乗れない音楽
古田地老
乗れない音楽
教室の前に置いてある音楽プレイヤーから、どこかで聞いたことのあるメロディーが聞こえてきた。野原ユキヒロは思わず、心の中でリズムを刻む。
タッタカ タッタカ ティッタカ ティッタカ
タッタカ タッタカ ティッタカ タッタカ
(ああ、これはこの前、お父さんの部屋から少し漏れ出して聞こえた音楽に似ている。あの音楽はなんて題名だったんだろう。)
周りのクラスメイトの見てみると、ふーんと顎に手を当てたりぽかんと口を半開きにしたりしながら、よく知らない音楽だという感じで聴いていた。ただ一人、隣の席で交互に左右の指を机に打ち付けてリズムを取っている坂本ハルオを除いて、みんなこの音楽は聴いたことが無さそうだった。
曲が終わったところで先生が呼び掛けた。
「じゃあ、このリズムに合わせて体で表現してみよう。」
出席番号順に4人ずつ黒板の前に立つと、もう一度さっきの音楽が流れた。
「さあ、みんなだったらどんな風に表現する?踊ってもいいし、いい感じにリズムを取ってね。」
前に立つ4人は少し戸惑いながらも、次第に軽快な音楽に合わせて腰を振ったり腕を回したり、よく分からないもののそれぞれ思い思いの表現をしていた。
(僕にはムリだ。)
ユキヒロは瞬時にそう感じた。音楽を聴いてリズムがいいとか、テンポが好きだとか、そういう感想は持てる。でも、それを言葉ではなく、体で表現するなんて――。
「ねえ、これってそんな簡単に出来るもんなの?」
最初の4人が手応え無い様子で席に戻り、次の4人が自信無さげに前に並ぶのを、腕組みしながら見ているハルオに訊いてみた。
「体を動かすってのはさ、前の人がやってるのをちょっと真似したり組み合わせたりして踊ればいいんだよ。」
「それってパクリじゃね。」
「パクリじゃねーよ。アレンジだよ、アレンジ!」
ハルオが少し大きな声で反論したのに気付き、先生が注意した。
「そこ!横見てないで、みんながやってるの見ててね!」
叱られたことを気にしていないかのように、「はあい」と伸びのある返事をするハルオに向かって、ユキヒロは囁き声で訊いた。
「で、実際どうやってアレンジするのさ?」
「だからさ――!」
「ちょっ、声落として。」
「わりぃ。例えば今踊ってる加藤さんの腕の動きがあるだろ。やっぱこの音楽にはあのリズムの取り方が合ってるやんか。それを自分の左腕の動きにする。で、小林もいい感じの腕回ししてんから、それは右腕に。佐伯がさっきからくるくる回転してるけど、ずっとやとちょっとくどいから、それは音楽が一番盛り上がってる時に混ぜてみるとかさ。そうやって音楽を聴いて感じたことをうまく体で表現できるように動きのパーツを組み合わせればいいんよ。あっ!今俺が言ったのを真似たら、それはパクリやでな。」
「さすがやな。」
やっぱりいつも音楽の話をしているハルオはみんなと一段違う、とユキヒロは思った。休み時間とか掃除の時によくハルオから音楽の話を聴く。テレビとかインターネットで見る広告の音楽のこともあれば、全然聞いたこともない洋楽のナントカっていうアーティストのこともある。そういった音楽について、ユキヒロが初めて聞く色んな言葉と体の動きで感想を伝えてくれる。
ユキヒロはたまたま父親の部屋から聞こえたこの音楽の耳にしただけだが、ハルオはきっと、普段からこういう音楽も聴いているんだろう。
「じゃ、次は坂本さんから高橋さんまでの4人ね。」
先生に呼ばれ、ハルオを含めた4人が前に出た。さっきから何度も流れている音楽が、またプレイヤーから鳴り出した。ハルオ以外の3人は、今までの人と同じように体の一部をゆらゆら動かして、この難題に対してそれなりの回答を出していた。
そんな中、ハルオはただゆっくりと小刻みに体を上下に動かしているだけだった。
(なんだ、ハルオも大してみんなと変わんない。さっきの自信あり気な語りはハッタリだったのか。)
そう思ってユキヒロは暫くハルオを見ていたが、次第にその体の刻みが音楽のリズムと調和していることに気付いた。そして、それに気付いた頃にはハルオは他の3人とは比べ物にならないくらい、大胆で、それでいて音楽に合った表現を見せていた。
「おー……。」
クラスから静かに感嘆の声が上がった。明らかにハルオの表現は、今までの誰よりも自身の感じたことをうまく表していて、それがクラスのみんなに伝わった。
音楽が終わり、自分の席に戻ってきたハルオの顔はどこか遣り切った、そんな表情をしていた。
「すげーじゃん。」
「まあね。でもさ、ここで座って聴いてるのと、いざ前に立って体を動かしてって言われるのでは、やっぱ違うよね。みんなに見られてるって思うと、この音楽の素晴らしさを伝えたいって気持ちが体に出ちゃうわ。」
そう言うハルオの清々しい姿を見て、ユキヒロは緊張で僅かに汗が出た。
その時、突然先生はプレイヤーを操作して、さっきまでとは違う音楽を流し始めた。その音楽は聴いたことが無かった。
「じゃあ、クラスの半分まで終わったので、残り半分はこの音楽を聴いてやりましょう。」
(え、マジかよ。)
次の組はユキヒロたちからだった。
「なんて顔してんだよ。さっきと同じ理屈じゃん。」
ハルオは訳もないという表情でユキヒロに言った。
確かにそうだ。耳に入ってきた音楽で感じたことを体で表情する。体の動かし方は、これまで見てきたみんなの動きのパーツを組み合わせれば何とかなる。聴いたことの無い音楽でも同じだ。だけど――
「だけど、やっぱムリだよ。」
つい、心の声が出てしまった。
「何言ってんよ。じゃ、もう一度俺がやって来ようか。」
「それはマジで怒られるって。」
そうハルオにツッコミつつも、全く内心穏やかではなかった。
「はい、次の4人、前出てねー。中野さんと野田さんと野原さんと細野さんと――。」
自分の名前が呼ばれてから、もう頭の中が真っ白になった。なんとか前に出たけれど、ユキヒロはもう、綺麗に横並びになるだけで精一杯だった。
「それじゃ、始めます。」
再生ボタンが押され、さっき一度聴いたはずなのに、全てが初めてに聞こえる音が耳に届く。周りの3人はぎこちなくも体を動かし始めた。
(なんか動かなきゃ。)
そう思う。そう、頭の中では考えている。まず足を踏むとか手を叩くとか、リズムを追う簡単な動きから始めるんだ。
ユキヒロはそう思ってはいた。
しかし、棒立ちしていた右脚をゆっくりと少し肩幅に拡げた時、音楽は終わった。汗は完全に乾き、体を冷やし固めていた。
ユキヒロは音楽に乗れなかった。
乗れない音楽 古田地老 @momou
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