2.櫻井家での夕食→片恋の相手に恋の悩みを打ち明けられる

 その晩は幾分か気分が盛り上がることがあった。

 よく気がつく〝従姉妹〟が不在となり、少々ずぼらなぼくが家に一人だと知った可奈子が櫻井家の夕食に誘ってくれたからだ。

 一度家に戻って着替えて隣家に向かうと、可奈子と可奈子の母親の裕子さんと、今日は早くに帰宅した父親の信二しんじさんが出迎えてくれた。


「久しぶりだね、要君」

「どうも、おじゃまします」

「ゆっくりしていってね、どうせお隣さんなんだし」


 櫻井夫妻はぼくが赤ん坊の頃からぼくを知っていて、自分の娘と同じ高二という扱いが微妙になっているはずの今でも昔と変わらず接してくれる。挨拶を終えたぼくは可奈子と一緒に裕子さんの手伝いをしながら、テーブルに夕食を並べていった。数分の後に全てのセッティングが終わると、ぼくは促されて席に着いた。


 長方形のテーブルには可奈子の両親が並んで席に着き、向かい合う位置に可奈子と今日はぼくがその隣に落ち着いた。櫻井家の間取りはぼくの家と同じだから、リビングやダイニングも同位置にある。だからこうやって櫻井家の人達と同じテーブルに着くと、自分の家で起きていたことが再現されているような気もして少し既視感も覚えた。


「要君、遠慮なく食べてね」

「はい。ありがとうございます」

「おかわりもたくさんしてくれよ、要君」

「そうだよ、遠慮しないでよね、要」

 順番に声をかけられ、ぼくは言葉以上の感謝を感じながら箸を手に取った。


「そういえば要、朝はちゃんと聞いてなかったけど時雨ちゃん、実家に戻ってるんだっけ……?」

 思い出したように隣の可奈子が話を振る。

「そうなんだってね。寂しいわね、時雨ちゃんがいないと。なんだか物足りない感じね」

 賑やかな食卓で時雨のことが話題に乗る。既に時雨に慣れ親しんでいる櫻井家の人達にとって、彼女は欠かせない存在になっているようだった。


 何度も言うように時雨はぼくの従姉妹という設定になっている。詳細まで言うと、彼女はぼくが会ったこともない東北在住の父の兄の娘ということになっている。けれどその伯父さんには息子しかいないという確実な事実があり、あまりこの部分を掘り下げられてしまうとあっという間にボロが出てしまいそうな嘘でもある。実家云々に関してはこの虚偽の中でも特に危険度の高い部分であるので、ぼくは時雨不在のこの件を曖昧にぼやかしたい一心で話題の移行を図った。


「えーと、そうですね。いないと結構寂しいものです。あ、でもあと三、四日で戻るそうですよ。それよりもこの前、裕子さんに教わったっていう料理を時雨が作って食べさせてくれたんです。すごくおいしかったです。今度はぼくも教えてもらおうかなぁ」

 さりげなくできたかはあまり自信がなかったけれど、話題を料理の方へと誘導する。運よくこの話に可奈子が乗ってくれた。


「料理かぁ……要は結構そういうの得意だよねー。小学校の調理実習の時とか、何気に手際よくやってたし」

「へぇ、そうなのね……でもそれなら可奈子とは逆よねぇ。あなたってやる気があるのは認めるけど、ちょっと空回りしてるって言うか……ねぇ、要君。この前可奈子が作ってくれたグラタンなんだけど、味が何もついてなかったのよ。同時進行のサラダを作るのに精一杯で、グラタンの味つけする過程、スコーンって抜けちゃってたのよ」

「もー、お母さん、それ言わないでよー。恥ずかしい……」

「いや、あのグラタン、なんだかんだでなかなかよかったぞ。食感だけは」

「信二さん、あんまりそうやって可奈子に甘くしないで。将来旦那さんにあんなもの食べさせたらすぐに嫌われちゃうわよ」

「そうかぁ……? でも旦那さんか……うっ……可奈子もいつかそんな相手が……」

「なに? あなた、もしかして泣いてるの?」

「な、泣いてない!」

「泣いてるわよ。いやぁねぇ、全然今すぐって話でもないのに」

「あ、当たり前だ! い、今すぐなんて!」

「もー、やめてよー。二人とも」


 少し感傷的になる父親とそれをからかう母親、恥ずかしがりながらも取りなす娘。

 テレビドラマのワンシーンのようなやり取りを聞いていると、その近くにいるだけのぼくの方も知らぬうちに和む。けれど話題の中心にいたくない可奈子がこの話題の転換を図った。


「でもさ、料理って言っても要は普段あんまりやってないよね? 面倒臭がりだから?」

 ぼくは可奈子の意図を汲むことにして言葉を返した。

「うーん……やらないって言うより、食べるのが自分しかいなかったら面倒臭くて、なんか適当に済ましちゃう感じかな」

「駄目だなぁ」

「一人だとそういうものだよ」


 ぼくはそう言ってしまってから気づく。

 その〝一人〟という言葉は気軽に発したものだったのだけれど、食卓の雰囲気が少しの翳りを帯びた。


「あ……でも結構気楽っていうか、こういうのもあの……割と……」

 ぼくは場を取り直そうと言葉を続けるけれど修正はどうやらもう無理で、語尾を萎ませながら黙る。

 賑やかだった食卓が静まる。

 箸を置いた裕子さんがぽつりと零した。


「ごめんなさいね、要君。今でも時々寂しくなって……でも要君の方がもっとそう思ってるのにね」

「……そ、そんなことは……」 

「もー、お母さん。要が困ってるでしょ」

「そうね……本当にごめんなさいね、要君」

「いえ、大丈夫です……すみません……」


 裕子さんはまた謝って、少しだけ雰囲気を盛り返した食卓で食事を続けた。その後夕食が終わり、片付けを手伝っていると可奈子が部屋で一緒にケーキを食べようと声をかけてきた。「先に行ってて」という言葉に甘えてぼくは一足先に可奈子の部屋に向かうと、彼女が来るのを待っていた。


