14.半年前の記憶と殺人鬼②(暴力描写有り)
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その夜が僕達との初対面であったヤク中の男、
顔面から倒れ、地に伏した僕の前で丸喪は錯乱のせいなのか元々の目的がそれだったのか、倒れた父と母の持ち物を卑しく漁っていた。僕はどうにか取り出した携帯電話で助けを呼ぼうとした。でも血に濡れた指に手間取っている間に気づかれ、怒鳴りながら迫り寄ってきた丸喪に再び腹を抉られた。
地面の上の父はもう動いていなかった。母も多分、もう動いていなかった。しかし丸喪は飽き足らず、今度は母を陵辱しようとした。僕はその糞な所業を絶対阻止しようと力を振り絞って立ち上がった。そのせいで腹からはあり得ない量の血が溢れ、両掌を濡らした。それでも一歩ずつ男の背後に歩み寄りながら「これが火事場の馬鹿力ってやつ……」と確かそう呟いた。小六の頃から薄々感づき始めていた自分の中にある被虐心は既に受け入れていて、この先も共存するものなのだと思っていた。でもそんな自分がそれとは真逆にある暴虐にも似た感情を心の中で爆発させていた。裂けた腹部からはより多くの血が溢れ、腸がまろび出そうになっていた。だがそんなことなどどうでもよかった。「あいつを殺す」それしか考えていなかった。
「クソガキ! 何勝手に立ち上がってんだ!」
僕に気づいた丸喪は母の身体を乱暴に地面に放った。その手には三人分の血がついた包丁があった。父の血と母の血と僕の血だった。こんな相手に投げる罵倒の言葉すら既に生易く感じていた。もう言葉は必要なかった。必要なのはただ実行すること、それだけだった。
「気味悪ぃツラ見せんじゃねぇよ! 永遠に寝てやがれ、この死に損ないのクソガキが!」
怒鳴り声を上げた丸喪は駆け寄りながら包丁を突き出した。その腕を掴み取り、僕は力の限り折り曲げた。ばきゃ、と音がして、折れた肘下の骨が皮膚を突き破って外気に晒された。「うおぇいあ」と滑稽にも響く間延びした悲鳴が届いて、丸喪はその場に膝をついた。僕は丸喪が落とした包丁を遠くに蹴り飛ばすと、駐車場の隅に放置されてあった錆びた車のホイールを頭上に翳した。思うより重かったそれを持ち上げたせいで、足元にはぼたぼたと血と肉片が落下した。男は「ひぃひぃ」と声を上げながら地面を這いずってどこかに逃げようとしていた。僕はその背後に回り込み、後頭部に向けて力の限りホイールを叩きつけた。「ほぎゃっ」という変な悲鳴と鈍い音が共に響き、動きを止めた男はその場で暫しの間身体を痙攣させていたが、じきに全く動かなくなった。
その様を見届けた後、僕は地面に倒れた。辺りを汚す男の血より、自分の血の方が周囲を汚していた。暴虐の力は尽き果て、もう一ミリも動けなかった。昏くなっていく視界にふと誰かの靴の爪先が映った。いつの間にかすぐ傍に黒い服を着た黒髪の少女が立っていた。
「手違いがあったようだ。判断はこちらでする」
少女はここにはいない誰かにそう告げると、傍らに膝をついた。
「御蔵島要君、今夜君は死ぬはずだった。だがそれは変更を余儀なくされた。なぜなら君の両親を殺して、君も殺すはずだった男を君が殺したからだ。あの男は本来なら生きてこの先一生をかけて罪を償うはずだった。そして変更点はもう一つある。君は君の両親と共に天国に行くはずだった。しかしそれはできなくなった。なぜならあそこで死んでいる男を君が殺したからだ。以上のことから君の処遇については私の管轄下にあるものではなくなった。だが予定外の変更には煩雑な手続きを必要とする。申し訳ないが君には地獄行きまでの猶予期間が暫しの間できた。君は今にも死にそうだが新たな予定日が決定するまでの間、君の生命維持と面倒は私が見る。だから心配はするな」
少女はそのように告げると背中にはえた白い翼をばさりと広げた。そして、にぃと笑った。
意識を手放す寸前の僕には、それらの言葉をうまく理解することができなかった。でも自分が〝地獄へ行く〟ということだけは理解できた。
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「な、なんなんだそれは……」
城崎は酷く動揺して、ぼくを見ていた。
