第1話 Re:前兆(表紙あり)

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 白銀の隼が翼を広げ、獲物を狙う。一匹の鼠をその鋭い爪で捕まえ、連れ去った。

 隼が頭上を過ぎ、一人の男が顔をあげた。赤い右眼で曇天の広がる空を見上げる。

「……」

 ややあって黒い足を踏み出した。

「大王、少し休息をとった方がよろしいかと」

 円形になった裁判所、そのうちの閻魔庁で長い髪を馬のしっぽのように纏めた青年が視線をやった。大きな身体と顔には赤い模様が走っており、廊下側にいる髪の短い片割れにも同じ模様があった。

「ん……だが今日は亡者が多い。あまり待たせるものではないだろう」

 適当な長さで後ろに流した黒髪が少し揺れる。額に当てた大きな手を離した。

「大王、戦や流行病は常でございます。大王自身にも呵責はあるのですから、少しぐらいお身体を休めても問題はございません」

 すっと胡座をかいている身体を滑らせて男に向き直った。

「そうですよ大王。最近こんを詰めすぎだって、十王も補佐官連中もみんな心配してますよ」

 黒い落ち着いた木の板を軋ませて近づくと腕を組んだ。補佐官である牛頭馬頭の言葉に大男、閻魔大王は溜息を吐いた。無精髭と幾つもの火傷の痕、そして右眼を覆う革製の眼帯が余計にやつれたように見える。

「仕方がない。おい、休むと他十王に伝えてこい」

 裏にいる獄卒に呼びかける。少し籠った返事があり、ややあって立ち上がった。黒い着流しの襟元を少し正す。

「ヤミーのところへ戻る。お前らは」

「イザナミ様のご様子を見てまいります。恐らくサタン様がおられるでしょうが……」

 馬頭が立ち上がりつつ答えた。大王はそれに肯き「ガブリエル殿には変わらず釘を刺しておくように」と言いおいて裏にある小部屋に向かった。

「そういえば、ダーナ」

 黒い綺麗な長髪と白く緩めに着た着物が映える。大王と同じ切れ長の眼と眼尻の紅で自身の膝上に横たわる彼を見た。

「なんだ。また面白いものでも見つけおったか」

 軽く眼を瞑りながら返した。女、ヤミーは紅をさした唇を引いて微笑むような表情で答えた。

「つい先程だけどね、地蔵菩薩が少々慌てた様子で来ていた」

 独特な話し方で言うと、大王は眼を開けた。ややあって起き上がりその場に座り直す。ヤミーは膝上に手を揃えた。

「それはまことか」

「うん。我が嘘を吐くと思う」

「いや、」

 視線を伏せる。然し地蔵菩薩が慌てるなど……大王は顎髭を触り、深い眉間の皺を更に寄せた。

 ヤミーが脚を崩しつつ近づいた。顎髭を触る太い腕に触れる。

「言っておいてなんだけどね、今は休もう。もう一度来てからでも遅くはないはず」

 筋肉の筋を撫でる。大王はややあって手を離した。

「ヒルコカグツチの事もある。心労が絶えん」

 はあと大きな肩を落とし、軽く抱きついたヤミーの温もりに眼を伏せた。

「だからあ、もういいじゃんかその事は」

「良くない。全くもって良くない!」

 轟々と燃える業火と八岐大蛇の巨大な死体を背景に、黒を基調とした中世貴族の格好をした男と、反対に白を基調とした更にかっちりとした貴族の格好をした男が言い争っていた。

「まあまあお二人さん、ここで争っても」

 牛頭がへらへらと笑いながら仲裁に入るが、髪をぴったりと七三分けにした、頭に天使の輪を浮かせたガブリエルが相手の胸ぐらを掴んだ。襟足が外にハネた黒髪が揺れる。縦に三つ、異形の眼が並ぶ左眼を一瞥し、ガブリエルは眉根を寄せた。