 可奈子の部屋に入るのは久しぶりだった。それでつい密かに深呼吸を繰り返してしまう。前に来たのは確か春の終わりぐらいで、可奈子が草野と付き合う前だった。

 ぼくの部屋では押し入れになっている場所は改装してクローゼットになっている。そこには扉がなく、掛けられている制服や私服や、畳んで置いてある体操服などが丸見え状態で少しわくわくするけれど、少しと言うか相当悪いことをしている気がして目を逸らす。


「お母さんがね、今日ケーキと一緒にちょっといいコーヒー豆を買ってきたから、淹れてみたよ」

 いきなり扉が開いて、可奈子がマグカップとケーキ皿が載った盆を手に部屋に入ってきた。ぼくは部屋のあちこちを記憶に擦り込むようにじろじろ見ていたことを気取られないようにしながら、ぎくしゃくした動きで床に腰を下ろした。


「ごめんね、今日は変な感じになっちゃって」

 可奈子が隣に腰を下ろしながらそう言う。でもぼくは本当にもう気にしていなかった。逆に気まずい雰囲気の原因を作り出してしまったことに罪悪感を覚えていた。

「ううん、本当に大丈夫だよ」

 ぼくはなるべく明るく答えて、この話は終わりにする雰囲気を醸し出した。それを察した可奈子が表情を変えて声を上げた。


「そうだ、お祖母さんの所に行った時のおみやげ、色々ありがとう」

 そう言って微笑むと、可奈子は傍らのカップとケーキ皿をぼくに手渡す。ぼくは「どういたしまして」と返事をして、それを受け取った。

「お祖母さんが作った漬け物はお父さんが晩酌のおつまみにして食べてたよ。私ももらって食べたけど、すごくおいしかった!」

「そう? それはよかったよ。祖母ちゃんも喜ぶよ」

「あの見送りに行った後、鈴木君まだずっと心配してたんだよ」

「マジで? ホントに変な奴だなぁ。まぁいつものことだけど」


 それからはなんとなく可奈子と世間話をしていて、ふとぼくは壁に掛かったカレンダーに目を留めた。十月もあと一週間ほどで終わる。十一月に入ってすぐのイベントのことを思い出した。


「来月の一日、可奈子の誕生日じゃなかったっけ?」

「うん、そうだよ。十七才。要より一つ年上になるよ」


 ぼくは大晦日生まれなので、二ヶ月ほどの間は可奈子より年下になる。だからどうだということもないのだけれど、こういうことを口にする可奈子を少し可愛いというか微笑ましく感じる。だけどその誕生日の話題を振った後の可奈子の表情がどこか暗いことに気づいていた。


 再び他愛ない会話が再開されていたのだけど、その翳りは幾度か彼女の表情を過ぎる。その原因は草野なのかな、となんとなく思う。何かあったのかな、とそう思うなら、それを訊ねてみるべき場面かもしれなかったけれど、それは完全な自爆行為の気もして惑う。その行為へと積極的に挑んでみるほど、ぼくはまだ自虐の終着地点には辿り着いていないようだった。


「可奈子、草野となんかあった?」


 でもぼくは訊いてしまっていた。

 惑いの狭間に落ち込んで填って、考えより先に言葉が出てしまった感じだった。


「えっと……なにか、って言うか……」


 それを受けた彼女は戸惑いのまま言葉を濁す。

 ぼくの部屋と同じ間取りの部屋。壁掛け時計の音だけが響く沈黙がしばらく続く。

 だけど少しの逡巡の後に、彼女はこの頃草野とうまくいっていないことを告白した。毎度何かが、と言うほどの出来事が起きている訳でもないのだけれど、時々訳もなく黙り込んで機嫌が悪くなってしまう彼氏によく振り回されている。近頃は会えば意味もない諍いになることも多くなっている気がしている。けれど関係悪化のままは望んでいない。できればこれからも付き合っていきたいと、彼女は最後に告げた。


「そうなんだ……」


 ぼくはあまり感情を織り込まない、「そうなんだ……」を返した。

 ぼくがこのことについてどうしたらいいかと言えば、どうもしないことが自分の利益に繋がるという予測が立つ。だけどそうすることがいいことなのかと問えば、きっと違うと思う。だったらどうすれば? と言えば、本当はこの件についてなど考えたくもないし、どうもしたくもないし、やっぱり訊かなければよかった……というのが本音だった。

 その後の会話はあまり弾まぬままぼくは帰宅した。出されたケーキとコーヒーはストレートにおいしかったけれど、自分の心内は複雑で、それを直視するのもなんだかちょっと嫌だった。

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