相手の目の前でぼくの身体はみるみると〝裏返って〟いく。
痛みはもうなく、悲鳴は出し終えていた。
ものの数秒後には目を覆いたくなるような〝モノ〟が相手の前にいた。
剥き出しになった筋肉と肉と臓。
遠目で見れば赤黒い肉の塊がその場に立っているようにも見える、そんなモノが彼の目の前にいるはずだった。
「君のことはよく知ったから、もう迷いはないよ」
ぼくは自分の唇辺りを動かして、城崎に伝える。ぼくの口周辺から零れる、肉が喋っているような音が辺りに響き渡った。
「これはね、ぼくの身体が〝勝手にこうなって勝手に発現させている能力〟なんだ。キモい? キモいよね。ぼくもそう思う。吐き気がするよね。耐えられないものだよ。でも見た? 見たんだよね? 君がするのはそれだけでいいんだ。これはぼくがこうやって発現させることに意味があるんだ。そして、もう終わってる」
「うわぁあああああああああああああ!」
城崎は耐え難い恐怖の絶叫を上げて部屋から飛び出していった。
目の前にある、この世に存在しているとは信じ難いぼくの姿を見れば誰だってそうなる。
今、ランタンの乏しい明かりが灯るこの部屋には、裂けた腹から全身の肉を裏返した不気味な生物、つまり裂けた腹から全身の肉を裏返したぼくがいる。
この姿を目の当たりにした体験は悲鳴を上げたぐらいでは消え去りもしない耐え難いものであるはずだった。
けれど彼がぼくのこの姿を見るのはこれで最後だった。
『私の名は時雨だ。よろしくな、要』
半年前のあの夜、黒い少女がそう名乗った後、ぼくは気を失った。
再び意識が戻ったのは翌日の夕方の病院で、目覚めた時にはあれほど受けた身体の傷は全て消えていた。何もかもが夢だったと思いたかったけれど、警察から知らされた父と母の死という現実は全てが本当に起きたことだと思い知らせるものだった。
ぼく達を襲った男も死んでいた。けれどそれは父が正当防衛の末にしたことだと事実を変えられていた。だけどあの男を確実な殺意を持って殺したのはぼくであり、そして今あるこの命は仮のもので、どれくらいあるか分からない猶予の末にぼくが地獄行きになることも間違いのない真実だった。
時雨はあの日からぼくの従姉妹だと偽って傍にいる。時雨が傍にいないとぼくの身体はあの夜の状態に戻って、裂けた所から裏返ってしまう。
あの事件の二ヶ月後、ぼくは一度時雨に内緒で遠くに行こうとしたことがある。彼女から逃げようとか、そう思ってしたことじゃなかった。ただ、どこに向かうかも分からないバスに飛び乗って、どこかに行ってしまいたいと思っただけだった。でもその時に初めて〝これ〟を経験した。バスを降りて陽も落ちた山道を当てもなく放浪していた時だった。時雨がすぐ後を追ってきていたのと、周囲に誰もいなかったおかげでその時は何も起こらなかった。だけど〝これが引き起こすことについて〟はなんとなく知った。
ぼくは彼が放り出していったペンダントを拾おうと手を伸ばした。もう一度それを手にすれば元通りになるかどうかは定かではなかったけれど、身体の内部が全て剥き出しになったこの姿では長くはいられない。でも厚手の手袋を更に裏返したような指ではうまく摘まみ上げることができず、何度も苦心しているうちにぼくは、あっ、と声を上げた。掴み損ねたペンダントは抜け落ちた床の暗闇に滑り落ちてしまった。
「はは……」
ペンダントは闇に消え、もう目視すらできなかった。最後の頼みの綱も失ったぼくは冷たい床に寝転んで、肉が笑っているような表情を作る。
もしかしたら今日がぼくの猶予が終わる日だったのかもしれなかった。だから時雨は常にいなかった。
でも、やるべきことはした。
もう焦りも落胆もなかった。
「あ、れ……?」
突然起こった変化にぼくは声を上げた。
身体がなぜか元に戻り始めている。十数秒後にはいつもの自分の姿に戻っていた。
「要、遅くなって悪かった、今戻った。事情はあの厄介でだらしない黒スーツの男に聞かされたよ」
ぼくは床に横たわったまま、あの夜と同じように黒い服の少女を見上げる。
まだ、猶予はあるのだと知る。
「……おかえり、時雨」
ぼくはそう呟いた。
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