第六話 即席パーティーとミノタウロス
「そろそろ抜けるわよ!」
とにかく前に進むことだけを考えて走り続けて、ようやく魔物の波に終わりが見える。
互いに息を切らして足も重い中、それでも足を止めることはない。
ヒイロが最後の魔法を撃ち、前面に広がる醜悪な壁に風穴を開けた。
「抜けた!」
ヒイロが明けた風穴に飛び込み、魔王軍の背後に回った俺たちは久方ぶりに感じる開けた景色に心が軽くなる。
しかし、それだけで終わらず指揮を取っている魔物を探す。
そいつはものの数秒もせずに見つけることができた。
三メートルは超えそうな筋骨隆々の巨体がこちらを見ている。
武骨な鎧を身にまとい、鎧の隙間から見えるのは褐色の肌と濃い体毛。
手に持った斧は傷だらけではあるが、刃こぼれ一つなく鈍い光を放つ。
俺は、そいつを知っている。
地球においても有名な迷宮の怪物。
牛のような頭を持った半人の怪物。
――ミノタウロス。
「指揮を取ってるのはきっとあのミノタウロスだ!」
「わかってるわ! あんたも足を止めずに着いてきなさいよ!」
一直線に走るヒイロを追いかけながら、ミノタウロスのもとへ着いたあとのことを考える。
正直、俺にはミノタウロスとヒイロのどっちが強いかわからない。
これまで、他の魔物を鎧袖一触にしてきたヒイロが簡単に負けるとは思えないが、あのミノタウロスが強そうなのも事実。
だからこそ、対策を練る。
そのためには、情報が必要だ。
まずわかるのことと言えばミノタウロスは、おそらく近接主体に戦う戦士だろう。
身にまとった鎧や手に持った斧からそれを推測することはできる。
魔法を使える可能性はないとは言えないがほぼゼロだろう。
特にヒイロのような遠距離に攻撃する魔法があれば、冒険者たちに向かって撃たない理由が見当たらない。
だったら、遠距離から魔法を撃てば優位に戦える。
「ヒイロ、遠距離攻撃だ! あのミノタウロスは、魔法を使えない可能性が高い。特に遠距離に攻撃する魔法は! だから、遠距離から魔法で攻撃すれば優位に立てる!」
「なるほどね」
ミノタウロスまでの距離が三十メートルをきったあたりでヒイロが火の魔法を唱える。
ミノタウロスを包むように現れた炎は、獲物を焼き尽くそうと燃え盛るが――。
「ヌウゥン!」
斧の一振りで切り払われた。
再び現れた姿は煤一つなく、魔法を受ける前と何も変わらない。
ミノタウロスは、魔法を切り払った斧を肩に担ぐように持つと俺たちというよりかはヒイロに向かって大声を出す。
「よく来たな、冒険者よ! まさか、魔物の群れを突破して我の首を取りに来るとは!」
喋れるのか!?
今まで見てきた魔物と明らかに違う点に宇宙人でも見たかのような驚愕を得る。
「さあ、冒険者よ! 互いに名乗りを上げて正々堂々と戦おうではないか! 我こそは魔王軍第一師団団長アステロペテス!」
武人然としたミノタウロスの口から、ビッグネームが飛び出す。
アステロペテス。
魔王軍に存在すると言われている八人の師団長のうちの一人。
つまるところ、四天王のような存在である。
その実力はきっと他の魔物とは比べ物にならないだろう。
いくらヒイロでも……。
俺の心配をよそに、ヒイロが物怖じもせずに前へ出る。
「普段なら一蹴するところだけど、今は気分がいいから答えてあげるわ。ベルジアの冒険者、ヒイロよ。精々、楽しませなさい!」
堪えきれないとでも言うようなヒイロの魔法を皮切りに戦闘が始まる。
ヒイロの飛ばす炎の槍を意にも介さずに距離を詰めるアステロペテス。
その姿は、巨体も相まって大型トラックが突っ込んでくるようだった。
それに脅威を感じたのか、ヒイロがアステロペテスの足を止めるように魔法を使う。
地面から生える炎の槍を左右に躱されながらも、後退させることに成功するヒイロ。
これは、互角なのか……?
