ミゼットオーガは炎中に立ちて
焼肉一番
第1話 オーガ族
鼻先に雨粒があたって、アルヴィはピクリと眉間に皺を寄せた。
空を見ると、鬱蒼と生い茂る木々の隙間から見える空は暗く、遠くで雷が光ったのも分かった。
「エウロ」
「がはは! ふざけんなてめぇ、オルの相手も簡単じゃねぇんだよ! ……あん? なんだよアルヴィ」
仲間の冒険者、この辺りではスレイヤーと呼ばれる者達と談笑していた長のエウロは、話の輪から外れていたアルヴィに話し掛けられ、面倒臭そうに振り返った。どうせこいつは俺達の話しをくだらないと思っているのに違いないのだと。
「降って来た」
「それがどうした」
「あいつがまだ戻らない。これじゃ足跡も消えるし、匂いも……良く分からないが色々な勘が鈍る筈だ」
「だから、それが何だってんだよ」
二人のやりとりを聞いていたスレイヤーの内の何人かが笑った。
「匂いをあてにするってのか? いよいよ獣じゃねぇか!」
「違いねぇ!」
「わはは!」
エウロには見抜かれているが、実際アルヴィは何が面白くて笑っているのか理解出来ない。
「何かあったのかも知れないし加勢に行った方が……」
「必要ねぇ、何の為にあんなのを連れて来てると思ってんだ。オルが心配で加勢に行くなんて、それじゃ意味がねぇだろうが」
スレイヤー達はことごとくエウロの言う事に頷き重い腰を上げようとはしない。
「ただでさえ嫌われ者の面倒を見てやってんだぞ?」
「エウロの言う通りだ、これ以上手を煩わされてたまるかってんだ」
そうだそうだとスレイヤー達は頷き合った。
「なぁ……」
「あん?」
それでもまだ続けようとするアルヴィに、威圧的な態度を取るエウロ。
エウロは荒くれ者のスレイヤー共を、カルムと呼ばれる組織でまとめる長だ。当然、年齢もキャリアもアルヴィより上。身体も大きいし、ずいぶん立派な口髭を蓄えてもいる。
こう見えて魔術にも精通していると来れば……同業者であればなるべく逆らいたくないと思うだろう。
一方アルヴィはまだ十九歳。
スレイヤーらしからぬ傷一つない端正な顔をしているし、身体の線も細い。
このカルムには入ったばかりの新人だ。
「前から一度聞こうと思っていたんだが……」
しかし、アルヴィは何ら臆する事なく言葉を続ける。別に正義感ではない。単純な疑問としてだ。
「何でみんなあいつを虐めるんだ?」
「虐めるとは人聞きが悪ぃ。俺はあいつの面倒を見てやってるんだ。それによアルヴィ、お前にはあいつの額に何があるのか見えねぇのか?」
「見えるが」
「ならバカな事聞くんじゃねぇよ。人間様が獣に舐められたら終わり。相応の扱いをしているだけに過ぎねぇ」
「……」
そう言う事かとアルヴィは黙った。
威張り散らしているが小物だなと小さく溜息を吐くとそれをエウロに拾われてしまう。
「何だおめぇ、何か言いてぇ事でもあんのかよ」
「いや、別に」
あいつが怖いんだろう。そう言ってやっても良いがその後の展開が容易に想像出来る。
「いいや気に入らねぇな。まだこのカルムに慣れてねぇみたいだから少し教育してやる……よ!」
大きな拳がアルヴィの顔に迫り、周りのスレイヤー達が面白そうに声を上げる。
アルヴィはそれを甘んじて受けた。
「……っ!」
理不尽極まりないがこうなったからにはこれ以上口を開かない方が良い。
殴られて相手の気が済むならそれが一番早いと思ったからだ。
やりあえばこちらの感情を揺さぶられる事にもなるだろう。
そうなった時に相手を傷付け、取り返しのつかない事にしたくはない。
無関係な人間まで巻き込んでしまうかも知れないのだから。
いつの間にか強く降り出していた雨が地面を濡らし、アルヴィはビシャと水音を立てながら転がった。
到底一発では気が収まらなかったのか、エウロはやる気なく倒れたままのアルヴィに近付き、胸倉を掴んで持ち上げた。
まぁもう二~三発も殴られれば……。
「どこまでも人をバカにした野郎だぜ、避けられただろうが」
「……」
アルヴィは反省した。
エウロと言う人物を過小評価し過ぎていた様だ。
そうでなくとも、アルヴィのポーカーフェイスや芝居は本人が思っているよりずっと拙く、彼の真意を測るのはそう難くはないのだが。
エウロに無理やり上を向かされているので、顔に当たる雨が口の端から流れていた血を洗ってくれた。その細い顎をエウロが乱暴に掴み、何か言おうと口を開いたその時……。
ゾクリ。
スレイヤーであれば、誰でも気付いただろう。
その、何か大きな物に見付かってしまった感覚に。
内輪で揉めている場合ではない。
それぞれがすぐ武器を手に取った。魔術が使える者は守りの詠唱を。そしてエウロもアルヴィを地面に叩き付けると顔を引き締めて言う。
「落ち着け、ドラゴンなら逃げるぞ、準備がねぇ」
いつも大した準備なんかしてないだろうと思ったが、アルヴィも口を結んだまま背中の大剣を抜いた。
その顔は、どこか嬉しそうに見える。
正直、ドラゴンだったら良いのにと思っていたが、そうならこの時点で姿が確認出来ないと言う事はあるまい。
ザザッ……!
