彼女に出会えたことの意味 ③
――翌日も、僕は絢乃さんと会うことになっていた。会社はまだ休暇中だったが、デートのついでに出張の報告書を彼女に渡すつもりでいたのだ。
「――おはようございます、絢乃さん。さっそくですがこれ、神戸出張の報告書です」
彼女が僕のクルマに乗り込まれると、僕はダッシュボードに置いていた大判のクリアファイルを彼女に手渡した。
「ありがと。でも、報告書くらいメールで送ってくれたらよかったのに。わざわざ持ってこなくても」
「いいんです。僕が絢乃さんに会いたかったんで。報告書はあくまでもついでです」
僕がそう言って笑うと、絢乃さんも照れくさそうに「……そう」と言ってはにかまれた。……ああ、やっぱり可愛い。
でも、この日の彼女は可愛いだけでなく、何とも言えない色香をまとっているように感じた。朝シャワーを浴びられたのか、柑橘系のコロンの香りに交じってシャンプーやボディソープの香りもしていた。
……やっぱり、僕も前日想像したとおり、彼女もひとりで
「――あの、絢乃さん。ええと……、その、……絢乃さんにもやっぱり男性に対してムラムラしたりする気持ちってあるんですか?」
勇気を振り絞って訊ねてみると、絢乃さんは「えっ!?」と声を上げた後かすかに顔をしかめられた。そして本当にかすかにだが、下半身をモゾモゾと動かしていた。
僕にも女性経験はあるので分かったのだが、これは女性の性的な反応なのだ。美咲も僕との行為の前に、同じように下半身をモゾモゾ動かしていた。ということは……。
「そ、そりゃあ……わたしもオンナだからね。それなりには」
絢乃さんはモゾモゾをごまかすようにそう答えた。そのため、僕の「もしかして」は確信に変わった。
「そうですよね……。じゃあ、そうなった時はどうされてるんですか? たとえば昨日とか一昨日の夜、やっぱりご自分で……その……」
さすがに自慰行為をしているのかとはっきり訊ねる勇気はなかったので、オブラートに包んだような訊ね方になってしまった。が、その時僕は見た。彼女のモゾモゾした動きが、より激しくなっていたのを。ということは、彼女の性的反応が強くなったということだろう。
動揺を隠せなかったらしい彼女に、僕はもう一度「絢乃さん?」と呼び掛けてみると、少し長い
神戸では「もう少し待って」とおっしゃっていたが、本当は彼女だってすぐにでも僕と交わりたがっていたのだろう。でも言いだした手前引っ込みがつかなくなり、僕に対してムラムラした気持ちを人知れず自慰行為で晴らしていたのだ。
映画でも観ようと入ったショッピングモールで、絢乃さんが唐突に「お手洗いに行きたい」と言いだした。
「ちょっと時間かかるかもしれないけど、心配しないで待っててね。じゃあ、行ってくる!」
「はぁ……、どうぞ。行ってらっしゃい」
彼女はその後手近な女性用化粧室へ駆け込み、戻って来られるまで七~八分くらいかかった。
僕が思うに、多分そこで体のムラムラを解消されていたのだろう。戻ってこられた時、スッキリした顔をされていたから。僕があんな余計な質問をしたせいで……と思うと、何だか申し訳ない。
その頃大人気だった恋愛映画のチケットを購入して二人で観た。R18指定作品だったが、絢乃さんも十八歳になっていたので何ら問題はなかった。ただ、濃厚なラブシーンが多かったので、ちょっと気まずくなったことだけは確かだ。いつか、僕も彼女とそういう行為に及ぶのかと思うと……。
絢乃さんはといえば、映画のあとにまたムラムラきたらしく、再び七~八分くらいトイレにお籠りされた。
* * * *
翌日の土曜日は、絢乃さんに会わなかった。
実はこの少し前から、僕には新たに始めたことがあったのだ。
元々は、彼女と体の関係にまで進んだ時に貧相な体つきだとちょっとみっともないから、少しでも逞しくなりたいと思って始めたことだったが(そんなにいうほど貧相でもないのだが、女性はやっぱり逞しい男の方が好きだろうと思うので)、この頃の目的は「彼女を守りたい」に変わっていた。
実はこの前日の夜、実家で兄からあるものを見せられていたのだ。それはSNSにアップされた、写真付きのある投稿だった。
『――貢、ちょっとこれ見てみ? これヤバくねぇか?』
僕の部屋にやってきた兄が、難しい顔で僕に自分のスマホを突き付けてきた。
『うん、何だよ? ……ちょっ、これって』
『な、ヤベぇだろ?』
僕も顔をしかめたその投稿は、豊洲で隠し撮りされたらしい僕と絢乃さんの2ショット写真が添付された誹謗中傷だった。
〈篠沢グループ会長のスキャンダル発覚! 隣に写ってるのは彼氏か!?
