12.目を背けたかったものを直視する

「話ってなんだよ、御蔵島」

 ぼくは次の日の放課後、草野と体育館裏にいた。

 周囲の地面には煙草の吸い殻が散見され、待ち合わせ場所にするには治安が悪すぎるのは重々承知だったのだけれど思いつく場所も他になく、けれど今日は運よくそれを落とす人影は見えなかった。


 草野はまたぼくと二人きりというこの状況に苛ついていた。呼び出された場所にも、呼び出した相手にも不満ありありな表情で現れた草野は、ぼくの姿を見てより苛立ちを増していた。

 彼には本当に好かれていないなと実感する。でも今はそんなどうでもいい感傷に浸っている場合ではなく、ぼくは草野に色々と伝えなければならないことがあるのだった。ぼくが今から口にすることは昨晩ぼくが懸命に考えて出した結論、その結果だった。


「あのさ、草野自身がどう思っているかは分からないけど、ぼくと可奈子はただの幼馴染みだよ。だから彼女の相談に時に乗ることもあるけど、それはただの幼馴染みで友達だからで、それ以上のことは何もない。可奈子はお前のことを好きだと思うよ。先週ぼくにそんな意味合いのことを言ったから。もしかしたらだけど草野がぼくの存在を変なふうに取ってそれを気にしてるんだったら、そんなのは全然気にしなくていい、無駄なことだよ。そのことで二人の仲がぎくしゃくしてるなら、原因は最初から無い、て言うか最初から存在すらしていない。可奈子は今も草野と過ごす初めての誕生日を楽しみにしてるはずだし、だからもし草野にまだそうしたい気持ちがあるなら、すぐにここ最近のよくなかった関係を修復した方がいい。こんなの余計なお節介なのは自覚してるよ。それじゃ、ぼくが言いたかったことはこれだけだから。時間を取らせて悪かったよ」


 ぼくは全てを言い終えると、草野をその場に残して踵を返した。昨日考えた長い言葉をつっかえもせずに言えたことは、自分のことながら感心した。けれどなんだこれ? やっぱピエロだ、とか思うと少し脱力もした。


「御蔵島!」

 でも背後からその声が聞こえて、早々に退場しようとした思惑は呆気なくぶち破られた。惑いながら振り返ると相手は言い淀んだ表情でいる。

「なんか……俺……」

 本当は何も言わずこのまま立ち去りたかった。けれどそうすることもできず、ぼくはその場に留まって相手を見た。

 こちらが言いたかったことはどうやら伝わったようではある。でも言い逃げするつもりだった段取りが徐々につかなくなっていそうで、ぼくは弱る。ここで慰められたり、感謝の言葉なんか言われたりしたら、とんでもないことをしでかしてしまいそうだった。


「別に何も言わなくていいよ」

 そう告げると草野は迷っていた口を閉じた。 

「できればそうしてほしいし」

 そう続けると彼は完全に何かを言葉にするのをやめた。

 目の前にある相手の顔には、ぼくにも覚えのある表情が浮かび上がっている。

 自信がなくていつも不安になる。

 好きな子のことを思った時にする顔だった。

 ぼくは草野に好かれていないけど、ぼくは草野のことがそんなに嫌いじゃない。今日のこのことは、それに気づいただけでもいいかなと思う。


 体育館裏を離れ、帰り支度はもうしていたからぼくはそのまま校門を出た。

 昨日川島は、間違ったことは何も言ってなかった。

 だからぼくは彼が言ったとおりにすることにした。

 彼の言うとおりの行動を取ったから、彼はぼくの言うことを聞いてくれるはずだった。

 でも先程まではそう思っていたけど、それがベストなことなのかまた分からなくなり始めていた。歩を進める足は彼の所に行くことをまた迷い始めていた。

 夕焼けの街を彷徨いながら、考え淀む。学校を離れても家の方向には向かわずに茫洋と歩き続けていると、街の中心部に近づくごとに奇妙な扮装をした人達とすれ違うようになっていた。


「ああ、今日はハロウィンか」


 街は夕焼けから夕暮れへと移り変わり始めていた。

 進むほどに奇妙な人達の姿は益々増え、ぼくのような一般の歩行者に紛れてユニークなカボチャ頭や、ミニスカ魔女や黒マントに不気味なマスクを被った人、そんな人達が大勢そぞろ歩いている。お化けだけじゃなく、中にはアニメやマンガの扮装をしている人もいたけどそれぞれ皆そんなことは気にするふうでもなく、本来の意味を超えて祭りのように楽しんでいるようだった。


 ぼくはぶらぶらと、その人の波を避けつつも揉まれるように歩道を歩いていた。急ぎの用でもあったのか、脇を駆けていった骸骨男と肩がぶつかる。「ごめんねー」と明るく言葉を投げて、骸骨男は意外にも爽やかに去っていった。

 その衝撃で制服シャツの下でペンダントが揺れた。ぼくはこれを自分の代わりにと残していった彼女のことを思う。

 時雨がいなくなってもう一週間が過ぎていた。ペンダントについた黒い石のような彼女の瞳を思い出す。今日がこの世とこの世じゃない場所が繋がる日だと言うなら、それに託けて彼女が戻ってきてもいいような気がしていた。


 人が溢れる大通りから逸れて、少し脇道に入った。それでも「ハッピーハロウィン!」と賑やかな歓声があちこちから聞こえてくる。夕闇がより濃くなる物陰を選んで歩いていると、昨日の城崎の言葉が蘇った。


『本当に本当のこと? 本当は君がやったんじゃあないの? 君の父親と母親を』


 半年前の記憶は、時にぼくの中に黒くて暗い影を呼びつける。

 その影は疑いを向ける男の影にも似ている気がして、再び惑いの中にぼくを放り込む。


 脇道を抜けると再度車通りの多い道に出た。だけど会社のビルが多く建ち並ぶその通りに人影は少なく、ふと侘しさが過ぎった。

「家に帰ろうかな……」

 ぼくは誰に言うでもなく誰も聞いていない独り言を呟いた。

 感情的な整理はつきそうもなく、川島の所に行くこともまだ迷っていた。けれど一人の家に帰るのも気が進まずに、ぼくはあてもなく歩き続けていた。


「ハッピーハロウィン!」 

 と、遠くから大勢の歓声が聞こえた。

 その声が届いたのと、ぼくの後ろで車が停車したのと、その車のドアが開いてすぐ背後に誰かが迫り寄ったのは、ほんの数秒間の出来事だった。

 ぎゃっ。

 と、いう声がぼくの口から本当に出たかは分からない。バチッ、という音と共にぼくの身体は一瞬にして硬直して、全ての動きを止められていた。だからやはり声は出てなかったのかもしれない。けれど確実に心の中ではそのみっともない悲鳴は出ていて、立っていることもできなくなったぼくの身体は棒が倒れるように固い地面に向かった。

 だけどその身体を誰かの腕が抱き留めた。腕の持ち主はぼくをそのまま車の後部座席へと押し込むと、運転席に乗り込んだ。

「スタンガンって初めて使ったけどすごいね」

 前方からは聞き覚えのある優しげな声が届いた。

 気を失う寸前のぼくの霞む目に映ったのは、城崎の胡散臭い笑顔だった。

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