と、茂みから何かが飛び出す直前にアルヴィの嬉しそうだった顔が深刻さを帯びた。
二体……!
「二体居るぞ!」
アルヴィの他にも勘の良いスレイヤーが居てすぐさま情報を共有する。
近くの者同士が背中を合わせ襲撃に備えると、ヤツらが姿を現した。
確かに二体、とても大きな……ハイヴォルフ。
見た目は犬にも近いが、その大きさや性質は比べられるものではない。
肩高だけでも人間と同等以上である。
アオーンッ!!!
咆哮は凄まじく、回りの空気を爆発させたかの様だ。実際、目に見えない衝撃が身体を襲い、一番近くに居たアルヴィが勢い良く後方へ吹っ飛ぶと、踏ん張れず地面に背中を付けた。当たり前だがエウロの拳なんかよりよっぽど強烈だ。
「……っ!」
少し驚いた顔のまま起き上がったアルヴィは、頬に跳ねた泥をグイと拭い、また嬉しそうに口角を吊り上げた。
「俺がこいつをやる!」
その言葉を聞いていたかの様に、二体居るうちの白い方が、ジグザグに大地を駆けてアルヴィに迫る。
「おいアルヴィ! お前勝手に……!」
「……構わねぇやらせとけ! 黒に集中するぞ!」
エウロの指示も聞かずに突っ走ったアルヴィに苦言を呈する者も居たがエウロは好きにやらせる事にした様だ。
もう一体の黒い個体を囲む様、残りのスレイヤーに指示する。エウロも入れて六人だ。
それを見たアルヴィはなるべく二体を離そうと走り出した。いつでも攻撃を加えられる様、大剣を両手で構えたまま。
エウロのカルムに入ったのは最近だが、アルヴィはスレイヤーとしてもう十分ベテランなのだ。エウロもそれは承知している。
まんまとアルヴィに付いてくる白いハイヴォルフ。
この辺りではあまり見かけない獲物だが、以前アルヴィが拠点にしていた地域では良く討伐依頼があった。タフさはないが一撃の攻撃力は高く、何よりその素早さにスレイヤーは翻弄される。
アルヴィに迫るハイヴォルフは時々ぐんと加速しては頭突きの様な攻撃を仕掛けてくる。しっかり余裕をもってかわしたつもりでもギリギリだ。足元がぬかるんでいるせいだろう。
だいぶ引き離せたし、このままでは防戦一方だとアルヴィはいよいよハイヴォルフに向かい合い強引に大剣を薙ぎ払った。
身体に不釣り合いな程の巨大なその武器は、ともすればこちらが振り回されてしまう。アルヴィはその重量感が気に入っていた。
身軽なハイヴォルフはその攻撃をひょいとジャンプしてかわしたが、そんなのはアルヴィも想定内である。
大剣の遠心力で持って行かれる身体を逆らわずに転がして立ち位置を変える。
ハイヴォルフもすぐに反応するが一瞬の隙をついて獲物の頭に高々と大剣を振り上げ、下ろす。
アルヴィの剣先は見事にその頭を捕らえて斬り付けたが、獲物は怯まなかった。
「ああ、甘いよな!」
大型の獲物と対峙するのは久し振りだ。余裕はないが勝てない相手ではない。こうでなければと血が騒ぐ。
唾液を飛び散らせながら大きな口を開けてアルヴィに襲い掛かるハイヴォルフ。それを大剣で受け止めると、ハイヴォルフの牙が当たって火花が散った。
グルルル……!