攻撃を当てられないものの近づけさせないヒイロと攻撃が当たらないものの近づけないアステロペテス。
繰り返される攻防は同じように見えて少しずつ変化している。
互いに均衡を崩そうとしているのだろう。
「俺にできることはなさそうだな……」
あまりにハイレベルな戦いは、剣を持ち始めて一週間程度の俺には入り込む余地すらない。
せめて、ヒイロの足手まといにはなるまいと離れた場所から成り行きを見守る。
二人の攻防が十回は繰り返されただろう頃。
唐突に足元で炎がうごめき文字を形作った。
「……えーと、魔力が切れそう?」
地面で揺らめく炎は簡潔にそれだけを伝えていた。
……。
「やっべえぇぇぇ! そりゃ、あんだけ魔法を使ってたら魔力もなくなるよな! 完全に頭から抜けてた!」
しくじった……少し考えればすぐにわかることだろ……。いや、今は反省よりも先に状況を打開する方法を考えないと。
チート能力を使うか?
いや、まだ魔力は残ってるんだ。他の冒険者のところまで逃げられれば……。
でも、逃げるためにはもう一度あの魔物の軍団を突破しないといけない。しかも今度は、魔王軍の師団長に襲われながら。
間違いなく途中で魔力が切れてゲームオーバーだ。
「何か、何かないか……? 襲ってくる魔物を何とかする方法。俺が黒歴史を作らずに済む方法……! ……ぬおおぉぉぉぉぉ! 何も思いつかねぇ!」
敵陣だぞ……突っ込んだら攻撃されるに決まってる……。
……?
「いや、待てよ? それなら、何で今攻撃されてない? 魔物の群れを抜けたところで、敵陣には変わりない。アステロペテスと戦ってるヒイロの方に攻撃しないのならまだしも、安全な場所で見ているだけの俺に攻撃しないのはおかしい」
俺に攻撃しない理由……。
考えられるとするなら、そういう指示が出ている……とかか。
ありえない話じゃなさそうだ。
アステロペテスは自分のもとに辿り着いた冒険者を歓迎するような言動をとっていた。正々堂々戦おうと言い、事実今も他の魔物に指示を出さずヒイロと戦っている。
案外、騎士道精神に満ち溢れていたりするのか……?
もしそうなら、逃げたところで他の魔物に襲わせるといったこともなさそうだが……逃げれば怒って追いかけてきそうだな。
いや、むしろそっちの方が好都合か……?
騎士道精神旺盛な上司の相手を攻撃して不興を買うような真似はしないんじゃないか?
