プリエールの章:高嶺の花は変わり者・4

「えっ……本がひとりでに浮いた!?」


 魔法書に魔力がこめられることはあっても、ひとりでに動くなんて聞いたことがない。

 だが目の前の“禁断の書”は開いた状態でふわふわと浮かび、黒いモヤを纏いだした。


『ク、ククッ、フフフフフ……』

「!」


 本から発せられたのは、年老いた男の笑い声。

 とうとう喋りだした本を前に、咄嗟にふたりが顔を見合わせる。


『ついに現れたか……我に相応しい容れ物が』

「容れ物……?」

『扉を開け、ここに辿り着いたということは……そこの男、我が子孫だな?』


 その言葉に、プリエールは扉の仕掛けを思い出した。

 彼女が触れても何の反応もなかったのに、アルバトロスが触れた途端にあっさり扉を開けたことを。


「……思い出せる限り、私の先祖に本などいなかった筈だが」

『先程貴様らが話していたではないか……“禁呪の魔法士”と。あれから千年も経ったのだな……長かった、長かったぞ』


 わざとはぐらかそうとしたアルバトロスに向かって、黒いモヤを触手のように伸ばす本。


「させないっ!」


 プリエールが魔力弾を飛ばし、本を攻撃する。

 怯ませた隙にすかさずアルバトロスの前に進み出て、彼を庇った。


(嫌な予感がする……アルバをこいつから守らないと!)


 千年前の魔法使いが今、どういう訳か本の姿をして目の前にいて、アルバトロスを子孫だの容れ物だのと言って狙っている。

 プリエールの中である仮説が浮かび上がる。もし彼女が想像した通りなら、アルバトロスを連れて一刻も早くここから逃げなくては……


『邪魔だッ!』

「きゃあっ!」


 力の差は圧倒的で、黒い触手がムチのようにしなりプリエールを弾き飛ばす。

 背中を勢いよく壁に叩きつけられたプリエールが、ぐったりと動かなくなった。


「プリエールっ!」

『雑魚が出しゃばるからだ』


 倒れ伏したプリエールに一瞥もくれず吐き捨てると、ろくな抵抗もできないだろうアルバトロスに迫る禁断の書。


『さて、その身体を戴くぞ……』

「う、うわぁぁぁっ!」


 部屋に響き渡るアルバトロスの苦しげな叫び声で、意識を失っていたプリエールの白い指がぴくりと動き、うっすらと目を開ける。


「アル、バ……?」


 ぼんやりした視界が次第にはっきりしてくると、そこにいたのは本を手に、黒いモヤを纏ったアルバトロス。


「ち、知識が、魔力が、流れ込んでくる……!?」

『そうだ、それが我が力だ! さあ、身を委ねろッ!』

「う、ぐぅ……っ」


 俯き、頭を押さえ、ふらつく体。アルバトロスは必死に抵抗しているようだが、相手の力があまりにも強大すぎる。


「アルバ!」

『まだ息があったか……ちょうどいい。あの小娘にトドメを刺せ』

「なん、ですって……?」


 まだ動くこともできないプリエールに、アルバトロスが震える手をかざす。


「うそ……」


 手のひらに集まっていく黒い魔力。そしてそれは無防備な彼女へと放たれ……


「逃げるんだ、エル!」

「――ッ!」


 黒い魔力は彼女を包み、こつぜんとその姿を消してしまう。

 しかしそれは“トドメを刺した”訳ではなかった。


『空間転移魔法だと? 我が知識から早速その力を使いこなすか……フフ、我の血を受け継ぎ魔法の才能も申し分ない。この肉体、さぞかし馴染むだろう。良いモノを得たわ』

「……う……」


 咄嗟にプリエールを遠くへ飛ばして逃がしたアルバトロスだったが、最後の抵抗も力尽き、がくりと項垂れる。彼が次に顔を上げた時、まるで表情が変わっていた。


「……まあいい。小娘ひとり逃がしたところで些末なことだ。どうせ丸ごと滅ぼしてやるのだからな……!」


 その声はアルバトロスのものであったが、歪に引き攣った笑みは、この体の持ち主のそれではなくなっていた――。





 再び気を失ったプリエールが目を覚ましたのは、それから数日後のこと。

 マギカルーンの入口に傷だらけで倒れていた彼女は、発見した住民により酒場も兼ねた宿屋の二階に運び込まれていた。


(アルバが、逃がしてくれたのね……)


 ベッドから起き上がると、プリエールは自分の体を確かめる。

 治療の他に回復魔法も施してもらえたようで、しばらく寝ていた気怠さ以外は特に問題もなさそうだ。


「こうしちゃいられないわ。あれからどうなったのか調べないと……!」


 宿屋を出て、彼女が向かった先は街の中央にある“魔法士協会”の建物。いつもなら魔法に関する世界中の書物が揃う書庫に入り浸るところだが、彼女は消えたアルバトロスや遺跡のことについて片っ端から聞いて回った。


 もし、あれが悪い夢で、今もアルバトロスがいつものようにここにいてくれたのなら……

 そんな、頭の中でも有り得ないと断定してしまっていることも、淡い望みに抱きながら。

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