それが不快だったのか、白いハイヴォルフはくるくると狂った様に動き回り、アルヴィを追い詰める。
もうかわす余裕はないのですべて大剣で受け止めるが、その度にギィンッと嫌な音がした。
防いで防いで、大剣を振る。極めて地道な戦いだ。だが、魔術無しならこの獲物にはそれしかない。
離れたところで戦っているエウロ達の声が遠くなっていく。
ますます激しくなった雨音のせいか、自分が目の前の獲物に集中しているのか。どちらにせよ悪くはない心地だった。
いくら動き回っても防がれる事にハイヴォルフも疲れたのか、ハッハッと舌を出しとうとう立ち止まってしまった。
「どうした……」
不敵に言うアルヴィの言葉が分かるわけでもあるまいが、ハイヴォルフは舌を引っ込めると今度は歯を剥き出して威嚇した。まだ掛かりそうだと武器を持ち直したその時……。
ピクリ、とハイヴォルフの大きな耳が動いて明らかに自分達以外の何かを警戒している様に遠くを見つめた。
それはエウロ達が囲んでいる黒い個体の方向である。どこか怯えているかにも見えた。
「……?」
その様子を怪訝に思ったアルヴィは身体を白いハイヴォルフに向けたまま、顔だけでエウロ達の方をちらりと確認した。
激しい雨のせいで鮮明ではないが、確かに、黒いハイヴォルフがドッと崩れ落ちたのが見えた。
当然、アルヴィはエウロ達がやったのだと思った。エウロのカルムに入ってから、彼らがまともに戦っているところを見た事がなかったので、思っていたより仕事が早いなと。
だが、そうではなかった。
黒いハイヴォルフの倒れたところから、まるで弾かれた様に何かが飛び出し、こちらに飛んで来る。雨も空気も切り裂く様なスピードで、一直線に。
速い。
あ……、と状況を理解した時には、もうそれの琥珀色の瞳が確認出来た。
猫の様な縦長の瞳孔が獲物を見据えてカッと大きく開く。
それがぐちゃぐちゃの地面を蹴って高く跳び上がり、両手を頭の上で組んで急降下すると、ハイヴォルフはアオンと怯えた鳴き声を上げて逃げ出した。
勢いのままにハイヴォルフの居なくなったそこへ突っ込み、泥水を飛び散らせてはすぐに獲物の後を追うそれを、アルヴィは盛大に泥水を浴びながら見て思う。
ああ、確かにこれは、恐ろしい……と。
「引き揚げるぞ!」
苛立たし気なエウロの声にアルヴィはハッとした。まるで放り出された異空間から引き戻されたみたいな感覚だった。
エウロの号令を聞いたスレイヤーの一人がシールで黒いハイヴォルフへ焼印を押し付ける。
シールとはスレイヤーの必需品だ。高温の熱を帯びた特殊な鉱石で作られた携帯用の焼印で、カルムの情報等が掘られている。
そして別のスレイヤーがその焼印に魔力の込められた水を垂らすと、そこから空へ向かって緑の光が伸びた。その水も合わせてシールと呼ばれている。
この獲物の位置情報を知らせているのだ。今日中には一番近くのベースから監査員がやって来てハイヴォルフを回収するだろう。
「アルヴィ! お前ぇ白やるっつったよな。最後まで責任持てよ!」
言いながらエウロは自分のシールをアルヴィに投げて寄こした。アルヴィはまだこのカルムのシールを持っていないのだ。
「分かったよ」
怠いだの痛いだの言いながら、エウロ達は雨の中を引き揚げて行った。
いよいよ水音と雷鳴しか聞こえない。
アルヴィは倒れている獲物に近付いた。
エウロ達が斬り付けたり魔術で焼いたりした傷もあるが、明らかに致命傷は首の骨が折られた事であろう。奇妙な角度に曲がっている。こんな事が出来るのはこのカルムには……、いや、人間には居ない。
雨は少し落ち着いて来ていた。もともと通り雨だった様だ。
少し考えて、アルヴィはこの黒い個体を仕留めた人物をこの場で待つ事にした。
追い駆けてすれ違いになるより確実だし、到底加勢は必要ないと思ったからだ。
雨が降ったから加勢に行こうだなんて、確かに自分は滑稽な事を言っていた様だ。
そしてそう経たないうちに、案の定その人物は特に疲弊した様子もなく、そこへ戻って来たのだった。
「みんな帰っちゃった?」
年若い……少女である。実際は十五歳だが、背格好も、小首を傾げるその仕草も、彼女をもっと幼く見せた。
「ああ」
「あなただけ待っててくれたんだ! ありがとう!」
そう言って少女は嬉しそうに駆け寄って、アルヴィが体重を預けていた黒いハイヴォルフを撫でた。
「こっちはちょっと痛んじゃったけど、白い方は上手に出来たよ!」
獲物を撫でるその手は人間の少女のそれと見た目は変わらない。軽くハイヴォルフの真上まで飛び上がるジャンプ力を秘めた足も同じに見えるし、背丈はむしろ小柄だ。
だが……、少女の髪の生え際ギリギリの額からは二本の角が生えいた。
大人の人差し指くらいの控えめな長さだが、スッと真っ直ぐに伸びた、美しい白い角だ。
「どうやってやったんだ?」
「折らずに絞めた。すぐに落ちたから苦しくはなかったと思う」
「……たいしたもんだな」
「そっ、そう?! あんまりそんな事言われた事ないけど! 褒められると嬉しいね!」
えへへと恥ずかしそうに笑う少女の笑顔はとても可愛らしい。その笑顔の原因が、大型の獲物を絞め落とし、それを褒められたからだとは誰も思うまい。
だが額から生え出た二本の角と、琥珀色の瞳の中の、縦に長い瞳孔、時々覗く立派な犬歯……、何より、一人で二体のハイヴォルフを簡単に仕留めたその能力が、彼女を『オーガ族』だと証明している。
ちなみに、あっちこっちへ跳ねてしまうオレンジ色の頭髪はオーガ族の特徴ではなく彼女の個性だ。
可愛いとかオシャレとかの話しではなく、一つではまとまり切らないので高い位置で二つに結んでいる。結んだ先から出た髪もあっちこっちへ跳ねて、馬の尻尾と言うよりは年季の入ったデッキブラシだ。
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