失われた名前(二)

「じゃあつまり、エナミの恋人さんは……」


 恋人ってハッキリ表現しちゃった。マズかったかな、とエナミを窺ったが否定が無かったので続けた。


「亡くなられた後、何処かの地獄で案内人をしているってこと?」


 ここの案内鳥じゃないだろう。エナミが惚れるとは思えない性格の悪さだ。それにエナミとシキも説明を受けた時に会っているのだから、想い人ならその時に気づいているよね。


「その可能性有る」

?」

「案内人の他にも居るんだ。地獄の住人となり、統治者の為に働いている死者が」


 あれ、それ既視感が有る。「地獄の住人」と聞いて私は真っ先に彼のことを脳裏に浮かべた。


(シスイ……?)


 私を助けてくれたシスイ。彼の自己紹介がシキの話と一致していたのだ。

 そして私は思い出していた。夜、エナミの寝顔を優しく覗き込んでいた彼の姿を。


(いやいやいやいや)


 シスイは美人だが男だ。エナミも男だ。私としたことが変な妄想をしちゃったよ。

 州央スオウの下町の本屋には男色を取り扱った作品が置かれている。隠密隊の先輩だったねえさんがその手の本が大好きで、私も薦められたと言うか強引に何度か読まされた。影響を受けちゃってるな。


「あいつは……地獄と相性が良い魂だって統治者に言われていた」


 エナミが確認するようにゆっくり言った。トキがおずおずと手を挙げた。


「統治者って地獄の王様のことだよな? 言われたって何、小隊長は王様と直接会ったことが有るのか?」

「有る」


 ひょえぇぇ。現世生還を果たした者は色々な面で凄い。

 てことは、もエナミと一緒に一度目の地獄へ落ちたんだな。そして残念ながら生還が叶わなかったと。


「ガチで!? 統治者ってどんな? どんな?」

「見た目は穏やかそうな中年男性だよ。とてつもない力を持っていたけれど。その人に言われたんだ。俺とあいつは地獄と相性が良い魂だって」

「小隊長もか!? 魂に相性の良し悪しが有んの?」

「うん。通常の魂は地獄で長く過ごす内に、徐々に摩耗まもうしていってやがて消滅してしまうんだって」

「げ……」


 トキが蒼ざめた。


「でも相性が良い魂は地獄で半永久的に活動できるそうだ。そういった魂の内から相応しいと思う者を選んで、自分の配下に置くって統治者が教えてくれた」


 シスイからも聞いた話だ。エナミも死んじゃったら選ばれる可能性が有るのかな。あ、でも本人の希望も考慮されるんだっけ?

 …………ん? 待てよ、相性が良い魂が現れるのは稀だってシスイが言っていた。

 じゃあシスイが崖の存在すら忘れて追い掛けようとした魂、あれってひょっとしてエナミだったの?


「………………」


 私は無言で弟の顔を見つめた。シスイと彼はいったい……。

 一旦落ち着いた風に見えたエナミであったが、再び感情を露わにした。


「俺があいつの名前を思い出せないなんて!! まさか……死んで下の階層へ落ちたは、永遠に彷徨さまよう地獄の住人になってしまったのか!?」

「…………ん?」


 今エナミはって言った? 彼女の言い間違い?


「そんなことって! いつか俺が本当に死んで地獄の下層へ落ちれば、とまた同じ立場になれると思っていたのに!!」 


 また言った。二度続いたから言い間違いではないだろう。私の聞き間違いでもなさそうだ。だって隣に立つトキが顎をしゃくらせてポカンとしている。

 あ、そもそも恋人という私の認識が間違っているのかもしれない。


「ええとエナミ、聞いていい? あなたが名前を思い出せないその人は、あなたにとってどんな立場の人なのかな?」

「恋人だった」


 ハッキリすっぱり言い切られた。トキの顎が更に前へ出た。


「同じ桜里オウリ兵団第六師団所属で、俺の先輩だった人だ」


 あああああ。完全にシスイ像と合致してしまったよ!! マジか──!!


「それってば、おと、男、男の……人?」

「うん」


 エナミは堂々と頷いた。


「俺ちょっとションベン……あ、地獄ではしなくていいんだっけ」


 トキがどう反応していいか判らずにソワソワしていた。私もそうだ。

 体感で二日前に再会したばかりの、生き別れていた弟に同性の恋人が居たこの新事実。どうすりゃいいの。


「その人は……」


 ロン毛の剣士で美丈夫ですか? と尋ねようとして止めた。

 シスイから自分のことは話さないように頼まれている。そして私は情報を扱う忍び。口は固い方だ。


「うっ……」


 エナミの体勢が崩れた。シキがすかさず支える。


「アイツは地獄の下層で罪の精算をしていると思っていた。違うのか? 今は何処に居るんだ、何をしているんだ!」


 もう泣き顔を隠そうとせず心の内を吐露する弟を見て、私は胸が締め付けられて苦しくなった。

 こんなエナミを放っておくの? 姉である私が一番の味方になってやらなくちゃならないんじゃないの?

 好きな相手の名前すら言えない、憐れで愛しい私の弟。


「エナミ」


 私は意を決した。エナミが居なかったら死んでいた身だ。何だってやってやる。偏見なんて捨てる。お姉ちゃんは応援するよ、あなたの恋を。


「私、あなたの恋人に会ったよ。ここの地獄の第一階層で」

「え……?」


 エナミはもちろん、シキとトキも懐疑的な目を私へ向けた。エナミを慰める嘘を言っていると思われたみたい。でもね、本当なんだよ。

 ごめんねシスイ、約束を破っちゃって。


「その人ってロン……、艶やかな長い髪をした月のように美しい剣士じゃなかった?」

「!」


 エナミとシキが一瞬固まった。当たってた模様だ。やっぱりエナミの恋の相手はシスイだった。


「……ど……こで……。いつ!? いつあいつに会ったんだ!?」


 飛び掛かりそうな勢いでエナミに詰め寄られた。そりゃそうだよね、愛する人の行方だもん。


「初めて会ったのは昨日の朝。管理人に殺されそうになった私を助けてくれたんだよ」

「アイツが……姉さんを助けたの?」

「うん。その時に負った傷の手当てもしてもらった。袖を破って止血して」


 男達は私の片袖が破られていた理由をここで知った。


「次は……夜だよ。みんなが寝静まった後、私が見張りをしていた時にこの場所へ来たの」

「えっ!?」


 この情報にみんなは一番驚いていた。


「!…………」

「ふぇっ、こ、ここに来たん!?」

「嘘だろ、この俺が気配に気づかないなんて!」


 エナミはすがる瞳で私を見た。


「教えて姉さん。アイツは……彼は何をしにここへ来たんだ?」


 私は微笑んで弟へこたえた。


「あなたに逢いに来たのよ」

「……俺に……?」

「ええ、眠っているあなたを優しく見守っていた。それはもう幸せそうに」

「………………!」


 エナミは嬉しそうに涙をもう一粒こぼし、彼を支えるシキは無表情で引き、トキはこれでもかと言うくらいに顎をしゃくらせていた。

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