「ルシファーの頃の方がマシだったぞ腑抜け」

 それにサタンは自虐的に笑う。

「腑抜けにしたのは君じゃんか。もう嫌なんだよ、誰かを誑かすのも誰かに恨まれるのも、疲れたんだよ」

 静寂が流れる。馬頭がやってきてガブリエルの手を軽く掴んだ。その大きな手に白に近い金色の眼を向けた。

「ガブリエル様」

 天使はここの最高裁判官に釘を刺されている。本人もそれを自覚しており、大王の手足である彼の制するような黄色い瞳に胸ぐらを離した。

「それより、サタン様、イザナミ様に用があったのでしょう」

 軽く襟元を正すサタンに視線をやる。背丈が二百を超える牛頭馬頭は百七十程度の彼にとっては大きい。大王とヤミーも二百近くあるし、どいつもこいつも首が疲れると思いながら笑った。

「そうそう、ミス・イザナミに土産物があってねえ」

 イザナミは地獄を見渡すように空に浮いていた。帯電しているような広がった長い白髪、全身は灰色で一部一部が腐った肉のように変色している。頭や手首には雷神の名残で雷がまとわりついており、体勢を保つように蛇のような尻尾が動いた。

 左眼はとうの昔に腐り落ちており、吊り上がった右眼だけでぼうっと見ていた。その時下から名前を呼ばれ、視線をやった。口元に手をやる牛頭と頭をさげる馬頭、そして紳士的に会釈するサタンを見つけてすぐに降りた。

 踵が異様に高くなった足で着地する。

「サタン! また何か持ってきたのかい?」

 かなり性格は変わってしまったが、それでも気さくな女性らしい声音で近づいた。ただ開いた口は真っ黒だ。

 自分よりも酷い姿の彼女にサタンは残っている片眼を細めた。

「ええ、ミス・イザナミが喜びそうなものをね」

 白い手袋で指を鳴らし、その土産物を出現させた。悪魔と嘗ての神、本来交わる事などない二人のやり取りに牛頭馬頭は安心し、ややあって裁判所に戻った。

「地蔵菩薩様、如何なされました」

 然し閻魔庁には一人の小柄な姿があった。床を引きずる程の長い布の上に着物を着ており、両手には数珠が巻き付けられていた。常に瞑っている眼を向けて牛頭馬頭に駆け寄る。

「大王はどこにおられますか。ヤミー様のところにはおられないと先程言われてしまいまして……」

 優しい顔立ちに影がおりる。牛頭馬頭は顔を見合わせたあと、獄卒達に訊き回って彼の行方を追った。

「大王」

 彼は天国と地獄を繋げるもう一つの門の前にいた。地獄には亡者達が来る三途の川と、それ以外が来る黄泉の国からある大門、それとこの門の三つがある。基本ここは用がなければ滅多にこない。

「大王、地蔵菩薩様が御用があると」

 振り向く。眼帯側で、何を考えているか分からなかった。ややあって門に向き直る。

「菩薩よ、今すぐ天界に行ってくれ」

「は、はあ、なにゆえでございましょう」

 少し眉毛をあげて問い返す。大王は門に軽く触れた。

「先程、嫌な気持ちがしたのだ。上手くは言い表せんが……アマテラス様であれば分かるやもしれぬ」

 その言葉に地蔵菩薩は背筋を伸ばし肯いた。

「承知致しました」

 同時刻。天界にある高天原の屋敷内でアマテラスは伸びていた。

 下の方で結んだ黒髪。明るく春を思わせるような桜柄の着物と菊が散りばめられた打掛を着たまま、薄く桃色を帯びた口から「あー」と声を出していた。

 とても最高神とは思えない姿で、橙色の瞳はぼんやりと天井を見つめていた。

「はあ、父上はいつもこんな事ばかりしていたのかね……」

 もう一度溜息を吐く。困り眉を更に困らせて、また意味もなく声を出した。

 然しとたとたと軽いが忙しない足音が聞こえ、すぐに襖が開けられた。やって来たのは傍についている少女の見た目をした神で、アマテラスの顔を覗き込みながら言った。

「空に妙なものが」

 それにがばりと起き上がる。振り返って「空?」と確認した。肯く彼女に慌てて起き上がり、外に出た。

「あれは……」

 太陽光で優しく照らされた青空の一部が不自然に黒くなっていた。

「なにか、良くない事の前兆でしょうか」

 アマテラスはその黒い丸を見つめながら首を傾げた。

「まるで、外から何かが来たような雰囲気だね……」

 天界の空が一番最初の空であり、ここで太陽が沈めば現世や地獄の太陽も沈む。アマテラスは屋敷に引き返し、大王に渡す為の文をしたためた。

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