大してイケメンでもないのに逆玉を狙った不届き者! 男のシュミ最悪!!
#この男見つけたら制裁 #この男は社会のゴミ 〉 ……
『何だよこれ……。めちゃめちゃ悪意あるじゃん。誰だよ、こんな投稿したの』
隠し撮りされたことも許せなかったが、この悪意ある投稿内容にも怒りと恐怖をおぼえた。この頃はあまり拡散されていなかったが、約二ヶ月後にはとんでもないことになっていた。
『――なぁ、貢。絢乃ちゃんってSNSやってんのか?』
『いや、やってないけど』
兄がどうしてこんなことを訊くのか、僕にもだいたい分かっていた。もしも彼女がこの投稿を目にされていたら、きっと僕以上に怒りをおぼえていただろうし、それ以上に怖くてたまらなかっただろうと。
『この投稿のこと、彼女には言わない方がいいよな。知ったら絢乃さん、絶対に傷付くし』
『いや、絢乃ちゃんだって自分でSNSやるようになったらイヤでもこれ見ることになるだろ。でも、お前から聞いた限りじゃあの子、これくらいじゃ何とも思わないんじゃねぇ? お前が思ってるよか強いぞ、あの子』
『……………………』
案外そうかもしれない、と僕は思った。動画投稿サイトに書き込まれた悪意のあるコメントだって、彼女が目にされていないはずがないのだ。でも彼女はきっと、そういう見方も世間にはあるのだと真正面から受け止められているのだろう。僕のよく知る彼女は、そういう芯の強い女性だった。
『しかもこれ、向けられてる悪意はお前にだぞ? 絢乃ちゃんなら、これ見た時お前のこと守ろうとするんじゃね? なぁ、お前さ、守られてばっかでいいのかよ?』
『そりゃあ、俺だって彼女のこと守りたいよ。だからキックボクシング始めたようなもんだし。……まだ初心者だけど』
『ウソつけ。お前、絢乃ちゃんとヤる時に貧相な体じゃみっともないって思ってるだけだろ!』
『やかましいわっ!』
――なんていう兄とのやり取りを思い出しながら、僕はひたすらサンドバッグに向かってハイキックの特訓をしていたのだが……。ちなみにこの頃、ローキックくらいはサマになっていた。
「――うぅ……、股関節が痛い……。初心者にハイキックなんてムチャなのかな……」
練習帰りにクルマに乗り込むと、僕は激しい筋肉痛を訴えてハンドルに突っ伏した。
「俺、こんなんで絢乃さんのこと守れんのかよ……」
自分の不甲斐なさに泣きたくなった。こんなんだから俺、彼女に守られてばっかりなんだよな……。
――ただ、兄の予想はおおかた当たっていて、それどころか予想以上で。あの投稿を見た後すぐに調査事務所を頼り、投稿主が俳優の小坂リョウジだと突き止めたのだった。
僕のためならどんなことでもできてしまう彼女の行動力にはいつも感服するが、この時はそれ以上に怖くなってしまった。
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