そうだとしたら、魔物の方は魔力を使わなくても大丈夫かも……。
「やってみる価値はある……!」
ヒイロと合流してすぐに魔物の群れへ突っ込める場所に立ち位置を変え、ヒイロに声をかけるタイミングを伺う。
ヒイロが魔法を放ち、アステロペテスが避ける。
言葉にすれば最初と何の変化もないが、実際にはアステロペテスが距離を詰める機会が多くなっているようでヒイロの表情も――。
……意外と元気そうだな。魔力が切れそうなどという弱気な連絡をしてきたやつとは思えないほど、強気に魔法を撃って笑っている。正直、逃げるという作戦に賛成してくれるか不安だ……。
「いや、弱気になっちゃ駄目だ!」
活を入れるように自分の頬を叩いて二人の戦いに視線を戻すと、丁度二人の距離が大きく離れたところだった。
「ヒイロ! こっちだ!」
詳しい説明など一切行っていない俺の指示に、戸惑うことなく従って走ってくる。
ひとまず、指示に従ってくれていることに胸をなでおろしながら、アステロペテスに注意を払う。
こちらを眺める表情は、牛の顔であってもわかるほどに呆然としていて現実を飲み込めないといった風だ。
「それで、作戦は?」
「あのデカブツを連れて、魔物の群れに突っ込む! 以上!」
「わかりやすくていいわね!」
「デカブツが付いて来なかったら、挑発して釣らなきゃならねえが――」
うん。ちゃんと付いて来てる。
……直視すれば失禁してしまいそうなほどに恐ろしい表情で。
「見なかったことにしよう」
「何がよ?」
「いや、何でもない。それより、倒せるんじゃなかったのか?」
「倒せるわよ。魔力さえあれば」
「……でも、魔法当たってなかったよな?」
「はあ!? あえてに決まってるでしょ!? 小手調べから全力を出す馬鹿がいるわけないでしょうが! いわば、確実に仕留めるための布石よ!」
「あーはいはい」
「聞きなさいよ!」
今のところは順調だな。
隣で大騒ぎをしているヒイロを無視して状況を確認する。
魔物の群れまであと二十メートルもないくらいだろうか。
ヒイロの体力には余裕がありそうだし、走るだけなら大丈夫そうだ。
心配だったアステロペテスも、ものすごい勢いで迫ってきてる。
できれば、アステロペテスの攻撃が届くか届かないかくらいの距離を維持したいところ。
「少しペースを落として、アステロペテスと距離を近づけてから群れに突っ込むぞ! あまり離れすぎると、魔物が襲ってくるかもしれん!」
ヒイロに指示をしながら距離を測る。
あるいはその勢いのまま突進してくるのではないかと思うほどのスピードで走るアステロペテスに、自分から近づいていく。
死が届くか届かないか、そのギリギリへ自ら首を差し出すような行動に喉を鳴らす。
前よりも後ろに意識を割き、自然と上がりそうな速度を無理矢理に抑え込む。
「もうすぐだ!」
群れに突入するといったところでアステロペテスが追い付いた。
「逃がさんぞ、冒険者!」
怒りのままに振り下ろされる斧を前に飛びながら回避して、勢いのまま前転で体勢を整えて駆けだす。
アステロペテスの一撃は轟音と土煙を立てながら地面を砕く。
当たったら間違いなく即死……怖ぇ……。
掠っただけで腕が吹き飛びそうな威力に疲れを忘れ、ただ自分にできる最大限で足を回転させて魔物たちの横をすり抜けていく。
「うおおおぉぉぉぉぉ! 死ぬぅぅぅぅ!」
「これはこれで……」
「何楽しそうにしてやがる! そこまで行くと
「ちょっと! 不名誉なレッテルを張らないでくれる? あたしはどちらかというとSよ!」
「知りたくねえよ! いいから走れ、スリルジャンキー!」
死の瀬戸際だというのに頬を染める変態としょうもない会話をしながら前に進む。
「おのれ、敵に背を向けるなど……戦士としての誇りはないのか!」
「あたしは魔法使いよ!」
煽るな、馬鹿!
