが激高してアルヴィを突き飛ばした。


「俺は……、オーガの為に危険に突っ込む様な真似はしねぇ。そうじゃなくとも、もう強ぇのに向かっていくのは疲れたんだよ……」


 そう言うとジノは湖面でもがくオルを一瞥して背を向けた。


「あばよ、化け物」


 そして引き揚げだと号令を掛け歩き出してはそれっきり、二度と振り返らなかった。


「チッ……!」


 少しでもあいつらに期待した自分がバカだった。最初からこのつもりでいつもは行かない遠くの狩場まで出向いたのだとしたら、アルヴィが何をどう言ったって取り合ってくれる筈もない。

 パシウスが今どこにいるのか、ここからではもう分からない。とにかくオルからは離れさせなければと、鉄製の小手を外して湖に放り投げた。


 ドボンッ! 


 この小細工がちゃんとパシウスに通用するのかは分からないが、アルヴィは小手、脛当て等を素早く外してそれをまばらな位置に放り投げた。アルヴィだってパシウスの居る水の中になんて入りたくはない。泳ぎだって一応は出来ると言う程度。オルの事だって、別に友達でも何でもないと思っている。それなのに……。


「何でだろうなぁクソ!」


 自分に悪態を吐いて、アルヴィは湖へ飛び込んだ。

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