第14話  山眠る里の野辺

 山眠る里の野辺。


 早朝、外に出ると肌を刺すような冷たい風が冬の到来を感じさせた。


 北の空を仰げば、冬化粧した富嶽と連なる山々に目が止まる。


 その日、美月姫は忽然と姿を消した。






 一人山中をひたすら歩いていく美月姫。


 奥深い山に入るほど積雪は増し雪に足をとられる。寒さに手足がかじかみ痛みを覚えたが、それでも道なき道をせっせと進み森を抜けると、開けた高台に出た。


 夕日に照らされ、赤く燃ゆる富嶽が美しい。眼下には、黄金色に輝く美しい里が一望できる。


 間もなく黄昏時を迎えようとしていた。


 里の至る家々から、ぽつりぽつりと橙色の温かな光が灯り始め闇が深まるにつれ煌めきを増してく。


「蒼空・・・・・・あなたは今何をしていますか」


 蒼空を想うと自然と笑みが零れた。


「私はあなたに出会えて幸せでした・・・・・・今まで優しくしてくれてありがとう」


 美月姫は、すっかり冬木となった大木にもたれかかり、遠く揺らめく灯を見つめながらこれまでの人生を回想した。


 朝から何も口にせず山中を彷徨い続けた美月姫は、そのまま木の根元に滑り落ちるように座り込んだ。


 心配した山の動物たちは、美月姫の周りに集まり彼女の手や頬に触れてくる。


「皆、来てくれたの?心配しないで、少しここで休むだけだから・・・・・・」


 美月姫は、山の動物たちに微笑むと目を閉じた。


 その後、いつまで経っても目を開けないため、動物たちは何度も美月姫の手や頬に触れ起こそうとしたが、目を覚ますことはなかった。






 蒼空は、今宵も美月姫の家にやってきて戸口で静かに佇んだ。


 数日前、美月姫に辛い言葉を言わせてしまった蒼空は、声を掛けずにそのまま去ろうとした。


 だが、なんとなく胸騒ぎを覚えた蒼空は、勇気を振り絞り声をかけてみることにした。


「美月姫・・・・・・?」


 いつもならばすぐに自分の名を呼ぶ美しい鈴の音は、今宵に限って響いてこない。


 美月姫の拒絶とも思ったが、いつもと何だか様子が違う。


 その後、何度も声を掛けたが返事が返ってくることなく、それどころか、家の中から人の気配すら感じられないのだ。


 思い切って木戸を開けると、そこには美月姫の姿はどこにもなく、いつから居ないのか家の中は冷え切っていた。


「美月姫・・・・・・?何処に行ったんだ・・・・・・!?」


 




 その頃、美月姫の命の危機を察知した鹿の親子は、危険を顧みず人里へ下り蒼空を探し回った。


 蒼空の匂いを嗅ぎつけた鹿の親子は、蒼空を見つけると近寄り着物の袖を噛んで引っ張った。


「もしや、美月姫の居場所を知っているのか・・・・・・?」


 蒼空は鹿の親子の後を追い山に向かった。


 雪の積もった道なき道をひたすら進み、森を抜けると山の動物たちが一斉に振り返る。


 蒼空は、冬木立の根元にもたれかかったまま月明りに照らされた美月姫を見つけた。


「美月姫・・・・・・?どうした?おい、起きろ・・・・・・嘘だろ?目を開けてくれ!美月姫―――!!」


 蒼空がどんなに揺さぶっても、美月姫は目を覚まさない。


 氷のように冷え切った身体は、もはや一刻の猶予も許されない状態だった。


 美月姫の命の灯は今にも消えかけていたのだ。


「ああ、なんてことだ!」


 蒼空は、美月姫を温めようと抱きしめ必死に擦った。


 ただならぬ様子に山猿たちが集まり、蒼空を案内するように振り返っては先を進んだ。


 蒼空は、美月姫を抱え山猿たちの後に続いた。






「ここは・・・・・・?」


 案内された場所は洞窟だった。暗い洞窟内部は、奥に行くほど広く天井は高く暖かい。


 更に奥に進むと、暗がりのその先に一筋の月光が差し込んでいるのが見えた。


「驚いた・・・・・・こんな場所があったなんて・・・・・・」


 蒼空は、美月姫を一旦その場に横たえ辺りを確認して回った。


 一縷の望みをかけ着物を脱ぐと、迷うことなく美月姫の着物の帯を解き始めた。


 蒼空は、裸の美月姫を抱きかかえそのまま進んだ。


 そこには洞窟いっぱいに広がる巨大な天然温泉がこんこんと湧き出ていた。


 暫く温泉に浸かると、芯まで冷えきっていた美月姫の身体は次第に温まっていった。


「美月姫、目を覚ますんだ・・・・・・!すまない・・・・・・僕に力がないばかりに・・・・・・君に辛い思いをさせてしまった・・・・・・」


 祈る思いで美月姫を見つめる蒼空は、何故かその時、かつての父との語らいを思い出した。




『蒼空。美月姫のことが好きか?』


『うん。大好きだよ。美月姫はね、僕のお嫁さんになってくれるんだって』


『そうか。それはよかったな。いいかよく聞け。お前は男だから、何があっても美月姫を守ってあげるんだぞ』


『うん。僕は美月姫を守るんだ』


『愛する者を命にかえても守りぬく。それが男ってものだ』


『父さんも、母さんのことを命にかえて守るんでしょ』


『ああ、そうだ』


 それは、蒼空がまだ幼き頃、父と交わした男同士の約束だった。


 


 蒼空は、いるはずのない父の幻影に向かって話しかける。


「・・・・・・そういう父さんは、母さんを守ることができなかったじゃありませんか・・・・・・」




『蒼空に一つ頼みたいことがある。父さんにもしものことがあった時、庭の紅葉の木の根元を掘り起こしてくれ。いいか、これは二人だけの秘密の約束だ』


 父の幻影は、昔と変わらない大らかな笑みを浮かべてすうっと消えた。


「父さん・・・・・・?」


 その時、美月姫の細い指がピクリと動いた。

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