天然なのか故意なのか、ヒイロが揚げ足を取る。
「ヌオオォォォォォ!!」
怒りで恐ろしくなった顔をさらに恐ろしく歪めながら、言葉にならない雄たけびを上げるアステロペテス。
同時に放たれた横薙ぎの斧は烈風をまとって俺たちを狙う。
「危ねえぇぇぇぇ!」
スライディングをして体勢を低くすると、頭の上を暴風が吹き抜けていく。
即死の攻撃を避けた代わりに、巻き上げられた土が低く下げられた顔を襲う。
「ペッ、ペッ! 口の中に土が……あ……?」
口に入った土を唾と一緒に吐き出していると、俺の前に影が落ちる。
その影の持ち主が誰なのか考えるまでもない。
恐る恐る顔を上げて答え合わせをすると、斧を振り上げた状態のアステロペテスと目が合った。
斧が俺の命を刈り取るまで、一秒もないだろう。
口の中に意識が向いていて、足に力なんて籠もってない。
これ、死ぬ。
死を確信して、それを現実のものとするように斧が振り落とされた瞬間。
遮るように、炎の槍がアステロペテスに突き刺さる。
「グオォォ!?」
「あんたの相手はこっちよ!」
少し離れた場所で、ヒイロが膝をついて杖を向けながら肩を上下する。
滝のように流れる汗。血色の悪くなった肌。
明らかに無理をした様子でありながら、勇ましさは決して衰えない。
……助かった。
そう思えたらどれほど良かったか。
胸中に溢れるのはヒイロへの感謝と――。
「その有り様でよくぞ言った! 望み通り貴様から殺してくれるわ!」
すでに手遅れであることへの諦めだった。
俺から視線を外したアステロペテスに向かって軽く跳び、拳を振り抜く。
「グオオォォッ!?」
頬を捉えた拳は歯を砕きながら前に進みアステロペテスの巨体を悠々と吹き飛ばすと、硬直して動かなくなる。
チートを使用したことへの
正直、
例えば、チートの使用を終了してから
最初は、ドラゴンを倒すためにチートを使ってからしばらくニキと会話をしたあとに体の自由が利かなくなった。
次とその次のクエストの際に使ったときは、街に戻るまでは体の自由が利かなくなることはなかった。ただ、街を目前としたあたりで
二つを比較してみても、
例えば、受ける
ドラゴンを倒した時は失禁。クエストを達成したときは、街中で奇声を上げることと全力疾走すること。
今のところ作為的なものは見えてこず、ランダムのような気もする。
ただ、わかっているのは
「やるじゃないあんた!」
弾むような声を出しながら近寄ってくるヒイロに反応する体。
「あのデカブツをあんなに遠くまでぶっ飛ばして……。もっと早くやればよかった……の……に……?」
アステロペテスがいる場所を見ているヒイロの肩に、両手を置いた俺の体はそのままグッとヒイロとの距離を詰める。
見るものが見ればカップルがキスをする直前と思ってしまうほどに。
「ヒイロ」
「な、なによ?」
「頼みがあるんだが、いいか?」
「い、いいかって言われても……その、今はこんなことしてる場合じゃ……」
うおおおぉぉぉぉい!!
何してる、俺の体!
まさか、やるのか!? 今ここで!
ヒイロも顔を赤らめて視線を逸らしているが、意外に強い抵抗はない。
俺の意思ではないことだけが不満だが、逆に言えば俺の意思ではないからキスをしても仕方がないということだ。
ゆっくりと顔を近づけるとヒイロが応えるように目を閉じる。
そのまま二人の距離は縮まり――。
「パンツ、見せてくれないか?」
すべてが台無しになった。
「は?」
何を言ってる、俺は?
見ろ、さっきまで潤んでたヒイロの瞳が絶対零度のように!
「パンツを見せてほしい」
「聞こえてるわよ。こんな時に何言ってるのよ」
「パンツを、見せてほしい」
「嫌よ」
「パンツを、見せてください」
「頭を下げても嫌よ! どれだけパンツが見たいのよ!」
やめろおおぉぉぉぉ! 好感度がどんどん下がっている気がする。っていうか絶対下がってる!
あんなにイケイケで自分はSだって言ってたヒイロがドン引きして後ろに下がってるじゃん。
ってゲエェェ!?
「さっきはよくもやってくれたな……! まさか貴様のような者がそんな力を隠し持っているとはな。だが、もう不意打ちは効かん。二人まとめて殺してくれる!」
アステロペテス、いつの間に!?
「逃げるわよ!」
おう!って、頭下げたまま走り出してんじゃねえ!
「パンツ見せてください」
「絶対嫌!」
「待てェェェェ!」
早く終わってくれええぇぇぇぇ!
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